解決済みの質問
人生で選択肢があるときに、いつもいつも不幸になる方、苦労が大きいだろうと予測できる方を選んでしまっています。
あとになってなんでこちらを選んだんだろうとぼうぜんとしてしまいます。
事前によく考えて、自分がよりよくなる方を選ぼうと決めていたのに、その場になるとなぜか反対側を選択していることが多いのです。
無意識的に自分が不幸になることを望んでいるとしか考えられないです。
なぜこうするのかは、周囲の人間に粗末にされたからではないかと言われているようですね。
私もさんざんいじめられてきました。
不幸を選んでしまう人、私の他にいませんか?
不幸癖を何とかして自分から排除したいです。
どうやって、不幸から幸福で満ちた人生にすることができるでしょうか?
投稿日時 - 2008-12-29 07:36:50
私にもそこまで極端ではありませんが、
似たようなところがなくもありません。
ちょっとずれているかもしれませんが、
本当は人の輪にはいりたいのに
もし拒絶されたらとか考えてしまい
それなら自ら「孤独」を選んだほうがいいと思ってしまう。
こういう心理ってあなたの選択に近くはありませんか?
不幸が突然降りかかってくるのを恐れ、常に悪い状況を想定してしまい
どうせそうなるならプラスからの落差が少ないほうが良いと思い。
まわりにそうさせられるなら、自分の意思で選択したほうが良いと思ってしまう。
また、他人から嫌われたくないので、「良い子」であることをめざし、他人に悪いカードを渡すなら、自分の気持ちを抑えて、悪いほうのカードを自分がわざわざ引いていしまう。
もし、あなたも私と同じなら、そうなら。結局は自分は本当は傷つきたくないという気持ちの裏返しなのです。自分が「傷つく」勇気が持てて、自分がつけた仮面をはずすことができれば変わります。
でも、長年身につけてきた習性はそう簡単には変わりませんね。自分を必要としてくれている人の存在にあなたが気づくことができれば、その人が自分を受け止めてくれるという安心感があれば、少し勇気がもてるようになるのではないかと思います。
でも、そうした習性をもつというのは悪いことばかりではありません。常に最悪を想定する人間は、その状況においても冷静に行動できますし、わずかな巧妙を+として捉えることができます。また、まわりからも裏切ることのない、安心し信頼できる人柄と評価してくれる人もでてきます。あなたに救いの手を差し出している人の存在に気づくことができたら、ほんの少しの勇気をもって、本当の自分を相手にさらしてください。
見当違いのことを書いたかもしれません。長文失礼しました。
投稿日時 - 2008-12-29 08:29:03
お礼
ご回答ありがとうございます。
まさにおっしゃる通りです。
自分の薄薄と感じながら、はっきりと言い表せなかったことを、そっくりそのまま表現してくださいました。
>>自分は本当は傷つきたくない
これがすべての気持ちを代弁しています。
傷つきたくないから先回りして悪い目に合って傷つかずに済むようにしていたのかもしれません。
>>その人が自分を受け止めてくれるという安心感
私は友人にも恋人にも家族にも全然恵まれていないので、こういうひとがいないのです。
自分を理解してくれる人でずっと一緒にいられる人がいれば、不幸癖もおさまるのでしょうか。
でも先に不幸癖をやめなければ、そういう人も見つからないのではないかと不安です。
投稿日時 - 2008-12-29 10:22:07
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ベストアンサー以外の回答(10件中 1~5件目)
お礼コメントありがとうございます。
まず、申し上げます。(本当は改めて言うことでもないのですが)僕は自覚しています。アドバイスする側には偉くなったような高揚感が付きまとい、逆にされる側にはイヤ~な屈服感のようなものが漂うことを。
http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/settoku5.htm ブーメラン効果
これは、「自己肯定感」が損なわれるからだと思うのです。私に限らず「自分は正しい」という想いから逃れることが出来ないのが人間だと思います。ですから、人間社会では「あなたも正しいが、私も正しい」と思っている人でないと生きづらいのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0 チキンゲーム
この利得表で(-1)を選ぶ(=対人関係で弱気な協調を選ぶ)と「損したなぁ感」がしますが、(-20)(=対人関係での衝突)を避けるためには仕方のない合理的な選択です。ですから、どうして我慢してしまったんだろうと悩む必要はないのです。
tomatototeさんは「被害者意識」を持っておられるように感じます。すると周りの人には、加害者として責められているような感じが漂い、面白くありません。例えば、相手をののしるような冗談は誰もが言われたことがあると思うのですが、上手な人はユーモアで切り返して帳消しにするでしょうし、普通は少しくらいは大目に見てあげるでしょう。ところが真に受けてしまうと、この「被害者意識」が態度に表れて伝わってしまい、「親しみ」とは程遠い関係になってしまいます。
どうすれば良かったのかがイメージできなければ、反省することはできません。また、「幸福とは何か」がイメージできなければ、幸福にはなれません。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~musimusi/coach18.html 自己重要感
http://homepage2.nifty.com/zunou/kannkei/2.html 他人の自己重要感を満たす
http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/10/0.html 誰にも不機嫌にさせられない
http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/02/9.html 主体性
また、誰かへの(たぶん親への)“当て付け”があるのかも知れません。自分の不幸をアピールすることによって、親への復讐を遂げようとする気持ちが心の奥底にあるのではないでしょうか。あるいは、いわゆる「試し行動」でしょうか。もしそうなら、もっと自分自身の人生を生きてほしいなと思います。
幸福とは、ひとつには「上機嫌でいられること」、ふたつには駆けまわる仔犬のように「自分の能力を発揮できること」、みっつには「人と人の中にあって、認められること」だと思います。大前提として「生きていること」その他があります。
矛盾しているのが人間です。「人生に意味なんてないのに、意味があってほしいという願いだけはある」「ちっとも正しくないのに、正しいと思いたいという欲だけはある」「愛や思いやりは、無意識の自己重要感への希求によって生み出されるエゴである」、僕はそう思います。だから、ひとの矛盾をいちいちあげつらう必要はないし、自分の中にある矛盾もひっくるめて認めても構わないと思います。
参考URL:http://www.ykren02.com/chap-b_01.html
投稿日時 - 2009-01-03 10:32:25
お礼
ご回答ありがとうございます。
親へのあてつけは、自分でも自覚している時と、無意識の時があります。
自分自身の人生を生きたいとは思ってきましたが、学歴など経歴のすべてと、自分の人生でできたことできなかったことの全ては、親が決めたことですので、そもそも私は自分の人生でありながら自分の人生を全く生きることができなかったし、これからも生きられないと感じています。
私の両親は支配するのが大好きな毒親なので、ささいなことまで私は何一つ自分のことを選択することはできませんでした。
だから、この人生の大部分が自分で選んだ道ではないことは確かです。
投稿日時 - 2009-01-03 17:26:04
あけましておめでとうございます。
質問者様と同じように、人生なかなか思い通りにならずに、苦悶している人は多いと思いますねぇ。いえ、僕だって思い通りになんていってませんよ^^;(自分だけが悩んでるなんて思わなくていいですよ)。現実<理想(夢)という不安定な状態をキープし続けるのは骨が折れます。心がくじけそうになった時は、「先ず隗より始めよ」でいいと思います。その理想(最低限の理想)が他者の手にゆだねられているのなら、その部分については自分の責任ではありません。どうにもできないことを自分の努力でどうにかできると思う(責任を感じる)から、苦悶するのではないでしょうか。人それぞれに置かれた状況も違っていて、出来ることもそれぞれ限られています。私たちにできるのは、その限られた範囲の中で工夫・努力・判断することだけです。大仰に言えば「運命を受け入れる」ということでしょうか。僕は思います、「運命を受け入れた人は強い」「現実を受け入れた人は強い」と。つまり、直面する困難の中で、何が自分の問題(課題)であって、何が自分の問題でないのかを峻別していくということです。そうやって、「責任の範囲を限定する」ことができれば、悩みを無くすことはできないにせよ、今より楽に生きられるのではないでしょうか。
参考;http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/11/7.html 他人を変えようとしてはいけない
http://yukiduke.jp/kyoizon2.html 感情幻想
http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/04/4.html 他人に振り回されず生きる
僕も40代ですから、いろいろテクニックは知っています。でもこの紙面では伝えきれませんので、履歴を見て下さいね。参考になれば幸いです。
投稿日時 - 2009-01-02 12:26:36
お礼
ご回答ありがとうございます。
人生全部を思い通りにしようなんてことは考えていません。
ただ、一つでもいいから、自分が努力したことで願いがかなえられていたら、もっと希望を持つことができたと思うんです。
自分の責任であろうが無かろうが、他人から見ればその人の責任の人生の範疇になりますから、だれがどうしたではなくて、現実の状況がすべてだと思います。
受け入れられないこともこの世にはありますし、受け入れてしまったら心が折れてしまうこともあります。
最近思うのは、自分が能力があるよりも、自分では何もできなくとも家族や周囲に恵まれている人の方が人生を幸せに生きていけるのではないか、ということです。
自分一人ではどうにもならないことがほとんどですから。
せっかくご回答いただいたことを素直に受け入れられないような文章ですみません。
ご回答いただいたことは正論だと思いますし、こういう風に書いていただいたことは大変ありがたいことだと感じております。
ただ、正論だけでは割り切れないことが人生には多いんだ、ということも事実なんですよね。
投稿日時 - 2009-01-03 08:05:31
♯3です。
>私の場合家族の意見がかなりねじ曲がっている
あんまり家族の問題に立ち入るつもりはないのですが、進路のことで我慢された経験があるのでしょうか?。済んだことを書くのも癪でしょうが、ある程度割り切って「あの時の選択はこういうことだったんだ」と自分なりに総括しておくとよいでしょう。
http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/04/9.html 自分が自分の一番の理解者
http://yukiduke.jp/hitorigoto/huko.htm 子どもを操作する親
http://www.office-stella.com/suriper.html アダルトチルドレン
投稿日時 - 2008-12-31 19:46:55
お礼
ご回答ありがとうございました。
進路は全部家族に妨害されて、自分で選んだことはありません。
そのあたりで段々と自暴自棄になってしまったような気がします。
投稿日時 - 2009-01-02 05:31:59
30代♂です。
なるほどね、あなたは敢えて不幸に感じるような
選択をすることで、自分が自ら選んだのだから不幸になっても
仕方がないと自分に納得させているのでしょうか。
自分がこっちを選べば幸せになれるかもしれないけど、
それを選んで不幸になったら嫌だから。
自分が傷つくことが怖いのですよね。だから敢えて傷つける。
でも、それって結局は自分で自分を苦しめているだけだと
思いますよ。
それに何を持ってそれを不幸だと思うかです。
今は不幸だと思えることでも、何年後か先には幸せに感じること
もあるからです。
人生において不幸なことなど無いのではないでしょうか。
その人がどう思うかだけなのだと思います。
人によって幸せの定義は様々だとは思います。でも、いつも
幸せだと思える人と、あなたのようにいつも不幸だと感じる人
では、全く逆の人生を歩むことになりやすいはずです。
負の連鎖は止まりません。ずっと続くものなのです。
いつも幸せはちょっと遅れてやってくると信じてください。
投稿日時 - 2008-12-29 15:11:53
お礼
ご回答ありがとうございました。
仰る通り今まで自分を自分で苦しめてきました。
なんでこういう負のスパイラルに落ち込んだのか、少しづつ自分で解きほぐしていきたいです。
投稿日時 - 2009-01-02 05:30:09
「不幸に通じる考え方をやめること」これにつきます。
自分が選ばなかったほうの選択肢ならば、必ずうまくいっていたのでしょうか?
「そう思える」、「そう思いたい」だけなのではないですか?
隣の芝生が特に青く見えるだけではありませんか?
運のせいにして、自分が楽になりたいのではないでしょうか?
一度に二つの人生を同時に歩めないので、選んだものが一旦は自分の唯一の道です。
自分が決めたその道で最善を尽くし、その結果があまり好ましくないものであろうと、
それをある程度受け容れていくことで、幸せに通じる健全な自己イメージを保てます。
「自分の過去を受け容れる」ということが、とても大切です。
それは、「自分の人生を受け容れる」⇒「自分を受け容れる」ということです。
自分を嫌い、目をそらそうとしている以上、ほとんど幸せにはなれません。
「悪い過去をどう受け容れればいいのか?」という疑問が湧くかもしれません。
確かに、思い出すのも嫌な過去を受け容れるというのはとても大変です。
しかし、自分を立て直していく段階では、ちょっとばかり踏ん張らねばなりません。
「忍耐力」ではなく「知恵」を使うようにします。
失敗経験からは教訓を学ぶようにし、今後に活かすように考えればいいのです。
自分のせいでないことは、開き直り、堂々としていればいい。
本当に悪い奴のことは遠慮なく憎めばいい。そして、適切な対応法を考えるのです。
通じなくても、負けずに立ち向かっていこうという姿勢を持つことがまず大事です。
幸福とは自分が感じるものです。
だから、不幸に通じる考え方の癖を修正し、
幸福に通じる考え方を習慣にしていけばいいのです。
習慣を変えるには、禁煙などと同じで、最初は少しずつ、とにかく続けることが大事です。
投稿日時 - 2008-12-29 11:55:59
お礼
ご回答ありがとうございます。
今の状況よりは、別の道の方がはるかに良かったことがはっきりしました。
自分のせいでなくても、自分の人生なので、負を負わされるのは自分なんですよね。
幸福は2種類あって。
1.自分の心で幸せを感じるもの
2.外面的にも恵まれていること
の両方が必要と考えますがいかがでしょうか。
投稿日時 - 2009-01-02 05:27:55