解決済みの質問
1.記紀には聖徳太子が送った遣隋使が中国への最初の使いのように書かれていますが、中国側の史料には
邪馬台国や倭の五王の時代に使いが何度も来ている事が書かれています。
これらの時代の事はなんで記紀には無いのでしょうか?
2.遣唐使船はしばしば難破したり漂流したりで半分くらいしか辿り着けていないそうですが、
白村江の戦いでは日本軍は一千隻もの軍船に数万の兵を搭載して大陸まで送る航海技術があったのに、なんでこうなったのでしょうか?
白村江の戦いでも実際はその数倍の軍船が建造されていたけれど、途中でかなり沈んでいるのでしょうか?
でもそのような記述はありません。
また千に数倍する軍船が建造されていたとすれば、それ自体遣唐使の時代とかなりの技術力
や生産力の違いが感じられるのですが。
投稿日時 - 2009-10-31 00:41:55
2についてですが、その白村江の戦いの結果、安全な半島経由のルートが使えなくなったため、直接海を渡るルートを使わざるを得なくなり、非常に危険なものになったそうです。
遣隋使、遣唐使も白村江まではわりと安全だったらしいですよ。
投稿日時 - 2009-10-31 01:18:03
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ベストアンサー以外の回答(4件中 1~4件目)
>これらの時代の事はなんで記紀には無いのでしょうか?
未だに邪馬台国がどこにあったかわからない。
というような論争がされているように、
記紀にはそのあたりの時代の記述が非常に不明瞭のようです。
最近読んだ本では、
日本書紀は天武天皇の発願により開始されたが、
途中、藤原不比等の陰謀で事実関係が意図的に
隠蔽され、その結果その頃まで遡って歴史が歪められたのだ
というような話でした。
単なる憶測の域はでないでしょうけど、
説としては非常に面白いものでした。
私の拙い憶測では、記紀は大和朝廷の正史であって、
邪馬台国や倭の五王は正式な日本代表の使いではない
からあえて正史から外した
というようなことなのではないかと思われますが。
箸墓古墳や今公開中の桜井茶臼山古墳のように
その当時の古墳などの調査が進むとその当時の
諸事情も含めて解明されるのではないかと思われます。
投稿日時 - 2009-10-31 10:00:45