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遊廓について

よく時代劇に出てくる遊廓には幼い女の子が花魁のお供や下働きで出てきますが彼女達は幾つくらいから客をとらされたのでしょうか。

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回答No.4

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>よく時代劇に出てくる遊廓には幼い女の子が花魁のお供や下働きで出てきますが彼女達は幾つくらいから客をとらされたのでしょうか。 この少女のことを「禿」(かむろ、または、かぶろ)と言います。 客を取らされるのは、正確には、15歳です。 昔は、数え年で年齢を言いましたので、現代の満年齢でいくと14歳位ということでしょうか。 昨今では、完全なる「児童買春」で、即「逮捕」ですね。(笑) 「禿」は、主に、花魁や格子などの上級遊女の世話にあたり、遊女になる心構えと作法などを学びました。 また、楼主が、「これは行ける(美人になるだろう)」と見込んだ「禿」には、特別に、三味線や踊り、読み書きなどを教えたりし、行く行くは「上級遊女」に仕立て上げました。 吉原の女性は、完全なる親との契約が前提でしたので「奉公」と呼んでいました。 また、NO1.の方の言われる、いわゆる、女衒(ぜげん=人買い)で吉原に売られてくるのは、10%弱でした。 女衒は、全国の貧しい農村部などから7~8歳位の幼女を買い、自分の養女や親戚などと偽って売買をしました。 お得意様は吉原よりも岡場所と呼ばれる「見世」などで、「河岸見世」とか「局見世」(つぼねみせ)や「引手茶屋」、「出会茶屋」、「待合茶屋」の仲居兼売春、「風呂屋」の「湯女」(ゆな)、江戸の四宿(板橋宿、千住宿、品川宿、内藤新宿)の宿の「飯盛り女」などに売った方が、高値で売れましたので、そちらが断然に多かった。 幕府は、「人身売買」を禁止していましたので、幕府公認の吉原へは、ほとんど売ることはしませんでした。幕府にバレれば捕捉される可能性が高かったからです。 そして、吉原は、幕府公認の遊女屋でしたので、「遊女」と呼ばせました。 遊女の序列としては、 「太夫」「格子」「散茶」(さんちゃ)「うめ茶」「五寸局」(ごすんつぼね)「三寸局」「なみ局」「次」の順になります。 ただし、「太夫」は容姿はもちろんのこと、唄、踊り、三味線、三代集などを「レ」(返り点)なしに読めたり、囲碁、将棋の相手もできるほどの「超エリート」でした。しかし、庶民が一晩抱くには余りにも窮屈過ぎる、ということで、宝暦年間に「太夫」は消滅し、そこそこの器量と、そこそこの話し相手ができる「花魁」へと替わりました。 「花魁」の語源としては、「おいらの姉御」から「おいらんの」「おいらん」と呼ぶようになり、「花魁」という漢字が当てはめられました。 また、半公認としては、四宿の「飯盛り女」で、1軒につき2名との決まりはありましたが、一旦、宿に引き入れたら、裏に回ればゾロゾロ。 それ以外は、いわゆる、私娼で「女郎」または「売女」(ばいた)と呼ばれました。 岡場所や茶屋、湯女などはモグリでしたが、奉行所の摘発もマレで、吉原などからクレームが付いた時だけ手入れをし、摘発した女郎は吉原の下級遊女として満2年間働けば解放されたりしました。 売女にも個人営業もあり、 江戸では、「夜鷹」・・・夜になるとゴザ1枚を小脇に抱えて、両国橋や柳橋、呉服橋などに出没し、通りすがりの男の袖を引っ張って、川端に積んである材木の陰などで事をすませました。 京都では、「辻君」(つじぎみ)・・・なんとなく風情がありますね。 大坂では、「惣嫁」(そうか)・・・・何でも喰らいつくからとか。(根性!!) あとは、 「船饅頭」(ふねまんじゅう)と呼ばれる小舟をあやつり、表向きは「饅頭売り」、しかし、実際は、小舟の中で春を売る商売。 「比丘尼」(びくに)・・・諸国勧進の旅に出た尼さんがいつしか娼婦に落ちた者。坊主頭で、と、何かおかしいが、変態男もいて、 「三が日またず、比丘尼は見世を張り」 と、狂歌にもうたわれるほどで、正月の三が日も休めなかったとか。 「堤重」(さげじゅう)・・・出前を届けるように見せかけて「春の出前」。 まだまだ、面白い話もありますが、字数制限になりそうですので、これくらいで・・・。

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  • sijya
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回答No.3

江戸時代でも時代によって違うようです。 江戸時代初期・京の島原はかむろ(少女の見習い・下働き)から 太夫になり、デビューするのは14歳くらいが多かったようです。 ただし、太夫は(特に江戸時代初期の)どちらかというと 体を売るのを専らとするよりは高度な教養と芸事を売りにしていたから ということもあったからかもしれません。ただし、まったくそのような ことがなかったわけではないのですが。 後に(後期になると)振袖を着た「新造」という太夫の前段階 (かむろの次の段階)ができ もう少し太夫になる年齢は遅くなったようです。 江戸吉原でも初期には大体同じようだったのではないでしょうか? 後期になると吉原では太夫・格子に変わり「呼出昼三」という いわゆる「花魁」が最上級の遊女となります。 花魁候補のかむろは花魁のもとで見習いをしながら たくさんの芸事や作法を仕込まれ 大体14歳くらいで「振袖新造」となり、花魁の前段階に 進みます。花魁になるために姉花魁の世話になりながら 本格的に作法を学び、 花魁の名代として客に会うこともありましたが、まだ客は とれない身分でした。その後大体18歳くらいで一人前の 花魁となり、お客をとるようになります。 ただし、かむろになっても花魁になれるほどの器量に 成長しなかった子や、十代になって家から売られて来た子 などは、16歳くらいから客をとっていたようです。

  • nyakosu
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回答No.2

 この辺りでしょうかね。  http://sakuran.gahou.jp/data/02.html  禿はかむろと読みます。  時代劇なら大抵悪代官が不正利得で吉原にいくという感じですね。  吉原は公認遊郭の中でも最上級(時代により盛衰はあります)の地帯で、27歳で定年だったそうです。

回答No.1

昔は16歳で大人として扱われました。しかし、江戸時代、明治時代のことですから、年齢制限のルールなんてのは有って無いようなもので、13歳ぐらいでも客を取らされていたようです。 日本は歴史的に見ても、性には曖昧な国で、フランシスコ・ザビエルが種子島に流れ着いてキリスト教を広めようと思い立ったのも、預けられた寺で平気で男色が行われていたからです。 私は江戸時代の東京と埼玉の境である台東区の三ノ輪に住んでいたことんがありましたが、この三ノ輪こそ、女衒(ゼゲンと読みます。女の子を地方から買い集めて来る職業の人)の手から遊郭の牛太郎(遊郭内で仕事をする男の連中)に引き渡されます。 そして遊郭に入ると、後々に客の男に処女を捧げる為の訓練をしますが、この先生のことを床師(トコシ)と呼びました。 処女を奪わずに、少女が男性を気持ち良く受け入れられるように訓練するのが仕事でした。東京では吉原が有名ですが、新宿、曳船、向島など、二流の遊郭もたくさんありました。 昔の江戸言葉に「河岸を変えようぜ!」(今で言うなら喫茶店に長時間いて、飽きたから場所を変えようか?という意味の江戸言葉です)という言葉がありますが、これは遊郭の女郎を船の上から見物して、希望の女性がいないから、場所(河岸)を変えようという意味です。 親の借金を背負い、過酷な性的労働を強いられて、成人を迎える前に亡くなる遊女も多くいました。そのような女性の死体は、供養される事も無く、投げ込み寺と呼ばれる浄閑寺へ放り込まれたのです。浄閑寺の和尚がそれを哀れに思って供養したそうです。今でも三ノ輪の交差点の直ぐ側に浄閑寺はあります。 インドネシアとかタイとか、まだこんな時代のようなことが行われています。

tricksntreats
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