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昆虫の命の大切さ

ごんばんわ 無知の男 22歳 です。 読みにくいですが すみません  (関係ない話あり長文) 自分は、人間はもちろん、動物(犬・猫・でかいトカゲとか・・・) そのような生物の命は人間と変わりない大切で、猫が道路で轢かれて 倒れてるの見ると心が痛みます。 いつも死体を見ると、その人物の経緯の事を考えて 最後には、悲しみに溢れてしまいます。 家族で親の実家に行く時ですから(遠い) 猫・亀の死体を見たら、そこらの土に埋めてあげたいと思ってます。 車の移動中だし、そんな行動は出来ない!   自分1人だったら間違いなく猫を端によせます。 中学の頃、下校中・・・道路左側で、猫が口から血をはいて苦しんでた。 土、草のあるところに置いて去ろうとしましたが 一台の車が止まり おばさんが降りてダンボール箱もってきた   おばさんが轢いたのか知らないけど、僕の行動に褒めてくれて 猫の事を可哀相とか言ってた。 で、この猫は、焼いて処分すると言って去っていきました。   猫を土、草に置いたのは、せめて死ぬなら自然がいいと思って。 あと、僕がずっといたら、猫が嫌がると思って去ろうとした。 (野良猫?だし)   とまぁ、こんな感じに・・・。それで   僕の部屋 3日前からタバコシバンムシが発生してます。 5時間ほどで80匹ほど?!居ます。来ます。   5時間で50匹ほど倒してます。(パソコンの周りだけ) (部屋全体、退治しようなら80匹は倒すことに・・・) PC周りに飛んできた時に平気で潰して倒してるんですが 小さい虫、ハエ、蚊、ゴキブリなどは平気で殺して 心の痛みは無いです。今、こうやって打ってるうちにもTVに歩いてたり スピーカーにくっいてたり・・・。   なぜ、平気で殺してしまうのか 一部の小さい昆虫   タバコシバンムシを50匹倒して考えてみると せっかく産まれてきたのに50匹の「命」を平気で倒してる 自分が情けなく重い罪を感じてしまっている・・・   セミ、カマキリ、バッタなど、動物と同じ気持ちです。 まぁ様々です。とくに小さい昆虫(一部)なんかは平気で倒す。 小さくても、あの昆虫はダメだって生物おります。  害虫なら殺しても構わないって人いそうだな~ それで、皆さんは、どうお考えになっておられるのか 教えて頂きたいです! 昆虫の命の大切さ

noname#105644
noname#105644

みんなの回答

noname#67511
noname#67511
回答No.11

命なんてセクースや交尾をすれば、また創りだすことができます。 再生産可能なものに価値はありません。

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとうございます!参考にします。 ふ~む ふむふむ 生産工場

  • makura7
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.10

こんにちは。 私たちは自分に害を及ぼすもの、人間の基準で気持ち悪いものに大してはあまり心が痛まないのかもしれません。 また、動物は小さくなるにつれて個体数が多くなります。 ですので、小さい虫はそれぞれの「個」ではなく、「タバコバンバンムシ」という個体の集まりとして捉えるので、そんなに抵抗がないのではないかと思います。 ある程度大きくなると一匹一匹を「個」として捉えるので、感情が生まれてくる気がします。 昆虫の気持ちとなると、日高敏隆という生物学者がいるのですが、動物行動学の権威であり昆虫学者です。この人の著書で、自分が子供のころから虫を観察していたエピソードがあるのですが、普通ではありません。「シデムシ」という動物の腐肉を主食とする虫について 「とにかく、原っぱのすみに捨てられた犬の死体などをみつけたら、大喜びであった。家に帰ってそのことを得々と親に報告するたびに、親はイヤーな顔をした。そしてそれからは、死体が虫に食われ、ひからびて骨になってしまうまで、毎日その傍らに座り込んで、腐って膨れ上がり、中にうごめくうじ虫のおかげで不気味に動く毛皮の上を歩くシデムシたちに見入っていた。変質者だと思われたのか、巡査につかまって派出所に連れて行かれたこともしばしばある。」 このくだりはわたしにはあまりに印象的なのですが、あなたの質問とあわせて改めて考えてみると、彼が一般的な「害がある」「気持ち悪い」などの基準ではなくあらゆる生物に対して、平等な見方をしていたのかなぁと思います。 非常に脱線しましたが、あなたの質問をみてこのことが一番に浮かびました。

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 参考になります!色々考えている人、経験してる人いるんですね

noname#77303
noname#77303
回答No.9

タバコバンバンムシ・・・じゃなくてタバコシバンムシは小さい虫なのですね。 虫を殺す事はずっと行われてきた事だと思います。 小さい虫となればなおさらです。 僕自身、蚊などを叩き潰した事はあります。 その理由を聞かれれば、「邪魔だった」の一言で表せるでしょう。 聞いた感じは悪いですが、大半の人間は「邪魔だから」と虫や植物、動物をも殺しているはずです。 虫は、人間のように表情も無ければ、猫のようにハッキリ声色を変える訳でもない。 だから、殺すという事を意識していないのだと思います。 確かに、生き物を殺す事はいけません。 でも、人は自分の生活の快適な状態を保つ為、あるいは快適にするために虫を殺す、元々そんな生き物なのかもしれません。

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとうございます! タバコシバンムシ・・・ 以前、そのような考えでした。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.8

やっだ~ゲラゲラ(爆) タバちゃんの画像ありがトン! おなか側から見たら案外キュートじゃん。 眼と眼の間が離れててサ、童顔なんだ~。 情が湧いてきた…かも?? でわでわ!

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとうござます! えぇ見た目は可愛いですね! ・・・今、あの虫が沸いてる正体をあばきました。 ウサギフード、姉の溜め買いで2個ともヤられてました。 もったいない・・・一つ3000円・・・。 2重の紙を破いて侵入した模様。 ゴミの日に処分する予定

  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.7

心理学的な見解ではなく、自分の考えでいいのですよね?  まず、質問の命題を自分なりに捉えなおしますと、 「どのレベルまでの生き物であれば、その生死を慈しむべきか」 という形になります。 ここで私が思うのは、人間が他の動物に対する愛情というものは 1.人間に害を及ぼす事の有無。 2.人間を愛してくれるかの有無。 3.人間の思想や宗教に基づいた価値観から感情として判断している事。 という3つのポイントから来る、人間の勝手我侭な判断であって、 人間としてどこのラインの動物から愛するべきで、どこのラインの動物から殺してもいい、 なんていう人類としての統一見解は出せないんじゃないかと。 例えば猫の例ですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3#.E7.9B.AE > 顔の大きさの割りに、かなり大きな目を持っている。 > 他の動物における子どもの目の大きさの比率に近く、 > これがネコを「可愛い」と思わせる一因にもなっている。 人間に近い部分が他の動物への愛を感じさせる一因になっているとの事なのですが、 それでは人間に近いサルはどうかというと、個人的にはあまり可愛く感じません。 こちらは人間に害を成すイメージが強く、一般的にはネコよりもサルの方が可愛い という人間はあまりいない筈です。少なくとも過半数ではない。 これは害を成すか成さないか、あるいは人間を愛してくれるかそうでないかで 可愛さが異なっていると思うのです。 虫とネコとの違いは ・自分を愛してくれるかそうでないか ・その想像から自分自身が発する対象への判断 ・その判断から出される愛情の有無 でしょう。 また、クジラを殺すべきでない、というキャンペーンが張られていますが、 WW2前はノルウェーとイギリスが捕鯨しまくっていた。 ペリーが日本に来航した理由の一つに捕鯨の寄港地が欲しかった為。 http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_02/shishi_04-00/shishi_04-00-04-02-02.htm あまり参考にはならないかもしれませんが、 http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-1282.html > 捕鯨をする方が国益につがるか、 > 捕鯨をしない方が国益につながるか、 > そんだけ。 > 時代は変わった。 という観点で、諸外国の人間は捕鯨が必要無いから、国民感情として捕鯨反対という方向へ傾いている。 命が大事、というのはどの国も同じだとは思いますが、国情によって口にしたりしないでいたりする。 その時の人間の社会的な都合によって命の重さが変わるのですから、 「虫を殺すな」という世論が沸きあがる時代が来たとしても、 結局、不快であるから、という社会的基準によりその駆除が寛容されるでしょう。 命は大事という倫理的自己認識はあるが、それを不快なので駆除すべきという社会的自己認識の ハザマで揺れているのですね。 また、同じ菌の増殖でも「腐敗」「発酵」と人間の役に立つか立たないかで区別していますよね。 これも人間側の一方的な都合です。 そもそもクジラなどの哺乳類から爬虫類、昆虫、菌、ウィルスの動物を どこからどこまで人間がいじくっていいなんて神様しか決められないし、 それは人間が語ってもいけないように思います。 まず、人間が生きていく上で害を及ぼすものについては、仕方ないが殺すしかない。 それ以外についてはなるべく殺さないように生きていくのが一番まっとうなんではないでしょうか。 最初の問題 「どのレベルまでの生き物であれば、その生死を慈しむべきか」 に戻れば、人間に友好的な生き物・あるいは共存関係のある生き物であれば その生死は自然な心情として愛が生まれるが、 共存関係が無く、害毒を及ぼすものに対しては、生物としての生きる環境から排除せねばならない、 と言えるのではないかと。 全知全能の神であれば、全ての動物に慈愛を与える事も可能でしょうが、 その下にいる我々人間は生きていく為にやむを得ず下等な判断を下すしかない。 我々が生命を持つ限りは、愛を与えられる動物と愛を与えられない動物に分かれてしまうのは仕方の無い事なのだと思うのです。 生命の倫理観については、「寄生獣」という漫画が一歩進んだ解を与えているので、もし未読であれば読まれた方がいいでしょう。

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとうございます! ご苦労様です。   サイトに目を通しやした! スレがAAだから深くのめり込んでしまった~ 奥深い内容だぁ~

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.6

こんにちは。ANo.3で~す。御返事ありがとうございます。 >タバコシバンムシは、茶色くてコガネムシの小さいバージョン 米つぶほどです。 あ~そういえば見たことあるかも。 いや~他のかたたちの御回答オモシロい~! 蜜蜂なんかは間違いなく虫離れした頭の良さだと思います。 でもゴキカブリも、それなりに「ものを考えて」ると思います。ヒトなんかよりも、もっとずっと歴史が長いそうですよ。 実家にいた若い頃、けっこうゴキが出没してたんですが、お台所で洗い物をしていて、何気なくフッと視線を移した先にゴキがいたんです。 (ゴキに限らず、こういうこと多いです。何も考えず視線をとめた先に、、、あっいた!っていうことが) 私が「ああっ!!いた!」と思った瞬間、ゴキのやつもビックーン!!としたのがハッキリ分かりました。(視線を感じる能力があるんだね~) 慌てて殺虫剤をとりに行った隙に案の定、雲隠れ。おぬし、分かっとるな、、、と思いました。 ANo.5さまって優しいのですね~!!私、思わず反省しちゃいました。。。(ー_ー;) そっか、虫除けスプレーを活用するべきだったんだな~! むかし実家にいた頃は、大きいクモが、しょっちゅう出てきたんですが、あれって、いくら追い出しても追い出しても、ちょっとした隙間から、また入ってくるんですよ。。。しかも私のベッドで同衾したがるし、こっちは、もうノイローゼ寸前でした。子どもをたくさん産むし。(「クモの子を散らす」、って言うくらいです) 巣を張ってもらいたくない場所に、えらい力作の巣を編んであったのを「ここには張るんじゃないよ」と見せしめのため破ったことがありますが、その瞬間、製作者のクモが「あ、ああ~」と言わんばかりにガックリしたのが分かりました。でも、またまた同じ所に張るんですよね性懲りもなく。。。とくにエサがたくさんとれそうな場所でもないのですが? 学習能力ゼロかいな、って言いたくなる。なーんにも考えてない証拠なのかな? 虫って一匹ごとの個性は、あまり分からないですが、種ごとに観察してると、その種なりの気質はあるように感じられます。 たとえばクモの場合は (クモって、そもそも虫じゃないのでしたっけ?カニの親戚ですよね~?) でっかいクモは見かけによらず、おとなしい。(だから外見のグロテスクさで威嚇?でも逆効果になってるよ。。。) 小さいハエとりグモのほうが、よっぽど気が強い。 (人間でも当てはまりそう。。。) ゴキも、なかなか気が強い。殺虫剤持った人間に向かって飛び掛ってきたりする。(窮鼠、猫をかむ?) アンケ・カテよりも、むしろ哲カテで聞いたほうがANo.2さまも御指摘のように倫理哲学の観点からオモシロい質問だったかなと思うようになりました。但し、そうとう厳しい意見も出てくるだろうと思います。 虫たちが単なる本能としての防衛以上のことは意に介していないだろうように、そもそも命というものに価値があると判断するのは人間の思想によるからです。 もちろん人間は或いは人間以外でも、完全なひとりでは生存できないでしょうから、生態系を保持するというレベルで考えるなら、虫一匹から始めるという考え方もあり得ると思います。 しかし実際、人間によって絶滅した生物種もあるそうですが、そのことが直接に我々の生存上に重大な影響を及ぼしているわけでもなさそうです。 それこそウィルスレベルで考えれば、もっと夥しい殺戮を繰り返してきたでしょうが、むしろ積極的に殲滅することが我々の生存上に必要だったこともあるでしょう。 命というものに価値がある、とはどういうことなのか? 殺すということは悪なのか? では悪とは? 我々が飽くまでヒトとしての立場から判断することは、単なる生存上の問題を超えて突き詰めていくなら、なかなか一筋縄ではいかない哲学的な問題になってきます。 まぁいずれにしても、殺さないでおいといてくれるなら、とりあえずアリガタイというのは、どの生き物にとっても本音だろうとは思います。 虫除け探して、たくさん買っとこうっと。                    

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとございます! お疲れ様です! タバの画像 http://www.nfri.affrc.go.jp/yakudachi/gaichu/zukan/10.html

  • markx01
  • ベストアンサー率20% (12/59)
回答No.5

私も動物や虫の命は大切に感じます。 水たまりで溺れているアリやクモを見れば、極力救います。 手に蚊がとまっていれば、叩かずにフゥッと吹きます。 部屋に出現したクモは捕まえて外へ逃がします。 これはクモに限らず、ハエも蚊も蛾も同じです。 我が家には、ハエタタキも殺虫剤もありません あるのは虫よけだけです。 人間は無数の虫を殺してきましたよね? 何もしていないのに『そこにいる』だけで殺害理由になってますよね? そんな理不尽な事 許されないでしょう。 人間が虫を殺す理由は、生態系も弱肉強食も適応されない ただのわがままです。 あなたの部屋にいる虫、殺したい理由はわかります ぜひ回避策を考えてみて下さい。 侵入経路を塞ぐとか、虫よけスプレーを侵入経路に吹き付けるとか あなたに殺される為に産まれてきたのでは無いんです。 部屋にいるのを殺さずにいられないのなら、 せめて二度と入ってこないよう なんらかの対策を考えてみては いかがでしょう? 去年の秋 レタスに小さな小さな青虫が付いていました。 秋なので、外に出してしまっては、寒さで成虫になれないかも しれないと思い、翌日ホームセンターへ走り青虫生活環境を 作りました。二ヶ月後の年末、仕事が終わり家へ帰ると カーペットに蛾がじっとしてました。レタスの青虫は 蝶かと思ってたんですが蛾だったんですね。 私は北海道なので、外は一面雪景色です。 秋に外へ出さなくて良かったと、そのとき一つの命を 救った事が嬉しかったんです。そのまま数ヶ月生き続け 春には死にましたが、蛾をペットのように飼うのは 周りにも例が無く大変でした。蝶とは全く飼育方法が違うからです。 お金も多少かかりましたし、なかなかの労力で蛾1匹の一生を 支えました。 この虫だから殺してもいいなんて考えず 命の重さは全て一緒 そう考えるといいと思います。 自分を含めて夜間車で走るだけで相当殺してると思います。 でもそれは不可抗力。 一般的に皆さんがしていることは、虫を 殺そうとして殺害しているというとこです。 当然、見返りなんてありませんが もう少し命の大切さの分かる人が増えてほしいと思います

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとうございます! おぉ・・すごいですね・・。 僕も蜘蛛なんかは家でみかけたら外に逃がすか そのままにしておきます。クモはゴキブリを食べるので助かってる面もあります! 虫よけ・・・虫コナーズ

noname#95615
noname#95615
回答No.4

私は、相手に感情があるかどうかで考えています。 相手が嫌だと思うことはしないほうがいい。 もし自分がある動物に生まれていて、殺されるときになんとも思わないのか、苦痛を感じたり嫌だと思うのか、ですね。 アリやミツバチなんかを注意深く観察すると、感情(そのときの気分)があるように見える行動をすることがあります。 動物は脳がなくても相当複雑な判断や行動ができるらしいのです。 ミツバチやアリは見た目もかわいいので、がんばれと思ったり、死んだのを見たら「こんなところで死なずにおうちに帰りたかったよね」と悲しんだり、感情移入しちゃいます。 ゴキブリは繁殖されると気持ちが悪いので殺しますが、なんか、ものを考えてそうな雰囲気ありますよね。ちょっと、ごめんなさいという気持ちです。 カマドウマは何も考えてなさそう、ゼンマイじかけの機械にしか見えないです・・・怖いのが先にたって、抹殺!と思ってしまいます。 なんか、こうやってエゴな気持ちを書いていて、戦争が頭をよぎりました。差別やエゴはよくないですね・・・。

noname#105644
質問者

お礼

回答ありがとうございます! カマドウマ・・・・ 参考になりました。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.3

アンケ・カテで聞いたほうがよかったかも~ですが。。。 >無知の男 思わず笑。(´∀` でも、やさしいのネ。 ずうっと前、近所の広い公園を自転車で走ってたら、夕暮れ時で、よく見えなかったせいか、まだ子どものへびちゃんを轢き殺しそうになった。 慌てて急ブレーキかけたら、へびちゃんもビックリして、ぴょんッ!と飛び上がってから着地したあと、私のほうを睨みながら肩でハァハァと息ついてました。(へびの肩??でもホントだもん) 「前方不注意の私が悪うございました」とアタマ下げときました。 以前住んでたマンションの駐輪場で自転車のホコリを雑巾で掃除してて前カゴのなかをふいたら、カゴのなかから、ぬっとトカゲちゃんが顔出してきて睨まれました。眼がサンカクになってて、怒ってたみたい。どうやら雑巾で思っきしトカゲちゃんのアタマをふいてしまったらしい。 「そんなとこで寝てるアンタが悪いやんか!」と言いましたが、トカゲちゃんの眼は機嫌の悪そうなサンカクのままでした。 しょうがないので「ああ私が悪うございましたよ」と謝っときました。 ワケあって「タバコシバンムシ」なつかしい。。。でも実物は知らないです。どんなんですか? 私は虫類、爬虫類がちょー苦手です。 2、3日前ベッドで寝てるとき脚に何か這ってる~!!と気づいてガバと飛び起きたら、久方ぶりのゴキだった。 うち、食べるものロクにないのでゴミも少いしエサになるものがなくて私の脚を齧りにきたのかな。 ぞわ~ときてム~としながら即、死刑執行。 おっきいクモも、ちょー!ちょー!!苦手!!! クモは益虫ということになるのだろうけど、私にとっては不快害虫の範疇です。生理的にガマンなりませんの。ご飯食べれなくなるし寝ることもできなくなるので、これも家宅侵入罪にて、執行猶予なしで即、死刑。 おっきいクモは、あのグロテスクな見かけによらず性質がおとなしくて逃げ一辺倒だから、ちょっとは良心が痛むんですけど。。。おっきくなりかけのクモに刑執行したあと苦しんでるの見て泣いたことがあった。。。即死する殺虫剤ってできないのかな(ー'`ー;) でもテントウ虫(別名レディバード)とかコオロギの(おとなになったのはダメ、あのぶっとい太腿が!)赤ちゃんは、とても可愛いです。手を差し出すと、ちょこちょこ寄って来て手のひらに乗っかってきます。単に温かいかららしい。。。 虫って、なついたりするんだろうか?? 引っ越したばかりのころ3階のベランダで、おっきい蝉の屍骸が落ちてたので、なんとかボール紙の上にのせて階下の土のある空き地まで、震える手で運んだことがあります。 >なぜ、平気で殺してしまうのか 一部の小さい昆虫 虫のカオとか姿って、なんとなく宇宙人っぽいというか、情というものがあるのかないんだか、何を考えてるのか考えてないのか、よく分からんないから、あまり躊躇することなく殺せるのかなぁ。悲鳴もあげないしねー。野菜だって花だって悲鳴が聞こえるようだと食べたり切ったりしにくそう。 虫類はグロテスクなやつも多いし、容姿だけで損してるかも。 ウジ虫だって、ヒトの死体とか食べちゃうのでしょ? 伝染病を媒介したりするのもあるし。 (でも『虫愛ずる姫君』という物語があったっけな) 強いて心理学?的に考えたら、すごく大ざっぱでしょうが虫類とか爬虫類って、哺乳類に比べたら感情など乏しいように見えるけど、命を惜しむには、やっぱり変わりないのでしょうね、生きてる者には違いないのだから。 その点、ヒトに比較的近い犬やら猫やら哺乳類一般或いは鳥でもいいけど、ダントツ感情表現などが豊かですもの。知能も高いし。懐くし。子犬とか仔猫とか見かけもメチャ可愛いし。 どうしても虫類より情が移りやすい。感情移入しやすいです。ある程度の個体の大きさもあるし「十人十色」って言いたくなるような個性も持ってるし。牛とか馬とかは食料にする以外でも人間の役に立ってくれてるし。 虫は一匹一匹よりも数で勝負!って感じ。 一匹ごとの好みとか個性とか分かりにくい。あとは、その種ごとの特徴や色彩の美しさなどが目的で採集や飼育する人もいるということでしょうか。 あ、蜜蜂は別格かな。 昆虫自身は「命の大切さ」なんてテーマ、ぜんっぜん!考えてなさそうですけど。どうなのかな~。 でも、実家の庭で、腕組みして沈思黙考してる大カマキリを見たことがあります。追っ払おうとして大きな音たてて騒いだら、クイッと首をまわして、こちらをギロッと一瞥、あとは完無視だった。 カマキリに侮蔑されちゃった´-ω-` ~無知の女の感想文~

noname#105644
質問者

お礼

おぉ~どうもお疲れ様です 参考になりました! タバコシバンムシは、茶色くてコガネムシの小さいバージョン 米つぶほどです。

回答No.2

ゴキブリ殺してしまいます(T0T) 蚊も、蜘蛛も、ブヨも、蟻も・・・。 ペットに愛着があるのは当たり前ですが、 「倫理というのは人間のみで考えなければいけない」のだそうです。 どうしてでしょうね。牛や豚、鳥、魚や植物を食べるからでしょうか? 全ての人間の生や権利も守れないのに・・・という優先順位の問題でしょうか? 「命を大切に」と言えるのは、霞を食べて生きる仙人様だけかもしれませんね。人間だって何かのエサとして標的になれば、食べる目的以外で殺すでしょう。すでに農薬まいていますが・・・。人間という同じどうしだといっても、わざわざカテゴライズして殺し合いますし。 殺生に罪を感じるということは、自身が生きることにも罪を感じなければ嘘だと思います。 なので回答は  いつでも昆虫の命は大切であると言い張れませんが、殺生には罪悪感を感じます。よって、私は生きていない方がいいでしょう。

noname#105644
質問者

お礼

回答どうもありがとうです! 参考になります!

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  • 動物の毛皮についてと、動物の命について。

    動物の毛皮についてと、動物の命について。 まず毛皮について質問です。 毛皮を剥いでも平気な動物(ひつじ?)と、剥いだら死んでしまう動物には どんな差が有るのでしょうか? また、剥いだら死んでしまう動物の毛皮を剥ぐ時、生きたまま剥いで そのまま捨ててしまうなんて、結構ありえてしまう事なのでしょうか。 そして命について質問です。(少しカテゴリ違い気味ですみません) 本来、毛皮は食べるために殺した生き物を全て利用する 命への敬意などが有ったと思うのですが、 いまやただの金を得る道具に殺すだけになっているから問題視 されているのだと思います。 しかし、食用に育て、その動物の自由を奪い殺し食す事。 ペットとしてその生き物の、本来の姿の自由を一生奪い死なせる事。 そしてそれらに関わり生きる人々。年間何万匹と処分されていく犬猫。 毛皮の為に殺されるのは確かに圧倒的に理不尽だとは思いますが、 何かふに落ちません。食べる事は必要ですが、 本気で栄養管理すれば肉なんて食わなくても人間生きていけますよね。 確かに栄養価が高いですが、それよりも「美味しいから」という 毛皮と大して変わらない欲求に近い一面も持ち合わせていると思えます。 ペットに関しても、あからさまな虐待は論外としても かわいがっているつもりでも、本来の自由を一生奪い従わせ 関係性(誰と関わるか)の自由を奪い、行動に一生涯の制限を設け、 反発(攻撃)すれば餓死や事故死する所に捨てたり、保険所へ。 毛皮はダメでペットは良くて食用は仕方ない。 気持ちは判るけど何か見落としているような気がしてしまいます。 この気持ちは何なのでしょう?動物の命の重さって何なのでしょう。