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回答(3件中 1~3件目)
こんにちは、宜しくお願いします。
「考古学の研究成果と食」は「考古学の食に関する研究成果からみる食文化」くらいの意味でしょうか。
先土器時代
集積した状況で発見される焼けた石に肉のコレステロール(残留脂肪酸)が検出されるというケースがみつかっています。これから、肉などの石焼きなどが想定されています。同様のものは縄文時代にも見られます。
縄文時代
気候はしだいに温暖化して常緑広葉樹が広がり、常緑性のどんぐり(カシ・シイ)、落葉性のどんぐり(ナラ・ブナ・クヌギ)や、カシワ・クリ・トチ・クルミ、などが食べられたと考えられています。熱を加える渋抜きには、土器が使われました。また、エゴマ・ヒョウタン・アズキ・ゴボウ・ソバ・イネなどの栽培も行われています。
基本的には食べれるものは何でも食べたようで、ウミガメ、ジュゴン(!)、毒をもつフグも食べています。
土器による製塩(濃くした海水の入った土器で煮る)もあり、縄文土器には煮炊き用の深鉢などもあるが、食器(盛り付けられた者をわけて食べる)までは至っていません。
弥生時代
本格的な水稲耕作やアワ・キビ・マメ・ムギなどの畑作やブタ・ニワトリの飼育も行われるようになります。しかし、本格的な水稲耕作といっても、実際に庶民に至るまで米を主食としたかは見解の分かれるところです。(中世の庶民が雑穀を主に食べていたので)
米は主に炊く(煮る)と蒸す食べ方があり、弥生時代は甕で炊くのが普通で、古墳時代に甑(コシキ)が入ってきてから炊くのと蒸すのをあわせ行ったとされます。
ブタの飼育はほぼ全国的に行われていますが、7・8世紀まで続くものの、9世紀以降は不明で、16世紀に再登場します。ニワトリは7・8世紀には肉・卵を食べた証拠は無く、食用が活発になるのは17世紀からです。
それから藤原京・平城京跡の便所で検出された寄生虫卵から、生野菜や淡水魚をあまり火を通さず食べたと考えられています。
ざっと挙げてみましたが、自分が考えていたよりかなり膨大な成果のようです(汗)恐らく食文化もそうだと思うのですが、日本の場合、歴史は文献資料・民俗資料・考古資料から構成されています。文献に記載されていないことは民俗か考古からしか復元できませんので、一度参考にされることをお薦めします^^
参考:田中琢・佐原真『日本考古学事典』の「食べる」の項
中野益男「残留脂肪酸による古代復元」『新しい研究法は考古学に何をもたらしたか』1995
投稿日時 - 2003-01-17 08:56:24
どういう方面のことをかけばいいのか全くわかりませんが・・・。
研究成果と食が、どのようにかかわるのかは、さっぱり・・・。
ただ、私が聞いたこと有るのは、貝塚(その名の通り、貝の殻の埋めたもの)
が見つかった事により、古代人は貝をわりとよく食べてた、とか
ふぐの骨も見つかっている事から、ふぐも食べてただろうとか・・・。
JR西日本が下関の観光CMで弥生人がふぐを食べているシーンが出てきます。
たべてたらしいです。
うーん、そのぐらいしか知らないので、下記URLでも見てみてください。
(貝塚町の貝塚/鳥がさえずる音がするのでビックリしないでね)
参考URL:http://www.geocities.co.jp/NeverLand/5666/
投稿日時 - 2003-01-17 00:11:25