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松尾芭蕉の最期を描いた話を探しています。

確か、学生時代に国語の教科書に載っていたのを 読んだ記憶があります。 松尾芭蕉の床を囲んで最期を看取る… その時の弟子たちの心境や様子なんかを描いたもの だったように記憶しています。 10数年ぶりにふと思い出したのでとっても曖昧な 情報ですいません。 ご存知の方、よろしくお願いします。 その他にも、中・高生時代に国語の教科書で習ったもので 面白かったものなんかがあったら教えて下さい。 例えば、『夢十夜』 夏目漱石 も、思い出して、 最近読みました。教科書には10話のうちの1つか 2つしか載ってなかったので、他の話もかなり 面白かったです。

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  • LN-TF
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回答No.2

芥川龍之介ならば、「枯野抄」では? http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/72_14932.html 版権が切れていますので、青空文庫に収載されています。 自身も、過って国語の教科書で読んだ記憶があります。 中学生には鳥渡難しい気もしますね。

tsumo_2007
質問者

お礼

「枯野抄」、そうです。そんなタイトルでした。 ありがとうございます。 それが何を意味し書かれているのかということを 理解できたわけではなく、ただ、読んだ時に なんとも不思議な気分になったのを覚えています。 ありがとうございます。 週末、探してみます。

その他の回答 (1)

回答No.1

芥川龍之介の「夢は枯れ野を」ですかね。 私も年で、ハッキリしませんが^^;

tsumo_2007
質問者

お礼

ありがとうございます。 お二人のお陰ですっきりしました。 図書館か書店で探してみます。

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