解決済みの質問
「レッドクリフ」以降のにわか三国志ファンです。
諸葛孔明の北伐について、お教えいただけないでしょうか。
蜀と魏の間には三千メートル級の秦嶺山脈がそびえます。
子午谷、駱谷、斜谷(褒斜道)のいわゆる「蜀の桟道」があるものの、
本を読む限り「道とも言えないようなすごい道」だろうと想像できます。
ところが……ちょっと調べたところ、
第一次北伐 228年2月~3月 孔明本隊は故道、趙雲は斜谷道
第二次北伐 228年12月 斜谷道
第三次北伐 231年2月~6月 故道
第四次北伐 234年2月~8月 斜谷道
と、2月や12月に斜谷道を通行しているようです。
秦嶺山脈を避ける故道を冬に通過できるのはわかりますが、
冬山の、それも難所で知られる「蜀の桟道」を軍隊が
通過できるのでしょうか?
八甲田山の例を引くまでもなく、冬山の軍事行動は無茶な気がします。
実は秦嶺山脈は暖かくて雪がつもらないとか……
あるいは子午谷、駱谷は難所だが、斜谷道は桟道じゃないとか……
戦術・戦略上やむを得なかったとか……
冬の作戦を実施した(実施できた)理由があると思うのです。
この理由について詳しい方がいらっしゃいましたら、
お手数ですが、ご教示いただければと思います。よろしくお願いします。
投稿日時 - 2009-04-29 23:16:21
陝西省は冬は-11度ぐらいに冷え込みますが
大陸性気候で、大気は乾燥し、降水量が少ないので、
日本のような大雪はまず降りません。
ちなみにいうと日本は世界有数の豪雪地域のひとつで、
世界でも日本みたない大量の行くが降るようなところは
実はそれほど多くはありません。
冬や春先に北伐が行われている理由は、農閑期だからです。
農閑期以外では戦争はできないのです。
漢中から関中に向う道はどれも、酷い道です。
複数の経路があるうえに、移動に時間がかかる細い山道で
大胆な進撃もできなかったのが、
北伐が全部失敗した主な理由ですが、
同時に、魏が圧倒的大軍を擁しているのに、
劣勢の蜀が度々侵攻できた理由でもあります。
投稿日時 - 2009-04-30 01:41:49
お礼
「山脈=雪」じゃないんですか!
昔、豪雪地帯に住んでいたもので、
「冬に軍隊が進めっこないだろう」と早とちりしてました。
早々のご回答、ありがとうございました。
また……ご回答をいただいて思いました。
古くから二期作が行われていた(らしい)蜀だから「冬~春先」で、
もし魏のように一期作の国だったら
戦争に適した時期は「秋~春先」だったりする……???
投稿日時 - 2009-04-30 12:55:45
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