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卒論で一般論的なことをまとめる時に・・・・

今卒業論文を書いています。人文系の学科です。 剽窃についてなんですけど、文章をそのまま移すのは論外として 他人のアイディアを言葉を変えながら自分の意見として書くのは剽窃なのは分かるんです。 問題は歴史的事実や一般論です。 卒業論文では例えば最初の章でその時代を大まかにまとめて その後取り扱いたい題材について書くみたいな手順が多いですよね。 その「事実をまとめる」段階でどうしても既存の本と「言っていること」が同じになってしまいますよね? 例えば 「90年代のアメリカの経済成長は目覚ましいものがあり、 金融・IT産業の成長、個人消費と高い生産力がその要因である。」 みたいな文章があったとしたら、もうどうやっても変えようがないというか 文章を並べ変えて自分の言葉っぽくすることくらいしか出来ないと思います こういう歴史的事実や一般論的なことをまとめる時にはどうしたらいいのでしょうか 事実だから自分の文章に直せば問題ないのでしょうか 注を付けると注だらけの章になってしまう気がするのですが こういう場合の参考文献の取り扱い方を教えて下さい。

みんなの回答

  • east-with
  • ベストアンサー率41% (85/207)
回答No.4

 まず、歴史的真実や一般論を書く際の注意。 (1)あなたはその時代に生きていたか。つまり、生まれる前の事を書くときは、事実確認であり誰が言ったか分かるように書きましょう。発表会の時に突っ込まれるかもしれません。つまり、「90年代のアメリカの経済成長は目覚ましいものがあり、金融・IT産業の成長、個人消費と高い生産力がその要因である。」なんていう文章は、あなたが最低でも90年代に17歳(高校生)、もっと厳しく言えば20歳以上(成人)でないと話として違和感があります。あなたは、20歳以上ならその社会の変革を目で見たことになり、弱い論証ですがその時代の大人としてその変革を自分の目で見たことになり指摘できません。つまり、当時の人たちは新聞やニュースを見てこれから情報化社会になっていく事を実感し、今日まで生き実際の社会との違いを認識したなら分かります。理想と未来の現実との違いを、「90年代の金融・IT分野の成長と個人消費が多くなり生産性が高かった」と回想して、2009年現在は金融もIT分野も強弱の差や統合してきたなというのは良く分かり痛感できます。そこで、あえて言うとお爺ちゃんエッセーみたいのは出典先は要らない(自分が証人)ですが、たかが大学生にそんな体験はないはずだ。小学生や中学生がそんな社会全般を見る視野なんてあるのか。だから、出典先を書かないのは自分が体験したつまり20歳以上でそういう風潮があったなら分かる。だから、大学生のあなたは過去の事は出典先を明かしなさい。 (2)文献やサイトを情報源とする記述に出典先を明かさない事は剽窃や盗用と扱う。あなたは気づかないと思いますが、新聞も雑誌も書籍もフリーペーパーの内容にも著作権があるのです。ですから、その記事や内容を引用する場合でも、著者や出版社にその雑誌のその記事を学術的に利用するために引用する事を快諾していただくために手紙を書かないといけないんですよ。でも、手紙を書いて断られたら引用できません。紙のメモ一つ(あなたの講義ノートだって)、教員の板書なら教員に著作権があります。あなたの他人の情報を自分の知識として書く書き方は、著作権法違反にさえなりかねません。でも、少し安心してください。あなたの卒業論文が学外に漏れて著者の耳元に入るなんて事はまずあり得ません。ですが、前の項目で話したようにその時代を目で見て体験して、その記事を読んで思い出して、その時代をふと立ち返ったのなら出典先は要りません。しかし、大学生にその時代の事を思い出して書くなんて事はできますか。できませんよね。だから、引用先は明かした方がいいです。 (3)一般的事実に引用先を明かすのは不要か。まず、あなたが2009年で22歳ならば、その7年前つまり2002年(15歳)までならなんとか出典先を明かさなくてもいいかと思います。つまり、その情報化社会をニュースや新聞で見たのが2002年ならば自分の主観でも客観性を説くのは可能でしょう。それは体験という論証です。ただ、自分が生きていない時代の事をたとえ一般的事実でも解き明かすには文献を見たしか考えられない。  そこで、あなたが書くのは卒業論文ですよね。卒業レポートなら私のこれまでの名誉棄損や中傷は無視してくれて構いません。なぜなら、レポートは自分が調べて発見しましただけで問題がない。ただし、論文は自分が発見したというのが問題でなく、調べ上げてある事実が分かったという研究の成果ですね。ですから、何年に●●があったは不適切です。  論文には優先権があります。最初に発見した人に敬意を示すという決まりがあります。だから「2009年に小池徹平がある雑誌のインタービューで「草食男子」という言葉を使い、機械やアニメなどに詳しく穏やかな人を含め草食系男子と言われるようになった」などと書かないといけないわけです。つまり、草食男子は小池徹平が発して有名になったのだから小池氏に優先権があります。  別の例で「ギャルが90年代にギャル語を話し、汚ギャルやコギャルなどの言葉が生まれた」。それは、ギャルが流行させたのでその当時のギャルです。ギャルの誰かが特定できない場合は、その当時のギャル全体です。  また別の例で、「1970年代に京都産業大学の益川敏英教授によって小林・益川理論が発見された」。小林・益川理論を批判する場合も、先行研究として論文に書かないといけない。  またまた別の例で、「和辻哲郎は気候をモンスーン、砂漠、牧畜地帯と分類した」。それは、風土でその自然環境を最初に主張したのが和辻氏だから、優先権がある。  つまり、優先権は何か分かると思うが書こう。一般常識で知っていても、知らない過去の歴史的真実でも、過去の人から積み上げられてきたものである。そのため、出典先が分かる事実は明らかにすべきである。  ただし、引用先を書かないでいい場合がある。それは、古典や古代の問題。例えば、卑弥呼の問題は未だに不明である。そのため、その出典先は大和説や四国説や九州説など支持する論文の先行研究で行う。つまり、ある仮説を支持する前提で書くのが普通。 (4)これらの議論を踏まえてまとめをする。理工系では研究の優先権がある。文系には出典先など全く気にせず自分の主張にする慣習があるのであれば、そちらの方向で書いてよい。ただし、理工系は歴史的真実や一般常識であっても、その論文に必要な個所の先行研究は絶対に出典先を明かす。その必要な先行研究を明かさないと、議論としてはまず無理が生じるはずである。誰の何の理論を展開しているのかが分からない。例え分かっても、読者の勘で考えているだけで実際どうか分からない。そのため、理工系では引用は文献を明かすのは当然の行為である。  つまり、私は文系の事情はよく知らない。そのため、上記(1)~(3)の議論は理系ならそう行うべき方法なのである。文系の論文での引用が全く不要であればそれに従うべきである。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.3

推論・考察をしている文章については、自分の意見なのか他人の意見なのかを明確に区別できるようにする、というのが元々のマナーであり礼儀なのだと思います。 その延長として、これは推論・考察なのか、それとも事実の列挙・紹介なのか、という区別がつく文章や章構造になっていればいいと思うのです。 つまり、冒頭部のイントロダクションで現状把握をするかたちで事実の提示を行っておけば、その後の考察の章こそがご自身の見解であるのだ、と分離されていることを読者がわかるというわけです。 もちろん、事実であるかどうか、を確認できるように複数の他者(研究者)の事実認識を引用して共通の事実認識であることを示すべく、数件の引用をするというのもおかしくはないと思います。その場合は、できるだけ段落や複数の文章が対応する(同じ事実認識である)文献を引用して、単純化したほうが読みやすいとは思います。(その文献の前提条件に乗っかって議論を進める手もあります) 例えば、ご質問の文章では、 「90年代のアメリカの経済成長は目覚ましいものがあり、」 というのは何かの機関による経済統計に基づいていると思われ、 「金融・IT産業の成長、個人消費と高い生産力がその要因である。」 というのは他の研究者の研究結果や考察から導かれている分析と思われます。 ですから、これらを記載するならば、個々の出典を引用するか、この分析結果を発表している文献を引用して出典にまで辿れるようにする、というのがストイックな姿勢だと思います。

回答No.2

例にある既存文が正しいかどうか ルール系なのでサッパリですが、 本に書いてあるコトが否定できないならその続きも書けば良いのでは? 例の場合 2010年から先の経済予想とそこで歴史化するために すべき行動についてとか ええと この手の文章を書くときのコツは 評論家や まして学生などではなく 起業家気分で書くコトかと、 職場ではオレ 改革意見とか常創しますし それしか求められません 「書き手の見解は求めてない」と もし質問にあるなら なんかもう 「事実をまとめるのみの卒論」などで悩む必要は無いと思います その場合は丸写し いや コピー渡して論破してやれば充分ですよ?

  • tknaka
  • ベストアンサー率45% (225/491)
回答No.1

例として挙げられている文、本当に事実ですか? 四つ並んでいる「要因」は、原著者が分析した結果示した考えであり、それ以外の「要因」も考えられます。また、その内の一つに関しては別の考え方をすれば「成長要因」と言えない可能性も出てきます。 事実は、例えば「2000年にジョージ・W・ブッシュが初めて大統領に当選した」というような誰が見てもどんな資料を読んでも変えようのないものを指します。

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