他の弟子は、何故ユダの裏切りに気づかなかったのか?(1/10)

解決済みの質問

他の弟子は、何故ユダの裏切りに気づかなかったのか?

クリスチャンではないのですが、自分の人生問題に関するヒントがあるのでは、と聖書(4福音書がメインですが・・・これを読むだけでも難しい)をよく読みます。
特に、最後の晩餐からイエスが十字架にかけられるまでの話は、毎回泣いてしまいます。
しかし、何度か読むうちに「他のことを全部信じたとしても、これだけは信じられない!」というところがありまして、3日ぐらい恐怖でほとんど眠れなかったことがあります。
ヨハネの福音書第13章の最後の晩餐でイエスがユダの裏切りを予告する場面ですが、ペテロがイエスの隣にいた弟子に、裏切り者が誰なのかを質問するように促し、イエスが「私がパンを浸して与えるものだ」と言い、実際にユダに与えます。

ここまでやったら、誰の目にもユダが裏切り者であることがわかるはずです。

何故、他の11人の弟子は分からなかったのでしょうか?
それだけではなく、その後、イエスが実際に捕まる場面に出くわすまで、他の弟子はユダの裏切りに気づいている様子が見られません(イエスが捕まったときに皆逃げた、というのを「他の弟子だって裏切ったのだ」と見なす人もいますが、私はむしろ「何が起こっているのかを実際に見るまで分からなかったから、パニックになったのだ(あらかじめ分かっていればそこまであわてない)」という意味で、無罪の証拠ととらえています)。
何人かのクリスチャンに訊いてみても分からず困ってます。ある牧師さんは笑いながら「人生の縮図ですから」と答えましたが、これではわかりません(というか、ショックでした。ここでユダを逃がしたらイエスが死ぬ、という場面が笑い事なのでしょうか?)

百歩譲って、この場面は一種の興奮状態で気づかなかった、としても、その後、オリーブ山に行ったときは、財布を預かっていたらしいユダはいなかったわけです。誰か「ユダはどこに行った?」「お使いから帰ってこないのか?」などと言い出しそうなものなのに、ユダがいないことを問題にする弟子はいなかったのは何故なのでしょう?

また、この言葉はユダにだけ聞こえるように言ったのだ、という人もいますが、イエスとユダしか知らないはずの言葉が、何故福音書に書いてあるのでしょうか? ヨハネの福音書の作成にユダはかかわっていないはずです。
(イエスキリスト自身は、最初から全部何が起こるかわかっていたので問題はないし、この質問の答えも知っているはずなのですが、本人に訊くわけにもいかないので困ってます。)

投稿日時 - 2009-05-23 20:33:57

QNo.4984247

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

{1}「律法は証拠にです。もし、彼らがこの御言葉に沿って言わないならば、それは彼らの中に光がないからである。イザヤ8:20」                                                                          光は御言葉であり、人々に永遠の命を与えるイエスキリストです「ヨハネ福音1:1~14」                                                                       律法は、狭い意味では十戒とその付属法を指しますが、広い意味では守るべき御言葉、すなわち聖書全体を指します。                                                                          だから、聖書を語る人はその出所の証拠として聖書から根拠を出さなければなりません。                                                                    これに従わない者は全て偽り者です。                                                                            ただ、根拠として挙げられた聖書の部分が合ってるか無いかが問われるべきです。                                                                                聖書の根拠をがむしゃらに書いても根拠にはなりません。                                                                     そのような人は非真理を広めた罪からは自由がありません。                                                                   彼は神様と人々には偽り者です。                                                                                    私はヨハネ以外は聞いた人が無かった根拠としてヨハネ福音13:28~29を挙げました。                                                                        他の弟子達も聞いたならば、13:28~29は書く必要が無かったでしょう。                                                                                  {2}パン切れを与える者が裏切ると言われたので意味を理解する問題ではないでしょう。                                                                                      事実確定として信じるだけです。                                                                                {3}ヨハネは、ペトロが聞いても、答え無かったはずです。                                                                    ヨハネはいかなる厳しい状況でも冷静に落ち着いて信心深い行動をとる人だからです。                                                                                        例えば、他の弟子達はみな逃げたのに、ヨハネだけは主の晩餐の時から十字架事件の最後までイエスから離れず、いつも側にいました「18:15、19:26」。                                                                                        また、主の遺体が無くなったという知らせを聞き、ヨハネとペテロが墓に走って行きました。                                                                                       ヨハネが先に着きましたが、墓に入らずペテロが来るまで待っています「20:5」。                                                                                             主の遺体が無かったことについてペテロというのもう一人の証人が必要だったからです。                                                                                   {後書き}カトリックは人は神様が作ったから全ての人は兄弟だと言います。                                                                            彼らによるとユダがイエスを裏切らなかったならば、十字架事件は無く、原罪も無くなって無いはずだ。                                                                          だから、彼は楽園に行ったはずだと言います。                                                                        彼らによるとカレーに毒物を入れて人を殺した人は、カレーに毒物を入れると人が死ぬことを教えてくれたから、よい人でしょう。                                                                   ヨハネ啓示録18:3は「それは、全ての民族が彼女の淫行による激怒のぶどう酒に酔ったので~」と言われます。                                                                               淫行は淫らな行動です。                                                                                     自分の夫を裏切った女は淫行した女です。                                                                             神様の御言葉を自分勝手に解釈する人は霊的に淫らな女です。                                                                     使途言語録1:25は、ユダは犯罪を犯した故に自分の居場所に行ったと言われます。                                                                                          自分の居場所は地獄のことです。                                                                               今度、教皇はイスラムの国と手を握りました。                                                                                                           カトリックはあらゆる宗教と手を握る宗教一致運動をしています。                                                                   だから、聖書は予め彼女に付いて予言し、淫らな女だと言われたのです。                                                                      啓示録18章の彼女はカトリックです。                                                                         ユダが楽園に行くぐらいなら、全ての人は楽園に行けるはずです。                                                                    それなら、別に神様を信じなくてもよいはず。                                                                        世の中の全ての民族がこのようなカトリックの淫らな行為に酔っ払っています。

投稿日時 - 2009-05-27 18:07:49

補足

非常にきちんとしたお答えをしていただきました。ありがとうございます。
実は、現在、かなり深刻な人生問題があったのですが、昨日、貴方のお答えを読んだ後に、気持ちが楽になり、今日、問題解決ができました。

実は私は聖書に「神」とか「精霊」とか書いてあるので、その言葉を使いますが、実は理解しているわけではないのです。
ただ、イエスキリストは、何とかしてイエスを殺そうと誘導尋問のようなものを何度もされているにもかかわらず、軽く一蹴されています。これを読むと、何か精霊とかいうものの働きがある、ということは認めざるを得ません。
だから、聖書の中でも少なくともイエスの言葉だけは本当にどのような言葉を言ったのか正確に訳して欲しいのです。しかし、訳によって意味ががらりと変わってしまう箇所がいろいろあるし、英語の聖書と日本語の聖書ではニュアンスがかなり違うところも多々あります。

ここの回答では、あまりにも惑わされてしまうものが沢山あったために、感情的になってしまったこともあります(No.51さんには悪いことをしてしまいました)。私の心情としては、「何故、皆、ここでユダを止めないのだ!?」という気持ちが強いので、このような質問になってしまったのですが、No.14でご指摘があったように「ここでユダが裏切り者であることをばらしてしまったら、ユダの命が危ないではないか!?」という疑問もあって、悩んでいたのです。裏切り者がいる、という予告があるのは問題ではないのですが、どう考えても、イエスがここの場面で誰にでも分かるように「ユダが裏切り者だ」とはっきり言ってユダの命を危険に晒すということは絶対に有り得ない、と思うのです。あるいは、「そこまではっきり明示しても、他の弟子たちは理解できない」という理由が存在するはずだと思うのです。

私は理数系の人間ですので、非科学的な話は生理的に受け付けないのですが(従って、貴方の言葉が助けになったとしても、盲目的に信じるというわけにはいかないのです。ここら辺では、どうしてもいっぺんの妥協もできないのです)、しかしそれでも何か非常に深い意味があると感じています。
一番困るのは、自分はキリスト教信者だと口では言っているにもかかわらず、実際にはイエスキリストを全然信じていない人が沢山いることなのです。
私の経験では、教会に行くにしても片隅で目立たずにひっそりと通うような方たちの方が、私の質問に対して、分からないなりにも真剣に悩んでくれたのです。教会でも偉い人の方がかえってイエスの言葉をないがしろにしているように感じます。イエスキリストは律法学者を厳しく批判していますが、少なくとも当時の律法学者は(旧約)聖書について質問されたら、それなりにきちんと答えたはずです。非クリスチャンが聖書に躓いて真剣に質問しているというのに、笑って答えをはぐらかす牧師さんはいったい何なのでしょうか?

取り合えず、今は疲労困憊していていてお礼しか言えません。文字数が足りないので、補足欄に書かせていただきました。もし、何か追加でコメントをつけたいと思ったときにはお礼に書かせていただきます。

投稿日時 - 2009-05-28 20:04:41

ANo.36

10人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

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ベストアンサー以外の回答(48件中 1~5件目)

ANo.49

個人的な見解ですが…

誰にぶどう酒に浸したパンを与えたのか、与えられた本人にしか
わからない方法で与えられたのではないでしょうか?
それにより、この事を直接聞いたヨハネや(もしかしたらペテロも)、
少なくとも自分が裏切り者ではないことを知ることができ、
安心させられたのではないでしょうか?(でもユダ・イスカリオテ
が裏切り者であることまでは知らされていない…)

>それだけではなく、その後、イエスが実際に捕まる場面に出くわすまで、他の弟子はユダの裏切りに気づいている様子が見られません

この時までに、本当にイエスが処刑されるなどと、弟子たちには夢
にも思わなかったことでしょう。この出来事の前に、イエスが自分が
殺されることを言った後、ペテロが「そのようなことはありません。
ご自身を大切にしてください」と言い、これに対しイエスが
「私の後ろにさがれ、サタンよ!!」と叱責したくだりがありますから。

投稿日時 - 2009-06-08 18:30:58

お礼

ご回答、ありがとうございます。
そこら辺のことは散々考えたのですが、どうしてもうまく辻褄が合わなかったのです。
取り合えず、自分なりの問題解決ができましたので、締め切らせていただきました。
せっかくご回答いただいたのに申し訳ございません。

投稿日時 - 2009-06-09 09:35:28

ANo.48

個人的問題はかなり改善されました。
ならば回答閉めてもよろしいかと思います。問題はこれですから。

投稿日時 - 2009-06-08 11:46:09

お礼

ありがとうございます。
そうですね。
私も、自分の問題が解決した以上、更なる答えはいらないかな?と思っておりましたので。

投稿日時 - 2009-06-08 19:20:29

ANo.47

 No.6&32&56&61です。

 やはりこの問題は 信仰つまり非経験思考の次元に のがれなければ納得のいく理解は得られないように思いますが どうでしょう?

 ▲ わが神 わが神 なにゆえ われを見捨てたまいしや。
 ☆ とイエスが――やがて その訴えを転調させて 神をたたえることになるように――発したのと同じように ペテロ以下の弟子たちも 思わず不本意ながらも イエスから離反しかれを否定してしまったという事件を通る必要があった。
 これは どう考えても あとづけなのですが 一たんは イエスをつまり神を見失う経験を通らなければならなかった。
 ▲ わたしたちは 肉を欲望や欲情もろとも 十字架にはりつけにしてしまったのです。
 ☆ という死とそれからの再生の過程をくぐらなければならなかった。それが 人間なのだと知る必要があった。また じじつ 弟子たちは そうは思ってもいなかったのに そのようになった。
 
 つまり 何の論証もしていないわけです。非思考において そうであったろうと言っているだけです。でも そうであったろうと思っています。
 《一たん 神を見失う》という事例を 類型的に 次の文章は言っていると考えます。
 ▲ (パウロ:ローマ書) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ユダヤ人がつまづいたということは 倒れてしまったということでしょうか。けっしてそうではありません。かえって かれらの罪によって異邦人に救いがもたらされることになりましたが それは かれらを奮起させるためだった。(11:11)

 兄弟たち 自分を賢い者とうぬぼれないように 次のような救いの隠れた計画をぜひ知ってもらいたいと思います。この計画とは 一部のイスラエル人がかたくなになったのは 異邦人全体が救いに達するまでであり その後 全イスラエルが救われるということです。聖書に次のように書いてあります。

    救うかたがシオンから来て
    ヤコブから不信心を遠ざける。
    これこそ わたしが かれらの罪を取り除くときに 
    かれらと結ぶわたしの契約である。
          (イザヤ書59:20-21)

 福音との関連からすれば イスラエル人は あなたたちのために神に敵対していますが 神の選びとの関連からすれば 先祖たちのおかげで神に愛されています。あなたたちも かつては神に不従順でしたが 今はかれらの不従順によって神からのあわれみを受けています。それと同じように かれらも 今はあなたたちが受けたあわれみによって不従順になっていますが それは かれら自身 今もあわれみを受けるためなのです。(11:25-31)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ べらぼうな話ですが このほうが 納得がいくのではないでしょうか? 個々の人については また 話が別だと思います。

 ユダの裏切りに無頓着だったのは むしろ神をみつめて その心に従った結果である。つまり イエスが去っていくという計画のほうが 大事であり それに従ったのであるが じっさいには 弟子たちは そのことを知らずに 従った。
 イエスの逮捕のあと かれから離反するのは これも 今度は神を一たん見失って そのことにおいて 神の心に従ったことになる。
 むろん かれらは それぞれ 自分の自由意志で行動している。
 選ばれたというのは そういうことだと考えます。
 ユダは かれ自身の救いのため イエスが 選んだのでしょう。それは成就しました。そのあとは わたしたちの知ったことではありません。ユダも 自由意志によって したいように振る舞いました。
 ひとには イエスないし神との関係が それぞれ一人ひとりにおいて――なぜなら 《わたしは アブラハムの神 イサクの神 ヤコブの神である》―― 成り立っていて それぞれ 救いへの道程が用意されているのだと考えます。

 あらためて言って これは あとづけであり べらぼう話であり 覆いかぶせの理論です。でも 解釈――つまりその意味で 《預言》――として 一人ひとりが自由に受け容れればいいものだと考えます。いかがでしょう?

投稿日時 - 2009-06-07 20:28:19

お礼

何回もご回答ありがとうございます。
まあ、皆が納得するまで議論するのは100年たっても難しいと思います(^^; 特に、非経験思考の領域では。
確かに、経験的思考だけでは行き詰まるところに当たったので、質問したのですが、ある程度の納得は得られましたし、沢山回答が出てしまったのにここは議論には向かない場所ですので、いったん締めさせていただきました。申し訳ございません。
確かに、ある意味、神を一旦見失う必要があったのかもしれない、というのはかなり賛成します。

投稿日時 - 2009-06-09 21:21:49

ANo.46

 結局のところ、あなたの知りたいことが何なのかわからないことが、この長い対話の原因ではないのかとおもいます。どうします?

投稿日時 - 2009-06-06 01:36:12

補足

ここで質問する、ということは「この問題について、これから皆で考えてください」という意味ではなく、「この問題について答えを知っている人、教えてください」ということです。

求めていたのは情報なんですが、投稿した直後に「しまった、このカテは議論好きな方が沢山いるんだった」と思いました。

私の質問を読んでから考える、という方でなく、既にこの問題に関して研究して自分なりの答えを持っている人、「私の通っている教会(宗派)では、この問題についてはこのように教えてます」とか「私は知らないけれど、~という人がこれに関して発表してますよ」「このサイトに行って見たら?」、あるいは質問を読んだ「直後」に「ああ、この問題か」とすぐ分かって「即答」できる方、などの答えを期待してたのですが。

質問の意図の一部に分かりにくいところがあるのは、私からははっきり言えなくて「ここら辺は察してくださいよ」という部分があるからかもしれません。私はできるだけキリスト教を弁護しようとの立場で発言していますが、悪く取るとこんなふうにだって受け取れるよ、などというと「それ見たことか」とパッシングを受ける可能性があるし。それなのに、かえって弟子たちに不利な回答をされると、お礼の仕方が難しくて、時間がかかってしまったのが長い対話です。

質問では私ははっきり、裏切りに関してはユダ以外は無実だと主張してます。そしてそれを信じています。しかし、悪魔の証明という言葉もあるとおり、無実を証明することは非常に困難なのです。だから安易に「他の弟子たちも裏切ったのだ」と言う人には、お前は命が危なくなったときに冷静に振舞える自信があって言っているのか?と聞きたくなります(私はとんでもない醜態を晒しましたが)。しかし、最後の晩餐の場面では、弟子たちの命は危なくない・・・。

私はクリスチャンではないので、その気になれば神を冒涜することを考えることもできます(しないだけです)。「3日ぐらい恐怖でほとんど眠れなかった」のは、福音書にこんなことを書いたら、キリスト教に反感を持った人が悪意を持って読めば、とんでもないデマをでっち上げることだってできるんじゃないか?という「キリスト教にとってやばいではないか」という恐怖なんですけど。No.58「聖書の根拠をがむしゃらに書いても根拠にはなりません」ということは、こじつければどんな話だって可能ということですから。

>どうします?
実は、きちんとした回答をいただいた方がありまして、私の個人的問題はかなり改善されました。規約を読むと締め切り後にお礼を書くこともできるらしいし。ただ、弟子全員が裏切ったんだ、などという話を放っておいてよいのか?というためらいもあって締め切りを伸ばしてるだけです。まあ、私は痛くもかゆくもない問題ですのでそろそろ締め切るしかないと思いますがよろしいでしょうか?>クリスチャンの方々。

投稿日時 - 2009-06-07 19:13:08

ANo.45

ずれた回答します。このまえユダヤ教の人と話をしたら聖書きちんと読んでないからイエス様のことわからない・・・・なんて言ってたそうな。
神学的な質問されてもわかりません。本当に聖書は何回読んでも新しいものを発見してしまう。ユダの話なんて何回も読んで知ってるのにまた新しい切り口を見つけてしまった。自画自賛~

投稿日時 - 2009-06-05 02:21:43

お礼

ご回答、ありがとうございます。
キリスト教信者でないと、聖書の世界って、本当に分からないんですよ。
No.64では書かなくてもいいようなことを書いてしまいました。申し訳ございません。取り合えず、福音書は4つあるのに何故ヨハネを持ち出したか?という理由と、クリスチャンでも「何故、私を見捨てたのか」という言葉が絶望の言葉としか思っていない人に何人も会ったので、少々ストレスがたまって書きすぎたようです。
ご容赦ください。

投稿日時 - 2009-06-09 21:27:14

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