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回答(5件中 1~5件目)
農協をイメージされるとよいと思います。
そもそも一人一人でやっていた畑作業ですけど、土地の境界争い、畑泥棒の横行などに手を焼き、隣近所が連携して働くようになった。
数軒では力がないので、村全体が一単位になり、有力な村落がまとめ役になって、共同で利益を守るようになり、その中の腕っ節が強い連中がお礼を貰って境界争いなど喧嘩に率先して出るようになった、これが武士の始まり。
組織は大きい方がよいので、どんどん連合するが、こうなると理事長を決めて、政府との交渉をやって貰いたいと考えるようになり、中央とパイプが太い天下りした源氏さんや平家さんに理事長を引き受けて貰う。
当初は平家さんの組合が勢力がありましたが、中央との癒着がひどく、組合員から理事長はどちらを向いて仕事しているんだと批判があがり、源氏さんに乗換える組合員が増え、ついに源氏さんが組合の統一に成功し、鎌倉に総本部を構えることになった。
ところが源氏さんも組合費の使い込みをやったり、政府の高官に娘を嫁がせたり、組合の利益を損なうような対応が増えてきたので、スポンサーの北条さんがこれは困ると退陣要求を出し、2代目理事長を引退に追い込み、3代目の実朝さんも殺してしまった。
北条さんは自分が理事長になると、いろいろ言われて拙いと考え、文化人を理事長に据えて、実験は自分が握ることにして、お公家さんに幕府の名目的なトップをお願いした。
流れとしてはこんなところです。
投稿日時 - 2009-06-23 10:24:44
幕府というのは本来戦国時代の「本陣」でイメージされるものとほぼ同じで、
幕を張って囲んだ戦闘の指揮を執る本部程度の意味です。
これが武家政権の名前となったのは
「これは武家が前線指揮を執るために仮に設営したものですよ、あくまで国の中心は朝廷ですよ」という幕府側の建前に合わせたためです。
実体は朝廷の力が十分でないために各地方を管理していた武家が自分達の利益を追求したために、
もしくは独自に治安維持を行うために武装を開始した
→その武装勢力が朝廷を凌駕したために朝廷がその権力を「征夷大将軍」という形で追認せざるを得なくなった
というのが実際の所ではないでしょうか。
ただ鎌倉という土地自体はあまり良い土地ではなく、山脈に囲まれて通り道は幾つかの「切り通し」しかない、
また湿地が大きく広がっており、建築物に取る場所も不十分。
さらに飲み水も十分に確保できない(だから名水(要するにに飲める水)が多く存在する)という状況だったそうです。
まあある意味においては「守りに堅い」と言えるかも知れませんが。
第3代源実朝が暗殺された以降は北条氏が実権を握り、お飾りとしての将軍には代々「朝廷派の貴族である(頼朝とは別系統の)」源氏が任ぜられ鎌倉へ派遣されたそうです。
投稿日時 - 2009-06-21 02:56:19