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冷戦とは
通常は国際的対立の行く先は戦争ですが、第2次世界大戦後の米ソ対立ではお互いに核兵器を持ってしまい、米ソが戦争を始めてしまえばお互いに国が滅んでしまうという状況になりました。これをMAD(相互破壊確証)といいますが、このため、米ソが直接戦争を行うことができなくなり、それ以外の手段でお互いの勢力圏を競いました。これを冷戦といい米ソの友好国同士も含んで対立したので、それぞれのグループ同士の対立を冷戦体制といいます。
冷戦の経緯
第2次世界大戦中、終戦直後にソ連が占領した地域ではソ連の傀儡政権が作られソ連陣営に、それ以外の参戦国は基本的にアメリカ陣営に就きました。基本的には社会主義と自由主義の社会体制の対立でしたが、独立した植民地を見方につけるため、社会体制に関係なくお互いに援助をしたり、中国が中ソ対立のあと社会主義のままアメリカと友好的になったり、ヨーロッパで共産党や社会党が政権をとってもソ連とは距離を置いたりしたので、最後の方では社会体制とは必ずしも一致しませんでした。
当時は、国際紛争や内乱があると西側先進国以外の場合は米ソどちらかに援助を求めることが多く、対立する側が反対側の陣営を支援するのが普通でした。これを代理戦争といいます。また、米ソどちらかが直接介入した場合でも、対抗する勢力に対立する側が援助しました。
冷戦の終焉
最後は、ソ連が軍事費の負担に耐えられなくなり衛星国を事実上放棄、国内にも混乱が及んで国が崩壊しました。これによって冷戦は事実上終わりました。
現在
現在、中国がアメリカに対抗しようとがんばって?いますが、核兵器や海軍が貧弱でとてもアメリカに対抗できません。まあ、プチ冷戦といったところでしょうか。
日本では
昭和20年代に離合集散した政党は、1955年に社会党が左右統一、触発されて自由党と民主党が統合して自由民主党ができました。このとき社会党が親ソ、自民党が親米路線だったので、この対立が日本におけるミニ冷戦の対立軸となりました。これを55年体制といいます。最後はソ連崩壊後数年で社会党も崩壊して終わりました。
投稿日時 - 2009-08-10 01:19:43