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児童文学から、児童の発見を考えるのは間違い?

 「こがね丸」「小公子」を始め、多くの児童文学には理想の家庭像に加え、理想の子ども、子どもの役割が書かれてきました。子どもというのは、純粋で美しいもの、家庭の天使である・・。時には、「桃太郎主義教育」のように、昔話から元気な子ども、日本(国)の将来を担う子どもとして大人達によって「真の子ども」は作りだされていたと考えられます。  しかし、『克明に児童文学の起源を明らかにしても、そこに本質的な「起源」とういうものに関する考察はかけている。日本の児童文学が「影響」からただちに出てくることなどありえなかったと断定できる。「児童」とは一つの「風景」なのだ。(柄谷行人)』  と、『日本近代文学の起源』から述べていました。 私としては、児童文学だって影響は十分与えている!と思いますが、皆さんはどうお考えになりますか。 「児童=風景」という考え方についても、意見聞かせてください。

noname#92045
noname#92045

みんなの回答

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.8

#6です。 #7さんの参考意見を読んでなるほどと思いました。質問者さんが興味を持っている「日本における児童の認識」について、民俗学に興味を持つ者として参考意見を書かせて頂きます。 >ここのカギ括弧でくくってある「起源」とは、発見された「子供」という概念の、日本における「起源」です。 >「児童」という概念が、いつ発見されたか、日本人がいつから「児童」というカテゴリーをある種の人びとに当てはめ、「児童」という見方をするようになったか、その「起源」を知るためには、「児童文学」が誕生するはるか前にさかのぼって、昔話が誰に語られるものであったか、あるいは当時の風俗習慣、そうしたものの考察を経る中で、見いだされなければならない、と言っているのです。 確かに日本では「子供」と言う概念の認識は西洋から教わったわけではないどころか、西洋人よりもはるか以前にその後の西洋人以上に認識していました。その証拠は江戸時代初期の日本の刑法にあります。そこでは16才未満の「子供」と「禁治産者」に対しては刑一等減ずることが明記されているからです。もちろんその頃は禁治産者なる言葉を使ってはいませんが。そのような「子供」と「禁治産者」の発見は西洋ではずっと後のことで、彼等の刑法の中にそれらの概念が明記されるのは日本より少なくのとも100年あるいはもっと後になってからです。 そのことを示す好例は、多分質問者さんもご存知の江戸時代中期前にできた芝居「八百屋お七」です。この芝居で皆が最も涙を流す場面は、お七さんが16才であること知っているお奉行様が、火付けをしたお七さんの情状を酌量するために、お七さんに「お前は15才だね」と繰り返し聞く場面です。自分は誰にはばかることなく恋をする一人前の女だと強情を張るお七さんは、ついに頭を縦に振らず結局磔獄門になってしまうと言う話しです。こんなのは「子供」をすでに「発見」し、それが一般大衆にまで浸透していたという文化がなくては決して理解出来ませんね。繰り返しますがこの「発見」は西洋よりもずっと早いです。 また、遅くとも中世からはじまり少なくとも明治時代にかけて、日本の全国の農村で青年の教育機関として若連中、若者組、娘組等と呼ばれるものがあったことは、民俗学の婚姻に関する研究で詳しく調べられております。娘組の加入時期はだいたい十五六才だったようです。この組織は、一般教育ばかりでなく、性教育にも役に立ったようです。若者組と娘組のゴウハイ等を時々企画して将来の伴侶を見つけると言う、当時の農村では全国で常識的に行われていた恋愛結婚の後押しもして居りました。こんな組織があると言う事実も、日本には中世の頃にはすでに青年以前の「子供」を他の残りの者から選別するという明確な認識が出来ていなかったら理解出来ません。このように日本人にとっての「子供」の発見は西洋が近代になってやっと発見した時期よりもはるかに早いのですから、その点では柄谷行人の意見は意味をなしているようです。 以上参考までに。

回答No.7

大変失礼ながら、ご質問の文章から、質問者さんが『近代文学の起源』の論旨をほとんど把握していらっしゃらないことがうかがえます。柄谷さんの文章には、いくつか前提となっていることがあるのですが、それを理解せずに読もうとするとこういうことになるのかなあ、という印象を受けます。 まず、近代に生きるわたしたちは、たとえば「人間」であるとか、「子供」であるとか、あるいは「文学」であるとかという概念は、誰にとっても当たり前のもの、大昔から人びとが使ってきた概念であるように漠然と感じていますが、実はこれは近代になって新しく「発見」された概念なのです。 この点を最低限理解しておいてください。 「子供」や「人間」「文学」といった概念は、本来、「近代ヨーロッパ」で発見された、一時代的、局地的なものの見方でしかないはずです。ところがそれが広汎に伝播した結果、日本にいるわたしたちも、「人間」「子供」「文学」「風景」「内面」などなど、こういう見方はごく当たり前、気がつくとずっと最初から「そういうものだった」ように受け取ってしまうのです。 するとどういうことが起こるか。 その発見が、一時代的で局所的なものだった、ということが忘れ去られ、誰にとっても「当たり前」、それこそ人類にとっての普遍的な真実になってしまう。ちょうど、緑のサングラスをかけてものごとを見ていると、何もかもが緑に染まって見えてくるように。 だからこそ、『起源』のなかで、柄谷さんがやろうとしているのは、「文学」であるとか「個人の内面」であるとか「風景」であるとか、誰もが自明のものとし、当たり前のように受け取り、疑問を持つこともないことを、その起源をさかのぼって考えることで、自分たちがいつのまにかかけているサングラスを外そう、外すのが無理でも、いつからかけているのか、その時期を探し、少なくともいまのわたしたちが知らず知らずのうちにかけていることに気がつこう、ということなんです。 引用された箇所も > 私としては、児童文学だって影響は十分与えている! そうではありません。もとよりそんな話をしているのではないのです。 >> 克明に児童文学の起源を明らかにしても、そこに本質的な「起源」とういうものに関する考察はかけている。 ここのカギ括弧でくくってある「起源」とは、発見された「子供」という概念の、日本における「起源」です。 そういうものは、明治になって誕生した日本の児童文学の起源をどれだけたどっていっても知ることはできない、と言っているのです。 むしろ「児童」という概念が、いつ発見されたか、日本人がいつから「児童」というカテゴリーをある種の人びとに当てはめ、「児童」という見方をするようになったか、その「起源」を知るためには、「児童文学」が誕生するはるか前にさかのぼって、昔話が誰に語られるものであったか、あるいは当時の風俗習慣、そうしたものの考察を経る中で、見いだされなければならない、と言っているのです。 学生の方(まさか高校生の方じゃありませんよね? 高校生の方でしたら、柄谷の前に読まなきゃいけない本はたくさんあります!)かと思いますが、柄谷さんの本を理解されるためには、やはりもう少し、文学史だけでなく、近代とはどういう時代だったか、現代思想は近代をどのようにとらえているのか、そうした思想の流れなどをある程度は理解しておく必要があるのではないかと思います。 いきなりフーコーの『言葉と物』はむずかしいかもしれませんが、この章に関しては、少なくとも、フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』は、ぜひ読んでおいてください。これは大変おもしろいですし、柄谷さんの本よりは読みやすいはずです。 その上で、再度、論旨の流れを大きくつかみながら(わかるところだけを拾い読みするのではなく)読み進めていってください。 学生の方と想定して、いくぶん厳し目の回答をしましたが、なにとぞお許しのほど。 以上、参考まで。

noname#92045
質問者

補足

 最低限理解しておかなければならいないことは、分かっています。 「文学」という概念は西欧から伝わってきた概念であり、まだ生まれてまもないけれども、それにもかかわらず私達は、今ある概念を当然のもの、正しいものとみなし、そこにある歴史性を忘れてしまっていると。    この本は、たまたま本屋で立ち読みして、面白いと思い購入しましたが、恥ずかしながら・・文学史だけでなく、近代とはどういう時代だったり、現代思想は近代をどのようにとらえているのか、そうした思想の流れなどを理解できていないです。(高校生です・・すみません・・)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.6

#5 です。 何度もお邪魔して申し訳ありません。 >しかし、児童は西欧から輸入されたとしたら、もとからもっていたもの(輸出できるもの?)は日本にはなかったことになるんですかね? この文で何を言っているのか判りませんが、それこそ柳田國男(『蝸牛考』、『野草雑記』、『草の名と子供』、『虎杖及び土筆』等々)が日本の草木や虫の名前に、少なくとも英語国民にはない意表を突いた名前が多い事実を分析して、日本の子供達の(=児童?)の言葉の文化に対する重要な役割を論じております。ですから、幾らでも輸出できる物はあると思います。ここで言う「児童」とは特殊な意味で使われていて、普通の意味での子供達とは違うのですか?

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

#4です。私は今回初めて柄谷行人という方が居られることを知ったので、彼の著書を何も読んでいません。ウィキペディアで引いてみて、ワーこの方は私の文化とは余りにも違った世界に住んでいる方で、私の価値観と直交しているかもしれないと恐れました。 以下に述べることは、そんな不勉強な者が彼の作品を一つとして読みもせずに、単なる第一印象で無責任に物を言っているという前提で読んで下さい。全く的外れなことを言っている可能性の方が多いと私自身、自信を持って言えるような気でいるのですから。 はっきりと前には申しませんでしたが、私は物理の専門家です。物理学とは限らないかもしれませんが、ものを認識するとは、そのもの本質を突いた概念を出来たら一言で、それが無理でも数言で表すキーワードを見つけてくることだと理解しております。私にとって「風景」という言葉は、余りにも曖昧で不透明な言葉で、それにどんな理屈をつけようが、それがキーワードの役割を演じているとは直感出来ません。その言葉で私の心の中に何の共鳴現象も起こらなかったからです。 大分前にBBCで、英国の誇るターナー美術館に飾ってある絵画が余りに常識的な美から逸脱した抽象画ばかり羅列していることを批判した番組をやっておりました。その番組のインタビューで、そこに飾ってある抽象画の作者が、何故自分の作品が優れているのかを、言葉を尽くして説明しておりました。私はそのとき、画家は言葉で説明する必要はない、如何に言葉を尽くしても、駄目な作品は駄目なんだと思いました。文化の本質をつかむ言葉が「風景」だと如何に言葉を尽くされても、へーそんな不透明な言葉で文化が判るのですか、と言う印象です。もう一晩でも二晩でも寝て、その尽くした言葉を凝縮するもっと透明で本質を突くキーワードを見つけてこないと、少なくとも物理学者という変人を説得することはできないなとの第一印象を得ました。文化を理解する上で何のイメージも湧いてこない言葉だからです。物理のある国際会議に私が参加したときのことです。その会議である有名な数学の定理をある数学者が引用するときに、その定理を「定理A」と呼んでいました。その元の論文には「定理A」「定理B」と順番に書いてあったからです。私はその時「おいおい、誰々さんの定理だとか、解析性に関する定理だとかなんとか言えよ、定理Aじゃ、何のイメージも湧いてこないよ」と思いながらそれを聞いていました。文化を論じるのに「風景」は私にとっては「定理A」と言われているみたいです。 物理学者たちも、我々をも含めたこの複雑な世界を理解しようと一生懸命キーワードを探して来ました。物理系のみならず、生物や社会現象に対する言葉として、不安定系、非線形性、混沌、秩序、構造、対称性の破れ、可逆過程、不可逆過程、等々、本質を表したキーワードが幾らでもあります。人文科学が如何に精密科学のような子供の科学ではなくて大人の科学であるとは謂へ、児童だろうが、文学だろうが、それらの認識を「風景」という不透明な言葉に凝縮するわけにはいかないような気がします。 ちょっと言い過ぎてコツンとやらせそうですが、重ねがさね無責任な言質をお許し下さい。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.4

#2です。 なるほど今度は良く判りました。ほんの少し前にあった文を省略したのが誤解の本でしたね。それなら#1さんの >あなたは〔何から何へ、か〕を取り違えています。 に賛成です。余計なことかもしれませんが、文章を書いた後、いったん頭を空っぽにして、そんな空っぽな頭の人でも自分の書いた文章が相手に通じるかどうかを確認してみると文章が上達しますよ。 さて、本論に入ります。 >たとえ彼らが(小川未明や鈴木三重吉)どんなに西欧の児童文学を読み、その影響を受けていたとしても の意見に賛成です。足ったこれだでの文章で、そこまで私が言っていいかどうかわかりませんが、一応前後の部分からこの短い文章を孤立させて考えても良いなら、柄谷行人は西洋を、そして西洋ばかりを勉強してそれに魅了させられてしまい、つい文化の多様性を忘れてしまって、何でもかんでも西洋の基準でしか物を考えることが出来なくなてしまっている、日本によく在る勉強のできる方を批判しているのだと思いました。自分で物を考え創り出すのではなく、他人の考えを勉強して紹介すると言う、所謂学問の輸入業者達への批判です。 蛇足:私は西洋の権化とも言えるような学問をやっておりますが、常々その輸入業者達が跋扈していることに不満を感じておりました。そんなある時に日本民俗学の本を読んで、この学問だけは西洋の基準では決して理解出来ない学問だと言うことが分かり、それを研究している方々の思索のオリジナリティーに魅了されてしまいました。研究の道具を借り物でなく全て自前で作り上げていたからです。日本人にも西洋人に引けを取らない独創性があることを確認出来る学問としては筆頭になっていると言う気がしました。その後、西洋権化の自分の学問以外に、日本民俗学の成果を読むことを私の趣味にするようになりました。こんな偏見を持った私の回答ですから、的を射ていなかったご容赦下さい。

noname#92045
質問者

補足

 う~ん・・奥が深く難しいです(涙) でも、柄谷行人の同書の内容で、「風景の発見」という章で柳田国男の民俗学について書かれていたのを、回答を読んでいて思い出しました。風景はある段階で成立したのにも関わらず、私達は風景が昔から存在していたと思いこんでしまっていると。これもやはり西欧の影響を受け誕生し、その中で柳田国男が、「民」を経民済世→風景と段階を踏み、両者は両義的であると考えていたみたいです。(自分の読みです。全く異なるかもしれません・・)  児童の発見から、全くずれてしまってますね・・。すみません。 しかし、児童は西欧から輸入されたとしたら、もとからもっていたもの (輸出できるもの?)は日本にはなかったことになるんですかね?

noname#80753
noname#80753
回答No.3

「西欧の児童文学の影響で出てきたとは考えられない」と言っているように読みました。 「影響」と言うのはそういう意味で使われているのではないですか? 「児童文学は大人の精神世界の風景、バックグラウンドとして出てきているのだからあと知恵で『児童文学発展史』の中で捉えようとするのは語弊がある」というような意味ではないでしょうか。(単に) と解釈するのなら非常に大きく世の中の影響を受けていると言っているように思います。 元を読んでいないので大恥の珍解釈だったらごめんなさい。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

私は児童文学の専門家ではなりませんが、ある学問で文章を書く専門家では在ります。私は柄谷行人とはどのような方で、どういう主張をなさってる方であるのか抜粋の文章だけでは判りませんが、少なくともこの文章だけで判断すると、この方は文章によってコミュニケーションをすることが出来ない方だと看做されても文句は言えないと思います。 >日本の児童文学が「影響」からただちに出てくることなどありえなかった 児童文学が影響から出てくる???? なんか、児童文学が密接から出てくるだの、活発から出てくる等と言われているみたいで、そんな物から出てくるかと言いたくなってしまいます。もしこんな文章を私の学生が書いたら嬉しくなってその学生にアカハラをしたくなってしまうかもしれません。私の学生にときどき文章の書けないのがいますが、そう言う学生に会うと、私の目がギラッと光って、まともな文章を書けるように逞しく育ててあげたくなってしまうからです。まさか文学関係の方がこんな文章を読んで判った気になっているとは思えませんので、この文章に誤植があるのか、あるいは文章の前後に重要なキーワードが書いてあるのを質問者さんは書き忘れたのでは在りませんか?

noname#92045
質問者

補足

 私自身が、読解力、教養がないので、よく分かっていないのかもしれません。  『児童文学を孤立的に取り出して、それを歴史的な連続性においてみることは間違っているのだ。同時代にすでに西欧で児童文学が発達していたからといって、それと比較するのはばかげている。たとえ彼らが(小川未明や鈴木三重吉)どんなに西欧の児童文学を読み、その影響を受けていたとしても・・』に続く文ででした。

  • wanekoz
  • ベストアンサー率14% (199/1373)
回答No.1

「私としては、児童文学だって影響は十分与えている!と思いますが」 それは〔児童文学が影響を与えていない〕に対する反論ですが 元の文章は〔児童文学が影響からただちに出てはいない〕であり あなたは〔何から何へ、か〕を取り違えています。 「児童=風景」というのは文脈のなかで 〔しっかりした実態のない観念である〕という意味を 伝えているのであって、そこだけ切り取ってはいけません。

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