他の弟子は、何故ユダの裏切りに気づかなかったのか?(9/10)

解決済みの質問

他の弟子は、何故ユダの裏切りに気づかなかったのか?

クリスチャンではないのですが、自分の人生問題に関するヒントがあるのでは、と聖書(4福音書がメインですが・・・これを読むだけでも難しい)をよく読みます。
特に、最後の晩餐からイエスが十字架にかけられるまでの話は、毎回泣いてしまいます。
しかし、何度か読むうちに「他のことを全部信じたとしても、これだけは信じられない!」というところがありまして、3日ぐらい恐怖でほとんど眠れなかったことがあります。
ヨハネの福音書第13章の最後の晩餐でイエスがユダの裏切りを予告する場面ですが、ペテロがイエスの隣にいた弟子に、裏切り者が誰なのかを質問するように促し、イエスが「私がパンを浸して与えるものだ」と言い、実際にユダに与えます。

ここまでやったら、誰の目にもユダが裏切り者であることがわかるはずです。

何故、他の11人の弟子は分からなかったのでしょうか?
それだけではなく、その後、イエスが実際に捕まる場面に出くわすまで、他の弟子はユダの裏切りに気づいている様子が見られません(イエスが捕まったときに皆逃げた、というのを「他の弟子だって裏切ったのだ」と見なす人もいますが、私はむしろ「何が起こっているのかを実際に見るまで分からなかったから、パニックになったのだ(あらかじめ分かっていればそこまであわてない)」という意味で、無罪の証拠ととらえています)。
何人かのクリスチャンに訊いてみても分からず困ってます。ある牧師さんは笑いながら「人生の縮図ですから」と答えましたが、これではわかりません(というか、ショックでした。ここでユダを逃がしたらイエスが死ぬ、という場面が笑い事なのでしょうか?)

百歩譲って、この場面は一種の興奮状態で気づかなかった、としても、その後、オリーブ山に行ったときは、財布を預かっていたらしいユダはいなかったわけです。誰か「ユダはどこに行った?」「お使いから帰ってこないのか?」などと言い出しそうなものなのに、ユダがいないことを問題にする弟子はいなかったのは何故なのでしょう?

また、この言葉はユダにだけ聞こえるように言ったのだ、という人もいますが、イエスとユダしか知らないはずの言葉が、何故福音書に書いてあるのでしょうか? ヨハネの福音書の作成にユダはかかわっていないはずです。
(イエスキリスト自身は、最初から全部何が起こるかわかっていたので問題はないし、この質問の答えも知っているはずなのですが、本人に訊くわけにもいかないので困ってます。)

投稿日時 - 2009-05-23 20:33:57

QNo.4984247

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

{1}「律法は証拠にです。もし、彼らがこの御言葉に沿って言わないならば、それは彼らの中に光がないからである。イザヤ8:20」                                                                          光は御言葉であり、人々に永遠の命を与えるイエスキリストです「ヨハネ福音1:1~14」                                                                       律法は、狭い意味では十戒とその付属法を指しますが、広い意味では守るべき御言葉、すなわち聖書全体を指します。                                                                          だから、聖書を語る人はその出所の証拠として聖書から根拠を出さなければなりません。                                                                    これに従わない者は全て偽り者です。                                                                            ただ、根拠として挙げられた聖書の部分が合ってるか無いかが問われるべきです。                                                                                聖書の根拠をがむしゃらに書いても根拠にはなりません。                                                                     そのような人は非真理を広めた罪からは自由がありません。                                                                   彼は神様と人々には偽り者です。                                                                                    私はヨハネ以外は聞いた人が無かった根拠としてヨハネ福音13:28~29を挙げました。                                                                        他の弟子達も聞いたならば、13:28~29は書く必要が無かったでしょう。                                                                                  {2}パン切れを与える者が裏切ると言われたので意味を理解する問題ではないでしょう。                                                                                      事実確定として信じるだけです。                                                                                {3}ヨハネは、ペトロが聞いても、答え無かったはずです。                                                                    ヨハネはいかなる厳しい状況でも冷静に落ち着いて信心深い行動をとる人だからです。                                                                                        例えば、他の弟子達はみな逃げたのに、ヨハネだけは主の晩餐の時から十字架事件の最後までイエスから離れず、いつも側にいました「18:15、19:26」。                                                                                        また、主の遺体が無くなったという知らせを聞き、ヨハネとペテロが墓に走って行きました。                                                                                       ヨハネが先に着きましたが、墓に入らずペテロが来るまで待っています「20:5」。                                                                                             主の遺体が無かったことについてペテロというのもう一人の証人が必要だったからです。                                                                                   {後書き}カトリックは人は神様が作ったから全ての人は兄弟だと言います。                                                                            彼らによるとユダがイエスを裏切らなかったならば、十字架事件は無く、原罪も無くなって無いはずだ。                                                                          だから、彼は楽園に行ったはずだと言います。                                                                        彼らによるとカレーに毒物を入れて人を殺した人は、カレーに毒物を入れると人が死ぬことを教えてくれたから、よい人でしょう。                                                                   ヨハネ啓示録18:3は「それは、全ての民族が彼女の淫行による激怒のぶどう酒に酔ったので~」と言われます。                                                                               淫行は淫らな行動です。                                                                                     自分の夫を裏切った女は淫行した女です。                                                                             神様の御言葉を自分勝手に解釈する人は霊的に淫らな女です。                                                                     使途言語録1:25は、ユダは犯罪を犯した故に自分の居場所に行ったと言われます。                                                                                          自分の居場所は地獄のことです。                                                                               今度、教皇はイスラムの国と手を握りました。                                                                                                           カトリックはあらゆる宗教と手を握る宗教一致運動をしています。                                                                   だから、聖書は予め彼女に付いて予言し、淫らな女だと言われたのです。                                                                      啓示録18章の彼女はカトリックです。                                                                         ユダが楽園に行くぐらいなら、全ての人は楽園に行けるはずです。                                                                    それなら、別に神様を信じなくてもよいはず。                                                                        世の中の全ての民族がこのようなカトリックの淫らな行為に酔っ払っています。

投稿日時 - 2009-05-27 18:07:49

補足

非常にきちんとしたお答えをしていただきました。ありがとうございます。
実は、現在、かなり深刻な人生問題があったのですが、昨日、貴方のお答えを読んだ後に、気持ちが楽になり、今日、問題解決ができました。

実は私は聖書に「神」とか「精霊」とか書いてあるので、その言葉を使いますが、実は理解しているわけではないのです。
ただ、イエスキリストは、何とかしてイエスを殺そうと誘導尋問のようなものを何度もされているにもかかわらず、軽く一蹴されています。これを読むと、何か精霊とかいうものの働きがある、ということは認めざるを得ません。
だから、聖書の中でも少なくともイエスの言葉だけは本当にどのような言葉を言ったのか正確に訳して欲しいのです。しかし、訳によって意味ががらりと変わってしまう箇所がいろいろあるし、英語の聖書と日本語の聖書ではニュアンスがかなり違うところも多々あります。

ここの回答では、あまりにも惑わされてしまうものが沢山あったために、感情的になってしまったこともあります(No.51さんには悪いことをしてしまいました)。私の心情としては、「何故、皆、ここでユダを止めないのだ!?」という気持ちが強いので、このような質問になってしまったのですが、No.14でご指摘があったように「ここでユダが裏切り者であることをばらしてしまったら、ユダの命が危ないではないか!?」という疑問もあって、悩んでいたのです。裏切り者がいる、という予告があるのは問題ではないのですが、どう考えても、イエスがここの場面で誰にでも分かるように「ユダが裏切り者だ」とはっきり言ってユダの命を危険に晒すということは絶対に有り得ない、と思うのです。あるいは、「そこまではっきり明示しても、他の弟子たちは理解できない」という理由が存在するはずだと思うのです。

私は理数系の人間ですので、非科学的な話は生理的に受け付けないのですが(従って、貴方の言葉が助けになったとしても、盲目的に信じるというわけにはいかないのです。ここら辺では、どうしてもいっぺんの妥協もできないのです)、しかしそれでも何か非常に深い意味があると感じています。
一番困るのは、自分はキリスト教信者だと口では言っているにもかかわらず、実際にはイエスキリストを全然信じていない人が沢山いることなのです。
私の経験では、教会に行くにしても片隅で目立たずにひっそりと通うような方たちの方が、私の質問に対して、分からないなりにも真剣に悩んでくれたのです。教会でも偉い人の方がかえってイエスの言葉をないがしろにしているように感じます。イエスキリストは律法学者を厳しく批判していますが、少なくとも当時の律法学者は(旧約)聖書について質問されたら、それなりにきちんと答えたはずです。非クリスチャンが聖書に躓いて真剣に質問しているというのに、笑って答えをはぐらかす牧師さんはいったい何なのでしょうか?

取り合えず、今は疲労困憊していていてお礼しか言えません。文字数が足りないので、補足欄に書かせていただきました。もし、何か追加でコメントをつけたいと思ったときにはお礼に書かせていただきます。

投稿日時 - 2009-05-28 20:04:41

ANo.36

10人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

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ベストアンサー以外の回答(48件中 41~45件目)

>私が知りたいのは、ユダのことではなく、イエスキリストとユダを除いた、
>「他の弟子たちの心理(?)、行動」なのです。

すいません。
私が質問を勘違いしました。


>「ユダの福音書」というのがあることは知っていますが、
>中身は全然知りませんので、評価はできないんですが。

私も中身は全然知りませんから、評価できません。
いい加減なことを言いました。

私の回答は撤回します。

投稿日時 - 2009-05-24 09:01:55

お礼

いえいえ、とんでもない。
ご回答に感謝しております。
まあ、私もユダの福音書には興味はありませんけど(^^;

投稿日時 - 2009-05-25 00:45:30

ANo.7

こんにちは、

>何故、他の11人の弟子は分からなかったのでしょうか?

おそらく質問者様は、ヨハネ書13章28節根拠にしているのだと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
28)席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これは、裏切りに気づいていなかったともとれるし、イエスの言葉の意味に気づいていなかったとも取れます。

ところが、気づいていなかったとしたら、おかしな出来事があります。

ヨハネ書18章10節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
10)シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ルカ書22章38節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
38)弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『殺人を目的とする道具、剣』を何故持っていたか? それは、イエスを守るため? 何故か? ユダの裏切りを聞いたからです。

レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」では、聞いた瞬間にイエスを守ろうとペテロが剣を手にしていますね。左から3番目の人と4番目の人の間に剣が見えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Leonardo_da_Vinci_(1452-1519)_-_The_Last_Supper_(1495-1498).jpg

もちろん、本当は絵のように聴いた瞬間に剣を用意できる筈がないので、どこかに仕入れに行ったのでしょう、晩餐からイエス逮捕の間に。

>ここでユダを逃がしたらイエスが死ぬ、という場面

どうやら、イエスの面は割れていなかったようです。 ユダの死の接吻が無かったら、確かに捕まらなかったでしょう。

ルカ書4章28~30節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
28)会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、
29)立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。
30)しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

律法学者や、パリサイ人は、中々イエス本人を割り出せずにいたようです。

なぜなら、イエスは、目立つ事を嫌っていました。

マタイ書6書5節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5)また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それだけでなく、

ルカ書22章25~26節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
25)そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。
26)しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まさか、皆の世話を人一倍焼いている人がイエス(=リーダー)だとは、誰も気が付かない。

そこで、彼らはユダを雇うわけです。

>イエスが捕まったときに皆逃げた、

命懸けで、イエスに仕えるつもりだったペテロ他弟子一行。

戦闘態勢を構え、おそらくモーセ以上の預言者を味方に付けた彼らはおそらく、何人を相手でも勝てる気がしていた。

出エジプト記17章11節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
11)モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もしくは、主の霊によって怪力でも手に入れて戦うつもりだったのかもしれない。
士師記15章14節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14)サムソンがレヒにきたとき、ペリシテびとは声をあげて、彼に近づいた。その時、主の霊が激しく彼に臨んだので、彼の腕にかかっていた綱は火に焼けた亜麻のようになって、そのなわめが手から解けて落ちた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

おそらく、何らかの奇跡を期待しつつペテロは斬りかかった!

しかし、

ヨハネ書18章11節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
11)すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ええええええええええええええ~~~!!

とその時弟子達は驚く! 『戦って死ぬ覚悟を決め精神が張り裂けそうになっている最中に』、、

「捕まる事が、私の天命なの邪魔しないで。」なんてリーダーのお言葉!

そこで、弟子達はどうして良いか分からなくなり、、パニクリ、、、とりあえず、皆逃げる訳です。 

これが、イエス逮捕の情景だと推測されます。

投稿日時 - 2009-05-24 01:47:09

補足

>ヨハネ書13章28節根拠にしているのだと思います。
それも根拠のうちですが、それ以外には。
ヨハネ13.37
ペテロ(ペトロ)は「あなたのためになら命を捨てます」と言っています。他の福音書にも同じような言葉が出てますね。
しかし、最後の晩餐のときなら、残り11人も弟子がいたのですから、命を捨てずともユダ一人を取り押さえることはできたのです。
もし、そのことを自覚していたら、こんな言葉をペテロは言ったでしょうか? これは、ペテロは結局ユダを逃がしてしまったことにまだ気づいていなかったからこんなことが言えたのだ、と感じます。まあ、これでは「命を捨てます」という言葉をまともに受け取るわけにはいかないですけどね。
また、オリーブ山でも、もしユダの裏切りに気づいている弟子がいたとしたら、ユダが道案内をしてくることもわかるはずですから「主よ、ここは危険です!別の場所に移動しましょう」という弟子も現れてよいはずです。
さらに、いくら疲れていても、何が起こるかわかっていれば、イエスが祈っているときに弟子たちも寝てはいられなかったでしょう。

>イエスの面は割れていなかったようです。
基本的には割れていましたよ。覆面もせずに各地で堂々と説教していたのですから。ただ、当時はカメラはなかったので、指名手配写真を持ち歩くことはできなかったでしょう。だから、面が割れていたとしても、本人確認の情景があることは不思議ではありません。

あと、剣については、そうかもしれませんがあてにはなりません。治安もよいとはいえないでしょうから、持っている人がいても不思議ではありません。
むしろ、2ふりしかなかったことの方が問題です。それ以前でも、イエスは常に命の危険に晒され続けていました。しかし、弟子たちがイエスを守った記述が見当たらないのです。イエスは一人で自分の身を守ってきました。弟子たちは、危機意識が非常に少なかったと言わざるを得ません。

>これが、イエス逮捕の情景だと推測されます。

●● お願いですから、「私の質問」の答えをメインとして書いてください。

ここも、重要な場面ですから吟味するべきですが、ここでこの議論はしたくありません。聖書には謎は山ほどあるので、話を拡大してしまったら、いつまでたっても終わりません。

投稿日時 - 2009-05-25 02:10:03

お礼

長々とご回答ありがとうございます。
私の意見は補足の方に書かせていただきました。

投稿日時 - 2009-05-25 02:18:04

ANo.6

 こんばんは。

 ★ 他の弟子は、何故ユダの裏切りに気づかなかったのか?
 ☆ この疑問には 今回 初めて接しました。
 ○ 弟子たちは ユダの裏切り行為に気づかなかったのか。あるいは どこで・どのあたりから 気づいたのか。

 ★ 最後の晩餐で・・・何故、他の11人の弟子は分からなかったのでしょうか?
 ☆ これは イエスが 弟子たちにとっては あとで気づくように 言っておいたものだと考えます。その席では 弟子たちは 気づかなかった。たしかに言葉ではっきり言っているのですが 言葉どおりになるかどうかは 自分たちで 決めなかったのだと考えます。
 もし キリストなる神の言葉として受け取ったとすれば それには 然り然りとして受け容れたでしょうし(つまり いわば鵜呑みしただけでしょうし) イエスなる人間の言葉としてならば まだなお議論の余地があるというくらいに受け取ったでしょう。(つまり 後者は いったい どういうことだろう?と いろいろ 詮索するだろうという意味です)。
 ところが このとき まだ イエスは 挙げられていませんし 復活の姿を見せてもいません。つまりは この 人間イエスは 神キリストであるという神学的な理解は それを自覚的に受けとめていることは 弟子たちにとって 無理だったと言うべきです。
 つまり 最後の晩餐において イエスの言う・キリストとしての意味が 弟子たちには 分からなかった。ユダの行動についても そうでしょうし 全般的に それは 言えるのだと考えます。

 ★ イエスが実際に捕まる場面
 ☆ このときも イエスがまだ その死を死んでおらず 復活してもいないという同じ局面にあります。
 ちなみに 最後の晩餐の席で ユダに 《しようとしていることを しなさい》とイエスが言ったことは ユダの裏切りのことですが その行動は いまの逮捕されることにとっては どうでもよいことだと わたしは 考えます。
 イエスが 当局にとって いわゆる面が割れていたのは はっきりしていたのではないでしょうか。つまり わざわざユダによって 特定される必要はなかったと見ます。
 では なぜ ユダに やろうと思うことをやりなさいと イエスは 言ったか。これは イエスが死に就く――実際には みづから 死に就くのですが――こととは関係なく ただ ユダという人間の救いにかかわることだと考えます。ここでは 裏切りというむしろ自己に対する背反をおこなってこそ 初めて かれは 我れに還る。ことができる。そういう人間であり そういう人生を送るというものだと考えます。
 ただ それだけの問題です。そのために わざわざ 十二人の弟子のひとりに加わったというものです。自殺行為が 救いの中に入るかどうか たぶん 入らないのですが その前には たしかに 自己還帰が成ったということではないでしょうか。わづかに 裏切りを行ない切ったあとなのでしょう。かなしい人生ですね。

 ★ 「他の弟子だって裏切ったのだ」
 ☆ これは ペテロが おまえはイエスの仲間ではないのかと尋ねられて 否と三度 言ったわけですから 明らかに――ペテロを この場合 代表としてのごとく ほかの皆も―― イエスを裏切ったと考えます。
 ところが ちょうど ユダの裏切りについて イエスが 明らかにして言っているのに かれら弟子たちは 実際どうなるのか分からなかったように イエスの死についても ましてや 復活についても(これは おとぎ話ですので そう断って述べるべきでしょうが) 弟子たちは いっさい 気づかなかったのです。
 言いかえると すでに 復活後は その仕事が決められていたと言うかのように 弟子たちは 選ばれていたわけですが この死と復活の以前では かれらは けっきょく 何も 知らなかったと言ったほうが 分かりやすいでしょう。
 神がモーセに語っている箇所から引きます。
 
   見よ 私の傍らに一つの場所がある。
   私の威厳がそこを通り過ぎるやいなや あなたは岩の上に立つ
  であろう。
   私はあなたを岩の頂上に置こう。
   私が通り過ぎるまで 私の手であなたを蔽うであろう。
   私が手を除けるとき あなたは私の背面を見るであろう。 
   私の顔はあなたに現われないであろう。
        (出エジプト記33:20-23)

 要するに イエスの生前には 弟子たちは なんら キリストなる神の子であり神である存在について ほんとうには 知らなかった(自覚し得ていなかった)のでしょう。木の上の死を経て やっと かれの背面を見ることができたのではないでしょうか。気づいたのではないでしょうか。すべてを 理解したのではないでしょうか。かれらに やがて 《弁護者》が送られてきたでしょう。物語が 編まれていきました。・・・

 おおよそ このように捉えています。

投稿日時 - 2009-05-23 23:59:53

補足

ご回答ありがとうございます。
>☆ この疑問には 今回 初めて接しました。
実はここも問題でして(本当に絶望感に教われました)。数人のクリスチャンに質問して分からなかったので、ネットで検索しました。当然、ネットだったら、この程度の問題は簡単に答えが出るだろうと思っていたのです。正解は分からないとしても、当然、星の数ほど説があって論議がされているものと思ったのです。その中で有力な説を2~3知ればよかったのです。ところが、なかなか見つからない。

2000年も聖書が読まれていて、誰もこの問題を不思議と思わず、研究もされていない?そんな馬鹿なことが有り得るのか?聖書学者とか神学者とか宗教学者など、沢山いるでしょう?ここは、聖書の中で一番有名な場面のひとつですよ?

bragelonneさんの考察は大体私もやっていて、ほとんど賛成です。
>あとで気づくように 言っておいたものだと考えます。
それは明らかです。
聖書を見る限り。イエスの弟子たちが立ち上がったのは、イエスが十字架にかけられて復活した後であって、その前は、あるいみ普通の人だった、だからイエスのことはまったく理解していなかったことは自明だと思います。

●それにしても、この場面は、分からないにも程がある。

>もし キリストなる神の言葉として・・・後者は いったい どういうことだろう?と いろいろ 詮索するだろうと
もちろん、後者です。
しかし、神の言葉云々は問題ではないのです。
詮索どころか、あからさまにイエスにイエスに質問して、イエスは答えたのです。福音書に言葉がある、ということは、誰かがその言葉を聞いたということです。
状況からいって、イエスの隣にいた弟子は聞いたと思われます。またペテロ(ペトロの方がよかったか?)は質問するように合図したのですが、結局、ペテロは答えを聞いたのか?聞けなかったのか?聞けなかったのなら、何故聞き返さなかったのか?

聖書では、まるで、ペテロは、質問したこと自体を忘れたかのように振舞っています。

●ミステリーでは、一室に関係者が集まったところで名探偵が「ここに犯人がいる」と言った場合、大体、犯人は誰かが分かるものです。しかし、聖書ではそうはなっていない。これはどうしたことだ?というのが私の質問なのです。

レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐の絵から、その後、ユダは誰にも見咎められることなく、堂々と出て行ったことになるわけです。常識的におかしいでしょう?

(質問とは別ですが、ここでもしユダが裏切り者だと分かってしまったら、下手するとユダは殺されます。
従って、私には、イエスがわざわざ裏切りの預言をしたときは、イエスは「ここで、これだけバラしても、他の弟子はそのことは分からない」ということを知っていた、と考えるしかありません。)

>当局にとって いわゆる面が割れていたのは
もちろんです。
>わざわざユダによって 特定される必要はなかった
いえ、ここだけは意見に反対で、イエスは、それ以前にも、散々当局によって処刑するため(本気で国家権力を持つ人々がイエスを殺そうとしていました)に言葉じりをとらえようと試みていましたが、イエスはことごとく一蹴していました。ここで、内部告発者が一人でもいれば、イエスを捕らえる理由になりますから、ユダの裏切りによって当局がイエスを捕らえる十分な言い訳ができます(言い訳だろうと、こじつけだろうと、何か理由が当局は欲しかったと思われます)。ユダの裏切りがイエスを捕らえさせたことは認めてよいと思います。

投稿日時 - 2009-05-25 00:31:45

お礼

ご回答、ありがとうございました。
お礼では文字数が足りないので、補足に入れさせていただきました。
しかし、このカテに質問したのは、少々後悔しています。
聖書の謎は山ほどあるので、議論がどんどん発散してしまいそうで・・・。議論をやりだしたらきりが無いことは明らかですから。
沢山ある謎の中から、私にとっては最大の謎である質問を、ピンポイントでしたつもりだったのですが。
ちょっと風邪が長引いて、なかなか他の方へのお礼もできない状態なんですが、その間に議論がどうなってしまうのか、心配です。

投稿日時 - 2009-05-25 00:39:46

ANo.5

映画などではオリーブ山にイエスとその弟子がいて、ユダが兵隊を連れてきてイエスに抱きついて、それがイエスの判別というようになってますが、これはどう考えてもおかしいのですね。兵がイエスだけを逮捕するわけが無いので、イエスは一人でオリーブ山にいったと考えるほうが妥当だと思いますね。
弟子たちはオリーブ山にいなかったからこそ、その事実を後から知って逃げたよう思いますね。
なぜなら、最後の晩餐とはいえ、それまでイエスとその弟子は隠れながら移動していたのですから、弟子たちにも逮捕状は出ていたと思います。オリーブ山で一網打尽にならなかったわけですからそこに弟子たちはいなかったということでしょうね。
また、逮捕前、イエスは常人にとっては理解不能な行動や言動が増えていたと思われますので、最後の晩餐前後の言動は弟子にも理解できなかったと思います。
そういう意味で「他の11人の弟子は分からなかった。」と捉えるべきだと思います。それゆえ、あわてたということは妥当な考えかとおもいます。

投稿日時 - 2009-05-23 22:46:06

お礼

お礼が遅くなりました。申し訳ございません。
ご回答、ありがとうございました。
確かに、当然、イエスが捕らえられたということは他の弟子たちも危ないことは私にも分かります。だから、ペテロ(その他の弟子たちもそうでしょうが)は「あんな人は知らない」と言ったわけですよね。
だから、mmkyさんの話も「なるほど!」と思いました。
ただ、それはそれで問題も発生しまして、No.62さんへの補足でも書いたのですが、オリーブ山でイエスが祈っているときに弟子たちが寝てしまった、という話は創作ということになりますよね。イエスの弟子たちは、後の原始キリスト教団のリーダーになったわけですから、リーダーたちの権威が丸つぶれになりそうな話を、何故わざわざ創作して追加するのか、とか・・・。
>イエスは常人にとっては理解不能な行動や言動が増えていたと
増えるも何も、最初から弟子たちはほとんどわからなかったのではないでしょうか。そもそも救世主というのは元は迫害され続けたユダヤ人たちを開放する指導者のような意味だったらしいと聞いています。イエスの目論見は違っていたわけですから、理解できるわけがありません。
特に、最後の晩餐(ヨハネ版)のとき、イエスはすぐ後にユダにお使いをさせるような口調で裏切りを促すようなことを言ってますから、そんなことは到底理解不能という考えは有り得ると思います。裏切り者を捕らえろ!と言ったのなら分かりますけどね。
まあ、昔のことですから、私も完全な回答が得られるとは思っておりません。ともかくありがとうございました。

投稿日時 - 2009-05-31 22:15:57

でも、ユダの福音書は外典ですからね。

ファンタジーですよ。フィクション。。。

投稿日時 - 2009-05-23 22:13:27

お礼

ご回答、ありがとうございました。

投稿日時 - 2009-06-11 15:34:40

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