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カウンセラーの意味って?

臨床心理学の授業を受けたのですが、カウンセラーって何なのか よけいにわからなくなってしまいました。 講義をしてくださったカウンセラーがおっしゃることは、次のとおりなんですが、 ■励ましの言葉は絶対にかけない 『励ましの言葉をかけて、後になって「良くなるといってくれたのに 治らなかった!」と責められるのが怖いから。』 『励ましの言葉がほしけりゃ、よそへ行けといってやる。』 『「大丈夫」「良くなるよ」と声をかけるカウンセラーは本物ではない。』 「私・・・治るでしょうか?」と藁をもすがりたい精神状態のときに クライアントの素質を見ることなく、誰に対しても一律的に自分の 考えを話すというのはどうかと思うのですが。 確かに、治る見込みが限りなく少ないクライアントに対して、治るよと 伝えることは怖いという気持ちはわからなくはないのですが。 また、 『僕の存在自体が必要であって、僕はそこに(クライアントのそばに)いる だけで価値があるのです。』 この言葉をクライアントに(「僕」を「あなた」という言葉に置き換えて、 自分自身を大切にしようよという意味で)言ってあげるのならわかるん ですが、カウンセラーがこういう心持ちでクライアントと接するのであれば ただの自己満足だと思いました。価値はクライアントが決めることだと思うからです。 もちろん、一緒に居てあげるだけで心が落ち着く事例などでは傲慢には 値しないこともあるとは思います。 ■私の心理療法を拒否されたことはない 『病院の院長にもぜひやってくれといわれた、私がやることに間違いはない。』 『精神科医がやることは、単なる点数稼ぎの繰り返しなことが多いんです。私が行う療法とは違う。』 精神科医とぶつかることはあるでしょうが、この自信は何かしらの 危険性を孕んでるということはないのでしょうか。 ■分析ではない、関係性を保っているのだ 風景構成法なのですが、絵を描いてもらうことで、クライアントの 心理を読むということは分析にはあたらないのでしょうか。 カウンセラーは『絵の中の地蔵はこの場所で誰かが死んだことを意味している』 などと話してました。これは分析といわないのでしょうか。 その分析は・・・などという言葉を使って質問しようとすると、 『関係性を保った療法だ。分析とは違う。』と反論されます。 じゃあ、絵を通してクライアントと話をすることで、人と関係を保つとは こういうことだよと無意識に教える療法なのかと私なりに解釈してみたの ですが、カウンセラーは、 『言葉では精神状態を話せないから、絵を描いてもらうことによって その人の真理と現実を知るのだ。』ともいっています。 いまだ私はカウンセラーのいう療法とはどういうものなのか掴めません。 そのカウンセラー自身も全て勉強という名目で、有名な心理学者に長きに 渡って夢分析を受けたり、(気持ち的に)命がけで海外のカウンセラーの 元へ出向き、カウンセリングを受けたり、カウンセリングを受けて涙が 出たとか実体験までしたみたいですが、なぜか本当にクライアント と向き合える人なのかと疑問に思うほどマイペースな人でした。 カウンセリングでの留意点を記したスライドを映してたのですが、 生徒が書き写す間もなく一瞬にして消してしまうことが何度もあったり、 板書の図についての質問が話されてる最中でも、その対象の図をどんどん 消してしまったり、質問が増えるとちょっと不機嫌な感じになったり。 カウンセラーも人間ですから全てカンペキにこなすというのは無理でしょう。 有名大学の先生らしいですが、トータルで見て私が精神を病んだとき、 この人のカウンセリングを受けてみたいかと聞かれればそうは思えません でした。 長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

noname#63156
noname#63156

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  • kigurumi
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回答No.7

NO.6です。 >魂なんてない世界で暮らしてた。あのオカルト否定で有名な大槻教授と同じ立場だった。』というようなことも漏らしてました。 フロイトはオカルティストだと知っていたのですが、私もそのリンクを読んでユングもそうだったんだ と知りました。 ってことは、心理業界はオカルティストの集まりか? と思ったりしました。 えっと、錬金術ってありますよね。 卑金属から貴金属にするって試みで、知的財産で大儲けするのも、錬金術の一種として使われています。 が、元々というか、物理の世界ではなく、精神世界で、かなわないどうにもなりっこないものを、錬金術でピュアな精神 あるいは超越した精神に変化させる つまり 解脱したような状態になる というわけで、主に宗教で錬金術は研究されていた。 早い話が、<自分は普通の人と違い超越した存在だ>と<思い込んでしまえば>、錬金に成功したという自覚になってしまう。 他人が「普通のなったつもりになっているお馬鹿さん」だと感じても、本人は「人を殺すことすらやっていいとする存在」と思ってしまい、結果 オウム教祖や信者のような、自称錬金成功者になってしまえるってわけです。 その先生 すごい 危ないですね。苦笑 >質問の内容を生徒が話し終わったときは小さく何度もうなずくという、うまくいえないんですが、あなたの話すことは充分受け止めましたよと、とれるようなリアクションはされてました。 はい それが傾聴する立場の取るべき態度とされます。 「あなたの話しはちゃんと聞いていますよ」と相手に伝えるというのが傾聴の基本姿勢。 だから先生は「あなたの話は聞いていますよ」という傾聴の態度をしたわけです。 問題なのは、「1+1=いくつですか」という質問に対して、普通は2と答えます。 ですが、「そうですか なるほど 聞いていますよ えっとですね そもそも 心の世界で1というものがどういうものか ということを考えなければならないんですね。」 あーたら こーたら。 答えを待っている人は、ムズムズ イライラ しますよね。 「そもそも1という概念は」など どうでもいいんです。 今 聞いているのは、1+1がいくつか先生は知っていますか? と聞いているんですよ。」 なわけです。 すると「知っているかということは どういうことかと考えたとき」と答えられる。 イライライライラ「先生1+1=2 他に答えはありますか!?」 すると先生は「精神世界では物理の世界と違い絶対ってものがそもそも無いんです」とか言う。 「もーーーーー 赤信号は止まれです。人によって、国によって、心のあり方では、<進め>になるってことは<無い>んですよ!」 と言いたくなります。 カウンセラーにブチ切れるクライアントは多いらしいです。 「無能 金返せ」と怒り、その怒りをカウンセラーにぶつけたところ、カウンセラーがマジ切れして「もう二度とくるな」とカウンセリング拒否したという事例はよく聞きます。 プロならクライアントの怒りも受け止め、誠意をもって接するべきですよね? 職業忘れて、普通の反応している・・・・・。 クライアントは、自分で解決できないから、<相談>に来ているわけです。 答えを求めて カウンセラーから「こうしろ」とアドバイスが欲しくて来る人が多い。 でもカウンセラーはアドバイスをしてはいけない。 本人が答えを見つける作業をする時の補助として存在する。 他人じゃなくて、本人が「こうなんだ」と発見して自身が変化(錬金)しない限りと、アドバイスされても、結局本人納得いっていないから、また繰り返し悩むことになる。 錬金するための伴走者がカンセラーなわけですが、相談者にアドバイスする仕事がカウンセラーだと思って受ける人が多いから、いつまでたってもアドバイスをくれないカウンセラーにマジ切れするんじゃないかと。 だから契約の前に、どういうことをサービスとて提供するか を説明して、それに承諾してもらってから、仕事の依頼を受けるべきだと思うんですね。 で、それが<カウンセリングの実演>なら、生徒が言うことに「うんうん」とうなづいて傾聴していればいい。 でもカウンセリングの実演ではなく、<心理学の講義>で質疑応答場面でしたら、的確なユング派の方針を示さなければならないと思うんですね。 で、先生が質問に関してのユング派がどのような見解かのか知らなければ、「知らない」とは言えないので、のらり くらり と質問をかわすしかない。 「そういう質問は今まで無かった、勉強不足なので調べておきます。」と回答すれば、信頼の失墜は無い。 もしくはユング派なり心理学では解決していないと知っていれば、「その事に関しては、問題視されてきたが、未解決となっています」と答えても信頼の維持はできる。 >すでにカウンセリング姿勢や内容について批判めいたことを書いてしまったので・・ ああ、私単位の一つとして、今度、宗教に関するディスカッションに参加するんですが、徹底して今までの宗教の批判をやることにしています。 その後試験あるんですが、単位取れないのを覚悟で、もりもり欠陥を指摘してしまうでしょう。 講師の人は某宗教信者なので、敵視されちゃうかも。笑 それでも 納得いかない根拠をモリモリ言うつもりです。 >ただ、私は単なる単位取得だけでなく、もっと人の心とはについて勉強してみたいと思うきっかけになりました。 じゃあ 失敗だったわけじゃないので、良かったじゃないですか。 実は、私は人の根本性格は変わらないと思っているんですね。 だから、カウンセリングは、自己改革のためにやるのではなく、自分の欠点は何かを発見し、そこから目をそらさず、そして欠点・弱点を受け入れることで、成功するんじゃないか と思うんです。 錬金術は不可能なことをしようとするわけですが、そんな難しい不可能を可能にしようと妄想を起こしても、所詮 自慰にすぎないと思うんです。 そうじゃなくて、自己の中にある<弱点>を知り、その弱点の存在を誰でもなく自分が受容することで、精神の安定は図れ、心が回復するって思うんです。 その作業をするとき、その旅を一緒に伴走をしてくれる人、 つまり カウンセラーがいることで、旅の期間が短くて済み、苦しむ期間が短縮されるのなら、カウンセラーの存在価値はある と思うんですね。 一時的な気休め言葉とか、認識できない超常的なものが原因と誤魔化して解決しようとしても、結局それは偽り 幻なので、いつか消え、またもとの状態に戻ってしまう。 外じゃなく内に既にある ということを知る。 内に既にあるのなら、青い鳥を探しに行く必要は無いわけです。 すっごい安心だと思うんですね。 だって既に所有しているんだ とわかるんだから。 その講師は外に探して回って彷徨い続けているのかもしれない。 既にあると早く発見して、探し方を聴講生にレクチャーできるようになればいいですね。 錬金する必要など無かった とわかれば、先生の心も安定するでしょう。

noname#63156
質問者

お礼

>問題なのは、「1+1=いくつですか」という質問に対して、普通は2と答えます。 ですが、「そうですか なるほど 聞いていますよ えっとですね そもそも 心の世界で1というものがどういうものか ということを考えなければならないんですね。」 あーたら こーたら。 その「1+1」の例、カウンセラーの先生も持ち出してました。 「+」だから2、なぜ2なのか。その「+」はただの記号である。 記号と象徴は意味が違う・・・その後も云々説明してましたが、結論が いまひとつわからなかったので、はっきりとした内容は忘れてしまい ましたが、おっしゃるようにあーたらこーたらでした(笑) もしかして、その授業にいらっしゃいました?というくらい鋭いです。 >その作業をするとき、その旅を一緒に伴走をしてくれる人、 つまり カウンセラーがいることで、旅の期間が短くて済み、苦しむ期間が短縮されるのなら、カウンセラーの存在価値はある と思うんですね。 なるほど。いわれてみればそうですよね。 クライアントは解決策をほしがるけど、カウンセラーが答えや解決策を 見つけてくれるのではない。 「一緒に伴走」 カウンセラーのすることはこれなんですよね。 >一時的な気休め言葉とか、認識できない超常的なものが原因と誤魔化して解決しようとしても、結局それは偽り 幻なので、いつか消え、またもとの状態に戻ってしまう。 あー、そういうことだったのですね。 こうやって教えてもらえれば、あのカウンセラーの先生がいうことも 納得できたように思います。 短期間にここでたくさんの大切なことを勉強させてもらったように思います。 カウンセリングって本当に深い。そして、人の心って難しい。 何度も教えてくださり、ありがとうございます。

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  • kigurumi
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回答No.6

河合隼雄ってユング派の臨床心理士ですね。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0830.html これでいけば江原氏もユング派系かな? >有名大学の先生らしいですが、トータルで見て私が精神を病んだとき、 >この人のカウンセリングを受けてみたいかと聞かれればそうは思えませんでした。 感じたのは、それカウンセリングの失敗事例。 ユング派は相手のあるがままを受容するという方針。 クライアントがAの話をしていて、その内容がおかしいと思っても指摘しない。 「人を殺したい」といわれたら「どうしてですか」と聞かない。 「「そうですか 人を殺したいんですか」と相槌を打つ程度に留める。 あっちにフラフラ こっちにフラフラ、カウンセラーが理解しているかどうか、あまり確認せず独語を言う相手に付き合うわけです。 ぶつぶつぶつぶつ と独り言を言うのに付き合うわけです。 で、この先生、カウンセリングを受けている時の精神状態と同様のようで、いわゆる独語なわけで、生徒が理解しているのかどうか確認しない。 独語なので、生徒が書き写しているかも関心が無い。 この先生の独語は、聴講者がいないと起こらない。 カウンセリングを受ける人も、人がいないのに喋りませんよね。 カウンセリングをする人が聞いているというのを認識して、喋りますよね。 で、ユング派はクライアントに喋らせるだけ喋らせるという方針なので、生徒が「質問」したり「疑問がある」と話の腰を折るのはご法度。 クライアントが自慢話をしたければ、時間内にずっと自慢話をさせる。 泣いていたければずっと泣かせておく。 沈黙としていたら、ずっと沈黙を許しておく。 なわけです。 「ちょっとまってよー 私達は学問を学びに来ているのであって、先生のカウンセリングをしに来ているわけじゃない」 ごもっともです。 えっと、、、先生と呼ばれる立場の人は、お弟子さん(今回は聴講している生徒)から否定されない。 いわゆる、商売の世界では、売り手は買い手を誉めこそすれ、否定しないですよね。 否定して怒らせれば、買ってもらえなくなる。 (売れっ子のホストの場合は逆で、顧客の自我を破壊し支配しますが) お弟子さんも、先生のやっていることが変だと思っても、誉め殺しにしていれば、馬鹿な先生はそこそこ仕事を自分にくれるので、先生が裸の王様であると表向きは否定しないわけです。 ですので、誉め殺しに長年浸っていた先生は、他人から否定されることが無く、もともと、他人から否定されることを極点に恐れる個性だったので、カウンセラーなりその方面に仕事につき、さらに先生と呼ばれる職業になったわけです。 で、先生は人から持論の欠陥を指摘されると、それについ考えず、逃走する。 つまり自己防衛に入るわけです。 それがそれらの言い訳、自己弁護行動になっているわけで。 自分に対し信頼していないし、他人も信頼していない。 自分を過小評価し、自分だけ愛している。 その先生の独演会、、、、お金出して聞いて価値が無いと思ったら。。。。 でもそれ単位とりやすくないですか? 誉め殺ししとけば単位くれるわけでしょ? そのおかしな持論通りの回答を、試験で書けば単位くれるわけです。 取得が容易な単位ですよ。 そのような取得が容易な単位なのでいいんじゃないかと。 だって、カウンセリング教室ってカルチャースクールで、やってるみたいですけど、何万って高いですよ。 それが学校で単位取得として利用できるってことは、税金で安く大学の一単位が取れるわけで、おいしーですよね。 先生の講義を疑問も持つことが許されず、「そうでうかぁ」と聞かされている状況ですが、学校側に「我々はこの講師のカウンセリングをするため金払っているんじゃない」と講義するより、容易い単位取得として利用しちゃえ。 このようにカウンセリング業界があまりにも無法地帯で、国民に害を与え続けているという状況に国も本腰あげて、免許制にしようかってなったんです。 でも医師会が効果が認められないとしているので、免許制度になっていないわけです。 だから、免許じゃないので、誰でもカウンセリングをして金取れる。 臨床心理士だって英検とか華道とかと一緒で民間の企業が勝手に決めた検定試験であって、それが無ければ仕事ができないって免許じゃないです。 臨床現場の人(いわゆる医者)が、効果が無いとまざまざと現場でみせられ、今ではカウンセラーも臨床心理士も雇わなくなっている現状ですので、このままこの手のものはカルチャースクールで娯楽として学ぶ程度になるかも。 本腰入れないと、いつまでたってもお遊びであり学問ですらないってのが常識になりかねない。 本当に脳の異常が原因なのに、カウンセラーが自分が治すと、抱きかかえて放さず、カウンセラーがお手上げになり放してくれて、やっと医療受診ができたが、その頃にはかなり悪化してしまっていた ということもあり、医師会はカウンセラーの存在悪を問題視しているんですね。 スピリチュアルなんとかってのも、結局カウンセラーの自己陶酔番組のショーなわけで、娯楽番組の時間帯に放映している。 おもしろおかしくテロップ入れたり、泣きのうまい俳優人をそろえた娯楽ショーを演出している。 それら癌組みはやらせだと発覚しているが、やらせだと発覚もなにも、こんなの真実だと信じている人がいたなんて 私としてはそんな人がいたってことの方がびっくり。 政府は国民がこれを娯楽として観ているという認識。 だが、中には真実だと思っており、裁判起こしたりしているから、政府も オイオイ と困っている。 で、少なからぬ人が、娯楽番組をドキュメンタリーだと勘違いして信じているとわかりだし、このまま野放しにしていいものかと思案している。 国民の誤解を招き国民に害を与える無法状態のカウンセラー業界の活動に強く規制をかけるかどうか、政府もきっかけを待っている状態。 ただ、国民が占い・娯楽にはまることに関しては政府は関与できないので、ここが難しいところ。

noname#63156
質問者

お礼

おっしゃる内容が、そのカウンセラーの先生に当てはまることが多いです。 教えていただいたリンク先へも行ってみて、ちょっと気になるのが、 【ユングのオカルト好き】という部分。 カウンセラーは元々は理系学部の出身で、あることをきっかけに転部した らいしのですが、 『魂なんてない世界で暮らしてた。あのオカルト否定で有名な大槻教授と同じ立場だった。』 というようなことも漏らしてました。 >「人を殺したい」といわれたら「どうしてですか」と聞かない。 「「そうですか 人を殺したいんですか」と相槌を打つ程度に留める。 質問の内容を生徒が話し終わったときは小さく何度もうなずくという、 うまくいえないんですが、あなたの話すことは充分受け止めましたよと、 とれるようなリアクションはされてました。 ただ、そんな反応にもかかわらず、後の答えがフワフワしてたり、 質問をすりかえたような答えだったり、結論はどれ?というな答え ばっかりだったので、リアクションとの差にとまどう生徒は少なく なかったんじゃないかとは思います。 >「ちょっとまってよー 私達は学問を学びに来ているのであって、先生のカウンセリングをしに来ているわけじゃない」 あーこれも思いましたね。話を聞いてるうちに、この人大丈夫かなあと。 教えを説くんですが、つじつまがいまひとつなところとか、カルトの教祖に 話をしてもらってる気分にもなりました。 単位はとりやすいのかな。私は落とされるかもしれません。 講義の最後に感想レポートなどを書かされたりするのですが、すでに カウンセリング姿勢や内容について批判めいたことを書いてしまったので・・・ ただ、私は単なる単位取得だけでなく、もっと人の心とはについて勉強 してみたいと思うきっかけになりました。 それもここでお答え下さったみなさんのおかげでもあります。 いろんな現状をお聞きできたことにも感謝してます。 参考になりました。ありがとうございました。

  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.5

再度登場,#2です。 心理学専攻の学部生からの質問との想定で先の回答を書いたため, 少し表現にわかりにくいところがあったかもしれません。 たとえば, >風景構成法を使ったり,夢分析を受けていたりというあたりからすると, >あっち方面(ってどっちだ?)かもしれませんね。 日本の臨床心理学の事情をある程度ご存知なら, 「あっち方面」というのがユング派を指していることは察していただけるだろうと思ってこう書きました。 推測は間違っていなかったようですが。 私自身はカウンセラーでもサイコセラピストでもありませんし, 臨床心理学に関しては教科書的な知識しか持ちあわせていません。 ただ,学部時代の学年担任が「あっち方面」の人だった関係で そっち方面の人たちの溜まり場に出入りしていた経験があり, 先輩・後輩・同期生にそっち方面の人が何人もいます。 そんなこともあって 臨床心理バブルが湧きはじめてから終息するまでの一部始終を 比較的近いところで見てきました。 臨床心理バブルは日本の心理学のあり方を歪め, 心理学徒にとっても一般市民にとっても良い結果をもたらさないと懸念していましたが, 懸念は現実になってしまったようです。 ところで お礼の中の一文が少し気にかかったので 補足しておきたいと思います。 >励ましの言葉をかけてあげることは、切羽つまった人には特に >必要なのではないかと、複数の学生から意見されてましたが、 切羽つまった人ほど励ましは慎重であるべきです。 とくにうつ病が疑われるようなケースでは 励ましがクライエントをかえって追い詰める結果になりかねません。 切羽つまった人を励まさないというのは カウンセラーやセラピストの態度としては間違っていないのですが, >一貫して、『絶対できません。』『絶対しません。』『それならよそへ行って下さい。』 >という答えしか返してませんでした。 というのでは, 教師の態度としては不合格と言わざるを得ないでしょう。 質問者さんたちが納得いかなかったのも無理はありません。 先にも書いたとおり, この人物の心理臨床家としての技量については質問文からは判断ができません。 ただ教師として,指導者としての資質については問題がありそうですし, 私もこういう人に個人的な相談をしたくはありません。 こういう人が指導者としてまかり通っているのが日本の臨床心理学の現実ですが, 同時に,このひとりのケースから カウンセラーやカウンセリング,あるいは臨床心理学とはこういうものだ というような一般化はしないでいただきたいと切に願います。

noname#63156
質問者

お礼

ありがとうございます。 >切羽つまった人ほど励ましは慎重であるべきです。 とくにうつ病が疑われるようなケースでは 励ましがクライエントをかえって追い詰める結果になりかねません。 励ます方法もいろいろあると思いますが、 「私、治るでしょうか・・・?」という藁にもすがる声に対して、 例えば「大丈夫、ちょっと心が疲れてるだけ。きっと良くなりますよ。」 という言葉も追い詰める結果になってしまうんでしょうか? 私がこんな場面に直面したら、なんと答えたらよいのか悩みます。 初めての授業でこんなカウンセラーがまかり通るのかと衝撃的だった ことは事実ですが、臨床心理学のカウンセラーのみなさんがこんな人 ばかりだとは思ってません。 私の専門分野ではありませんが人の心に寄り添う、人の心を読むとは どういうことかを私自身がもっと勉強すべきだと思わされるいいきっかけ になりました。 何度もお時間を割いていただいて、ありがとうございます。

  • keito004
  • ベストアンサー率29% (39/131)
回答No.4

あまりよい出会いをしなかったようですね。まあ、カウンセラーといっても色々いますから、その人一人をとってカウンセラーすべてを語ることはできないと思います。 真摯に学んで非常に謙虚で優秀なカウンセラーを実際に知っています。 ただ、有名といわれるカウンセラーで大学教授であってもそれこそ「この人のカウンセリングは自分だったら絶対に受けたくない」と質問者様が思われたと思うような印象を受ける人がいることも事実です。 質問者様が将来カウンセラーを目指されているかどうかわかりませんが、もしそうなら色々なタイプのカウンセラーに会ってみることをおすすめします。研修とか講義とかなんでもいいと思います。 それから、学者や専門家としての知識=現場の実力ではないので分けて考えた方がいいと思います。教育はできても臨床経験は少ないなんて人はたくさんいますし、逆もありますから。

noname#63156
質問者

お礼

>あまりよい出会いをしなかったようですね。まあ、カウンセラーといっても色々いますから、その人一人をとってカウンセラーすべてを語ることはできないと思います。 はい、こちらで質問することで、よくわかりました。 他学部の知り合いにこのカウンセラーのことを話したら、 「それくらいぶっ飛んでないと、その分野で教授にはなかなかなれないんじゃない?」 という答えだったので、どうもこうも腑に落ちなかったのです。 >教育はできても臨床経験は少ないなんて人はたくさんいますし、逆もありますから。 ああ、こういうこともいえるんだなと勉強になりました。 参考になりました。ありがとうございました。

回答No.3

> 臨床心理学の授業を受けたのですが・・・ 少し、カウンセラーの勉強をした者です。 この質問の通りの人物だとしたら、相当にいい加減な、カウンセラーですね、 カウンセラーよりは、クライアント側に成らなければ成らない人のように思います。 一つずつ見て行きますと・・・ > ■励ましの言葉は絶対にかけない 対人間の関係(カウンセリング)で「絶対」は有り得ません、 「絶対」は理論に頼り切って、目の前の人間を見ていない、未熟な理論家の言い訳です、 私の尊敬するカウンセラーは、クライアントが良くなる為にはどんな言葉でも掛けます。 あるカウンセラーは、「カウンセリングはアートだ!」と言います。 理論のベースの上(基)にどんなカウンセリングを組み立てるかは、 カウンセラーのセンスに関わるものです。しかしながら、基礎になるデッサンが書けない画家は 到底一流の画家にはなれません、本当に人間に向き合っていると、その時その時で本当に必要な 言葉が浮かんで来ますが、そういう時に理論などではなく、本当にそのクライアントに必要な 言葉を掛けられるのが、優れたカウンセラーです、「絶対」などとこだわっていると、 大切な瞬間を逃がしてしまいます。どの瞬間にどんな言葉を掛けるかで、効果がまったく違って来ます。 > 『励ましの言葉をかけて、後になって「良くなるといってくれたのに   治らなかった!」と責められるのが怖いから。』 説明の必要のない、自己保身そのものから出た言葉ですね。 > 『励ましの言葉がほしけりゃ、よそへ行けといってやる。』 完全に上から目線で、クライアントを蔑視していますね。こういう病気を「先生病」と云い、 なんたら講師やお医者様、大學の先生に多く見られる、自覚症状のない病気です。 「先生病」は、周りから持ち上げられ、自分がエライのだと勘違いして、自己中毒に至ります。 > 『僕の存在自体が必要であって、僕はそこに(クライアントのそばに)いる   だけで価値があるのです。』 先生病その2です。この人にとっては、クライアントよりも常に「私」が優先なのです、 電話を掛けても、名のらずに「あ~私だけど・・・」と言って、 相手が気づかないと怒り出すタイプです。(笑) ■私の心理療法を拒否されたことはない 『病院の院長にもぜひやってくれといわれた、私がやることに間違いはない。』 『精神科医がやることは、単なる点数稼ぎの繰り返しなことが多いんです。私が行う療法とは違う。』 かなり先生病の症状が進行していて、周りの状況を、認識できなくなってしまっていますね。 もうちょっと進むと、人を殺しても罪に問えなくなります(キ○○イになります。) > 危険性を孕んでるということはないのでしょうか。 上に書いたように、大変に危険性を孕んでいます、 キッカケがあれば、犯罪者に成りかねません。 何だか、分析に疲れて来ました(笑)この辺で・・・ 一応、私が、私の師匠(カウンセラー)を見ていて学んだことに、以下のことがあります。 ・カウンセラーの大切で大きな資質は、  自分の歪みを知り常にその歪みを修正する為の努力を怠らないこと。 ・理論は理論で大切だけど、何よりも目の前の人間(クライアント)に向き合え! ・カウンセリングは、芸術だ!(わかりにくいかも知れませんが) そういえば、某有名な著作家でも、カウンセラーとしての資質を疑われる人や、 いくつも臨床心理系の翻訳している大学教授もカウンセリングはへたくそな人がいます。 まだまだ、魑魅魍魎が跋扈する世界ですから、常識と良識を忘れてはいけません。

noname#63156
質問者

お礼

拙い質問文をここまで分析してくださったこと、感謝しております。 >あるカウンセラーは、「カウンセリングはアートだ!」と言います。 アートのひとつ、絵画が心の表現であるように、カウンセリングでの言葉も また心の表現ですから、そうおっしゃることはわかるような気がします。 講義をして下さったカウンセラーは聞いた質問をしっかり受け止めた 表情はするんですが、答えが曖昧だったり、フワフワした理論展開 だったので終始何がいいたいのか聞いてるこっちも必死でした。 私だけ(?)かもしれませんが、質問をいつの間にか違う方向へ 持ってくのも上手に思いました。 心理学が専門の生徒はそこにはいなかったので、 『ここには専門の方がいないようですね。なんだかホッとしました』 みたいなこともいってました。どういう意味かはわかりませんが。 ご意見参考になりました。ありがとうございました。

  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.2

臨床心理バブルがもたらした負の遺産の典型例みたいな話ですね。 質問者さんの感覚は常識的で健全だと思います。 ただ肝心の質問が漠然とし過ぎていて答えにくいので, 私も思うところを徒然に綴ります。 残念なことですが, 現在の日本の臨床心理学の指導者層の中に この手の人物が少なからず存在することは事実です。 こんな人たちと同類と思わるのを嫌って表向き「心理学者」を名乗るのをやめてしまい, 「人間行動生態学」,「比較認知科学」,「発達行動学」等々の看板を掲げる研究者も少なくありません。 かくして世間の心理学理解は臨床方面に偏ってますます歪んでいく...という悪循環に陥ってます。 またその方はカウンセラーを名乗っておられるようですが, 地道な実践を重ねている真っ当なカウンセラーにとっても迷惑な話です。 その方がやっているのは本来の意味でのカウンセリングではなく,サイコセラピー(心理療法)でしょう。 どのような流派なのかは文面だけでは断定できませんが, 風景構成法を使ったり,夢分析を受けていたりというあたりからすると, あっち方面(ってどっちだ?)かもしれませんね。 正式な分析家資格を持っていないからか, 医師法に抵触するのを避けるためかは知りませんが, 病理水準にある人に侵襲性の高いアプローチを試みながら 分析ではないと言い張ったり,カウンセリングだと言いくるめてしまったりすることは, カウンセリング理解の混乱を招く一因にもなっていると思います。 個別の発言についての質問者さんの疑念も頷けます。 ■励ましの言葉は絶対にかけない 励ましの言葉や良くなるという保証を与えることには慎重でなければならないというのは事実でしょう。 ただ,「絶対に」いけないというのは言いすぎだと思います。 「責められるのが怖いから。」という言葉には実感がこもっているような気がします。 ある種のクライエントに言質を取られて振り回されたり追い詰められたりした経験があるのかもしれません。 「絶対に」というのは彼が自分に課したルールではないでしょうか。 ■私の心理療法を拒否されたことはない 誰に? 医師にでしょうか。 クライエントにというのなら,自信にも自慢にもなるかもしれませんが。 自分の価値昂揚に医師(院長)の権威を利用しながら,一方で医師の価値切り下げを図る。 アンビヴァレンツというか,ダブルスタンダードが見苦しいですね。 でも,似たようなことを自分もやってるかも。自戒...。 ■分析ではない、関係性を保っているのだ これはロールシャッハテストへの批判に対して反論として持ち出される理屈と似通っていますね。 解釈の妥当性についての真摯な検証を回避して論点をずらしています。 まあ,もともと検証(というか反証)不可能な命題を前提とした解釈がまかり通っているわけで。 クライエントとセラピストが関係性を保ちつつ 共同作業として物語を紡いでいくことが何らかの効果を発揮する可能性は否定しませんが, それはそれで検証が必要でしょう。 この人物の心理臨床家としての技量については何とも言えませんが, 授業の様子を聞く限り,後進を指導する技量は乏しいようですね。 こういう人に出会って臨床心理学に幻滅することも致し方ありませんが, 逆にこういう人を反面教師とすることで 質問者さんには臨床心理学の発展に貢献していただきたいと思います。

noname#63156
質問者

お礼

質問が漠然としててすみません。専門科目ではなく、教養科目として 初めて臨床心理学を取ったものでして・・・ 聞く話、出てくる言葉がちょっと違うのではないかと思う部分が 多かったのですが、カウンセリングの現場の人ってこんな考え方 なのかなあ、でもまさかなあと自分の判断基準も曖昧だったので、 このたび質問させてもらいました。 カウンセラーの方でしょうか。貴重なご意見が聞けてよかったです。 >どのような流派なのかは文面だけでは断定できませんが, 私も流派はわかりませんが、河合隼雄という方に傾倒されてるみたいです。 やたらとこの方の言葉を引用したり、分析してもらったことを話してました。 >誰に? クライアントの方にも拒否されたことはないといってました。 励ましの言葉をかけてあげることは、切羽つまった人には特に 必要なのではないかと、複数の学生から意見されてましたが、 一貫して、『絶対できません。』『絶対しません。』『それならよそへ行って下さい。』 という答えしか返してませんでした。怖いというのはあるかもしれません。 わかるんですけど・・・ただ、私の中にはそれがひっかかってしまうのです。 「よそへ行ってくれ」といわれたクライアントはそのときどうするのかなと。 ご意見、ありがとうございました。

  • cabin504
  • ベストアンサー率8% (30/341)
回答No.1

カウンセラーとは、その人の心理を見ることができなければできるわけもありませんね。それと人間と言うものがどういうものか、心とはどういうものか、ここも極めてなければだめです。そこから何処に問題点があって、何処に対処すればいいのか、それからどう導くのかがお仕事のはずなのですが・・・。小学校にカウンセラーの人が来てましたが、子供が変な先生と言ってました。言ってる事がおかしいと・・・。小学校高学年の娘が問題点が違うことを言ってるので、あれではうまく行くはずないと・・。話を聞いてみると、確かに問題点はずれてましたし、やり方も方向違いでした。 カウンセラーで間違えてる人は、これが正しいと思い込んでるみたいです。ここが知識の怖いところです。問題はその場その場で同じものなんてありません。似てるものはあっても、人物や、場所は同じではないです。ですので知識は道具として使うのであって、使う方が使える人間でなければ、何にも価値をなさないと言う具合ですね。 貴方にとっていい話を聞けたと思わないと言うことは、どんな有名大学の教授であろうとも、だめな人はだめだと言うことです。 カウンセリングは肩書きでするものではなくて、人がするものですのでね。

noname#63156
質問者

お礼

その人、その人にあったカウンセリングをしてあげることが大事な場所で 我が世界にどっぷりはまって、クライアントに一律的に接するというのは 確かに心を見てないのと同じことですよね。 >小学校にカウンセラーの人が来てましたが、子供が変な先生と言ってました。言ってる事がおかしいと・・・。 小学校でのカウンセリングは特に人選に気をつけてもらいたいところ ですよね。 カウンセラーのみなさんがそうでないのは勿論なんですが、言ってること がおかしい上に、自分が一番正しいと思い込んでるカウンセラーは、 なんだかカルトの教祖みたいな風にも見えました。 ご意見参考になりました。ありがとうございました。

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  • カウンセラーって???

    よくカウンセラーという言葉を耳にしますが、「臨床心理カウンセラー」とか、「臨床心理療法士」とか、「一級心理カウンセラー」とか、なんか色々ありますよね?そんで国家資格はないと聞きました。いったい何が違うんですか? 大学院などで心理学を学んでなる、「臨床心理士」とも違うんですよね? どちらもカウンセリングができるなら、大学院まで行ってなる人は損した気分じゃないんでしょうかね? あと、セラピストとカウンセラーは具体的に何が違うんですか??

  • 心理カウンセラーについて

    今カウンセリングを受けています。 もう五回通いましたがどうも何も好転しません。 カウンセラはただ話を聞く一方で、たまに当たり前の意見しか言いません。 黙っている時間もやたらと多いです。五十分で五千円です。 なにやらお金を捨てているのではないかと思い始めました。 これでは心理学の本を買って自分でやるほうがいいのではないかと 素人考えでおもっています。 カウンセラーは臨床心理士でユングがベース?で森田療法と言うのをやっていて、 夢を分析したり、箱庭療法とかをやるそうです。 カウンセラーは言葉を選んでいないのか、彼が言った言葉に ショックを受けて一週間引きこもりました。 ぜんぜん前に進んでいないので聞きました。良くなっているんですかと。 私にはそれはわからないけど、早急に結果を求めないでまた来なさい と言います。カウンセラーてみんなこうなんでしょうか? これではただ単に話を黙って聞いてくれる気のいいおっさんです。 話して少し楽にはなりますが。

  • カウンセラーとの相性があるってどういうこと?

    こんにちわ。 今、カウンセリングや心理療法を保険診療が可能な病院を 探しているところです。電話で聞きまくってみると 思わぬ答えが返ってきてわからない事ができました。 「カウンセラーはいなくて、医師が話を聞くことで兼ねる」というところがいくつかあったからです。 問い合わせたのは、精神科、心療内科、神経内科の各科です。 医師が心理療法士の資格も持っているということなのか、 その辺は聞きそびれましたが・・・・どういう違いがあるのかわかりません。 それぞれに医師もカウンセラーも専門職でしょうに、兼務なんか上手く出来るものなんでしょうか? またよく「カウンセラーとの相性がある」と聞きますが、 これは例えば患者との価値観がまったく違ったりすると 上手くいかないということなのでしょうか? 平たく言うとすぐ仲良しになれるかどうか?ということ? (だとすると電話で問い合わせたからって事前に分かるものではないですよね(^^;) ぜひ経験談をお聞かせください。よろしくお願いします。

  • 神経症のカウンセリングは何療法でしょうか?

    一般的に神経症の人をカウンセリングする場合、カウンセラーは何療法をするのでしょうか?精神分析には洞察療法、支持療法、・・・・と色々あるようですが・・・カウンセラーはどうやって、クライアントの心理療法の仕方を決めるのでしょうか?カウンセリングは短い場合の人は1週間に1度と決まっているのはどうしてでしょうか?費用が高いので1週間に1度の面接と決めるのか?とにかく1週間に1度、2週間に1度、1ヶ月に1度と色々な人がいますが、心理療法の種類によって面接の回数、何週に何回とかきめるのでしょうか?カウンセリングで効果のある病気は主に何の病気でしょうか?

  • カウンセラーの探し方

    私はかなり複雑な家庭に育ったせいか、日常の、人とのつきあいを難しく感じることが頻繁にあります。 そのため、こういった状況を相談したいと、カウンセリングに行くのですが、残念なことに、信頼のできるカウンセラーに出会ったことがないのです。(今まで、10人くらいのカウンセラーに会いました。) うまくいかない人間関係の相手を激しく非難すると、カウンセラーがその非難の対象とカウンセラー自身に共通点を見いだして「私もそうかしら」と言って半泣きになったり、反対に怒り出して私を非難したり、私の境遇とカウンセラー自身の境遇を重ね合わせてカウンセラーの幼児期のことを話し出して私が聞く側になってしまったこともありましたし、私の人生の恨みつらみをいっきょに言うと「そんなにどんどん言われても聞けないわよ!」と怒って聞くのを拒否されたりもしました。 臨床心理士等の資格を持ったカウンセラーの探し方はわかるのですが、私の話を淡々と聞いてくれるカウンセラーは、どうやって見付ければいいのでしょうか? カウンセリングに通ってらっしゃる方、通ってらした方、もしくは、こういった関係のお仕事をしていらっしゃる方、アドバイスをお願いします。

  • 心理カウンセラーへの期待値

    何人もの書籍出してるような心理カウンセラーにカウンセリングしてもらいましたが。 殆どのカウンセラーて、心理学とカウンセリング技術でも身につければいいと思ってるレベルに感じました。こんなもんでしょうか? カウンセラー自身が、人一倍の苦労や経験してないと、ほんとにいいカウンセリングってできないのかなと感じました。 こんなもんでしょうか?

  • カウンセラーで保険は効きますか

    法の改正で、行動認知療法やカウンセリングにも健康保険が適用できるようになりましたが、医師免許を持った者が行う必要がある、という条文だと思いました。 心理療法士や産業カウンセラーでは保険が適用できないため、非情に高価なカウンセリング費用が必要ですし、精神科医師は時間がかかるばかりで診療点数の低いカウンセリングより、短時間でガンガン稼げる診療しかやってくれないのが現状です。 友人から「主治医と相談してカウンセラーさんにカウンセリングをお願いしても保険適用になる」と聞いたのですが、これは、カウンセリングは無資格のカウンセラーさんがやって、診療報酬請求の時に医師がやったように偽装しているのではないか、と疑念を持っているのですが、今は、保険が効くカウンセラーという制度が出来たのでしょうか。それは、どのような資格なのでしょう。カウンセラーには国家資格はまだないはずです。

  • 心理カウンセラーについて

    精神的なことでいろいろ悩んでいるのですが、 解決方法の一つとして、心理カウンセラーの方に 話を聞いていただくという方法があると思います。 どれくらい効果があるか(もちろんひとによって違うと思いますが)が、あまりわからず、心理カウンセラーの方や、カウンセリングを受けたことがある人に、 体験談やカウンセラーの方の選び方などアドバイスしていただければと思います。

  • 心理カウンセラー適性

    心理カウンセラー適性 私は以前カウンセリングに通ってから心理カウンセラーという仕事に興味を持ちなりたいと思うようになりました。 今ではカウンセリングに通っていないもののまだカウンセリングが必要になるような時もあります。 ですからカウンセラーになるための勉強をすることで自分自身も成長し悩んでいる人たちを助けたい!と思う反面人のことよりもまず自分自身の問題を解決するのが先なのではないかと思うのです。 自分自身に問題のある人がカウンセラーを目指すことは無謀でしょうか。 カウンセラーの仕事をしている方や経験がある方是非ともご意見よろしくお願い致します。

  • このカウンセラー・・・

    このカウンセラー・・・ みなさんの意見をお聞かせ下さい。 カウンセリングが終わった後、 カウンセラー:これにて初回カウンセリングは終了となりますが、どうでした?受けてみた感想は。 クライアント:まだ初回だからというのもあるでしょうが、あまり変化は感じられません・・・。 カウンセラー:何かこう・・・魔法の様なものを期待してました? ・・・精神的苦痛が限界に来、決して安くない料金を払って、心を癒す目的である機関に足を運んで来た人間に向かってこのような台詞を吐くカウンセラー、皆さんならどう思いますか? 私は、例えさほど期待しておらず、半信半疑だった人だって、超絶お金払いたくなくなると思うのですが・・・。