解決済みの質問
こんばんは。
先日もこちらのカテゴリーでお世話になりました者です。
その節は本当にありがとうございました。
今回も、自分のカウンセリングを兼ねた質問を立てさせて頂きます。
お付き合い頂ければ、幸いです。
質問は、
「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか?
*当たり前
*違和感
どちらでしょうか?
そして、これは男女の違い(本人の性別/被写体の同性or異性)によって、変わるのでしょうか?
いえ。。。
多くの子ども達は「身体は大切に」「人の嫌がる事はしない」。。。等と言い聞かされ、またそれを「人としての基本」に据えて育って来ていると思うのです。
でも。。。
ポルノ、と言う存在を「当然」或は「必要悪」等と捉える時、それはその「基本」との違和感、を生じないのでしょうか?
また。。。「違和感」を感じた方は、それによって「自分が傷付く」と感じないのでしょうか?
ちなみに、私は20代後半の女性で、既婚6年、三児の母でもあります。
夫との関係、性的関係も問題無く、とても幸せを実感しております。^^
そして、(男女によってその程度の差はあれ)「性欲は愛情とイコールでは無い」事、性欲と言うものは「性的禁止」と「性的刺激」によって形成される、と言う事も判ります。
現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます(恥!)。
でもでも、翻って「初めて知った時」の記憶を辿り、以後の感じ方を辿ると、私には「違和感」以外、浮かばないのです。
何故、大切にすべき「人の身体」を、そのように扇情的に不特定多数の目に「現実の画像として」晒せるのか、それは、「人としての基本」に反しているのでは無いか?。。。そう思えてなりません。
そう思うのは、「同性としての(不要な?)共感/想像力の為せる事」なのでしょうか?(現に、先述のように私自身「妄想」はしても、それについて違和感はありません。汗)
では、男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、「違和感」は感じますでしょうか?
つまり、「感じ方の前提」として、
*自分を被写体に置き換えて、の臨場感、の有無
があるのかしら。。。。とも思います。
このように、私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら? そうだとしたら。。。皆様はどうお感じになるのでしょうか?そして、まだ「性の入り口」に居たご自分は、どうお感じになりましたでしょうか?
纏まりの無い長文で、申し訳ありませんが、
よろしくお願い致します。
尚、お礼が遅くなる、または、順不同になるかも知れませんが、必ず書き込ませて頂きますので、その旨お許しください。
投稿日時 - 2008-12-06 00:24:32
○ それは 蚊が刺しただけです。
☆ よほど コミュニケーションが通っていないと 言えない文句です。
ですが わたしは いぢわるぢいさんよろしく mashumaro2さんや miko-desiさんのご見解に 輪をかけて 傾くものです。
もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。
miko-desiさんの新しいご投稿が現われたので 書きこむ気になりました。
性愛関係には 一般の愛としての人間関係から 二人の合意によって 入ります。初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです。もしさもなければ 無効の行為だったという――蚊が刺しただけだという――事態です。
起きたことは起きたことで その過去を 消して 現状復帰することは 実際には 叶いませんが いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。
ご自愛なさって いやなものは嫌 とはっきり 言っていかれるようにという考えを わたしは 持っています。そこに 面従腹背は 含まれます。
投稿日時 - 2009-01-10 09:36:15
お礼
こんばんは、bragelone様。
また来てくださり光栄です。
>もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。
これは、私も何らかの加害者である、と言う事でしょうか?
>初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです
私が嫌悪と恐怖で「同意を拒否した」と言う事でしょうか?
そして、その後に続いたかもしれない「性愛関係への道』を閉ざした。
だから、私も「蚊になって刺した」。。。そう言う事でしょうか?
うーーーん。。。何だか大らかな気持ちになれる言葉ですね。^^
(ん?私の解釈、合っていますでしょうか?汗)
>いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば
これはあの犯人の男も「尊ぶべき存在」と言う事でよろしいでしょうか?
(勝手に解釈して勝手に喜んでいますけれど、大丈夫かしら。。。)
>そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。
はい。^^(私の解釈が合っているならば。)
添削お願い致します!
投稿日時 - 2009-01-11 22:28:30
12人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
書いたことへの書いた者の責任から筆を伸ばしているものなので、どうしても伸びてしまう文、 それこそ、ゆっくりとこそ読まれて、返事のことは気になさらないでください。
これは、文明病でもあるかもしれませんが、その中でもさらに複雑病^^とも言えるかもしれないみんなのかかっている病状とも言えそうな問題群なので、 一度 まったくでっかい視野から考えておくほうがよさそうだと思ったのです。
でないと、やっぱり話は、中途半端の「苦しむだけ♪」となりかねません。
*
最終的には 家族病理とはとか、絶対個とは、とかいう心理学とか哲学のあたりが明確にならないと レイプされた側の心の傷の克服は難しいのでしょうが、 まずは、そのまえに、
《真の性の解放とは、》という問題について、書いておこうと思ったのです。
これは、マシュマロが二つさんの 次の回答文を受けて それがキッカケとなったことでもあり、 記しておきます。
>女性の騎乗位なんていうものは、快感のツボを自ら探り当てて動くから、自慰以外の何物でもない気がしますけどね。<
性は まず、感性の問題です。
こう考えてください。
ほんとうはすばらしいのですが、それを感じられない未熟さを、若い人なら「はじらい」として受け止め、 それを感じられないまますれて言ってしまったら「破廉恥」と呼ぶ、というふうにです。
そして、それは、ほんとうに感じるものならば、 その程度も問題ではないとはいえなくても、 もっと開放的に明るくとらえていいことなんです。
鞭もローソクも、女王様遊びも、 縄縛りにしたって そこでほんとに楽しめるならば それはお互いの合意のもとに自由です^^。
妄想も、 体位も、 もちろん同じように自由ですし、
さらには、自慰も実は自由なんです。
このように本来は考えるべきです。 自慰も けしてそれ自体が自己の閉じこもった円内のこととか、動物的なレベルに戻ってしまったこととか言うイメージは 反欠けのイメージにすぎず、それもまた 深く感じるものならば、その快感や 例の「しあわせ」は、 放射し始め、 お相手がいるならば、それはお相手にも通じていくよということです。
セックス中は、そのさなかは自己の快感におぼれてると思えてもです。
なので、私が問題とするのは、 感性の進歩を何らかの因でストップしてしまった人たちだけだとも言えます。
そちらがすこし引っかかっているのは、 欲望と愛情の不一致の問題なのでしょうが、(ここが細かい点でマシュマロ2つさんでしたっけその人とのちがいでしょうが、 マシュマロさんにしたって同じようなものと思いませんか。 ) おぼれてしまったって、 問題は その深さだけなんです、深いほどむしろ相手への愛は放射するということです。
すみません。 また書きます。 時間の短い中で書いてます。
ともかく 明るくおおらかに考えることを考えておいてください。
投稿日時 - 2008-12-18 13:07:21
お礼
>最終的には 家族病理とはとか、絶対個とは、とかいう心理学とか哲学のあたりが明確にならないと レイプされた側の心の傷の克服は難しいのでしょうが、
これは、そう言った痛みや傷を癒せるのは、やはり「人間の心」だという感じでしょうか。。。?
>ほんとうはすばらしいのですが、
>それを感じられない未熟さを、若い人なら「はじらい」として受け止め、
>それを感じられないまますれて言ってしまったら「破廉恥」と呼ぶ、
この間の「素晴らしさをそのまま感じたい」といった思いがあります。
でも、引っかかってしまう物が今回の質問内容なのです。
主に「ポルノの扱い方」ですが、それと「非合法的性行動」ですね。
>鞭もローソクも、女王様遊びも、 縄縛りにしたって そこでほんとに楽しめるならば それはお互いの合意のもとに自由です^^。
>妄想も、 体位も、 もちろん同じように自由ですし、
>さらには、自慰も実は自由なんです。
はい。アブノーマル分野に関して特に嫌悪等は有りません。
其処に本人達の合意が有るのならば。
只、その「非合法的性行動」とアブノーマルとされる性行動に重なる部分、が有る。その時、それが「非合法」にするのか、「合意の下のアブノーマル」にするのか?は何処でどういう風に決まるのかしら?とも思います。
>おぼれてしまったって、 問題は その深さだけなんです、
>深いほどむしろ相手への愛は放射するということです。
別の方への返信に書きましたように、
「セックスとは「麻薬」のようなもの。
安心して「中毒」出来る相手を、より深く「愛する」ようになる。」
と言うのと近いでしょうか?
>明るくおおらかに
夫と過ごす性的な時間は、その通りの時間です。
きっとこれが有るべき姿なのだ、と確信しつつ、それを濁しかねない私自身の勝手な「引っかかり」なのです。
夫との大切な時間すら時に踏みにじってしまう記憶や嫌悪をどうにかしたい、と考えています。^^
投稿日時 - 2008-12-19 17:28:30
大変不愉快かとは存じますが、こちらの質問に対する最後の回答をお許し下さい。
私の今までの回答による失礼を心よりお詫び申し上げます。
何度か質疑をご一緒させていただく中で、私と質問者様は相反する見方が数多く見受けられ、多少のもどかしさをも感じておりました。
ですが現在のご主人との仲睦まじいご様子を拝察し安堵した上で、あえて率直に私が思ったこと、感じたことを寄稿させていただいた次第です。
また同様に、同性としてついこの春まで7年もセックスレスであった私の過去についても今再び回顧するきっかけにもさせていただきました。
本当に感謝しております。
質問者様は以前どちらかで「恋<友情」とおっしゃっておられましたね。
にもかかわらずご主人と若くしてご結婚で20代で3人のママという経歴が私には不思議にかつ魅力的にも映りました。
授かり婚ですよね、本当に最高の男性に巡り合えて本当に素晴らしい、と微笑ましく思います。
私自身は幼少からスポイルされて育ち、大学~結婚までは「恋>友情」でちやほやされて過ごしました。
バブルのまっただ中仕事や遊びに多忙な中、夫以外の男性とも浮気めいたお付き合いや二股をかけたこともあります。
但し、純粋培養的な育ちと姑問題による父母の離婚などの影響でしょうか、「人生なんて前向き志向してもどうしようもないこともある」「たかがセックス、はしたない。」「セックスの行為そのものより、いかに私にとって尊敬に値する男性を見つけて私達の子供を作るか。」という偏重な見方、対面的な取り繕い、損得勘定、といった意識の方が強かった気がします。
私が「授かり婚」なんてあり得ない、というのは何とまあ、不遜で高慢で勘違い女だったのでしょうね。
ですから、恋人に求められる以上に自ら性欲を感じたこと、強い性欲は一度も感じたことがなく、この春のセックス・レス解消をきっかけにあらためて「セックスとは何て素晴らしいものだろう、今までの行為は一体何だったのか」と考えを改めるようになり、かつ、変心する私自身にも大変驚いているのです。
質問者様は私や夫のように「セックスで妻が乱れるなどはしたない」「いい歳をして夫婦が営むなんて」とは恐らく考えも及ばないほど自然に楽しくセックス・ライフを謳歌していらっしゃるご様子。
それはとても理想的だと本当に思います。
私達夫婦は今さらみっともない話なのですが、質問者様ご夫婦を見習って小旅行やドライブがてら「子作りでない夫婦のセックス」を一から楽しんでいるのです。
そして最近では質問者様のおっしゃる「セックスは麻薬のように」というあの「どうなってしまうかわからない快感や溺れていく感覚」は、はたして「愛情ゆえ」なのか「肉欲」なのか、はたまた何か別の動機「若さへの固執や逃避」によりもたらされるものなのか。
いまだにヒントの一つすら掴めていない状況です。
或いは、そんな分析などせずとも本能で感じるがままに貪ればいいのかもしれない、と将来の「ま、いっか♪」的気質の私には思えてきます。
女性の騎乗位なんていうものは、快感のツボを自ら探り当てて動くから、自慰以外の何物でもない気がしますけどね。
男性のように相手を先にイカせなきゃ、の「強迫概念」など女性にはないですから(夫言ったら「気が狂ったの?」と言われちゃいそう、笑)
さらに、質問者様と私との「セックス」に対する今までの認識の差異の存在を認めた上で、世間一般で言うところの「ポルノ」に対する思考や感受性がこれまた真逆である点についても非常に興味深かったです。
質問者様にとって「ポルノ」が時折過敏に反応せざるを得ない事象なりうる一方、私の場合は子供達への影響以外は「いちいち気にかけてもはじまらない」と妙に達観して我関知せずなのです。
この点においてお互いに両極な見方もするのも不思議です。
単に同性というだけで共通の認識や思考を持つことこそ非常に稀なことでしょうし、その差異を客観的に認めた上で、お互いを尊重し合うということは大切なことなのだと思います。
但し、私の拙文により質問者様に今回は余計な心労をもたらしたのではないか、と今はひたすら猛省しております。
脱線してご迷惑をおかけしてしたままの#15と#18の私の回答の全削除を2回にわたりサポート・センターに依頼済みですので、お礼はご不要です。
固く辞退させていただくことを誠に勝手ながらお許し下さい。
今後の質問者様と回答者様双方におかれましては、更なる本質問における質疑の発展を期待しつつ失礼致します。
本当にありがとうございました^^
投稿日時 - 2008-12-17 18:02:51
お礼
こんばんは。
お礼と返信が大変遅くなっている事で、ご不快に思われている事と焦っている所にこちらの回答を頂きまして、本当に心から申し訳なく思っております。
mashumaro2様は、何も不愉快な事も失礼な事もなさっておられません。
それどころか、とても有意義な回答を下さっています。
これで最後、となってしまうのは、私の鈍感さと未熟さから来る失礼が招いた事と自覚しておりますので、仕方の無い事ですが、
出来ましたら、引き続きこの私自身のカウンセリングを兼ねた質問に、アドバイスを頂けたら、と切に望んでおります。
お礼も返信も差し上げなかった無礼をどうかお許し下さい。
何度も書きかけ、うまく纏まらない、と消去し、を繰り返しておりました。
まずはお礼だけでも先立って差し上げていれば、こうも失礼な事にはならなかったのですよね、自分の至らなさにほとほと愛想が尽きます。。。
遅ればせながら、纏まり無いまま、各回答に補足をさせて頂きたいと思います。
お心がお許しになりますなら、どうかお読み頂けないでしょうか?
特に#18で頂きました数々のご指摘、ご質問は、まさに絶妙な所を突いていまして、私の「絡まった糸玉」を解す為には欠かせない「糸口」と思われます。
毎度の心のこもったアドバイスに、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました!
投稿日時 - 2008-12-17 21:59:30
中途半端はやめて♪という奥村千代の歌がありますが、 時としてこれは男女関係だけでなく、こんな哲学の分野でも言えるときがあるかと思います^^。 (これは 半分冗談ですが、 このへんの気がかりがあり、すぐつづけて書く形となりました。)
まず、そちらが、いやな記憶と格闘しての質問である点、第二にご家族6年目である女性である点、 普通に考えても、 中途半端な論議には問題がいろいろありそうです。
そのへんを考えて この対話を成り立たせるために、年寄りからは こんな文を間に 贈らせて頂きます。
*
まず、旦那のことをかってに書いてみます。 意図があってのことです。
たぶん、旦那は おとなしいのに笑う時は屈託ない人かと思います。 竹をわったようなところもあって、全体的には感じのよさが定評となっています。
男っぽいといっても、いろいろな種類があると思いますが、ともかくけっこうさばさばしていて、明るくて、 怒るときにもすぐ忘れてすきっとしてるタイプ。
仕事はリーダータイプかな。 でも家では弱みも見せる。
一言でいうと なんとも魅力的な男だ。
なんて、 あなたとさへ会ったことが無いのに、まあぺらぺらかってによく言うよと 思うかもしれませんが、 この言い方自体は手相占いが得意である時のくせ、とでも思ってください。
手相を見て言ってるわけでもないのですから 全部ただの推理とあてずっぽうです。(手相には 性格とか いままでの生活がある程度しわに現れてますから そこからいろいろと総合的に判断し 先のこともアドバイスなら出来たりします。 勇気付けることが主眼です。 くわしくは略します。)
*
な、 なんで こんなあてずっぽうをかってに書いたのか?
もう一度 よく読んでください。 これ全部長所でしょ。
そこに味噌があるのです。
現代教育学が発見した最高の原理の一つに、 まずは子供や関係する相手(基礎教育以後の教育は 教えるだけでなく教わる形でもあることが理想)の 短所ではなく長所をさぐるとことから出発することなのだそうです。
短所を 示し反省させ考えさせ直させるという部分も必要ではないとは、言えない面もなきにしもあらず、 まず長所でその相手なりの、勇気とか希望とか前進の力を自然にわかせ、そこに包まれた形としての欠点の指摘の必要性があるならば、その時には はっきりとも言う、という長いその道の専門家の知恵のようなものが そこにはあるようです。
その時、人は 子供からも学ぶのだというのです。
自己以外皆師という言葉がありますが、 まず長所をみつけてこそ、ということです。
それを聞いてから 私は、もともと似た考えはもってはいましたが、いよいよ それを心がけるようになりました。
そして、これは 家族という社会単位においても、当てはまることだなと思ったからです。
そして、そして、実は 短所とは長所の裏返しだったり、あるいは見方を変えるだけで実は長所でもあったりする、ということをその実践で気がついて欲しいなとおもったからなのです。
ふつう、女性は、社会に乗り出して苦労している旦那の別な面の魅力を知りません。 そこはあなたなら すでにすこし違うでしょうが、 そこをさらに 旦那の長所とは何かを考えてほしいと思ったんです。
*
私は セックスの価値を本気で話したい人間です。 でもこれはフリーセックスの肯定論なんかじゃないです。 私はフリーセックスも,ナンパも肯定していません。
独身ですが、一夫一婦制の重みを、自由主義経済の枠をこえても、感じている者です。 離婚を否定している者でもないですが、そのへんの認識無しの離婚には反対です。 (こんなに簡単な問題じゃ無い時も多いでしょうけどね。)
対話への勇気を私は応援したいです。
でも対話すると腹に決めるならば、どうかそのへんの良識への信頼を忘れないでください。
本気であるがゆえに、私の方からは 嘘とかごまかしとか取り払いたいのです。
ずばり レイプについてもリアルに書かせていただきます。
一度、言葉の世界に答えを求めて進んだのなら 最後まであるきましょう。 多少つまずきころんでも、
転ばないよりも転んで起き上がるほうが強くなれる、という言葉を肝に刻み、 わたしも凡人 いっしょに対話してゆきましょう。
今回の付け加えは以上。
投稿日時 - 2008-12-17 12:58:55
お礼
なかなか返信が追いつきません。。。。汗
こちらを拝読して、すこし緊張してしまいました。
あまり体調が万全でない中、少々自分を甘やかし、「まあ辛くなり過ぎたら逃避すれば良いしね」と言い訳する事でこうして自己カウンセリングを成り立たせている感じですので。。。。汗
元々この掲示板でも「自ら対話する」よりも、他人の対話から「美味しいものをつまみ食い」する方が得意なのですが。。。
緊張すると些か「マイナス思考」に陥り易い傾向がありまして、気をつけながら行きたいと思います。^^
>実は 短所とは長所の裏返しだったり、あるいは見方を変えるだけで実は長所でもあったりする、
はい。
これについては「得意な方」と自負しておりますが、まだまだ、な所も多いです。
どんな物でも人でも事でも、「まずは相手に良いように解釈する」のを心掛けております。それがなかなか「自分には向けられない」のが悩みどころでもありますが。。。
まだまだよろしくお願いします。^^
投稿日時 - 2008-12-19 16:43:49
丁寧な解かりやすいコメント(お返事)ありがとうございます!
こういう対話を求めておりました^^。
上から順に対話をしてみたいと思います。
>何か表現のお仕事をなさっていらっしゃるのですね。<
踊り心の世界を中心に、若いある頃(20歳ぐらい)から、表現の道を求道してきましたが、 紆余曲折の後にも61歳の今にいたるまで、社会とその道との接点が見出せないでいます。 いざ実践前の 青年みないなところです^^。 迷ってるうちに このサイトにも迷いこんでしまいました。
なんの表現ジャンルかというと、 今では総合芸術(ミュージカルのことではないです。 それも大事な総合芸術としての思索点がある世界ですが、さらなる広がりのあるもので、ジャンルというよりも、そのすべての有機的なつながりを求める形のものです。)に移行しています。
事業とかの世界でも、多関連事業領域の有機的な統合が、単なる投機の対象としての多角経営を超えて 新しい潮流となりつつあるようですが、 それと似てるかもしれません。
その関係から 感性教育には深い興味を持っています。 でも今までの学校での 郷土実習とか理科実験遊びとかとかの延長というのではなくて、それももっと総合的な まるで革命家みたいなことを考えていたりします^^。
自己紹介を兼ねて少し書きましたが 話がそれそうなのでこのへんにしておきます。
*
その私が 性の表現について、ポルノの現状を考えたら見過ごしていいわけがありません。
*
(イ)>「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか?<(そちらの「最初の質問」より)
(ロ)>嫌悪し拒否しながらも、「本当はきっと素敵なものなのだろうな。。。」と夢見ていた思春期の私も居ました。単に好奇心が強かった、と言う事かも知れませんが。汗< (そちらの「NO21の回答へのコメント」より)
(イ)私の場合は、一番最初に女の子にキスをしたのは、なんと二歳の頃らしくそれが常習犯だったらしい(憶えてなんかいない!!!)のですが、66っ、
その後は かなり晩生の人間となってしまったらしく、始めて外国の真っ裸^^の女性の写真が出ている本の表紙を本屋(赤坂)で見つけたのは、なんと高校生の時ですが、
(ロ)その時の驚きといったら、むむ、ユッキンさんどころじゃないです。
いきなり顔が真っ赤になり、それを気づかれないようにしながら、そおおっと横目でみつつ、 (たったそれだけなのに、ムムっ) 確かめてみて確かにそのとおりだったことを知った時 嫌悪や拒否なんてものじゃない衝撃でしたが^^、 「ほんとうはきっと素敵なものなのだろうな。。。」とそんな私も このときには愛情のある性の営みにおいてはという条件付で(そちらよりも純粋に??:、)夢見ておりました。
祖父とかが宗教に熱心で、そのへんの不浄感というものが自然に私の心の奥に埋め込まれていたのだと思います。
興味と時間がありましたら、この宗教の作り出してしまった不浄という概念についても論じていきましょう。
でも、 さすが、2歳のあの犯人^^は、その前の子供時代にはまるでその逆のような性の目覚めと関る特徴的な状況に巻き込まれています。 (対話が進んだ時にはお話させていただきますね。)
*
メスライオンの交尾時にての怒りの話ですけど、 これは始めてだからといって「痛かった」^^とか なにかくすぐったかったとか、逆に快感とかが得られなかったとかとか^^の問題じゃないですね。
なにしろ、動物の脳は笑うことが出きるようなユトリがまず無いのですが、同時にユトリにそのような遊びの感性も弱いそうです。 ゴリラという類人猿の子供だけ すこしユトリとその希望の空間が長い育児期間にあるらしくへんな笑い声を出すそうですが、まさにそれが類人猿ということなのでしょう。 でも 私が聞いた限りではそれは^^とはまだ言えないと思いました。
感性の発達とともに 性器は人間のみが進化し続けているのだそうですが、 でも、でも、
その感性が 例の言葉によってかえって複雑にもなってしまって 時には曇らされてもいるのです。 それを一言でいうと《文明病》というふうに私はかってに呼んでいます。
説明なので 単純明快なのがいいと私は思ってるのですが(言葉は記号、記号は使いよう^^。 使い勝手が上手な者が勝利する^^。)
それでいくと、 その性器の発達と 一方では「感性の曇らされ」は(これを右脳と左脳にわけて、左脳の影響という人もいます。)
ここに、なのです、ここに、 例の二重の性に関する心理を作っていくことにもなったということです。(根源についての教え^^より)
メスライオンのは単純です。
こんなに交わりながらも なんの交流も無い!という怒りです。 そのシンプルな見本です。 単純に無視への怒りだと思います。 攻撃というよりも 動物なりの寂しさの裏返しなのかもしれません。
動物にも感情はあるはずです。 ただシンプルでも解かりにくいだけだと思います。 狩や攻撃と勘違いした表情は浮かべても 勘違いというのは生理の部分ではあるのかもしれなくても、ほんとうは心理的には交尾は交尾として理解してると思うのです。
むしろ人間の方が それを狩や攻撃と錯覚する時もあり、その錯覚というのがけっこう馬鹿にできない心理だからこそ この問題が深い傷や闇となってしまうのでしょう。
ほんとうは ここにさらに 宗教の必要から作り出された「不浄感」が複雑に混じってしまったのが 人間の性の感覚に分裂を生み出したというふうにも考えていたりします。
そうすると、何か事の次第がはっきりしてきませんか?
*
次に もう一つの円の秘密を明かします(別におくの深い密教のお話とかではなくて、だたの円のわかりやすい説明のための図形です^^。)
動物でなくても、円の中の円が 最初の円から出られない形は、小さな円がどんな意識や感情であれ、自己のためという円を出られない状態を意味するのですが、 人間の場合、これが実は 人と人との間の寂しさを感じ 無視されているという怒りや悲しみを受ける原因だと考えています。
これが 最初に書いた円の図の意味合いですが、 ここにもう一つの円が人間の場合、あるのだと考えてください。
それは中心点を持ち、その中心からは放射的に、自己のため自己保存のためとか自己の本能のためとかを越えてその円の外にまで達してゆくエネルギーがそこから発散されてるのですが、 その点の名前を 言葉で言うとその名は「幸せ」です。 「幸福感」です。
*
ひどい旦那だったら、たぶん、ユッキンの癒されるほうの感覚は無いのだと思います。 ここが問題です。 そう思いませんか。
*
書ききれない問題なので 対話の形にしています。 対話を受けてくださって 今の私にはこんなうれしいことはありません。
文明病は逆戻りするのが その克服の道ではないはずです。 子供は 完全にまわりの環境に簡単にそまってしまう弱い生き物です。 森のふるさとの人たちもです。
さらに考え、見つめ 語り合うしかないんです。
ご家族の動物園での散策、素敵ですね^^。 幸せの一言を馬鹿にしないで それをこそ子供の心にわかちたいですね。
明るくおおらかな笑い声の方が 理論より大きな たぶん一番大きな性教育となるかもしれませんね。
投稿日時 - 2008-12-16 21:58:17
お礼
こんばんは。
もう既に四つも丁寧な回答を頂いておりますのに、私の返信が追いつかなくて申し訳なく思っております。
回答を頂く度にすぐ気付きますし、すぐに拝読しておりますので、見えないのは反応なのです。。。汗
どうにもアウトプットが苦手です。
だからこそ、のこの質問とも言えますが。。。
>それももっと総合的な まるで革命家みたいなことを考えていたりします^^。
それは興味深く楽しみです。
地域でも学校でも、その他の施設でも、全く違った手法の教育が新たに広まっても良い頃ではないか?なんて思っても居ますので。^^
ちょっと一辺倒と言うか、一つの線をなぞり過ぎて、本来の意味を見失っているようにも思えますので。。。。
>動物の脳は笑うことが出きるようなユトリがまず無いのですが
>すこしユトリとその希望の空間
ゆとりと言う言葉と笑い、希望と言う言葉の並びにハッと致しました。
ハッとはしたものの、上手く言葉にはならないのですが。。。。
>むしろ人間の方が それを狩や攻撃と錯覚する時もあり、
>その錯覚というのがけっこう馬鹿にできない心理だからこそ
>この問題が深い傷や闇となってしまうのでしょう。
今回の私の「引っかかり/躓き」も、そんな単純な「錯覚」であるかも知れませんね。。。
今は質問を立てた時よりも、ずっと落ち着いているのです。
きっと「もう一つの感情(=気にならない時)」への移行時期なのかも知れません。どうにも周期的に巡っているようにも思えます。。。
>ここにもう一つの円が人間の場合、あるのだと考えてください。
これは、「本能の円」と「幸せを中心とした円」と言う事でよろしいのでしょうか?
>明るくおおらかな笑い声の方が 理論より大きな たぶん一番大きな性教育となるかもしれませんね。
。。。明るく大らかに。。。ですね。はい。^^
投稿日時 - 2008-12-19 02:14:28
私が「ポルノ」についての質問をしたのは、表現者としての迷いがあったからで コメントの内容を見ていただいても、対話を求めていなかったことは理解していただけるかとおもいますが、(ですので ある程度迷いが解けた段で締めさせていただきましたが) こちらでは 性についても総合的表現の専門家として対話を求めての回答をしてみたいと思います。
性のカウンセラーとしての専門家の自信は無いのですが、それだけ深く首をつっこんだ者であり、どうやらその開拓の立ち位置にいる人間として、 つまり新しい創造の迷いや苦悩にむしろ傷だらけのそういう専門家として対話を求めてみたい。 ということです。 (その表現の道を通していつか性のカウンセラーにもなれるものならなって見たいという気持ちはあります。)
最初の頃の 性との出会い(入り口の頃?)ということについても、 私の子供時代にはかなり特徴的なおもろいことがけっこうあるので、機会があれば後に書いてみたいと思っていますが、
まずは、いままでの質疑を見まして、(1)「性愛と憎しみ」と(2)「嫌悪感と、楽しみのつまみに出きる時との差」についての心理や感情の問題の二つをとりあげることで、 悪意によってもぎ取られた翼の修復に役立つか(あるいは、そのマイナス感情を「跳ね除ける」すべとなれるか)を追求してみたいと思います。
中村元という禅の研究者であり学者として有名な禅者でもあるかたが、性愛について「それが深いほど、憎しみも深くなる」という意味のことを書かれていますが、 その考えを全面的に賛成しかねる私にも、禅者らしい実直な観察の深さには感銘するところです。
実は 詳しく書くならば、東洋医学の気脈のながれの 最後のツボである眉間の下というか目と目の間あたりのツボと関ることという理解が今の私の中にはあるのですが、
ともかく目と目の間には 全部の気とか生気とか肌感覚とか肉感的な愛情とかの総合がそこに最後のその全部を集めてあふれてゆくというような感じの 最後のツボのようなものがあるのですが、 そこは同時に動物にとっては(私たちも動物でもあるわけですが)、憎しみとか恐怖の時に全身の気を逆立たせるかのような怒りとかとともに そこにこそ皺が刻まれる部分なのです。
牙を剥く時の あの恐ろしい形相の集中点ですね。
これを 気脈の方から説明してゆくと 長くなりすぎます。 (中途半端に書くと まるで占い師か神秘家のおまじないのような^^お話となってしまいます。)
大雑把ですが 動物と人間の違いで説明させていただきます。(これは感情についての考察にも役立つところです。)
動物にもさまざまな 人間の場合と同じような言葉でも括れてしまいかねないような感情が ちゃんとたくさんあります。
ほんとうは、おそらく解かりきることの出きるような簡単な問題ではないでしょうが、 ともかくそれを説明のために単純化して書くならば、
でも動物の場合の感情は 全部自己の本能の内部事情として起こる意識の形となっている というふうにも表現できるかと思います。
まあ 円の単純な図を描いて考えれば、 その円の中にさらに円をたくさん描き、その小さい円に、 怒りとか悲しみとか憎しみとか仲間意識とか子供への情愛とか、あるいは“毛づくろいの優しさ^^”とか いう言葉もいれてゆくことが出きるということです。 であって、 最初の大きな円は “自己の本能に囲まれている”という意味の円です。
それこそその本能が邪魔された時には、牙を剥きます。 怒りという感情?は素直に頂点にまで上り詰めていきます。 (この前の回答の続きじゃないですけど^^。)
この場合恐怖と怒りの感情でしょう。 フウウウウうう っ ウガガガア という感じでしょうか。
これ、テレビで オスのライオンが交尾の途中で メスライオンに同じ怒りをさそう場面を見たことがあります。
動物でも いや動物だからこそ脳が素直にそれを闘いと勘違いする時があるということでしょう。
動物にも似た流れで気脈があるのですが、私に言わせれば全気脈が動物的である時には、同じようになってしまうということです。
つまり 人間も動物ではあるのですから、 その根は深いということです。
ともかく そういう動物はやがて 進化の過程で人間の脳へと たぶん突然変異します。
私の推理では これは徐々にという感じのものじゃないです。 猿が木から下りて危険を乗り越えながら知恵が進化したという説もありますが、ほんとうは その過程のどこかで さらに一気かどうか知りませんが、突然変異みたいなことがあったと思うのです。
紙数の都合で詳しい考えは書けませんが、ともかくでは何が動物とは大きく違ったのかというと 本質的には「見つめる能力」ということですが、それと同時に感情のいきなりきめ細かに奥深く新鮮になったのです。 この後者についての感情のいきなりの進化説を誰も語ってないようですが、そこが私には学問の不可解?なとことです。
コペルニクスじゃないですが、私の推理の方が絶対正しいです^^。
ともかく、その時人間は 人間となったのです。 円内からいきなり、別の円との関係を「見つめる」ことができるようになったということです。
そして、まだ言葉を知る以前から 一番星にはじめて気がつき目と目でその美を見交わしあったんです。 この宇宙に 意味とか価値が生まれた瞬間です。
テーマから外れた話ではなく、ここが肝心なのです。
やがて人類は 言葉をその同じ「見つめる脳」のちからで獲得しました。
しかし、その言葉によって私たちのもともとの森の中での 「人間性」のほうは失われてもいきました。
文明病の 根深い根深い複雑な発生が徐々にここに起こってしまったのです。
新鮮な 嘘の無い 星を見つめあう子供のような自然な感性で セックスの世界、欲望の世界を「見つめる」力を 失っていってしまったということです。
セックスの不浄感、 道徳的嫌悪感、 それへの反逆心、 不潔なみだらな心、 の二重の分裂した心理の始まりです。
まず、このセックス史観について、ユッキンムムさんに質問要求しておきます^^。 66。 紙数がないので、 ここまでとなってしまうのか、かけです^^。
投稿日時 - 2008-12-14 18:06:44
補足
再びの回答をありがとうございます!
お待ちしておりました。^^
>私が「ポルノ」についての質問をしたのは、表現者としての迷いがあったからで
何か表現のお仕事をなさっていらっしゃるのですね。
もう一度、arayata333様の先日のご質問を読み返して参りました。
>成熟した健全な性の世界は あまりにもすばらしい世界です。
>表現者なら表現しないではいられない世界です。
>それは偽善や心の傷をどれだけトータルに癒してくれるかを考えるならば、
>表現者にとってこの問題は避けて通るべき問題ではありません。
そうなのです。性によって傷付いた私も、性によって癒されているのだ、と実感する事がしばしばあります。
嫌悪し拒否しながらも、「本当はきっと素敵なものなのだろうな。。。」と夢見ていた思春期の私も居ました。単に好奇心が強かった、と言う事かも知れませんが。汗
そうは言いましても、先日のarayata333様のご質問は、未だ掴み切れない部分が多く在ります。それは私のこの質問にて解決したい問題でもあります。何だか、まだまだ締め切り出来なさそうです。。。
>これ、テレビで オスのライオンが交尾の途中で メスライオンに同じ怒りをさそう場面を見たことがあります。
あーーー。。。何か興味深いですね。
そう、セックスについて興味深い、と私が思うのは、何故「痛み」や「くすぐったさ」等の「本来不快な筈の感覚」が「快感に転化されるのか?」と言う事です。
そして、互いを「暴力的な迄の感情の渦」が巻き込みます。
私は「性の入り口」から、一貫して、性行為と暴力を紙一重に感じて来ました。これは拒否感で感じている、と言う意味ではなく、もしかしたら、私自身の「性癖」と言う事なのかしら?と悩みつつも、やはり、性行為に含まれる「暴力の存在」を敏感に感じて来ました。
何も暴力に限らず、「相反する両極端の存在」がセックスの中には混在するように感じられるのです。それこそ「生と死」迄もが。
ですから「愛と憎しみ」も「慈しみと怒り」も「細やかさと暴力」も「日常と非日常」も。。。
>では何が動物とは大きく違ったのかというと
>本質的には「見つめる能力」ということですが、
>それと同時に感情のいきなりきめ細かに奥深く新鮮になったのです。
この週末、子ども達と夫と、近所の小さな動物園に行って来ました。^^
その動物園にはオランウータンが居るのですが、何時見ても「魂を感じる」と思ってしまうのです。
タイヤを揺すってジャンプする姿、綱から綱へと渡る姿、ふとした時にこちらに見える背中に、明らかに「他種の動物には無いもの」を感じます。
何と言うか。。。「経験から得る先読みの能力」とでも言うのか、「思考から行動に移る一瞬の躊躇」と言うか。。。他種の動物からは感じた事がありません。
彼ら大型霊長類とヒトは何が違うのか?と言うと、やはり「言葉」かな?と。
その「言葉の有無」を分けたのは、arayata333様おっしゃる「見つめる脳」の有無、と言うか程度の違い、と言うか、ですね。
「物を見る」時に、他種の動物は「見る」。ヒトは「見つめる」。
物に「存在のみを感じる」他種の動物。「存在と同時に意味を感じる」ヒト、と言った所でしょうか。
ヒトにとっては、物の「意義」は存在よりも「意味」かも知れませんね。
「意味」を感じた時点で、「言葉の必要」が生じますものね。
「存在を感じる」のみなら、「鳴き声」で充分かも知れません。
>しかし、その言葉によって私たちのもともとの森の中での 「人間性」のほうは失われてもいきました。
「言葉」にも「意味を求めて」しまったからかも知れません。
でも、文明病が発生し、「自然な感性で見つめる力」を失ったとしても、こうして此処で、その「言葉」によって、その根源についての教えを請う事が出来ます。^^
無くした物も取り戻す事が可能になるのが、言葉の力であり、ヒトの「見つめる脳」だと思うのです。^^
私の読み取りで間違いがありましたら、どうぞご指摘下さい。
かなり「飛躍し易い思考回路」をしておりますので、ずれまくっているかな?と不安です。汗
のんびり開けておりますので、また続きを頂けましたら嬉しいです。^^
投稿日時 - 2008-12-15 17:00:00