解決済みの質問
長文ですが西郷隆盛についての質問です。
ずばり西郷隆盛は、いつ倒幕を決意したのでしょうか??
元々は幕府を中心とした諸藩連合による政治を
実現する為に斉彬の下で働いていましたが、いつ幕府を見限ったの
でしょうか??
確かに将軍継子問題で、一橋派が破れ幕府を見限ったとも
考えられますが、それ以降も西郷とは不仲でありましたが跡継ぎの
久光は斉彬の意志を継いでいますし慶喜も健在でしたので、この案を
推し進めても良いのではないかと思うのですが、どうなんでしょ
うか?
ただ薩長同盟以後になりますが結局は久光も慶喜を見限りましたし
上手くいかない話だったのかもしれませんが西郷はいつ、尊敬する
斉彬の意志を裏切ってまでも徳川家(慶喜)への倒幕を決意したのか
が疑問です。
家茂の頃には幕府保守派が多かったと思いますが慶喜が将軍となり
諸藩連合による政治を実現できるチャンスが生まれたのにも関わらず
西郷は坂本龍馬たちとは違い倒幕を決意しました。
これは結局、慶喜は斉彬が見込んだ程の人物では
なかった(幕政改革は口実で徳川が主体になることしか考えていなかった)
ということでしょうか?
まとまりのない文で申し訳ありません。
回答お願いします
投稿日時 - 2008-10-19 21:49:02
明治維新の各藩 朝廷 各人の動きは大変複雑です、
原因としてそれぞれに時代の流とともに考えが変わり、自分たち
が主導権をとるためにいろいろな行動を取ったことからますます
複雑になり本人たちもだれが味方でだれが敵かさえわからなくなり
権力闘争が加わってますます複雑になりました、
またこれらを読み解くキーポイントは朝廷内の権力闘争です
尊王攘夷から倒幕へ変わっていったのは岩倉具視の動きです
公武合体をすすめたかと思ったらいつのまにか錦の御旗を出し倒幕
という変わり身の早さです、どうやらいつのまにか岩倉と薩長を
接近していたようです、
また明治維新は下級武士 下級公家が台頭する絶好のチャンス
であった点です、西郷 大久保 岩倉等は平時では自分たちが
日本を支配することなどありえないのですが、この乱世に一旗
あげようという権力欲が時代の流れと奇跡的に合致したのです。
竜馬が考えていた各藩を中心とし徳川が加わった議会中心の社会になっては西郷はじめ下級武士にとっては自分たちが中心になることは
ないと思ったのでしょう、
西郷は斉彬の思想に共鳴し慶喜を中心にすえ日本を開国により
改革するという考えに基ずき行動していましたが、
斉彬の死、慶喜の考え 長州との連合 竜馬の考え 岩倉の台頭
勝の考え とうを総合的に判断して今は議会ではなく薩長を中心とした倒幕に大きく舵をきりました、これは斉彬の考えとはまったく違う
ものであり、権力闘争に勝ち自分がその後の中心に座り日本を改革するという流に身をゆだねました、
投稿日時 - 2008-10-20 14:58:58
お礼
ありがとうございました
投稿日時 - 2008-10-22 15:02:28
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