解決済みの質問
大変いい御質問ですね。
今まではポスターは広告の発信というとらえ方が主でしたが、
これからはポスターはアートであり、主張、アピールの手段となっていくと思います。
学者は論文を出して自分の主張を発表します。
画家は絵で自分の内面を表現します。
デザイナーはポスターで主張することになると思います。
ポスターは商業主義で成り立っていることは事実ですが、
世界をも変えうる力を持ったアートである事も事実です。
その点の評価がイマイチですので、今後はデザイナーが
商業主義と社会的アピールの間の潤滑油となる必要があると考えます。
多摩美術大学教授のポスターをご覧下さい。
【5】MY SKIPをご覧下さい。
作品解説を読むとその主張がハッキリとわかります。
【wild life-help】では酸性雨の問題を、
【川とかわす あしたの約束】では信濃川の流れを問題提起しています。
ポスターは論文、絵画では表現できない主張を持ったアートと考えるといいでしょう。
では秋山孝のポスターをご覧下さい。
【5】MY SKIPをクイックしてください。
http://www.tamabi.ac.jp/gurafu/akiyama/frameset_menu.html
参考URL:http://www.tamabi.ac.jp/gurafu/akiyama/frameset_menu.html
投稿日時 - 2003-04-12 20:05:28
お礼
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
教えていただいたURLを見てみました。
<ポスターは論文、絵画では表現できない主張を持ったア ートと考えるといいでしょう
なるほどです・・・。
自分の中で何か見つかりそうな気がします。
ありがとうございました!
投稿日時 - 2003-04-26 16:23:18
3人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
ベストアンサー以外の回答(4件中 1~4件目)
フランスでは広告デザインは印刷の中に含まれていて、ポスターも販売促進の道具という概念が強いのではないでしょうか。カッサンドル本人もアーチストという自覚はなかったと思いますよ。
投稿日時 - 2003-04-23 00:31:03
お礼
toshi3さん、回答ありがとうございます!
そうですね、カッサンドル自身も自分のポスターを
アートだと思っていなかったと思います。
第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の時代ですし、
その辺りの歴史をもうちょっと調べると
分かってくるかもしれませんよね。
ありがとうございました!
投稿日時 - 2003-04-26 16:26:36
まず、アートとはなにかについて定義することが重要だと思います。
日本語で言うと芸術ということか。
つまり、純粋芸術と思われていたものが逆に宣伝であることもある。
つまり、アートとは受け手の心の持ち様のような部分があるのだと思います。
例えば話でご理解いただけるか、難しいですが、
映画でいえば、
ストーリーがあるのが広告的で、ストーリーがないのが芸術的ということか。
ストーリーがあれば観客はなっとくする。でも、ストーリー有無によって芸術性の有無がきまるわけではない。
逆に、ストーリーのない映画を見るのは苦痛である。そして、その作品に芸術性もないのであれば、それを鑑賞することは時間の無駄である以上に苦痛である。
なのに、ストーリーがないのだから芸術性があるのだろうと勘違いする鑑賞者が絶えない。
具体的な映画の題名を言うと反感をかうかもしれないので作品名はあげませんが、アートだというお題目で駄作を見させられることのなんと多いことか。
散漫と秩序だった無秩序の違い。
無意味と意味の否定の違い。
このあたりを見分けられればいいと思います。
☆
質問者がアートという言葉にこだわる姿勢。
そういうものを壊そうと、アンディ・ウォーホールは、キャンべルのスープ缶を並べた作品をつくったのです。
広告は悪、芸術は善というような、単純な図式から逃れることが肝要ではないかと思います。
☆
苦言を呈しました。
ご気分を害されるようでしたら、ご容赦ください。
投稿日時 - 2003-04-10 06:13:48
お礼
投稿のお礼が送れてしまって申し訳ありませんでした。
投稿を読ませて頂いて、なるほど~と、気がつかなかった事に気付いたような気がします。
もうちょっと自分自身で考えてみる必要がありますね!
ありがとうございました!
投稿日時 - 2003-04-26 16:19:07
カッサンドルがポスターは広告でしかないと発言しているのは、ポスターなどの商業デザインでは制作者の表現が限定されていることを言っているのではないでしょうか?
つまり、ポスターには明確な目的があります。
それを達成することが制作者の仕事の全てです。
自由な表現の場ではないのです。
ですから、制作者はそれを自分の作品としてのアートと言いたくないのかもしれません。
ポスターの中にも優れたグラフィックスやタイポグラフィがあり、それをアートと感じる人も多いでしょう。私もポスターを額装して飾っています。
しかし、それは制作する側ではなく、見る側の価値基準による判断です。
投稿日時 - 2003-04-08 20:27:16
お礼
回答ありがとうございます!
私もポスターを部屋に飾っています。
ポスター作家にとっては自由な表現の場ではなかったに
しろ、見る側がアートだと感じることは可能
ですよね。
また彼にとってのアートというものは
何だったのでしょう?
自分の作品でアートと思えるものが
なかったのでしょうか?
カッサンドルにとってのポスターというものも
ますます知りたくなりました。
彼の自殺に関しても気になります。
投稿日時 - 2003-04-08 22:31:51
危険を承知で、少し検索かけただけなんですけれど。
商業広告の表現に限界を感じての言葉じゃ無いかしら?
「絵が上手い」ひとが、「いい絵」を描きたくなっていった言葉、だとおもう。
>カッサンドルはポスターは
広告でしかないと発言している点です。
近い表現しか見つかりませんでした。
「絵画はそれ自体が“目的”となる.ポスターは一つの手段に過ぎない.……ポスター作家は,いわば電信技手の役割を果たす……彼はいかなるメッセージも“発信しない”……求められているのは……正確なコミュニケーションを行うことなのである」
抜粋です、念のため。
投稿日時 - 2003-04-08 19:32:28
お礼
1511さん、回答ありがとうございます。
<商業広告の表現に限界を感じての言葉じゃ無いかしら?
「絵が上手い」ひとが、「いい絵」を描きたくなっていった言葉、だとおもう。
おもしろいな、と思いました。
ポスター作家というものの限界を感じたのかもしれ
ませんね。
実際にカッサンドルは絵も描いているようですし。
1511さんが抜粋してくれた文章、私が原文で
読んだのはこのことだと思います。
これからもっと調べていきたいと思います。
ありがとうございました!
投稿日時 - 2003-04-08 22:26:58