解決済みの質問
護憲派・左翼運動の受け皿として、自民党の支配体制を支えた政党である、ということになると思います。
仰っている通り、政権担当意欲がなかったことは明らかです。
1955年に左右社会党が合併して以降の衆院選で、衆議院の定数の過半数を超えるだけの候補者を擁立したのは直後の選挙のみです。
他の選挙では、定数の過半数以上の候補を立てたことはありません。これでは、いくら選挙で、全部の候補が当選しても政権を取ることは不可能です。
第2次大戦後、冷戦の中で日本はアメリカを中心とする西側諸国の一員として、そして、反共産主義の国として立ってきました。
ただ、その中で、アジアの権威主義国のように、左翼運動を力でねじ伏せるような形で存在そのものを否定した場合、民衆の叛乱などを招く恐れがあります(ベトナムなどは、その例と言えるでしょう)
そんな中、日本社会党という左派の意見を受け止める政党が存在し、自民党という西側と関連強い政党に対する牽制役、けれども、絶対に政権を取らない、という状況が続くのが最も安定した国家運営に役立っていたのだと思います。
日本社会党が完全に没落したのは、自民党との連立政権を組んだことだとは思いますが、冷戦の終結。小選挙区制度という、これまでと全く異なった選挙制度が導入されたにも関わらず全く対応出来なかったこと(中選挙区制度では、一つの選挙区から複数人の当選者が出るため、候補者を絞る、という消極的な戦い方で議席数を確保できます。しかし、小選挙区制では、各選挙区から当選するのは1人のみなので、全く異なった選挙戦略が必要となります。しかし、それが理解出来ていなかった)。これらの積み重ねによって、既に歴史的な意味を終えていた、ということになるのだと思います。
投稿日時 - 2009-05-17 18:57:04
お礼
そういう存在意義はあったかもしれませんね。
私はそれが今の日本共産党に求められていると見ます。
投稿日時 - 2009-05-17 19:01:38
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ベストアンサー以外の回答(10件中 1~5件目)
戦後、政権を担当しました。そして自民党が誕生し、批判する党に「なりました。イタリアも同じように社共をアメリカとの連携で野党になります。左で保守的に護憲の野党という世界で珍しい形でした。今でも共産党はながれをもっているかもしれません。オーストリアの極右の党もイデオロギーの差があり、それをまとめる国会の制度がないのでしょう。国民の意見が部分的に分極的なので、連立もしにくいですし。いまでも制度がないので。ただアメリカとの関係みると当時はしょうがない?。
投稿日時 - 2009-05-20 13:56:03
お礼
有難うございます。
投稿日時 - 2009-05-20 14:03:18
>日本社会党とは果たしてなんだったんでしょう?
護憲という面では大きな役割を果たしたろと思います。
昭和30年代に自民党の鳩山政権が参議院で2/3を占めて憲法改正を意としましたが社会党を中心とする護憲勢力に阻まれ、以後自民党は憲法改正を断念しました。
その後ずっと衆参の2/3の壁がありましたので憲法を改正できないでいるわけですが民主党は基本的に改正派なので今後共闘しようとしています。
>右から左/護憲まで良くも悪くもいろんな考えの人が集まっていましたが、政権担当意欲が無かった事が消滅を招いたのでしょうか?
政権担当意欲はあったと思います。
70年代に全野党政権を標榜していましたが公明党・民社党の反対で実現しませんでした。90年代の初めまでの中選挙区制度のときにも野党全体で自民党を凌ぐ期待がありました。が危機感を持った自民党が単純小選挙区制度を持ち出して延命を図りましたが、失敗しその後の政界再編へと繋がりました。
社会党が消滅を招いたのは以下の原因だと思います。
1.政権参加に焦り、無理に細川政権に参加し、今日の小選挙区制に賛成して自滅の道を開いた。(細川政権に参加すべきでなかった。良く解釈すれば政権担当に意欲があったということなのか?)
2.他の方も指摘していているように、理念をすてて自民党との連立による村山政権をつくったこと
3.日常活動を怠ったこと。社会党という名前だけで1/3の議席をえられる結果に安住しきってしまったこと
4.いわゆる“過激派。新左翼”を革新陣営の一翼と位置付けて擁護・共闘関係にあった。そのため1/3以上の支持を広げることができず国民の信頼を失っていった。(見方によっては社会党は共産党より“左より”と称されることがあった。)
投稿日時 - 2009-05-19 11:37:49
お礼
大変参考になる意見でした。有難うございます。
投稿日時 - 2009-05-20 14:02:43
有権者に最も分りやすい形で社会党を失望させたのは、安全保障政策、特に91~92年のPKO法案を巡る対応でしょう。
この時、社会党は「自衛隊を一度でも海外派兵すれば日本は軍国主義化する」として全衆院議員の辞職願を出してまで猛烈に反対しましたが、これがいかに馬鹿馬鹿しい主張であったかは明白です。
しかもその翌年には細川連立政権においてPKO活動を承認し、更に日米安保や自衛隊反対と言った基本政策を撤回します。
これにより単に政府与党の足を引っ張る為だけに、自分たちでも本心では思っていなかったデタラメな「軍国主義化」を国民に唱えていた事を、実に分りやすい形で証明してしまい、それまでの支持者からもそっぽを向かれる事態を招いたわけです。
投稿日時 - 2009-05-19 01:18:36
お礼
PKO法案、ありましたね。
投稿日時 - 2009-05-20 14:01:50
冷戦時代の日本において、政府の不満のはけ口としての役割でしょう。
はけ口があるお陰で、日本は共産化しなかった。
彼らが知ってたか知らずかは置いて、大きな役割です。
自民党も見た目は保守と言う看板ですが、行っていたことは、官僚主導の政官財一体となって経済発展に突き進む一種の社会主義です。自民党は実は社会党から出た社会保障の案も盗む形で結構採用しました。社会党自体がそのような役割を果たしていると思っていたかは置いて、社会党は社会を安定させる制度の意見をある程度まとめる役割もありました。
この自民党の態度は、社会党から分かれた民社党の主張とほぼ一致します。反共を死守する為に、社会保障制度をある程度充実させ、労働者の不満をそらし、労働運動も企業の組織の一つとして取り込む御用組合にする事によってより一層の経済発展に国民全員で突き進むという仕組みです。
消滅したのは時代が変わり、役割が無くなってしまったからでしょう。
国体を共産主義から守ること、官僚主導の政官財一体となって経済発展を遂げること。こういったものは構造だけ残っていろいろな部分で腐っていますが、役割としてはなくなりました。しかし、これは自民党も同様です。残ってはいますが官僚の権益保護団体と化しており、自民党にいる議員ですらたまにTVで言っていますが、自民党も既に役割を終えています。
また、消滅を決定付けたのは方向転換が必要なときに方向を誤った戦略ミスでしょう。党内の改革も頓挫しました。自分たちの役割に迷った末、最後は自民党にしゃぶられて、支持者にもそっぽを向かれて消滅です。
ちなみに、今の社民党は社会党の後継ということになっていますが、実は大きく違うと私は思っています。実際には冷戦後に共産思想を破壊された元新左翼の人々ではないかと思います。何を志向しているのか曖昧ですが、たぶん未だに迷っているのでしょう。
投稿日時 - 2009-05-18 22:31:12
お礼
成程。
投稿日時 - 2009-05-20 14:01:04