解決済みの質問
#10さんの回答に補足しますと、文系、とくに文学部の「博士号」の意味は理系とはまったく異なっております。理系の博士号と言うのは「研究者になる為の教育はうけましたよ」という程度の意味しか無いですが、文系では、大きな研究成果をだしてはじめて取るものです。だから、文系で博士号を持たずに大学教員になっている人が殆どです(それでも、最近では変わってきたかも・・・)。最近流行りの文理融合系の学部とかおもしろいですよ。理系出身の教員は20代の若造も「博士」ですが、文系出身は大御所の教員も「修士」とか「学士」だったりしますから。でも、それが普通です。
あと、理系といっても医学部はまったく異なっています。
投稿日時 - 2008-07-05 19:29:31
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ベストアンサー以外の回答(10件中 1~5件目)
理系しか知りませんが、取れない人は結構多いですね。
博士号を取るには、一言で言えば、教授の言う通り、論文を出して、最後に博士論文にまとめればいいのです。
とはいっても、ひとつの博士論文にまとめるには、複数の論文を学会や論文誌に発表しなければなりません。これはテーマにもよりますが、なかなか難しいと言えば難しいのです。要は論文が通り易くて、他の人がやっていないようなテーマを見つけることができれば比較的楽なんですが。
頭の良い人で博士号がとれない典型的(と私は思っている)なパターンは、頭が良いので難しいところが見え(過ぎ)てしまい、他の人が主張するテーマの改良という形でしか論文が書けなかったりする場合です。こういう「重箱の隅つつき」的な論文だと、いくら論文の数があってもひとつの博士論文としてまとめることができない、という訳です。
私は「問題は常に与えられる物」とする受験勉強が、こういう人たちのベースになっているような気がしています。大学受験では勝ち組になったけど、博士にはなれない人たちです。博士を取るためには、問題もその解法も自分で見つけないとダメですからね。
もうひとつのパターンは、単純に博士論文にまとめることができない、というのですね。これは、先の例とは違い、難しいところ、面倒なところを(無意識に?)避けてしまい、その結果として博士論文としてまとめられなくなる、というものです。つまり、避けて通れない部分を「避けたい、けど、避けられない」という堂々巡りになってしまい、結局、博士論文が書けない。こう書いてしまうと、何やってんだ、と思われるかもしれませんが、博士論文をまとめるのは精神的にしんどいので、こういう状況に陥ってしまったりします。
本当に才能がないと、博士論文どころか、学会に出す論文もまともに書けません。結局のところ、論理的な思考能力と、作文能力に問題があるのではないか、と私は思っています。こういう人はあきらめた方がいいでしょう。そうでなくても論文が学会に通らなかったりすると「あー博士が遠くなった!」という感じでそれなりに絶望感を味わいます。ここでめげてはダメなんですが。
博士号を取得するには主査の教授に面倒を見てもらう必要があり、主査の先生に「それなりに」気に入られる必要があります。この「気に入られ程度」は完全に教授の主観です。最悪、嫌われると、才能云々より以前に絶望的です。主査の教授から雑用を言いつけても嫌な顔を見せては行けませんヨ。
まあ、博士号の審査は審査で、いい意味でのイジメに近いというか、ちょっと独特の雰囲気がありますからね。それに耐えられない、という人もわずかながらいるようです。
投稿日時 - 2008-07-05 00:17:32