解決済みの質問

さまよう

人は何にさまよう?

何故 さ迷う?

どうして、手助けしている人(さ迷う人たちに対し)が、病んでしまいますか。

あなたは何にさ迷いますか。

思春期、成人してから、社会人になって、

あるいは人を愛したり、ナクシタリ(亡くす、無くす、失う)と。

夢があるからこそさ迷いますか。

夢がないからさ迷っていますか。

大人になってから、子育て終わってから、家族があっても行き場はない、

どこが居場所なんだろう。

私は何だろう。

なんで、こんなに便利で、何も持ってない訳でもなくて、

明日があるのに、さまよってしまうんだろう。

さまよっても、どうにかしたいから やってゆく

クリアする度、学習してる。

でも、大切な人がまいってしまったとき、

考えてしまう。。

何で、みんなこんなにさまよってるんだろうって。

さまよってきましたか

いますか

ますか?

どうすれば、さまよいはクリアできるのかな。

さまようについて、私の上げた事意外でも

想うことがあるなら、節があるなら、聞かせて下さい。

知り合いが、弊害がでてしまいました。

さ迷う人の気持ちをわかるりっぱな人でした。

何で、こんなにみんな理解者や、癒しを望むんだろう。

やりきれないけど、あきらめないけど、

あまりにも、さまようという言葉に、キーワードをかんじました。

考えませんか、

何で、何に皆、こんなにさまようのだろう。

あなたのまわりのさ迷ってる人が、どうぞ元気になりますように。

(人の事に我を裂いた人は、今さまよってます。)

どうにかしたいね。

投稿日時 - 2003-04-26 03:26:32

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QNo.532335

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

こんにちは

かつて、友人が、「人付き合いなんて、同じ船に乗り合わせただけだよ。きみも
僕の船に乗らないかい。」
といってくれました。
わたしは乗りませんでした。

今 私には、自分の船があって、(小さいし、不安定ですけど)、一緒に 乗ってる ちいさいものたちもいます。
大きくゆれる事もあって、バランスとるだけで精一杯。

ほかの船を助けてあげるなんて、めったにできません。
時間という河を、転覆しないように、、、同乗のものが
流れに落ちないように、、、

船は さまよいつつも、いっしょに船に乗ってる人達は 
自分からは、
停まってるようにも、見えます。

なんで,というより、そういう物だと思っています。

もし、おぼれてる人がいたら、引き上げて、
同じ船に乗せて上げられるかな。
その人の重みで、船全体が、つぶれないように、気を付けながら、、、。

自分はいつか船を下りる、それまで、楽しく、力を合わせていきたいです。
質問者さんも、どうぞお元気で。
こうして言葉を交わせたのも、
おたがいの、船が近づいた ほんの一瞬の出会いだと思います。

投稿日時 - 2003-04-30 03:42:59

お礼

foothillさん ご回答ありがとうございました。
船のお話とても、考え方など解かりやすくて、同感する部分も多々ありました。
>船は さまよいつつも、いっしょに船に乗ってる人達は 
自分からは、
停まってるようにも、見えます。
面白い例え方で、こちらの考え方も凄く理解しやすいものでした。
なるほど。。。

>質問者さんも、どうぞお元気で。
お気使いを頂きまして、ありがとうございます。
参考にしてまいります。

投稿日時 - 2003-04-30 14:31:31

ANo.12

6人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

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ベストアンサー以外の回答(11件中 1~5件目)

ANo.11

人は生き甲斐なしには

生きていけないのでしょうか・・・。

・・・、生きてはいけないかもしれませんね。

今、私は生き甲斐を感じて生きていますが、

1,2年前の私は人生に絶望を感じていました。

生きてて生き甲斐を感じなかったからです。

でも今生きていて生き甲斐の理由を自分に問うと、

たいした理由ではありませんし、

こんな理由でいいのか?って言うようなものです。

そして1,2年前に生き甲斐がなくて

悩んでさまよっていた時期より前の時も

たいした理由で生きてなかったです。

毎日遊びたくて過ごしてました。

学校がつらくてもそのあと遊べるから生きていけました。

遊ぶことが生き甲斐でした。

たいしたことない理由で生きてきました。

そして今でもたいしたことのない理由で生きています。

そのくだらない理由でも生き甲斐にするのは自分です。

どうしてそれを生き甲斐に感じるのかはわかりませんが、

それに生き甲斐を感じているのです。

だから手探りで生き甲斐をいっぱいさがして

見つければいいと思います。

大変だとは思いますが、

本を読むことやゲームをすることから

探してみてはいかがでしょうか。

さまようということと違っていたらごめんなさい。

>私はなんだろう。

自分は自分です。

それ以上ではありません。

人からの評価が自分の価値だと

決めてはいけないと思います。

子供に、世間に何を言われようが

自分という存在の価値というものは

自分にとっては絶対です。

人の価値は気にしたいものですし

私も気にしますが

それを自分の価値と感じてはいけないと思います。

>どこが居場所なんだろう。

寂しさが伝わってきます。

友達いっぱいに話しかけて

探してみてくださいとしかいえません・・・。

がんばってくださいね(泣)

投稿日時 - 2003-04-29 22:39:50

お礼

koukitokiさん、沢山のアドバイスありがとうございます。
お若いかたでしょうか。
色々、お気使い頂きまして、どうもです。

私自身のさまよいは、もうほとんど過ぎているのですが、
友達の、さ迷ってる人を受け止めすぎて頑張りすぎた
結果をみて、さ迷うと言う事について、
さ迷う=(自己に落としての)自己責任と
言う観点から考えて見ました。。。

でも、ここで沢山のご意見を聞けて、良かったです。

生きがいについて、ご意見を頂きまして嬉しかったです。
私自身も同感する所があるので、又、自然体でいる事が
いちばんなんでしょうね。

投稿日時 - 2003-04-30 19:10:13

ANo.10

>自分が辛い時だけ甘えてきて、学習しなくて、良くして
>もらったら、その分頑張って変ろうとしない人の依存の
>せいで、友人がブッ潰れてしまったのでやりきれなくなって
>ました。

人が背負うことのできる重さには、限度があります。
偉人・聖人と呼ばれるような人でない限り、人の重荷を負う
ことには限界があると考えた方が間違いないでしょう。

私もなるべく人には親切にしたいと考えています。
しかし限界があることは事実で、あれもこれも世話をしている
と自分がぶっ倒れてしまいます。

ですので最近は、世話をする相手にも応分の努力をするように
促すことが多いです。
誠意のある相手のみ、こちらもきちんと応対しています。

どうしようもなく依存してくる相手に対しては、縁がなかった
と考えるのも一つの対処方法かもしれません。
|そうは言っても相手が家族だったりすると、縁を切ること
|ができないということもあるのですが。

投稿日時 - 2003-04-28 17:07:47

お礼

cse_ri2さん アドバイスありがとうございます。

>私もなるべく人には親切にしたいと
しかし限界があることは事実
あれもこれも世話をしている と自分がぶっ倒れてしまいます。
全くです。私の知り合いはそれで一杯に成ってしまわれました。
とても悲しいのです。
回りの寄りかかった人は、何を感じ取ったのかなあと。

「そうは言っても相手が家族だったりすると、縁を切ること
ができないということもあるのですが。」
全くですね。
傷つく人が少なくなって欲しい物です。

投稿日時 - 2003-04-28 20:32:28

ANo.9

No.2の返答のコメントです。

>ですが、ここで少し違ってくるのが、その後の経験を
>生かし学習し、乗り越えた人の場合には関係なくなります。
>親の愛情だけが根っこではないといえる場合もあります。

そうですね。
苦労して学習して乗り越えた人は、自分の中に「何か」を
見出した人だと思います。
そういう人は別の困難にぶち当たっても、それを乗り越える力を
身につけていると思います。


>> 自分の根っこは何ですか?
>そうですね、今なら 「1人立ちしてから、頑張って来た
>事が私の根底です」といえますが、 昔の若い自分なら、
>私は何物かもわからなかったでしょうね。
>最近は大人になってもそう思ってる人が多いのかもしれ
>ませんね。

同感です。


>後、家庭環境に恵まれすぎて、おかしくなる人もいます
>よね。。。。。。

どっちかというと、甘やかされて育てられた人でしょう。
甘えさせる愛情も必要ですが、それと同時にある程度厳しい
躾や指導も必要です。父性的な愛情と母性的な愛情の両方が
あることが理想的なのでしょう。


>学び取る力が大切なのかもしれませんね。

苦労の中から何を学ぶかが、人間的に成長できるかどうかの
分岐点かも知れませんね。

投稿日時 - 2003-04-28 16:57:50

お礼

cse_ri2さん 何度もご自身のご見解をお聞かせ戴きまして
本当にありがとうございます。
やっぱり人は前をむいていたいですね。さ迷う事が合っても、
今時分は何が出来るか、個々に考えて居たいですね。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2003-04-28 20:28:43

ANo.8

●安心できる状態を築けないから さまようのです。
 人は支えあって 安心を得ることができます。
 けれども その相手が亡くなったとき それでも
 こころ安らぐ状態でいるために 自然をふたりで
 よりどころにします。どちらかが亡くなっても
 自然がそばにあれば 安らぎは得られるものです。
 しかし 現代はその自然が揺らぐとんでもない
 時代なのです。ですから誰しもさまよっていて
 なんの不思議もありません。こころの安らぎを
 得たいから 自然を守ろうとする 取り戻そうとする
 そんな動きが起きてきているのは あたりまえのことなのです。

投稿日時 - 2003-04-27 02:04:57

お礼

H-hokoさん アドバイスありがとうございます。
これは、人が忘れがちになっている観点からのご意見で、
とても参考になりました。
そのとおりかもしれませんね。
支え合う、、、
支えてもらうだけ、、、逆手に取ったらそう言う気持ちや
思考が増えた結果も全てに言えそうです。。。
とても考えさせていただきました。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2003-04-28 20:21:48

ANo.7

さまようことを、受け入れたからだ。
さまようことを、赦したからだ。
だから、さまようことが、できるのだ。
それは、その人の力だ。
まぁ、彷徨うだけが人生ではないが。
  
目的ではないところで、さわやかな風をかんじる。
海にのびる月を見る。
さまよえる魂にのみ、出逢いがある。
さまよえる魂のために、季節がある。
さまよえる人のために、俺の生ける魂はさまようのです。
それが、その行方であるからです。
さまよえる魂は優れている。
それよりも、堕ちる魂こそが、さまよいという救いを、必要とする。
 
彷徨えることもまた、幸せだ。
>どうすれば、さまよいはクリアできるのかな。
十分に彷徨ったら、さらなる世界が来る。
十分に彷徨うことを拒む人は、また、その人の道がある。
その人は、その人を行き、それでいいのです。
>人の事に我を裂いた人は、今さまよってます。
本当にそうか?
本当にそう思うのか?
彷徨うことを受け入れる。それが、十分に彷徨うことを可能にする。
十分に彷徨うことは、よい。
その人は、彷徨うことを、越えたことができるからだ。
十分に彷徨える人は、明日があるなどと、いわない。
その人は、彷徨える今を、生きるから。
その人の焦点は、自由に近い。
人のことに我を裂くなんてことができる人は、十分に彷徨えている。
それは、その人の優れた力だ。
救いある人生を歩む人の、その人の救いは、その人にしか、もたらされないのです。
それは、その人をとおしてしか、得れないのです。
救いを必要としない、人生も、ありえるのです。
世界は、ひろい。
人生は、迷いという言葉では、到底、かたりつくせない。
彷徨っているようで、近づいてる。
十分に彷徨っている人は、近づかない。
もう着いてる。着いているのに、彷徨えるということは、そこに、その人の広い世界が、広がっているから。その人は、もう着いているのです。

何故彷徨うのか?
さまよえ切れてないから、さまよう。
行きたりないから、行くのです。
 
堕ちる魂は、騙された、欺かれた魂です。自己の魂を裏切ってしまった魂の影です。
我を、裂いたのではなく、裂かれてしまった者はそうなりえる。影のような存在になる。
そういう人は、多くないが、少なくもない。

投稿日時 - 2003-04-27 00:49:31

お礼

ayamatiさん、こんにちは、大変大きな視点、角度からayamatiさんのとらえていらっしゃる
ご意見をお聞かせ戴きまして、ありがとうございます。
ayamatiさんに戴いた内容には常に、気持ちの良い、
前向きさが前方に有るような気がしました。

 「目的ではないところで、さわやかな風をかんじる。」
この気持ちや考えが、頭の片隅に自分を支える物として
あれば、色々と好転して回る気がしました。
じっくり、又、読ませていただきますね。
きっと沢山のメッセージがまだまだ含まれているきがしますので。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2003-04-28 20:18:11

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