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端午節の由来(伍子胥と屈原以外の説を知りたいです)
端午節は一般には屈原を由来とする説が一番流布しているようですが、蘇州の人は伍子胥を由来とする説を信じているようです。ほかにも説があるそうですが、どんな説があるのでしょうか?
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 伍子胥も屈原も「死」を以って「節目」としているようですが、 鄒衍(すうえん)の「陰陽五行説」の考え方もあるようです。 (1)鄒衍の「陰陽五行説の祭式」。 斉(せい)国人の鄒衍は、戦国時代の高名な学者で、もともと中国にあった「易経」などに書かれた「陰陽説」、つまり、 物事を、陰と陽の相対的な2相で表す。と「書経」などに書かれた「五行説」、つまり、物事を、木、火、金、土、水の五気に還元する。を合わせて「陰陽五行説」にまとめた。 この思想は、当時中国全土で(今でも風水などで)大流行した。 世の中の森羅万象は全て、陰と陽からできていて、その混在の仕方から、木、火、金、土、水 の5元素に分類できる。 この5元素の間には、それぞれ「うまくいったり」「いかなかったり」「補完したり」「相克したり」する関係があるので、人生が光輝く時期だったり、暗雲の時期だったりするのは、みな、この「陰陽五行」の自然物理の影響するのだ、という考え方。 この「陰陽五行説」によると、5月は、陰と陽の混在する月で、このころから気温が上がることによって、病気や、毒虫など、色々な問題が発生するので、それらに対処するために、祭式が必要な月。 その祭式とは、 菖蒲を飾ったり、薬用酒を飲んだりすることですが、こういう「おまじない」のようなことが、毎年、「屈元の命日」に遺体を探す儀式などと重なり合って、5月5日の行事として、中国全体に広まっていった。 (2)「端午節」という呼称の由来。 5月5日の節日を「端午節」と呼ぶのか? 「陰陽五行説」では、5月5日のことを「仲夏(夏至)」に近い日として、「端陽」と呼んでいる。また、中国北部では、その由来から5月1日を「端一」、2日を「端二」・・・・・・5日を「端五(タンウー)」と言い表していた。 これが後に、5月5日の節日のことを、「端午節(タンウージェ)」 と呼んだ、起源になっていると思われる。 唐の玄宗時代になると、すでに、5月5日のことを「端午」と呼ぶ詩が書かれていることなどから考えると、この時代のころから以後は、 「端午 = 5月5日」 と、すでに中国全体の常識になっていたのかもしれませんね。 (3)ちなみに、「陰陽五行説」は、もともと「仏教」に由来していますが、日本では「陰陽五行説」から派生した「陰陽道」、つまりは、神仏合体の独特な文化を生み出しました。