回答受付中の質問
こんばんは。
私はほぼ毎日電車に乗っているのですが、電車の中で携帯で話している人って
よくいますよね。それを見ると嫌な気持ちになるのですが、時々「何で嫌な
気持ちになるんだろう?」と思います。
たとえばその携帯で話している人の相手が実際に隣にいたら、それはただの
「会話」で、特に気にならないですよね。その会話の片方がなくなる事によって、
どういう心理的な効果(?)を及ぼすのでしょうか。
私も↑の行為がマナー違反だと思いますし、医療機器に悪影響を与える事
は重々承知していますので、心理的な側面から皆様の意見をお聞かせ頂ける
と嬉しいです。
投稿日時 - 2003-03-16 01:10:59
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回答(13件中 1~5件目)
こんばんは。
ちょっとだけ違う側面から(といいつつ、対して違わない)。
電車の中を私的な空間として認知している→化粧・食事・エッチ・会話など、何をしてもカラスの勝手(古いな)。
電車は公共空間である→自ずから守るべきルールがある。
こういった認識の差が、行動に表れているのではないかと常々考えています。
その認識の差が嫌な気持ちになっているのではないでしょうか?
「公共=官が担当する事、だから電車は私的空間!」が蔓延した事で、昔の会所地的な「私」が集合してつくる「公的」な場は理解されなくなったのではないでしょうか。そのことが不快に思う(つまり違和感を抱く)ことに関係しているように思われます。
投稿日時 - 2003-03-18 02:23:23
電車の中の携帯電話ですか。
じゃぁ、電車の中ってどういう空間でしたっけ。
「公共の空間」 でもいいかもしれませんが、離れられない点で狭義にとって、
「呉越同舟な場」 と思ってみましょうか。
閉じた空間に誰ぞや知れぬ人が詰められてるんですよ。今でこそ「電車」と「旅」はイメージが離れてるのでしょうが、「旅は道連れ」なる言葉がまだ残ってたころ、列車の中ってどういう空間でしたでしょう。
ボックスシートで見知らぬ人がひざつき合わせ、顔と顔を向き合わせながら、窓の風受け、弁当ひろげ、
ついでに顔をすすで真っ黒にしていたことでしょう。(でしょう、です)
そして、車中での長旅を、居合わせた人たちと世間話で過ごしたことでしょう。
何だか書いてることがご質問とずれてるっぽいですが、つまりは、
閉じられた空間で、「親しそうに話すのを」聞かされるのが不愉快、
ととれば分かりやすいんじゃないでしょうか。
仏頂面で乗って降りたら友達、が昔なら、
仏頂面で乗って降りたらクタクタ、というのが現代風でしょうか(それともイメージで話しすぎ?)。
ちゃんとご質問に沿ったことを書くなら、たしか会社の電話は不愉快でない、という記述があったと思いますが、
もしその電話でねんごろな猫なで声で(こういうのなんて言うか忘れてしまいました(><))話されたとしたら、その場は白い視線の映写会になりましょう。
ま、これも違う話ではあったんですが(くどい!)、つまり、
テンション落とすのが普通になってる呉越同舟な場で、
「親しそうに話す」
のが他の人のねたみを買うんだと思います。
もちろん、解釈のひとつに過ぎませんが。
投稿日時 - 2003-03-18 01:41:00