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家紋とルーツについて

家紋関係の本なんかみるとそれぞれの家紋に関するルーツ(例えば元をたどれば源氏や平氏の土着した一派だったとか)が書いてあったりするのですが、明治維新前は人口の大半が家紋もなく名字もない農民であった事実を踏まえるとあてになるのかなあと思ってしまいます。該当するのは家系図なんかが伝わってる家ぐらいじゃないかと思うのです。  自分の家にも家紋があります。自分のルーツを調べようと思って家紋が手がかりならないかと考えています。何か家紋に関する知識や参考意見をお願いします。(明治維新の時に、苗字を平民にも与えられるようになった時、家紋はどうしたのかとか、そのとき自分のつけた苗字の大名家の家紋を借りてつけたり、近所の和尚さんや学識のある人につけてもらったりしたのかとかなど・・。)

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回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 明治以前については、庶民は苗字と言うよりも「屋号」を持っていました。 有名なところでは、歌舞伎役者は町地に住むためには、何かの商売をすることが条件でした。そこで、油屋とか炭屋などを家族や使用人にやらせて、屋号を名乗っていました。 歌舞伎も全盛時代に入ると、通の人が気取って「成駒屋!」とか「音羽屋!」など役者の店の屋号を呼ぶようになりました。 庶民も苗字を名乗れるのは限られており、私が佐渡の歴史を研究した時、宝暦年間に佐渡奉行所は莫大な赤字を抱えておりましたが、ある村の名主の呼びかけで近隣の村々の名主が銭を出し合い、佐渡奉行所に金子1,000両(現在に換算すると、約1億円)を寄付しました。 その功績により、当時の佐渡奉行より「以後、そなたは川口屋を名乗るように」とか「中村屋を名乗るように」と言うように、苗字が与えられた記録があります。 後は、明治になってから庶民全員に苗字を名乗ることが許され、田の中に家があるから「田中」。林の中に家があるから「林」などと名乗りました。 また、その土地の領主にあやかって、例えば、武田家とは全く関係なくても「武田」を名乗ったりもしました。 さて、家紋との関係ですが、例えば、武田氏は「武田菱」で有名ですが、本当に血筋を引く家系であれば、「武田菱」も許せるのですが、あやかって武田を名乗った人などは、「丸に菱」とか「丸に武」などの偽装?がされたものもあります。 確かに、スケールを大きくすると、遠く遡れば源氏や平家の家系を引いていても、明治以前は、世をはばかって、ただ単に「太郎兵衛」などと名乗っていました。 家紋は、古くは平安時代にまで遡り、「源」「平」「藤(藤原)」「橘」から派生していますが、史料によると、すでに、その頃から1,100余りの家紋ができていたと言われています。 まあ、正直に言えば、明治以後に「かっこいいから」とかなんとかで「丸に鷹の羽違い」などを家紋としたり、その「鷹の羽違い」にも「丸無しの鷹の羽違い」などと、さまざまに変化していきました。 家紋だけで先祖を辿ることは、少々無理かもしれません。 やはり、「過去帳」などで調べることが一番かと思います。 現在販売されているかどうかは判りませんが、 *家系(あなたの先祖を調べる)・・・丹羽基二著・・・秋田書店。 *家紋家系辞典・・・吉田大洋著・・・昭文社。 を私は持っています。

mko900
質問者

お礼

詳しくて丁寧なご意見ありがとうございます。実家に「過去帳」なるものがあるか調べてみたいと思います。

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  • hazu01_01
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回答No.1

まず、江戸時代でも庶民は苗字を持っていました。ただ、名乗ることができなかっただけです。 一部、名乗ることができなかったために苗字が忘れ去られてしまい、明治維新後苗字を名乗ることができるようになって新しく苗字を付け直した人々もいたわけです。ただ、多くは一族の中に苗字を名乗ることができた家の存在や文書等で残していたなどで本来の苗字を名乗ることができたわけです。 つい最近まで、日本人は移動をあまりしなく、一族から離れて存在することが少なかったから苗字は残ったのでしょう。 ただ、家紋については苗字ほど確かではないように感じます。婚姻や流行などにより少しづつ変化したり家紋を変える家があるように感じます。同じ地域の同じ苗字で同じ家紋の家は一族である可能性が高いとしかいえないと思います。

mko900
質問者

お礼

参考になる意見ありがとうございます。苗字の成りたちや明治以前の状況についても理解を深めたいと思います。

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