-PR-

締切り済みの質問

質問No.4867364
暇なときにでも
暇なときにでも
お気に入り投稿に追加する (0人が追加しました)
回答数4
閲覧数562
モーセの十戒のカトリックの解釈
カトリックでは偶像崇拝は禁止されていないみたいですが、元々ヘブライ語の聖書では禁止されていたんですよね?

どういう経緯でこうなったんですか?
信者たちは疑問を持たないのでしょうか?
もし公式な見解があればそれも教えてください
投稿日時 - 2009-04-10 05:10:23

回答 (4)

回答No.4
よほどの新興宗教でもない限りどの宗教も偶像崇拝は禁止ですよ。
神とはそれぞれの人の心の中にあり、仏教でいうところの涅槃の境地に達するのが目的です。
仏像や弥勒菩薩像などは一体感となって瞑想への手助けをいたします。

ところが偶像崇拝は生身の人間を崇拝したり、物欲に目が眩んだりします。
そうなると神を敬うというよりも人間のエゴの部分が出てしまい、宗教とは異質になります。

旧約聖書でモーセがいない間にユダヤの民が黄金の牡牛像をつくって
その眩いばかりの輝きに心を奪われたシーンがあります。
モーセは帰還すると激怒し、牡牛をつくらせたものを処刑したとあります。

一方、古代イスラエルの偉大な王ソロモンはこの世のものとは思えない
壮麗で豪華な神殿(エルサレム神殿)をつくっています。
その素晴らしさは旧約聖書に数頁を引き割かれて書かれています。
上記の牡牛の件との違いがお分かりでしょうか。
投稿日時 - 2009-04-13 02:17:17
この回答を支持する
(現在0人が支持しています)
回答No.3
偶像崇拝自体は禁止ですよ。
あれは偶像を拝んでるのではなく、
祈るイメージのよりどころなのです。
投稿日時 - 2009-04-11 07:59:03
この回答を支持する
(現在0人が支持しています)
回答No.2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3

<聖像の神学的意義>のところをご覧ください。

『すなわち聖像の使用は像そのものの崇拝ではなく、像が表わすものの想起のためであり、像そのものは敬意をもって扱われるべきものではあっても、あくまでも崇拝の対象ではないと考えるのである。聖像擁護論にあっては聖像はしばしば「恋人の図像」に喩えられる。恋人の絵や写真は恋人そのものではないが、遠く離れた恋人をしのぶ者はその図像を大切にする。それと同じく聖像は、その造形を通して神や聖人の存在、またその事跡を想起させるのである、という主張である。』

<想起させる>うまい表現をして批判をかわしていますね。
投稿日時 - 2009-04-10 12:05:39
この回答を支持する
(現在0人が支持しています)
回答No.1
実は私も同じ疑問を持っていたのですが、浅学ゆえ正直なところよくわかりません。

 私見ですが、聖アウグスティヌス以降から偶像崇拝が肯定されるようになったのではないでしょうか?

 私もこれから勉強してまいります。
投稿日時 - 2009-04-10 07:04:49
この回答を支持する
(現在0人が支持しています)
この質問は役に立ちましたか?
1人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
もっと聞いてみる

関連するQ&A

この他の関連するQ&Aをキーワードで探す

同じカテゴリの人気Q&Aランキング

カテゴリ
哲学
-PR-

-PR-

特集

正しい方法で健康的な綺麗を手に入れよう!

お城、ボート、ツリーハウス、ユニークな物件満載!

患者さんやご家族、それぞれに合ったゴールと道筋を。

同じカテゴリの人気Q&Aランキング

カテゴリ
哲学
-PR-

ピックアップ

おすすめリンク

-PR-