解決済みの質問
癒しという言葉が何かと人の口の端に上ります。
でもこの癒しというのがどうも多義的で、漠然としております。
私は特定の宗教に限らず、お線香や宗教施設に気持ちが落ち着きます。
そして相性もあるのでしょうが、動植物が人の気持ちのとげとげしさをやわらげてくれる、ということも聞くし、私も経験します。
こういうことは何か根拠があるものなのでしょうか?
参考:アサヒコム2009年5月13日9時58分
吾輩らはネコである。茶のトラ模様が「トランス」、黒毛が「ポート」と、名前もちゃんとある。岡山市にある運送会社「○○岡山」のれっきとした「社員」だ。吾輩らの入社以来、会社では無事故が続き、その功績でニャンと社内表彰も受けたのだ。
吾輩らは、06年の寒い時期、流浪の末に会社近くにたどり着いた。従業員や運転手らが弁当を分け与えてくれるので、居心地が良くて住み着いた。
こんな野良ネコの生涯が一転したのは08年1月だった。会社が属する○○の社長さんが視察に訪れた時に、吾輩らもそろって玄関で出迎えた。すると、社長さんが律義な吾輩らの姿を気に入ってくれて、入社を許してくれた。肩書も「安全管理夜回り担当委員」とちゃーんともらった。
あの人気の「たま駅長」~~省略~~
昼間は女性社員のひざの上やパソコンのキーボードの上で居眠りもするけど、もちろん役にも立っている。夜には当直の社員の相手もするし、気が向けば社内を見回って、目も光らせている。
そのうえ、吾輩ら自身も驚いたのが、わが社の事故がとっても減ったことだ。吾輩らが来た08年1月以来、会社の約65台のトラックが起こした事故は16カ月間、ゼロ。
約530台あるというグループの貨物輸送部門全体でも08年の1年間で、前年の約4割まで事故が減ったんだ。
グループからは「無事故は、2匹の癒やし効果が大きい」として、優秀な社員に贈られる「トップランナー賞」を今年2月に授かった。
たま駅長も07年12月に受賞した名誉ある賞ニャンである。
吾輩らの世話係、○○○○さんも「まとわりつかれたり甘えて鳴かれたりすると、なんだかほっとするんです。
貢献ぶりはたま駅長に負けませんよ」とほめてくれているんだから、ネコの人生も捨てたもんじゃない。
投稿日時 - 2009-05-13 12:08:55
kryaさん。こんばんわ。
くらいあさんとお読みするのでしょうか。
哲学カテのご回答たまに拝見しております。
おもしろいお話を聞けてラッキーです。
「癒し」というのはもともとは「癒える」です。
傷が回復するときの「癒える」。
「癒し系」の女優や
最近は草食系俳優なんてのもいるようですが、
意図的に「癒そう」というのが見えると「いやしい」です。
ところでお猫さまによって「癒える」というのは
やつらが「渋い天然」だからかもしれませんね。
やつらは「癒そう」なんて思っているわけではなく、
「おいらは甘えたいのぢゃ!ごろにゃん!」と求め、
「おいらはおいら自身のために求めるのぢゃ!」
と堂々と自分勝手さを発揮し、
そのあつかましさ、ずうずうしさ、気まぐれさ、
能動性、自立性などには「勇気付けられる」のです。
「癒える」というからには、
もともと「傷ついている」のでしょうね。
なんといいますか軍事的で殺伐とした組織に。
タッチセラピーなんてのもありましたが、
体温というのも
傷ついて冷たいものが温まって「癒える」かもしれませんね。
「懐石料理」なんかも
「温まって癒える」という理由で名づけられたものです。
つまり懐に熱い石を入れて胃袋を温め飢えをしのぐ程度の料理、
ということだそうです。
しかし「癒える」必要がある状態というのは
もしかしたらありがたいことなのかもしれません。
自分以外の者とつながることができるので。
投稿日時 - 2009-05-13 18:52:37
補足
動植物や自然との癒しのことをもっと伺いたかったのですが、お待ちしてもニュートラル様だけのようですので、一旦此処でお礼とともに締め切らせて頂きます。
ありがとう御座いました。
投稿日時 - 2009-05-14 15:41:40
お礼
☆こんばんわ。
質問者:ありがとう御座います。
はい、私は朝2:30からの日課ですので、いま7:50おはよう御座います。
☆くらいあさんとお読みするのでしょうか。
質問者:いえクリアです。ヒンドゥの教えの弟子という意味です。
本当は1990なのですが、間違えて打鍵してしまいました。
☆哲学カテのご回答たまに拝見しております。
質問者:ありがとう御座います。
☆意図的に「癒そう」というのが見えると「いやしい」です。
質問者:「癒そう」と「いやしい」は面白い対比です。
☆ところでお猫さまによって「癒える」というのは、やつらが「渋い天然」だからかもしれませんね。やつらは「癒そう」なんて思っているわけではなく、
質問者:そうなんですね。人間側の勝手な、自分を中心にした意識がいろいろ誤解を生んでいますね。
☆「おいらは甘えたいのぢゃ!ごろにゃん!」と求め、「おいらはおいら自身のために求めるのぢゃ!」と堂々と自分勝手さを発揮し、そのあつかましさ、ずうずうしさ、気まぐれさ、能動性、自立性などには「勇気付けられる」のです。
質問者:自然、そして創造界の宇宙ってそうなんですよね。
以下とても示唆的なお話をありがとうございます。いろいろ
「傷ついている」人間たち。どうして「傷ついてしまっている」のでしょうね。
<軍事的で殺伐としたあり方>もそのとおりですね。
セラピーもずいぶん多種多様ですね。
セラピストも自分をどうするか、課題でしょうね。
☆しかし「癒える」必要がある状態というのはもしかしたらありがたいことなのかもしれません。自分以外の者とつながることができるので。
質問者:繋がることは必要ですね。
でも何事も何もないというのもhealthy本当はとても素晴らしいことではないでしょうか?
古来、「無音は無事」ともいいますし、
心身や生活からの何の訴え(喜怒哀楽など)がないことは、
素晴らしいことではないでしょうか。
何かがあるのはそこに問題があるのかもしれませんね。
ありがとう御座いました。
投稿日時 - 2009-05-14 07:42:18
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