• ベストアンサー

南京虐殺の犠牲者数はどれくらいだったのか?

南京虐殺の犠牲者は中国側によると30万人です。 わたしの見解は東京裁判で確認された1名ですが、しかし確信はありません。おそらく戦争中ですし、南京は抵抗が激しかったと聞いておりますので多少はあったと思います。 ただ、言明しておきたいことが一つだけあります。中国は火器において劣勢であった。劣勢であった側の武器は何か? 国際世論です。たとえば体力に劣る女性の武器はなにか? 悲鳴です。だからこそ神様は女性の声を高くした。女性の悲鳴は遠くからもよく聞こえます。それと同じことで弱者の武器は国際世論に他なりません。もし死体の山があったのならそれを写真に収め国際世論に訴えることを弱者ならだれしも思いつきます。国際世論が日本憎しに傾けばそれは戦車千輌にも匹敵します。カメラは江戸時代にもありました。15代将軍徳川慶喜の写真を見たことがあります。それから70年も経って飛行機や戦車のような武器があった世の中で大都市南京にカメラがなかったのでしょうか? いえいえ、あったはずです。外国人もいました。ところが本物の写真が一枚もないのです。この事実から次のことが推測できます。 1.虐殺が存在せず単なるデマであった。 2.犠牲者はあったが、写真に収めてもあまりインパクトがないレベルであった。せいぜい数名で大量死体ではなかった。 3.大量死体、たとえば100人程度のものはあったが、たまたま現場にカメラがなかった。またはあったけどカメラに撮ることが禁じられた。または撮ったが没収された。 4.大量死体が一箇所のみならず3,4箇所あったが、いずれも上記のようにカメラに収めることはできなかった。但しせいぜい3,4箇所までです。それ以上あったとすれば写真が必ずあるはずですから。 本物の写真が一枚もないということは、上記を分析して考えれば千人を超えることはないのではないでしょうか? なお一つお断りしておきますが、30万人でも1万人でも大量殺人ということでは同じだというご回答はお断りします。なぜなら人の命は尊いからです。30万人の死者のところが実際には1万人だったなら29万人の尊い命が救われたことになるからです。死者の数が30万人であるか1万人であるか一人だったのか、もしくは一人もいなかったのか、尊い人の命の数であるだけに決していい加減にはできないと思います。

  • 政治
  • 回答数11
  • ありがとう数19

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.11

 参考までに。 <中国人の金持ちって悲しい人たちですね。日本人ならもし武力が劣っていて多数の日本人が虐殺されたら写真を撮って国際世論に訴えるという武器を対抗手段として使っていただろうと思います。金持ちが自分の保身しか考えない - 悲劇です。その点、日本人は凄いです。明治維新で見せたエリートたちの国を思う心。日本のエリートは保身ではなく国を思う。偉いです。日本人の凄さは頭脳プラス倫理観と使命感です。頭がいいだけなら中国だってたくさんいる。でも中国のエリートはカナダに行って生活するのが夢です。だからあの国はだめなんです。>  明治維新の原動力となったのは、エリート武士ではなく、下層武士です。明治維新に活躍した幕府の旗本や各藩の上士出身者=エリートは、数えるほどです。  それに対して、中国のエリートである士大夫階級は清朝滅亡期でも気概を失わず、曽国藩・李鴻章などが改革の先頭を切っています。(中国の士大夫階級は、地方の大地主層と重なっています。)  それに対して、首都南京など都市部のの大金持ちは、欧米資本の流入などに伴う産業の活発化によって生まれた、「成金」集団です。  どこの国でも、自分個人が時流に乗って大金を掴んだ「成金」集団は、ごく少数の人を除いて個人主義者で、資産に見合った社会的責任を果たさなければならないという意識は低いものです。  六本木ヒルズ族・現代中国の成金、社会的責任の認識は似たようなものでしょう。(カナダにいって生活するのが夢というのは、エリートではなくてただの成金です。)  どの国の国民も人間としての資質は同じ。他人・他国を見下したり、甘く見るのは、隙を見せることとなり油断大敵。  自己中心的発想をする者が増えれば、国家は衰弱します。  現代中国には、エリート層がほとんど存在しないのが弱点でしょう。共産主義と猛威をふるった文化大革命で、モラルの高いエリート知識階層が崩壊してしまいました。(付け加えると、日本も戦後のGHQの政策でエリート層の経済基盤が崩壊しました。) 

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。たいへん勉強になりました。 貴方は右でもなく左でもなく物事を冷静に分析するかただと思いました。 >どの国の国民も人間としての資質は同じ。他人・他国を見下したり、甘く見るのは、隙を見せることとなり油断大敵。 自己中心的発想をする者が増えれば、国家は衰弱します。 そうですね。中国は人口が多い。頭の良い人間も当然多いです。そして過当競争ですから努力も怠りません。韓国も頭が良いです。あそこは受験戦争が凄まじい。日本人は豊かさになれてハングリー精神に欠けます。うかうかできませんね。もうすぐそこに迫っています。

その他の回答 (10)

  • DiabloXXX
  • ベストアンサー率22% (60/265)
回答No.10

中国が何を言おうと中国の勝手である。 大抵この手の問題を大問題にしてきたのは日本自身。(得にマスコミ) 妄想を相手にしなければ、それで終わって居たことを 売国奴によって問題化されてきたに過ぎない。 平和の意味を履き違えて善人や時代の先駆者に なったつもりの洗脳しきった国民にも問題がある。 本当は一歩も譲るつもりはないが百歩譲って大虐殺があったとしても それを問題にしてきた人々の罪は重い。 祖先を大事に出来ない人間はもはや日本人ではない。 まぁ、その手の事を言う人間は世界に国境なんて要らないと主張する 類の人々なのでそう言われても問題ないだろう。 最初に中国が何を言おうと勝手だと言った。 逆を言えば日本が何を言うのも勝手。 なので、私は日本国民として胸を張って南京大虐殺は無かったと言える。 つまり、回答の答えは0人である。日本は十分に戦争責任を果たした。 そして先人に対する畏敬の念を忘れない。 それだけです。

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • passward
  • ベストアンサー率18% (31/171)
回答No.9

通常、写真を証拠として提出する際は、いつ/何処で/誰が/どの様に撮ったかが添付されます(裏付けが取れるもの)が 中国政府の写真は、それらが一切無く、 いわば、噂話を証言と主張しているに過ぎません。 大半が合成で、他の写真の転用(偽造)が沢山あるのが判明しており 「本当に、写真を撮ったと言うのなら、こういった偽造はしないハズだ」の主張の方が正しいといえましょう。 これを証拠扱いしているのは、単なる馬鹿か、論理的説明が出来ない類の人間(証拠のイロハすら知らない)でしょうね。

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • eroermine
  • ベストアンサー率18% (83/444)
回答No.8

現在日本では派遣打ち切りで大勢の人が困っています。 死んだ人も五万と居ます。 と誰かが言ったとして、ではその五万人の名簿と写真を提出しろと言ったらとても怒るでしょう。 失礼な奴だ。日本語もわからないのか。 しかし日本では数人が五万というのはちょっと誇張表現です。 では隣国ではどうでしょうか。 白髪三千丈縁愁似箇長 三千条とは何メートルなのか。そのような長髪の生物は可能なのか。 といった質問に意味は無く無粋です。 南京で三百万人殺されました。 と言ってきたら、 お悔やみ申しあけます。 と答える。 あるいは単に聞き流す。 欧米諸国にはchina民族が非常に誇張を好むということを具体的に教えてあげれば良い。

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.7

>中国人がカメラを持っていれば、不審者・スパイとして即座に身柄拘束されたはずです。中国人の撮影した写真は皆無と言っていいほどないはずです。 <私が思うのですが、中国というのは大国です。そして貧富の差が激しい国でした。ということは金持ちがいた。金持ちはカメラくらいもっていたでしょう。>  普通、大金持ちは自分の身の安全に気を配りますし、そのための資金・手段を持っています。  日本と深い関係のある大金持ちは、写真を取ることはありませんし、反日的な金持ちは、真っ先に南京から脱出しています。 <虐殺は広場とかそういう場所で広範囲で行われたはずです。しかも死体はしばらくの間放置されたはずです。>  南京大虐殺という表現が適切かどうか、多くの人が当時の日本軍の資料を見ないで、言葉から抱くイメージで状況を想像しているようです。 当時の日本軍の資料からは、占領当初の死体埋葬は相当遅れがあったようです。これには実際の戦闘による戦死者も含まれており、投降者や捕虜・民間人に対する誤射もあって、組織的な民間人虐殺があったかどうかは何とも言えません。  日本軍の報告書や軍中手記からは、補給物資の不足による捕虜の保護の困難や、治安維持警備中の挙動不審者・便衣兵容疑者の拘束後の対応に対する苦慮が読み取れます。  南京占領後の数ヶ月間、3000人規模の連隊が南京周辺の警備をして、1日20名内外の挙動不審者・便衣兵容疑者を拘束し、その後の対処に困って処置したとの指揮官の手記などが、よく見られるパターンです。  20人×100日=2000人、だんだん少なくなっていったとして、一つの連隊で結果として1000人、イメージ的にはこのような状況です。ですから、大虐殺というべきかは主観によります。1日で大量虐殺を行ったような記載は、指揮官の手記にはほとんど見られません。 <建物の窓からまたは木立の影からとか目立たないように写真に収めることはできた筈です。>  昭和30年代、日本で鮮明な写真を取る場合、乾板を用意し黒い布をかぶって撮っていました。望遠レンズなどは、ほとんどプロしか持っていませんし、大きくて三脚も必要です。露出時間も長くないと映りません。たまたまカメラを持っていた素人が、遠くから隠れて状況がはっきり分かる写真を取ることは、当時のカメラでは無理でしょう。 <中国人にとってそれは大砲を打ち返すことと同じ行為です。武器をもたない者に許された貴重で尚且つ効果的な反撃です。わたしが中国人なら命を捨てる覚悟でやっていたと思います。>  その通りです。日本軍と戦う気のある中国人なら、入手困難な機材が揃えば、数人の決死隊がカメラや乾板・三脚の代用となるものを持って、そのような現場を撮影しようと、南京市外から市内に入り込んだことはあったと思います。(日本軍の協力者でも、新しい写真乾板を日本軍の占領下で入手することは、困難なはずです。)  その結果として、カメラを持つ不審者として日本軍に拘束されることになったでしょう。 <それがなかった。つまり虐殺がなかった、または非常に小規模であったとなります。>  ですから、写真がほとんどないことと、虐殺がなかったこととは因果関係がほとんどありません。 >外国の民間人でも、写真撮影は身の危険を感じたはずです。 <そうです。外国人がいました。彼らは連合国ですからアンチジャパンです。彼らは当然のごとく写真を撮ることを思い立ったはずです。カメラももっていたでしょう。空港のロビーのような限られた空間なら写真撮影は難しいでしょうが、屋外ですよ。しかも広範囲です。わたしは撮ることはできたと思います。虐殺がなかったから撮ることができなかったのだと思います。>  確か、アメリカ人の報道カメラマンの南京占領後の写真があったように記憶しています。死体が重ねられていたように思いますが、軍人かどうかの判断ができるようなものではなかったですね。  また、占領地の治安維持からいって、首都で公開処刑をするのは、罪状の明らかな特別な破壊工作の犯人くらいでしょう。  そこら中で、処刑が行われるという状況ではありません。 >秦 郁彦氏は、当時の日本軍の一次資料を精査し、南京占領の数ヶ月の間に、数万人との数字をはじき出しています。 <うーん、数万人ですか。信じられませんねえ。写真がないし、そのほかにも数万人とするには不合理がありすぎるのです。数万の死体はどこに消えたのですか? >  日本軍の現地指揮官の手記などの状況から見れば、3000人が1日10人~20人の死体を処理するのが困難だとは思えません。  12万人の日本兵が数か月の治安維持を行った場合、20人×40×100日なら八万人です。秦氏の計算ではその3分の1位ですし、南京占領直後の逃げる敵兵か逃げる民間人かの区別をしたか(実際区別が可能であったのか)どうかという数字を引いて考えれば、普通に日本軍が個別に埋葬したと考えられる数字です。 <どうして負傷者がいないんですか? 数万が死ぬにはその三倍の負傷者がいるはずです。大砲が炸裂したら負傷者は出ませんか? 銃撃戦があったら負傷者は出ませんか?>  戦闘ではなく、大砲も使いませんし銃撃戦もありません。  実態は、12万の日本軍が多くの捕虜と南京及びその周辺地域の治安維持で不審者を長期に渡って捕まえ、食料補給に苦慮して困惑したということです。  南京市内から多数の人が逃げ出したといっても、周辺には何百万人もの人が住んでいます。12万の日本軍であっても、回りは敵かもしれない中国人ばかりです。  日本軍に抵抗しようというものは、命がけで南京市内に入って来るでしょう。そのような状況で便衣兵か民間人かを確実に見分けることなどできません。  アフガニスタンでは、結婚式で村人が多数集まっているのを、アメリカ軍はタリバンの部隊と判断して、ミサイルを撃ち込みました。  そのような、徹底抗戦をする覚悟の国に攻め込んで、民間人が多数いる状況の中で占領を続ける状況を作り出したこと自体が、問題の発生原因です。  駐屯している地域では、自軍兵士の数より相手の国の男の数のほうが10倍以上も多く、常に後ろから攻撃があるかもしれないという、疑心暗鬼にさいなまれながら、治安維持の教育も受けていない普通の社会人であっった人間が、食料や弾薬が不足する状況下で、人道上的確な対応を取り続けなければならないなどという、どう考えても無理なことが継続できると考える方がおかしいのです。  福利厚生が圧倒的に良い現代のアメリカ軍でさえ、イラク・アフガニスタンに派兵された人の10%は、精神に異常を起こしていると報道されています。  参考:現在の国連平和維持軍の場合でも治安維持の難しさは問題になっています。  各国から派遣されてくる平和維持軍の兵士の多くは、軍人として教育された兵士です。ですから、攻撃されれば反撃しますし、先制攻撃は奇襲を受けるより戦果が大きいのは常識として身につけています。  ところが、平和維持軍はできるだけ自分の身は守りながら、戦闘が起こらないようにしなければなりません。  治安維持というのは、一般の兵士の教育とはまったく違っており、戦闘をいかに拡大しないかという、精神的にもタフなプロが必要なのです。このような教育を受けたプロの国連平和維持軍要員はわずかしかいません。 

nishikasai
質問者

お礼

丁寧で詳しいご回答をありがとうございました。 >普通、大金持ちは自分の身の安全に気を配りますし、そのための資金・手段を持っています。日本と深い関係のある大金持ちは、写真を取ることはありませんし、反日的な金持ちは、真っ先に南京から脱出しています。 中国人の金持ちって悲しい人たちですね。日本人ならもし武力が劣っていて多数の日本人が虐殺されたら写真を撮って国際世論に訴えるという武器を対抗手段として使っていただろうと思います。金持ちが自分の保身しか考えない - 悲劇です。その点、日本人は凄いです。明治維新で見せたエリートたちの国を思う心。日本のエリートは保身ではなく国を思う。偉いです。日本人の凄さは頭脳プラス倫理観と使命感です。頭がいいだけなら中国だってたくさんいる。でも中国のエリートはカナダに行って生活するのが夢です。だからあの国はだめなんです。 

  • raky753
  • ベストアンサー率39% (17/43)
回答No.6

まず、質問者様の勘違いしていることに、 >本物の写真が一枚もない とありますが、「本物の写真が一枚もない」というのは一切歴史学的に認められていない単なる与太話なのですが… 「本物の写真が一枚もない」というのは、東中野修道の流したデマですね。 東中野修道がどんな人間かは、wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%AD%E9%87%8E%E4%BF%AE%E9%81%93 かこちらのサイト http://beauty.geocities.jp/nankingharuhi/ をご覧ください。 (東中野の自称「検証」がどんなものか例示してあります)

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • passward
  • ベストアンサー率18% (31/171)
回答No.5

歴史は(所詮)学問ですので、証拠が無い物は認められませんので 公式に言えば、無いと考えるのが妥当ですね。 ※ドラエモンが居ない証明が出来ないからと言って、科学者が存在を認める事は有り得ません。(石器などの物証があって始めて語られるのであって、逆はありません) ただし、中国が焦土戦と称して、退却するときに、自国民を虐殺/略奪しまくっていたのが判明していますので それらの被害者は多少(数~数十万)は居たでしょうね。 当時の日本軍は補給も無く、かなりの強行軍であり 無駄な労働(虐殺)をする余力は無かったと言われています。 (ただし、間違いによる殺害は、確率的にあったハズだとも言われています) 自軍以上の数の敵軍に囲われて、弾薬も無い状態で 遊びで、市民に銃撃を浴びせるだけの無駄が出来る状況かどうか程度は・・・

nishikasai
質問者

お礼

>当時の日本軍は補給も無く、かなりの強行軍であり無駄な労働(虐殺)をする余力は無かったと言われています。 そうです。善良であるわれらの父や祖父たちが無益な殺生をするはずがありません。戦っている相手を倒すだけでしょう。日本軍にとって弾丸は貴重でした。単発銃でした。何万も殺せません。ナチスの場合はヒットラーがスラブ民族は劣等であるため地上から抹殺すべきだと指令を発していました。その上ドイツ軍の火器は強力でタイガー戦車をはじめ、機関銃を多くの兵士が持っていました。条件が違います。ご回答ありがとうございました。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.4

まず、「歴史とは何か?」を理解しましょう。 端的に言うと、「歴史とは、過去の事実のうち現在に残った史料から割り出されたモノである。当然、史料の無いところに歴史は無い(空白)が、だからといって「過去の事実」がなかったということにはならない。」という感じです。 つまり、何が言いたいかというと、「歴史」というのは「証拠が無いから事実は無かった」という事は出来ません。 精々、「あったかなかったか分からない」としか言えないのです。 一方、「事実があった」と言うためには「証拠」が必要になるのは他の学問なんかと同じです。 そこで、歴史学では過去の事実認定を巡って証拠を精査していくことが求められます。 この「証拠」とは、「文字史料」「モノ史料」「写真・映像」「証言」などなどです。 一番重視されるのは「文字史料」であり、次が「モノ史料」となります。 「写真・映像」と「証言」というのは、近現代史に限り用いられますが、まぁそれは技術開発以前には残せるわけもなく、証言者が死ねば永遠に闇に消えるので当然といえば当然です。 つまり、歴史学では「文字史料」「モノ史料」が重要であり、それ以外は参考程度にしかなりません。 しかし、歴史として残る証拠は非常に曖昧で断片的なモノですので、その証拠の扱い方で180度歴史事実が変わるということは多々あります。 そして、そこに政治的・思想的な価値判断や意図的な利用が加わった場合には「歴史論争」ということになります。 件の「南京大虐殺」は、そうした「歴史論争」の代表例の一つでしょう。 「南京大虐殺」も、様々な立場の人が様々な角度から論理を組み立てて、それが論争になっていますね。 30万人説から中国政府ねつ造説まで、大きな幅があります。 とはいえ、学会の主流はその間をとった「数万~十数万程度」の間での論争が主流ですね。 一方、歴史家以外の思想家やジャーナリストなどが行う論争は、「あった」「無かった」の極端な論争になっていますね。 そして、こうした歴史家以外が論争を始めた場合、大抵「政治的な意図による歴史の利用」となります。 「南京大虐殺」も「歴史学的な問題」というよりも、「政治的・イデオロギー的な問題」である面が強いです。 事実、「南京大虐殺論争」が始まったのは日中国交正常化された70年代以降です。 それ以前にも、「日中戦争」や「東京裁判」を研究する人の間でも議論はされていましたが、大きく取り上げられることはありませんでした。 >南京虐殺の犠牲者数はどれくらいだったのか? これは、様々な史料を元に推計するしかないのですが、史料の採用の仕方によって大きく変わってきますね。 事は国際的な事件ですので、日本側・中国側に残された史料をつきあわせて解明していく必要がありますね。 その結果としては、数万程度でしょうか。 >死者の数が30万人であるか1万人であるか一人だったのか、もしくは一人もいなかったのか、尊い人の命の数であるだけに決していい加減にはできないと思います。 まぁ、理想論的にはそうなのですが、明確な史料が残っていない以上、「断片」をかき集めた推計しか出せないのが現状です。

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.3

 当時の写真は、当てになりません。  先ず、カメラを持って撮影した人間が限定されます。当時カメラはたいへん高価で、日本兵でも裕福な人間か将校に限られるでしょう。  また、個人的に日本兵が中国大陸の中国人の処刑・死体写真を日本国内に送ることは、禁止令が出ています。  中国人がカメラを持っていれば、不審者・スパイとして即座に身柄拘束されたはずです。中国人の撮影した写真は皆無と言っていいほどないはずです。(そのような写真が、現在の中国の国策に従って、でっちあげられたため、合成写真やおかしな写真が続出しています。)  外国の民間人でも、写真撮影は身の危険を感じたはずです。(私自身、20年以上前、某国の空港で事件が発生したとき、知り合いの見送りに来ていて、写真撮影のチャンスがありました。その時日本に帰国する友人にその撮影したフィルムを持たせれば、特種間違いなしでしたが、その後もその国に長期滞在する予定でしたし、自動小銃の安全装置を外し、銃剣でプランターを刺していく兵士の側で写真撮影をする勇気はありませんでした。)  結局、日本人か外国人のプロの写真家や外交官が撮影したものに限られます。  当時の日本の風潮から見て、情報隠ぺいをしたわけではなく、日本軍の報告書・現場指揮官クラスの記録は、相当信頼の置けるものです。  秦 郁彦氏は、当時の日本軍の一次資料を精査し、南京占領の数ヶ月の間に、数万人との数字をはじき出しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >中国人がカメラを持っていれば、不審者・スパイとして即座に身柄拘束されたはずです。中国人の撮影した写真は皆無と言っていいほどないはずです。 私が思うのですが、中国というのは大国です。そして貧富の差が激しい国でした。ということは金持ちがいた。金持ちはカメラくらいもっていたでしょう。虐殺は広場とかそういう場所で広範囲で行われたはずです。しかも死体はしばらくの間放置されたはずです。建物の窓からまたは木立の影からとか目立たないように写真に収めることはできた筈です。中国人にとってそれは大砲を打ち返すことと同じ行為です。武器をもたない者に許された貴重で尚且つ効果的な反撃です。わたしが中国人なら命を捨てる覚悟でやっていたと思います。それがなかった。つまり虐殺がなかった、または非常に小規模であったとなります。  >外国の民間人でも、写真撮影は身の危険を感じたはずです。 そうです。外国人がいました。彼らは連合国ですからアンチジャパンです。彼らは当然のごとく写真を撮ることを思い立ったはずです。カメラももっていたでしょう。空港のロビーのような限られた空間なら写真撮影は難しいでしょうが、屋外ですよ。しかも広範囲です。わたしは撮ることはできたと思います。虐殺がなかったから撮ることができなかったのだと思います。 >秦 郁彦氏は、当時の日本軍の一次資料を精査し、南京占領の数ヶ月の間に、数万人との数字をはじき出しています。 うーん、数万人ですか。信じられませんねえ。写真がないし、そのほかにも数万人とするには不合理がありすぎるのです。数万の死体はどこに消えたのですか? どうして負傷者がいないんですか? 数万が死ぬにはその三倍の負傷者がいるはずです。大砲が炸裂したら負傷者は出ませんか? 銃撃戦があったら負傷者は出ませんか?

noname#74142
noname#74142
回答No.2

ソ連軍の日本人に対する犯罪行為はほぼすべて写真証拠が残っています。 これに対して南京は数が残っていませんし不鮮明な写真が多い。それがすべてです。

参考URL:
http://www.bk1.jp/product/02795224,http://www.bk1.jp/product/02029422
nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.1

この手の人はしばしば出ますが基本的な考え方がおかしい事にきがついていないようです。 南京事件の犠牲者が何人であったのかは不明です。 南京事件の定義も、人によりいろいろありますから、それはしかたがない事なのです。 また犠牲者が一人という言い方は、社保庁による年金記録の改ざんが1件しか証拠がないので、1件以外ありえないという理論と全く同じであり、とうてい理解できるものではありません。 質問者の方は、徳川慶喜の写真があるので、当時の南京の事件の写真が無い事を問題にしていますが、ソ連軍が日本人女性をレイプしている写真を見た事がありますか? 写真が無いため、ソ連軍によるレイプは存在しなかったという解釈でよろしいのでしょうか? 補足回答を要求します。

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >ソ連軍が日本人女性をレイプしている写真を見た事がありますか? >写真が無いため、ソ連軍によるレイプは存在しなかったという解釈でよろしいのでしょうか? ソ連軍のレイプ写真がないのは当然でしょう。 1.レイプは家の中という密室で行われたでしょうし、そのようなときに写真を撮ることもできないでしょう。 2.レイプのような屈辱的写真を撮る意味がないし、日本側は弱者ではないからカメラに収めるという発想がなかった。 南京虐殺は全然違います。遮るものがない場所で行われたのだし、殺害後長時間放置されたのだから写真を撮ることができた。中国側は武力において劣っていたので写真を撮ることは反撃であり、必要なことだった。ではなぜそれをしなかったのか? 虐殺そのものがなかったからに他なりません。

関連するQ&A

  • 南京大虐殺の真相について

    ・日中戦争における【南京大虐殺】は、日本が兵の【意識高揚の為に、でっち上げた虚偽】である事を証明できる歴史的証拠や根拠は有りませんか? ・僕が報道や新聞で見た限り (1)二人の日本兵の写真しか無い(虐殺された死体の山が写った写真が無い) (2)報道の中で聞いた話ですが、実際に行なわれたはずなのに、中国側の被害者の家族が出てこない。 (3)当時は銃器が主兵器であり、日本刀での殺戮は想定しずらい。 ・事実の究明とは別に中国の教育では【南京大虐殺】が、おまじないのように出てきます。 ・【天安門事件】には触れずに、有った事が立証できない【南京大虐殺】が平然と中国国民に教育される実態に不満を通り越して恐怖すら感じます。

  • 南京事件の犠牲者はたった一人って本当ですか?

    南京事件は35万人が虐殺されたと言う声がある一方、「虐殺はなかった。犠牲者は実は一人だけだった」という証言もあります。どっちがほんとうなのでしょうか? 確かに当時疎開して10万人しか残っていなかった南京で35万人死ぬのはおかしいし、その死体はどこに埋めたのかもわからない。死体の写真もない。旧式の単発銃しかもっていなかった日本軍がどうやってそれだけの住民を殺せるのか? ナチスのユダヤ人虐殺に匹敵する明らかな戦争犯罪がないと東京裁判の正当性が保てないのでその噂にアメリカが飛びついて架空の話が本当の話になってしまったという説があります。疑問だらけです。詳しいかた、教えてください。

  • 南京大虐殺の嘘・・・調べりゃ分かるのに・・・

    ■南京攻略戦 昭和12年12月12日 日支が激しい攻防戦の最中、南京死守と豪語していた唐生智将軍が幕僚とともに 挹江門から脱出して逃亡してしまいました。 この逃亡が支那軍に知れ渡ると支那の指揮系統が崩壊し、支那軍も我先にと逃亡し始めました。 支那兵は安全区に逃げたり、唯一の開いている挹江門から脱出しようとする者、 さらには城壁から紐を結んで城外に脱出する者に分かれました。 悲惨なのは挹江門です。 ここから逃げようとパニックになって殺到した支那兵がこの門を通って逃げますが、 門の外にいた督戦隊によりこの逃亡兵を射殺しました。 そのためここの出口には多くの支那兵が圧死したのです。 陥落2日後にこの大量の死体を目撃した「シカゴ・ディリー・ニューズ」の記者は 「南京虐殺物語」という記事を載せ、死体の小さな山は日本軍によるものだと報じました。 この記者の名はダーディンとスティールといいます。 しかし昭和62年、この両記者はこの記事は支那兵同士の衝突での死体だと認めたのです。 つまりこの頃支那がやっていた宣伝戦の一環であり、根も葉もない作り話です。 でも、また反日朝日新聞が、自社の戦前のアサヒグラフなどのニュース写真などを流用し、南京大虐殺と銘打って一大キャンペーンを張りました。 ■1971年 南京大虐殺 朝日新聞・本多勝一(本名 崔泰英=在日朝鮮人)『中国の旅』 近年はこれが一人歩きしています。 中国では.30万人虐殺という記念館まで出来ました。 もちろん虐殺したのは支那督戦隊です。 こんな売国新聞社をどう思いますか? ※裁判員として (南京外交部跡の野戦病院にて皇軍の衛生隊の看護を受ける支那傷病兵。 昭和12年12月20日撮影「支那事変画報 第十一集」) ※虐殺してたら、手当などしますか

  • 南京大虐殺について複数質問があります。

    本当は別々の質問にしようかと思ったのですが、関連した質問が複数ありますので、一つにまとめる事にしました。 (1)南京大虐殺の国際的認識はどのようになっているのですか? 南京大虐殺がどのような事件だったかは、日本人からすればじっくり検証して如何なる物だったのか確かめたいところです。それがままならないから否定説というもの浮かび上がるのでしょう。 ですが、いくら日本人が否定説を唱えても公的場所や国際世論において南京大虐殺が事実となっている事は揺らぎません。 そこで質問です。南京大虐殺は国際的に見てどういう風に認識されているのですか?例えば被害人数は何人だった事になっていますか?やはり中国の主張に合わせて30万人という事になり、アメリカなどでは広島長崎の原爆投下や東京大空襲の被害者人数をすべて合わせた数よりも多い事になっているのでしょうか? 少し南京大虐殺とはずれますが、もし30万人という中国の主張を丸々受け入れてるとしたら、日中戦争の被害者人数3500万人というのも同じように受け入れられているのでしょうか? (2)南京大虐殺はホロコーストと同列におけるものなのでしょうか? ドイツが中国やフランスと共同でジョン・ラーベという映画を撮影したそうです。ドイツ人の監督曰くこれで日本人の反省を促したいと言ってるようですが、個人的に言わせてもらうとドイツ人に責められる筋合いはないというのは本音です。 南京大虐殺とホロコーストを同列に並べるような考えはアメリカ、ドイツ、中国、日本とどこの国でもちらほらと見られます。ドイツ人としては、自分たちはホロコーストの事を反省している、日本は南京大虐殺の事を反省していないとの事です。 ですが、戦争による敵対意識によってもたらされた南京大虐殺という戦争犯罪と、戦争とは関係なくユダヤ人を根絶やしにしようとしたホロコーストという民族浄化、これらは残酷な虐殺行為という事で同列に考えられるようなものなのでしょうか? (3)南京大虐殺が起きたにも関わらず中国政府は何をしていたのですか? 日本は長崎と広島に核を投下され、首都圏である東京を爆撃される事によって敗北を迎えました。これ以上戦う事は罪のない国民を犠牲にする事になりますからね。 しかし、中国は南京大虐殺が起きたにも関わらず、なぜ首都を重慶に移して日中戦争を続けていたのですか?国民がこれ以上犠牲になってもいいのですか? 中国政府曰く南京大虐殺の被害者人数は原爆や大空襲の被害者数よりも多いのですよね?だったら尚更敗北を認めなければ、国民はますます犠牲になるばかりですよ。 そもそも、30万人もの国民が殺されていたにも関わらず中国政府や中国軍は何をしていたのですか?原爆や大空襲のように短期間に大勢の人が死んだのならまだしも、南京大虐殺が行われたのは2ヶ月という長い期間なのですから助ける余裕はいくらでもあったはずです。何故軍を追加して日本軍と戦い、国民を守ろうとしなかったのですか?中国政府は国民を見捨てたのですか? 大虐殺が起きたにも関わらず戦争を続けた国民党に罪はないのですか? (1)~(3)は一度にすべて答えても、答えれるところだけ答えても構いません。

  • 南京大虐殺はプロパガンダですね?

    日本軍が民間人を大量虐殺したという立証はなされていません 南京大虐殺はもともと中国国民党(蒋介石)のプロパガンダです。それを中国共産党が拾って現在に至っています。 http://www.youtube.com/watch?v=CIuPz7zrVX0 彼らは2次大戦当時、スパイ工作で日本と中国国民党を戦わせ、漁夫の利を得て中国を支配しました。南京大虐殺というのはその戦いの中で当時の首都南京陥落時に起きた事件と言われています。この日中戦争(シナ事変)で漁夫の利を得たのは中国共産党であり、今の共産党はその当時から中国を一党独裁で支配しています。 毛沢東は生涯、南京大虐殺について言及することはありませんでした。1964年7月、日本社会党訪中団が戦後、過去の戦争について謝罪したとき、彼は「日本のおかげで共産党は中国を統一できた」と感謝すらしました。文化大革命や大躍進政策で自国民を7000万人以上殺した毛沢東を建国の父と未だに崇拝している中国共産党のこういう体質は2次大戦から今まで続いています。 天安門事件、ノーベル平和賞でもわかるとおり、民主化運動は徹底的に弾圧し、言論の自由もありません。チベットやウイグル、法輪功で国際的に非難を受ける中、批判の矛際をかわすために南京大虐殺が使われています。70年も前の戦時中の事件と現在進行形のチベット・ウイグル、どちらに目を向けるべきでしょうか? 蒋介石・毛沢東こそ大虐殺をしていた? http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-247.html 「私はアメリカの世論を操るために(中国政府に)雇われたのだ。」 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-246.html 満州事変当時の中国兵の実態 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-244.html シナ人は公開処刑が好き ※残酷な画像が含まれています。 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-242.html 日本人居留民大量殺害「通州事件」と冀東防共自治政府の裏の国民革命軍 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-237.html 東中野氏と田中正明氏に対する肯定派の批判、笠原十九司のウソ http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-236.html 南京大虐殺捏造の証拠 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-234.html あのとき南京で何が起こったのか? http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-96.html 南京大虐殺は実は「漢奸狩り」 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-232.html パール判事は南京大虐殺など認めていない http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-175.html 南京大虐殺 国際連盟も議題にせず http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-170.html 南京大虐殺と欧米人の証言 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-169.html 「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-115.html 軍規厳正を常に誇りとしていた日本軍、と顧維鈞は認めた http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-177.html 崇善堂の11万埋葬のウソ 南京大虐殺の証拠は捏造だった http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-174.html ゆう氏による「南京事件 初歩の初歩」 http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html によると、南京大虐殺の実態については主に以下の5つからなるものだそうです。 1.幕府山事件 2.安全区掃討 3.下関の捕虜殺害 4.その他の捕虜殺害 5.民間人殺害 スマイス報告 1,3,4についてはすべて「捕虜の処刑」となっています。 そもそも、なぜ南京に大混乱が起きたのか? 第二次上海事変や通州事件、広安門事件、大山中尉殺害事件、漢奸狩りなど中国側からの日本に対する挑発行為、民間人大量虐殺などを経て南京攻略戦に至りました。 連戦連敗の中国国民党軍に対し、日本軍は降伏勧告を行いましたが、国民党軍司令長官唐生智は降伏せずに南京から逃亡しました。その一方、督戦隊という非人道的な戦法を使い南京が戦場になってしまったのです。 数万にも上る捕虜の処刑を責めるのなら、なぜ司令長官は降伏せず逃亡したのでしょうか? 「仮に」ゆう氏の言うとおり捕虜を大量に処刑したとしても、中国側が日本軍を責められるはずもありません。 2の安全区掃討については、数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだとき、国際委員会は何らのチェックもせず入場させたのであり、責任を問われるべきはジョンラーベやベイツ、マギーらの国際安全委員会が責められるべきです。そして戦闘員であるにもかかわらず一般市民を危険にさらす便衣兵となった中国兵の責任です。 南京は国際法に違反しており捕虜としての資格を有しない http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-243.html スマイス調査は日本軍による虐殺の証拠たりえるか? http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-238.html

  • 南京大虐殺に関して

    今回の河村名古屋市長の発言で揉めているようですが。 この事件に関して中国寄りでもなく、日本寄りでもない第三国の方(例えば英国人、アメリカ人)が客観的に書かれた本を紹介していただけないでしょうか。 一度詳しく知りたいと思いまして。 私は個人的に戦争状態なのだから犠牲者は出ているであろうが30万人も日本軍が虐殺したとは思えないのです。 30万人と言えば超満員の東京ドームが6試合分ですよ。これだけ大量の死体をどう処理したのか死屍累々とした光景の写真も見たこともにのです。 中国が日本の悪事を告発したいのなら我々日本人をギャフンとさせる証拠を提示してほしいのです。私はまだこういう資料を見たことがないのです。 一人を殺しても、30万人を殺しても罪は罪との論に立てば、反論のしようもないですが。 この問題に関して自分として意見をきっちりとさせたいと思いまして。

  • 南京”大虐殺”の根拠はありますか?

    南京”大虐殺”の根拠、民間人被害者は何人? 人口の推移とかスマイスの調査結果とか、反証はたくさんありますが、 いくらしらべても”虐殺の証拠”がありません。 1.紅卍会の埋葬記録(約4万3千体)には女子供は皆無に近い。 2.数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだが国際委員会は何らのチェックもせず入場させた 3.中国兵は訓練も足りず規律も良くないから不祥事が起こるかもしれない、と唐生智は南京陥落前、外国人記者会見で語っていた。 4.日本軍からの降伏勧告に応じなかった。(返答しないまま司令長官唐生智は逃げ去った) 5.陸戦条約によって便衣兵は捕虜としての待遇を受けられない、したがって処刑されてもやむを得ない。よって兵士や便衣兵の死者は大虐殺の中に数えるべきではない。それは戦闘行為であり、または陸戦条約違反の処刑である 6.昭和60年に崇善堂の死体埋葬11万は捏造であったことがわかっている。産経新聞S60.8.10 7.中国軍はおよそ5万人の兵力であった。 8.訓練も足りず規律も良くない中国軍が司令官を失い南京に大混乱がおこったことは想像に難くない 秦郁彦氏は自身の著書で「上限は4万人」と結論づけている。しかしそのうち便衣兵でない民間人が何人なのかは明確にしていない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6#.E7.99.BA.E8.A8.80 これら事実を総合すると、結局、民間人を理由もなく30万人も殺害し、シナ人女性を何万人もレイプしたという反日プロパガンダ映画で描写されているようなことはまったく『立証されていない』のではないでしょうか? 何万人もレイプしたのであれば少なくとも数百単位のハーフが生まれていたはずですが、そのような記録はないのではないでしょうか? 仮に大量殺人があったとしても、そのほとんどは戦闘行為によるものであったり、便衣兵の処刑であったり、捕虜となった兵士を食糧事情からやむを得ず処分したということではないでしょうか?これらを虐殺と呼べるのでしょうか? 秦郁彦が言う上限4万人説と紅卍会の埋葬記録約4万3千体ですが、これは中国兵5万人の約8割に相当する数で、ほとんどすべてが惨敗した中国兵の死者(正規兵と便衣兵)であって、一般市民はほとんど殺されていないのではないでしょうか? 虐殺の証拠はやっぱりないのでしょうか? 中国共産党は自国民を7500万人殺しています。 毛沢東の文化大革命だけでも2600万人殺しています。 虐殺はシナ人の伝統なのではないでしょうか?

  • 南京大虐殺はやっぱりプロパガンダ?

    人口の推移とかスマイスの調査結果とか、反証はたくさんありますが、虐殺の証拠がありません。 1.紅卍会の埋葬記録には女子供は皆無に近い。(約4万3千体) 2.数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだが国際委員会は何らのチェックもせず入場させた 3.中国兵は訓練も足りず規律も良くないから不祥事が起こるかもしれない、と唐生智は南京陥落前、外国人記者会見で語っていた。 4.日本軍からの降伏勧告に応じなかった。(返答しないまま司令長官唐生智は逃げ去った) 5.陸戦条約によって便衣兵は捕虜としての待遇を受けられない、したがって処刑されてもやむを得ない。よって兵士や便衣兵の死者は大虐殺の中に数えるべきではない。それは戦闘行為であり、または陸戦条約違反の処刑である 6.昭和60年に崇善堂の死体埋葬11万は捏造であったことがわかっている。産経新聞S60.8.10 7.中国軍はおよそ5万人の兵力であった。 8.訓練も足りず規律も良くない中国軍が司令官を失い南京に大混乱がおこったことは推測に難くない 秦郁彦氏は自身の著書で「上限は4万人」と結論づけている。しかしそのうち便衣兵でない民間人が何人なのかは明確にしていない。 これら事実を総合すると、結局、民間人を理由もなく30万人も殺害し、シナ人女性を何万人もレイプしたという反日プロパガンダ映画で描写されているようなことはまったく『立証されていない』のではないでしょうか? 何万人もレイプしたのであれば少なくとも数百単位のハーフが生まれていたはずですが、そのような記録はないのではないでしょうか? 仮に大量殺人があったとしても、そのほとんどは戦闘行為によるものであったり、便衣兵の処刑であったり、捕虜となった兵士を食糧事情からやむを得ず処分したということではないでしょうか?これらを虐殺と呼べるのでしょうか? 秦郁彦が言う上限4万人説と紅卍会の埋葬記録約4万3千体ですが、これは中国兵5万人の約8割に相当する数で、ほとんどすべてが惨敗した中国兵の死者(正規兵と便衣兵)であって、一般市民はほとんど殺されていないのではないでしょうか? 2011.6.23 04:59 産経ニュース 虚実不明の「南京大虐殺」を初めて世に紹介したのは、英マンチェスター・ガーディアン紙特派員、ティンパーリーが1938(昭和13)年に刊行した『戦争とは何か』です。ティンパーリーは当時、国民党中央宣伝部顧問で、資金提供も受けていたことが北村稔・立命館大教授らの研究で判明しています。同著の出版をはじめとする「大虐殺」宣伝は、世界中で反日世論を高める戦時プロパガンダだったのです。 『別冊正論』15号では、3人の筆者が、このプロパガンダへの中国共産党またはソ連の関与を示す根拠を提示しています。 (1)『戦争とは何か』中国版の序文を書いた有名文化人の郭沫若(かくまつじゃく)は、日中戦争勃発にあわせ、亡命先の日本から中国共産党やコミンテルン(戦前~戦中の国際共産主義運動指導組織。本部・モスクワ)の支援で極秘帰国し、戦時宣伝を担当した(中西輝政・京大教授)(2)同著の日本語版序文を書いた青山和夫こと黒田善治という人物は、コミンテルン秘密工作員とともに中国で活動していた(近現代史研究家、長塩守旦氏)(3)「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、ソ連の大物スパイ、ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった(江崎道朗・日本会議専任研究員)-。  アメリカでは近年、第二次世界大戦前後のルーズベルト政権内にソ連と通じた秘密共産党員が多数潜入して政策に影響を与えていたという実証研究が進み、共産主義の世界革命戦略が当時の情勢分析に欠かせないという見方が強まっています。「大虐殺」宣伝もその中に位置づけられるとしたら…。今後の検証が待たれます。 時間的にも空間的にも曖昧にしたままで外交カードに使う中国共産党はしたたかですよね? これでも南京大虐殺があったという方はいないですよね?

  • ”南京大虐殺”の被害者はいったい何人なのか?

    ”南京大虐殺”って根拠はあるんですか? と言う質問をしたら 1.加害者側の手記(中島今朝吾師団長の日誌ほか) 2.火葬記録 3.当時のNewYorkTimesの記事 くらいしか出てきませんでした。(自称”被害者”の証言とか捏造された写真は論外です) 1.の中島今朝吾の手記というのは「敵軍が捕虜になりたがって困るから殺害しようか」というものですが、たとえこの手記が捏造ではなく本物であって、この通り殺害したと仮定しても民間人殺害やレイプということはまったく根拠になりません。捕虜と言っても敵軍です。督戦隊とか清野作戦とか自軍の兵士を虫けらのように扱っていた国民党軍や中国共産党軍には責められるはずもありません。便衣兵として卑怯きわまりない事をやっていたのなら尚更です。 2.火葬記録については30万もの遺体を焼却処分したのであればそれなりの物的証拠があるはずですがそれはまだ提示してもらっていません。記録と言うからにはいつ何処で遺体何人分を償却したとわかっているはずですから、遺骨が記録通り出てこなくてはいけないはずです。 3.NYTの記事はダーディンとか捏造記事を書いた人がいましたので記事があると言うだけでは証拠として採用できません。その記事の裏付け資料が必要です。当時は反日プロパガンダがアメリカで行われていましたので当然ですよね? 参考)『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、1989年10月号の『文藝春秋』においてインタビューに答え、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)なかった」と断言し、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」と述べていることが伝えられている。 結局、民間人を理由もなく30万人も殺害し、シナ人女性を何万人もレイプしたという反日プロパガンダ映画で描写されているようなことはまったく立証されていないのではないでしょうか? 仮に大量殺人があったとしても、みずから捕虜となった大勢の国民党軍兵士をやむを得ず処分した、ということにとどまるのではないでしょうか?それを大虐殺といっていまも外交カードに使うのはどう考えてもおかしいですよね? そもそも毛沢東は自国民を7千万殺したと言われています。 通州事件とか民間人が残虐な殺され方をした日本から見て完全にダブルスタンダードです。 そもそも南京大虐殺というのはいつからいつまでの間に起こったのでしょうか? 1937年12月14日ジョンラーベから日本軍司令官へ http://divdl.library.yale.edu/ydlchina/images/NMP0144.pdf すくなくともこの手紙以前は南京には秩序が保たれていたはずです。 国民党軍には便衣兵がいたのですから便衣兵はもちろん便衣兵と間違えられた民間人は虐殺の内には入りませんよね? 当時南京で殺された人数の内、兵士でもなく、便衣兵と間違えられて殺された民間人でもなく、さらに国民党軍に殺されたシナ人や日本人でもない、そういう”南京大虐殺”の被害者はいったい何人なのか?

  • 南京虐殺事件で30万人もの人骨や河川流域散見は

    南京虐殺事件が存在したとされております。20~30万もの人が殺されたらその多量の人骨や、浮遊し流れた死体が流域の各地で発見されたと想像しますがこのような物が目撃された記録があるのでしょうか? 南京事件に関してはその証拠写真とされるものがいやと言うほど多量に出回っているが、一方で確かな目撃者の存在が一人もいないという話も聞きます。殺害現場や南京市内にはプレス関係者を含め欧米人がかなりおったとの話もあり、このような大虐殺現場が隠密に陰で実行される様子は想像できないので、これら外国人の目にも止まるハズでしょうがどうなのでしょうか? 一方で、日本軍は更衣兵を殺害したと認められているがどのような手段を使い殺害したのでしょうか?捕まえて軍規に乗っかり執り行われたのでしょうか? 証拠写真なるものには明らかに創作された、演出された写真も指摘されております。これらは長路遠征中の中国共産党軍が用意したとは思えません。とすると蒋介石軍の謀略とも推察しますが、蒋介石軍のしわざと強く断言できる資料等は存在しているのでしょうか?父を虐殺されたと証言している中国人のテレビ放映の映像があると共に、従軍した日本兵の虐殺実行に加わったと証言したテレビ番組も(NHK)がありました。更には未だ読んではいないのですが鈴木明氏の「幻の南京虐殺」の本では南京攻略に従軍した軍人、兵隊などの証言からいわゆる虐殺は無かったのではないかと思えるものもあります。本当の姿が分からずイライラするするばかりです。欧米人との会話でやり取りしたケースありますが日本人の私の説明は言葉の未熟さとあいまってその内容がどうも”反論のための言い訳”と一蹴される始末です。皆さんのご意見を聞かせてください。