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また、ぶり返します。

sawachannの回答

  • sawachann
  • ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.8

 ちょっと宗教的な視点から…  まず前提として、人間は死んだら終わりではないということです。 もちろん肉体は120年前後で滅びますが、心のようなものは永遠性を持っていいるということです。  で、次に今の生は、次の世界(霊界だのあの世だの言ってる世界)の準備のための期間だということです。その目的は愛の完成です。これには孫を見るまで。少なくとも80年は必要となります。  その前提の上で、殺人というのは、まだ完成もしてないのに、発展途上の段階でその人の機会(愛の完成)を奪うと言うことになります。だから人は死にたくないと思うのです。(フツーの人は)  また家系図の観点から言えば、殺人を犯せば、殺された人は何代か後に子孫に必ずそれは再現(殺人まで行かなくても、何回も手術したりする病気も含まれる)するということです。それは家系図を採ってもらえれば分かります。  もっとも、前提を無視したり、否定したりする人には説得力はないですけど…  参考になれば幸いです。 長々言うのは見にくいので端的に結論だけ述べています。

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