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同和教育について 

同和教育について皆さんの意見を聞きたいのですが…。 現在、小・中・高校では、同和教育が行なわれています。 そこで、現在の同和教育は、適切だと思いますか? また、適切でないと思われた方は今後、どのような 同和教育を行なっていくべきだと思いますか? 個人の意見という形でも構わないので、ぜひよろしくお願いします。

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回答No.8

誤解を恐れずに言わせてもらうならば、北海道に住んでいる私は「同和問題のない地域」で育った感があります。(北海道民だから、ということで差別を受けることがあるという話は聞きますが、ちょっとこの話からずれるので割愛します) よって、「同和教育」というのもなかったので、成長するにつれ、初めてそういうものがあったのだと認識したときに、ものすごく知りたい、と思いました。 日本の中でそのような歴史があり、現在もそれに苦しんでいる人や、それに関わる問題がニュースなどで浮上している以上、たまたま自分の住んでいる地域がそういうものがなかったからといって無視はできない、と思ったのです。  今でこそインターネットやいろんなメディアがあって、簡単に情報を手に入れることはできますが、日本であった(ある)問題を知らないでいい、ということはないと思います。子供ならそのようなメディアを利用するのも限られてきますから、学校で教えることは大切だと思います。  子供のときから問題意識を持つことは大切です。それを隠蔽するように「目に触れさせない」というのは、なにか違うのではないかと思います。  実際、表面的には「差別はいけない」といいながら、結婚するときには相手の身上を調べる(同和問題を目的とした)ということがまだまだ残っていると聞きます。だからこそ、「表面的に差別をするような言動をとってはいけない」教育ではなく、「差別意識をもたせない」教育が今後は必要なのではないでしょうか?  余談ですが、日本は単一民族国家ではありません。 ほかにもいるかもしれませんが、少なくともアイヌ民族という、古来からいる民族がいます。いまも独自の文化を守っています。(私はアイヌ民族ではありませんが、彼らの文化を尊重したいと思います) そして、悲しいことに、アイヌ民族への差別があるのも事実です。 北海道はまずそこから取り組むべきかもしれませんね・・・。

salasala
質問者

お礼

回答どうもありがとうございます。 kirikironさんの書かれていることというのは、やはり日本人の特質なのかなとも思います。表面上、差別なんかしないという人でも、結婚となれば話は別的なことがありますもんね。 まだまだ同和問題を含めた差別は多くあります。 少しずつでも確実に取り組んでいかなければならないと実感しました。

その他の回答 (10)

  • sigino
  • ベストアンサー率30% (99/329)
回答No.11

行動を規制するのではなく、心のあり方を教育してほしい。 他者及び多様性の尊重をのぞむ。 現実には行動の規制というありかたが多いと思う。 たとえば娘の結婚相手の身上調査一つとってもいろんな場合があるだろうに、行動のみをとりあげて差別だというにはあたるまい。(もちろん差別を目的に行われることもあるのは確かだが)

  • usagi21
  • ベストアンサー率37% (6/16)
回答No.10

現在の同和教育に反対です。 というよりばかばかしいと思いますし、また現在の同和地区に対する過敏な反応もどうかと思います。 いまの同和教育は「差別はいけないと思いました」という感想文を書いておしまい……といったものでしょう。 同和研究ではもうそういった見解はナンセンスなものとされていますし…… まず、差別なんかもうないよ、と言われる方がいたらまず同和地区へいってみることでしょう。 本当に差別がないのか自分の眼で確認してみるべきです。 「寝た子を起こすな」 本当に同和は寝た子なんでしょうか? 寝た子なのであれば、なぜ私たちは「部落」といえないんでしょうか? 同和問題はぜんぜん寝ていません。 また同和地区出身者が問題を起こしても、 部落開放同盟が不正を働いていても、 全く問題にされません。 同和問題は誰もが避けようとする問題です。 だから、不正が行われていても誰も取り締まったりしないんです。 そういった現状もあります。 それに、同和地区の人々が在日の人を差別することも 取りざたされることがありません。 すべてをオープンにすること…… それが大切だと思います。

  • syunpei
  • ベストアンサー率27% (194/717)
回答No.9

自分は、同和とか部落開放とかいった名称で運動されることを とても違和感を感じるものの一人です。 われわれの田舎では、昔から集落のことを部落といいますし 同和の名前のつく会社にいっています。 運動の意図することは、充分とはいえないかも知れませんが 理解しています。しかし、最近では部落という言葉は差別用語だから 班ということにしようと、なんとか班という風につかわれています。 おそろしいことにそのことに皆さんが意義を唱えず、班という呼び名に 変わったんですが、そのこと自体が部落差別じゃないかと思えてなりません。 同和とか部落とか、なぜ、差別をなくすための運動に使うのでしょうか もっと適切な名称にしてもらえないでしょうか

回答No.7

僕は、「同和教育」に絞らずに、「差別全般」についての教育を学校でしたらよいと思います。 歴史的な観点から、こういう不道理なことを平気で昔の人たちはしていた、という具合に。それにより、現在ある、不道理な「差別」に子供たちが、疑問をいだいたり、話し合いをしたりできたらいいと思います。 たとえば、「男尊女卑」。選挙権が女性にも与えられたことについて、歴史の時間に学びますよね。でも、歴史の時間では、あるひとつの昔の「出来事」としてとりあげられるだけで、それについて深く話し合う機会がありません。そこで、これに髄することを、色々と話し合います。男女差別は今でもあります。 人種差別もしかり。日本は単一民族だから人種差別はない、とはいえません。たとえば、在日朝鮮人の方々は、大変大きな人種差別を受けながら、日本でくらしてきました。 その他にも、年齢差別があります。「先輩を敬う気持ち」は大切ですが、往々にして、目上のひとが、目下のひとを虐待する光景をみます。その逆に、求人に年齢制約をもりこみ、年配の人たちが、働けない社会があるというような面もあります。(アメリカでは、年齢・性別・人種等について、求人面接の際、聞くことができないことに法律で定められています) 「同和」が差別問題として、国が認めていることは、価値があると思います。でも、他の人権に対する問題について、国はあまりにも無頓着だと思います。

salasala
質問者

お礼

回答どうもありがとうございました。 最近は、差別のない社会 のような日本ですが、まだ差別で苦しんでいる人がいるのは、事実なのだと身にしみました。 james_bondさんのおっしゃることは、今の日本の本当の姿であり、改善しなければならない課題だと思いました。 家庭での教育はもちろん根本となるのですが、学校での教育というものなくてはならないものだと思いました。

回答No.6

寝た子を起こす必要はないと思いますが、既に起きている人には必要だと思います。でもその判別は難しいですね。事実関係には学校で接しなくてもどこかで接する可能性があるので、起きる素地のある人はその際に起きてしまいます。結局は、不合理な差別に初めて接した際に変だと感じる人に育っているかどうかが重要なように思います。 したがって、様々な差別を例に挙げて差別問題一般について教育する中での一例として取り上げるのであれば適切だと思いますが、様々な差別問題の中で特定の差別問題だけに異なる扱いをするのであれば不適切だと思います。 (同和教育のみに熱が入ったのか「外見は全く同じなのに・・・」と言う教師の説明を聞いて「おいおい、外見が違っていたら差別にも一理あるのかよ」と内心ショックを受けたことがあります。)

salasala
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

  • bittertea
  • ベストアンサー率13% (14/107)
回答No.5

私もつい最近まで「同和教育なんて、したら反対に『それはどこの地区?』と興味を持ってしまったり、『あそこは部落なんだ』と言い出す人がいるのでは逆効果ではないか?」と思ってました。 (つまり、下の方が言うように「寝た子を起こす」の心理ですね) でも、最近は同和教育の必要性を感じています。 一言で言うなら、「無知の知」ってとこですかね。 日本には差別はないと思いがちだけど、「昔は日本人も同じ日本人に対してこういう差別をしていた。」「朝鮮人や韓国人に対してもこういうことをしていた」そういう教育は必要なのではないでしょうか? 「どこが問題の地区だ」などと伝える必要はありません。 ただ、下手をすれば自分たちも間違いを犯してしまう可能性があること。 人間は差別とは切っても切り離せない問題であり、対岸の火事で済ませてはいけないこと。 「差別をすることは問題である」という意識をもつことは必要だと思います。 同和教育とはそういうものなのではないかと、最近では思っています。 「差別をされていて可哀相」なのではなく、「自分たちも身の回りの差別発言や行動に気をつけないといけない」という心を養うための教育なのではないでしょうか? 歴史の勉強とは、基本的に『人間の恐ろしさや愚かさを学び、(知らずにでも)繰り返さない』ための教育だと思っています。

salasala
質問者

お礼

回答どうもありがとうございました。 私も「寝た子を起こすな」という方の気持ちもわかりますが、 「無知の知」というのも本当に怖いと思います。 それをなかなか言葉にすることが難しかったのですが、 bitterteaさんの言うように、同和教育で「どこが問題の地区だ」などと伝えるようなやり方がまずいのだと思いました。 差別をされて、悩んだり苦しんだ人がいるのは事実で、それは、私たちに関係のない話ではないと思います。 そのような事実がある、またはあったということは、学校などで正しい知識として教えるべきだと思いました。

noname#2924
noname#2924
回答No.4

はじめまして。学校での同和教育に限らず、日本の集団主義的な考え方、行動に疑問を感じる一人です。 私が小学生の頃は(もう十何年か前ですが^^;)、集団の秩序を守り、みんなが一緒であることが良しとされる教育が主だったと思います。今も変わっていないみたいなのですね・・・。私はそれがとても窮屈でした。 特に個性のある子供でもなかったので、集団からはみ出してしまうことで押し戻され窮屈に・・という訳ではなかったのですが、おかしいと思うことがたくさんありました。 例えば・・・ ・学芸会ではみんな服を揃えなければならない ・運動会ではきちっと整列し、形を崩してはいけない 私は小学生の頃アトピーに悩まされていたのですが、学芸会の合唱中、どうしても患部が痒くなり、ちょこちょこ手を動かしてかいていたところ先生に呼び出され、何故あんなにちょこちょこ手を動かすんだ! 見苦しいし、みんなが静かに立っているのに目立って恥かしい!とののしられました。これは子供ながらにショックでしたね・・・。 見た感じ、外観さえ美しければそれで良いという感覚なのですね。 こういう教育のしかたに私は北朝鮮のアリラン祭を思い出しますが・・・。 あれも気持ち悪いくらいに皆が揃っていますよね・・・。 これらの例(といってもたった2つですが^^;)は、salasalaさんがおっしゃりたい同和教育への疑問・・とは違うかもしれませんが、通じるものがあると思います。 集団の秩序よりも、もっと個人個人が生かされる教育がなされるべきだと思います。 いじめも、行き過ぎた集団主義教育が原因ではないでしょうか。 そういったこと、教師はもっと考えて欲しいです。 ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

salasala
質問者

お礼

どうもありがとうございまいた

  • Largo_sp
  • ベストアンサー率19% (105/538)
回答No.3

私ももう、問題にする必要が無いと思っています。 ただ、いまだに差別している輩も少なからずいるというのも 問題だと思います。公務員でさえ... 公務員の場合、逆差別をしている分よけいに私生活では 差別したくなるのかもしれませんが.... しかし、歴史上こういう事実があった。今でも差別する人がいる。 という教育にしていったほうがいいかもしれませんね 「差別される人がいる」という教育より「差別する人がいる」という 差別する方の人を異端にする教育が必要だと思います

salasala
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

  • izumokun
  • ベストアンサー率30% (1129/3679)
回答No.2

 中学校の教員をしています。  お尋ねの「現在の同和教育は、適切だと思いますか?」の件ですが、これについては、教員の「同和」教育に対する理解度や取り組み方がそれぞれ違っているので、「現在の同和教育」などと一括りで捉えるべきではありません。  なお、差別は常に再生産されるので、それを解消するための取り組みは必要です。しかし、差罰をばら撒くことになるような「同和」教育は、即刻やめるべきです。

salasala
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

noname#6581
noname#6581
回答No.1

私は同和教育はしないほうがいいと考えています。 寝た子を起こすようなもので、かえって差別を助長するような気がします。 私は学校では同和教育などありませんでしたので、同和問題を知ったのは大人になってからです。 それまで同和地区というものも知らず、その地区に対して何の偏見も持っていなかったのですが、知ってしまってからは妙に意識するようになってしまいました。 これは明らかに逆効果ですね。

salasala
質問者

お礼

どうもありがとうございまいた。

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