解決済みの質問
~が変と言う言葉を良く使う人がいますが、
今まで、そう言われてきた人をよく見てみると、
ただ単に個性的というだけでした。
変わっているという表現を使うと
なんだかその人を異端者として扱おうとする気持ちがあるというか、
実際そういう表現を使う人は、変わっている人を排除しようとする気持ちが会話していると伝わってきました。
誰かに迷惑をかけているわけではなく、そういう人の考えや行動を受け入れる広い心があれば何の問題もないのでは?と思いました。
逆に変わっていると言って、排除しようとしている人の方が寧ろ心の狭さという問題を抱えているような気がします。
個性的といっても犯罪等に関連することであればそれは問題ですが、そうではない場合、~さんは変わっているという表現はその人を乏す表現であると思うので、使わない方が良いのでは?と思うのですが、みなさんはどう思われますか?
投稿日時 - 2009-07-17 12:37:07
そうですね。使わない方がいい、と言うか使わなくてもいい、とは思います。言われるように「誰々さんは個性的だね」と言えば済む話です。
でも、もし仮にそれを全員がそのように言うとしたら、「個性的」=「変わっている」と言う認識のもと、言われた人やそのような話を聞いた人は、「結局のところ『変わってる』って言いたいんだね」と受け止める人が増えてくると思います。
どのような言い方をしても、受ける人はそのように受けてしまうと言う現実がある以上、およそ無効に近いですが、そうでない人のためにも、このような言葉は使わなくてもいいと思います。
一方で、「変わっている」と言われる事がよろこびに感じる人がいるのも確かです。まるでほめ言葉のように感じるようです。
そのような人には、使った方がいいと言う事になりますが、それが確認できてからでないといけないのでしょうね。
排除しようとしている人については、あまり言う事はありませんが、どのような事にしても、排除しようとしている人を排除しようとすると、はやりどこかにひずみができてしまいます。
かような人たちの言動には、少々気にかかる事があるかも知れませんが、あえて放置するしかないでしょう。
もちろん広い心があれば何の問題もないのは確かです。同様にこれらを広い心で見れば問題がないと言う事になります。
※まったく問題がないわけではない事はよくわかっていて、こう言う。
私の結論としては、今のままでよろしいのではないかと。
私は人をさして「変な人」と言う事がよくありますが、排除しようと言う気持ちはまったくないので、それでいいと思っています。
ある日突然、使用禁止、とか言われても、たぶん使います。
もとをただすと、「変な人」と思わさせたその人にも、この問題の一端があると言う事ですから、これを、個々人の感性で評価した結果を述べただけの事で、たちまちその場で射殺、と言う事でなければ、いいかなと思います。
投稿日時 - 2009-07-17 13:03:22
お礼
>一方で、「変わっている」と言われる事がよろこびに感じる人がいるのも確かです。
そういう方達がいるとは、全く考えませんでした・・・
私の周りにはそういう方はおられないので、とても参考になります。
だとすると、言葉の用い方としては、相手によりけりということになるのでしょうねぇ。
>排除しようとしている人を排除しようとすると、はやりどこかにひずみができてしまいます。
その通りだと思います。私の質問がいたらないために誤解をさせてしまい申し訳ありません。
あの人変な人だねという表現は使う人によって、色々な捉え方ができるのですね、聞く人にとっても、色々な捉え方ができるというのも理解しました
私は、あの人変な人だよっていう人は今までその人を見下し、馬鹿にし、排除しようとする人しか出会ったことがなかったので、少し視野が狭かったようです。
No3さんの回答は参考になりました。
大変ありがとうございました。
投稿日時 - 2009-07-17 14:21:42
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多分本能的に、人間が社会的コミュニティを形成、維持していく中にあっては、異端と思う人はそのコミュニティを阻害するだろうという感覚から、自然と排除する仕組みができているからではないでしょうか?
例えば、志茂田景樹という作家がいますが、かなり奇抜な格好をしています。
彼はそこそこ名が知れていてマスコミにも登場していますから、“芸能人的に世間が許している”というものですが、これが普通の街中のおじさんだったら明らかに「変な人」のレッテルを貼られるでしょう。
また、(最近は見かけませんが)ガングロとかヤマンバ、ズボンをずり下げて歩く高校生も、彼らからすればごく普通ですが、大人からみたら「(普通の高校生はしないだろうという尺度からの)変な人」となります。
要するに、見る人の尺度や経験値でそれが許容されれば普通の人になり、許容されなければ変な人になるんです。
最近はごく普通の人でも、突然犯罪を犯しますから、わずかな異変(容姿外観、言動)でも、ナーバスに考えてしまうのは仕方のないことだと思います。
個性とかアイデンティティは当然認めるべきです。
ですが、「奇抜」「奇異」との線引きはしっかり持っておくべきだと思います。
>そういう人の考えや行動を受け入れる広い心があれば何の問題もない
以前こういうことがありました。
某有名CM制作会社の入社試験、履歴書を送ってきた人の中に切手をさかさまに貼ったり、写真を奇抜な格好で写した人がいたそうです。
会社はそういう人たちを書類選考で落としたということ・・・
即ち、CM業界という自由な雰囲気にあっては許されるだろうという自己主張ですが、こういう業界といえども(そう見えるだけであって)、社会的常識というスケールからは逸脱していないということが分かっていない人がいた、ということです。
個性を主張するのはいいのですが、それが許される環境に自分がいるかどうかが分かっていない人が出没するので「変な人」となってしまうんです。
投稿日時 - 2009-07-17 13:04:24
お礼
なるほど、とても参考になります。
>最近はごく普通の人でも、突然犯罪を犯しますから、わずかな異変(容姿外観、言動)でも、ナーバスに考えてしまうのは仕方のないことだと思います。
たしかに、最近はごく普通の人でも、びっくりするような犯罪をしますし、変な人という表現を使うしかないのも頷けます。
>個性とかアイデンティティは当然認めるべきです。
ですが、「奇抜」「奇異」との線引きはしっかり持っておくべきだと思います。以前こういうことがありました。・・・
社会常識としての基本的なルールから外れてしまっている行為は、変な人と言われても仕方がありませんね。それはもうすでに、個性ではなくなってしまっていると考えます。
とても参考になりました、つい最近に教えて!gooをしてみたのですが、
まさか私のくだらない質問にこんなに真剣に答えてくださる方がいるとは思いませんでした、ありがとうございます。
投稿日時 - 2009-07-17 14:38:19
変な人ですね。
そういう言い方をする=自分は変ではないとアピールする。
意味合いもあります。
ただ。そういう人を捕まえて『言葉狩り』をしようとするのも
充分『変な人』です。
つまり、そういう人を認めない。排除しようとしている点で
この質問そのものも成り立っておらず、矛盾しているのです。
心が狭いのはあなただってことです。
投稿日時 - 2009-07-17 12:45:03
補足
うーん、言葉って難しいですね。
言葉狩りなどをして、変な人という人を変だ。
などというつもりは毛頭無かったのですが、
言われてみたら、確かにそう捉えられても仕方ないですねぇ。
説明不足で申し訳ありません。
>つまり、そういう人を認めない。排除しようとしている点で
排除するつもりなど全くないのですが、そもそも排除できるとも思っていません。それはそれで言いたい人は言えばよい話だと思っています。
>心が狭いのはあなただってことです。
わざわざご指摘ありがとうございます。
はい、そのとおりだと思います。
もっと精進しようと思います。
投稿日時 - 2009-07-17 13:55:42