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太陰太陽暦での閏月の入れ方は?

 カテゴリーは歴史がいいか、天文学がいいか、ライフがいいか迷いましたが、こちらで質問させていただきます。  昨日、NHK出版の生活人新書「旧暦はくらしの羅針盤」(小林弦彦・著)を読みました。現在使用されている太陽暦と古典などに出てくる太陰太陽暦との違いが分かりやすく書いてあり、知識として暗記していた「七夕」「天の川」が俳句で秋の季語になることなどが納得できました。  しかし、どうしても閏月配置の仕方が分かりません。19年に7回閏月が来ることや19世紀以降に閏月が夏に多く現れるなどは詳しく記述されています。でも、その閏月を何月に配置するのかが全く書いてありません。21世紀すべての年の閏月が何月に配置されるかの表は収録されていますが、何故その月に配置されたかの理由が書いてないのです…。「19世紀以降夏に閏月が多く現れる」というのが妙に引っかかります。夏に現れるようにした主体は誰かと。陰暦と太陽公転のずれを夏に配当する人がいるのでしょうか? 天文現象を計算するとこうなるのでしょうか?  ちなみにインターネットで「置閏法」や「平気法」を検索しましたが、やはり納得できる法則や考え方が載っていませんでした。

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質問者が選んだベストアンサー

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  • shoyosi
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回答No.2

天保暦より前の暦法は1の通りですが、旧暦は天保暦が変更されないままに廃止された形になっていますのでややこしくなります。天保暦の問題点は太陽の動きを平均太陽日ではなく実際の動きに合わせたものです。このため、季節により、中気が2つ含まれるなどの弊害があり、計算としては修正したものが使われています(結論としては#1と同じ)。

参考URL:
http://www.nnh.to/yomikata/qreki.html

その他の回答 (3)

  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.4

大の月(30日)と小の月(29日)を決定していたのかという疑問も生まれました。> 江戸時代及びそれより前から、天文方など専門職の観測により、一月(ひとつき・新月から新月まで)は約29.53日という事はわかっていました。新月の時刻が属する日を朔(月立ち・ついたち)とし、朔の前の日(月ごもり・つごもり・つもごり)は計算上求められます。時折、観測に失敗して予測が外れることもありました。  当然、毎年、大の月と小の月が違いますので、一般家庭では略暦(時代劇によく登場する)をはったり、商店では今月が大か小かを店頭で掲示していました。江戸時代、西向くさむらい(ニ四六九士)が小の月だったのは2回ありました。その時、この言葉が大の月と小の月を覚えるために作られました。

参考URL:
http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm
moyashiinoue
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。そうすると、朔の時刻は一定でないし(早朝の場合も深夜の場合もあるだろうから)、朔望1ヶ月が約29.53日のために30日の大の月、29日の小の月が出来てくるのですね。  また、現在のカレンダーで小の月を覚えるための「西向くサムライ」は元々旧暦時代に不規則な並びの大の月と小の月を覚えるための語呂合わせのほんの1つが生き残ったということですね。なるほど、なるほど。  shoyosiさんのご説明や旧暦関連のHPを読んでいくうちに、暦っていうのは人類の知恵が結晶されたものってすごく感じるようになりました。地球の自転と公転で生み出される1ヶ月と1年とを数字に表す技や工夫に驚きました。大昔は天子や皇帝の名の下にカレンダーが国民に伝えられたっていうのも納得です。

  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.3

 補足します。 結論としては#1と同じ>  実際は#1とほとんど代わらないという意味でありますが、「春分を含む月…2月 秋分を含む月…8月 夏至…5月 冬至…11月」と決まっているだけで#1より窮屈ではありません。

moyashiinoue
質問者

お礼

 HAL007さん、shoyosiさん、ご回答ありがとうございます。  「閏月」とは、陰暦12ヶ月と1年のずれが生じたときに、恣意的に暦屋や当時の天文台(?)が「今回は1月の後に入れよう、次回は2月の後に入れよう」というものではなく、あくまでも「中気」の現れない月が出た場合にそれを「閏月」と定義したのですね。  そうすると、当時は朔と二十四節気の情報から手計算で暦を作成し、基本的に中気のない月を閏月を決めていたのですね。今なら月の朔望や二十四節気データからプログラムを組んでパソコンなどで算出できるでしょうが、天保暦の頃(いや、それ以前も)は人間が計算していたのですね。  実は何でこんな質問したかというと、前述の新書に「閏月が夏にあれば、夏が長くなり、猛暑となる。閏月が冬にあると、冬が長くなり、厳冬となる。」「19世以降、夏に閏月が多く現れるようになり、地球温暖化が予言されている。」といった内容があり、え、これって眉唾?! それとも科学的に根拠があるの? NHK出版なのにこんなこと言っていいの? と思ったので閏月を知れば長期的な気象を予測できるのかな(?)と質問させていただきました。  紹介いただいたHP等を見て、旧暦を作成する手順がおぼろげながら分かってきました。ただ、旧暦時代にどうやって大の月(30日)と小の月(29日)を決定していたのかという疑問も生まれました。  

  • HAL007
  • ベストアンサー率29% (1751/5869)
回答No.1

参照URLに詳しく説明されています。(中ほどにあります) 取り合えず、何月に入れるかはわかりましたが、1度読んだだけでは 完全に理解出来ませんでした。

参考URL:
http://www.ffortune.net/fortune/astro/comp/kiso06.htm

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