• ベストアンサー

チベットの独立が失敗した理由は?

20世紀初頭に、モンゴル(外モンゴル)が独立宣言後、独立を成功させたのに対し、チベットが独立宣言後、うまく独立できなかった最大の理由はなんですか?

  • nooooo
  • お礼率83% (230/275)
  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数9

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.4

1.外国の大規模な軍事的支援を受けられなかった事。 2.軍の増強と近代化に失敗した事。 チベットの独立宣言というと1913年の事だと思いますが、チベットはそれから暫くの間は中国の支配を退けており、1950年の中国軍のチベット侵攻により完全に独立が失われました。 1913年、ダライラマは独立宣言後、チベット軍の増強を図り、翌年にはイギリスから5000丁のライフル等、多数の武器を購入しています。 1914年には第一次世界大戦が始まり、イギリスがヨーロッパでの戦いで手一杯になったところを見計らって中国軍がチベットに侵攻しますが、チベット軍はこれを撃退し、イギリスの調停による休戦協定が結ばれます。 しかし、翌年には、またもや中国軍が侵攻し、チベット軍がこれを撃退し、またイギリスの調停による休戦協定が結ばれます。 この2度の戦いにおいて、チベット軍が勝利できたのはイギリスから購入した武器による力が大きいと言われています。 1920年にチベットでは、中国軍の侵攻から国を守る為に1万5000人の兵力が必要との試算が出されますが、それだけの軍隊を保持するには予算不足で、増税の話が出て国内が揺れます。 兵力の増強は進まず、1930年にはまたも中国軍の侵攻を受け、一部領土を失いながらもイギリスの調停を受けます。 1933年あたりからチベット政府内部で権力争いが起こり、反乱が起こったり、軍の統制が乱れ大規模な脱走者が出て混乱が起きます。 そして1950年には大規模な中国軍のチベット侵攻となる訳ですが、2万から4万といわれる中国軍に対し、チベット軍の兵力は民間からの義勇兵を入れても8000人でしかありませんでした。1920年に出された1万5000人の軍隊というのは30年経っても作る事ができていなかったのです。 そして、以前チベットを支援していたイギリスは、この1950年の中国の侵攻時には、積極的に動こうとはしませんでした。 第二次世界大戦後の植民地独立運動の流れの中で、イギリスは多くの在外資産を喪失し、戦時中に累積された巨額な債務と、国内産業の衰退から経済を悪化させており、チベットへの援助に乗り気ではなかったのです。さらには、たとえチベットが中国の支配下に置かれても、イギリスの安全保障には大して影響は無いという事もありました。 また、隣国インドは独立したばかりで、国内のヒンズー教徒とイスラム教徒の対立の激化など、多くの問題を抱えており、やはりチベットに積極的に介入する余裕などありませんでした。 それに比べて、モンゴルはロシアと後のソ連に、経済的、軍事的援助を受けられました。中国が攻めてきた時は援軍も派遣してもらえたのです。 ロシア、その後のソ連にしてみれば、自国の領土の安全を保つ為にも、モンゴルが自国の影響下にある方が望ましいという事もありました。 もし、中国と本格的に敵対する事になった場合、モンゴルが中国に支配されていると、首都モスクワ方面から、シベリア、極東方面への交通網に重大な脅威を受ける事になるからです。 つまり。チベットは独立宣言後、国内を強固な一枚岩に纏め上げて軍備を増強するのに失敗し、さらには外国からの大規模な軍事援助をもらう事ができなかった為に、中国に支配され独立に失敗したのです。

nooooo
質問者

お礼

ありがとうございます! 実に丁寧にわかりやすくご解説いただいて、感謝します。 チベット軍はなかなか強かったんですね。 中国(漢民族?)は拡張主義のわりには、結構いつも戦争弱いのは、規律が苦手で統率が取れない性格だからかなぁ、などと憶測しました。 でも、めげないたくましさも中国らしいような。

その他の回答 (4)

回答No.5

 ANo.4へ補足させていただきますが,チベット側の独立の準備も,決して十分とはいえなかったようです.  まず軍備ですが,軍隊の維持費捻出のため,僧院に課税しようとしたものの,僧院側が改革に反対に,これが叶えられませんでした.  また,ダライ・ラマ14世の摂政レティン・リンポチェは,軍事費を切り詰め,私腹を肥やしていきました.  詳しくは http://mltr.ganriki.net/faq18m02.html#12412 に譲りますが,このページにあるチベット軍の写真を見ると,1940年代になっても火縄銃歩兵や騎馬弓兵が,主力であることがお分かりかと存じます.  また,外交面においても,英国などごく一部を除いて世界各国と外交関係を結ぶこともなく,鎖国に近い状態だったそうです.  国際連盟に加盟する動きも見られなかったようです.  もしこの間に努力を重ねていたならば,その後の歴史はまた違ったものになったであろうことは,想像に難くありません.

nooooo
質問者

お礼

補足とリンク、ありがとうございます! これからリンク先をゆっくり読んでみます。 こういうことを知るにつれ、やっぱり軍事力は重要なんだなあと痛感します。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

モンゴルとチベットの違いはそのまま、ロシア(ソ連)とイギリスが支援のための武力をうまく出せたかどうかの違い。 もう一つ付け加えるならば モンゴル = ロシア(ソ連) 満州   = 日本 チベット = イギリス それぞれの支援国が現地にどれだけ軍隊を容易に持って行けるかで モンゴルは、長いモンゴル=ロシア国境線の任意の場所から支援可能。 満州は、朝鮮=満州国境で渡河作戦が必要。 チベットはインドからヒマラヤを越える必要がある。 と、支援可能性によって 簡単なモンゴルは独立し、難しいチベットは独立できず、そしてその中間の満州は、一時的に独立できたが取り返された。 と、わりと単純に説明できる

nooooo
質問者

お礼

なるほど~。 ありがとうございました。 モンゴルはソビエト崩壊で完全に独立でき、チベットはいまだあの状況、満州は中国に飲み込まれてしまった。。。 少数民族vs漢民族ってすごいですねぇ。 日本はこの先大丈夫かしら。

  • pepetaro3
  • ベストアンサー率12% (4/31)
回答No.2

地下資源がチベットにあるので それを中国側が狙っていたのでしょう。 だから独立できなかった説が一般的です。

nooooo
質問者

補足

早速ありがとうございます。 質問が言葉足らずでしたが、地下資源の話は最近のことではないでしょうか? お聞きしたかったのは、清朝が倒れたとき、モンゴル、チベットともに独立宣言したときのことで、中国の袁世凱はもちろん両国ともに認めなかったそうですが、モンゴルはロシアの支援を受けて成功し、チベットはイギリスの支援を受けたものの話し合いが決裂して失敗したと聞きました。 その当時の原因をもしご存知でしたらお願いします。

回答No.1

>うまく独立できなかった最大の理由はなんですか? 宗教ですね。

nooooo
質問者

補足

早速ありがとうございます。 なるほど。具体的には宗教がどう影響したのでしょうか。 もしもう少し詳しくご存知でしたらよろしくお願いします。

関連するQ&A

  • スコットランド独立ならず、その前に独立すべきが…?

    スコットランド、結局、イギリス=グレートブリテンから独立できませんでしたが、そんな前に、独立すべき、独立しなければならない、それはココでしょ? と、ある人から聞きました。 それは、チベット、ウイグル、内モンゴル、満州…。 コレが本来の当り前の国家地図でしょ、と。 ↓ https://pbs.twimg.com/media/BxQbn1FCIAINydI.jpg なるほど、それはそうだ、と感じました。 で、教えてください。 (1)これらの本来であれば当然に独立した国であるべきが、独立していないのは、何故なのですか? (2)これらの本来であれば当然に独立した国であるべきを、独立させるのに、どんな方法がありますか? 教えてください。

  • わからない世界史の問題

    世界史の問題でわからないところがあるのですが、教えていただきたいです。   1.14世紀以来、明とモンゴルが軍事的に膠着状態になった理由 2.17世紀初頭、満州国家が抱えていた構造的問題とそれを克服した方法 この2つを教えていただきたいです。よろしくお願いします!

  • チベット問題など、現在の中国について。

    そもそも中国がチベットを資源的、民族的、軍事的理由から理不尽に植民地化しようとしていて、独立を望み反発するチベット人を中国政府が武力を行使し無理やり押さえつけている、といった見解を私自身持っているのですが(間違いがあったらぜひ指摘してください)なぜそのようなことがまがり通っているのでしょうか。不思議でなりません。

  • パレスチナ独立、各国はどう見る?

    先日池上彰さんがパレスチナ独立をテレビで解説していました。 国内に多数のユダヤ人を抱えるアメリカはパレスチナ独立反対だそうですが、その他の国はどうなんでしょうか? 日本は反対ですか?(アメリカの同盟国のため) 中国やロシアも反対ですか?(中国=台湾・チベット・ウイグル・内モンゴル ロシア=チェチェン これら独立を望む国や地域がパレスチナ独立に触発されることを嫌って) ユダヤ人とアラブ系移民を同時に抱えるヨーロッパとかはどうなんでしょうか? 国際情勢に詳しい方、ご回答をお願いします。

  • 一般の中国人はチベットをどう思っているのか?

    私は今、国際学科の(つまりいろんな国籍の人がいる)学校に通っています。 もちろん中国人の割合はかなり高いです。 1週間前からロッカーに貼っていた“FREE TIBET”のステッカーが、今日、はがされていました。しかも、はがされたステッカーの跡の上に中華人民共和国の国旗が貼ってありました。 私は最初、誰がやったのか全くわかりませんでした。 帰りに、中国人の生徒の1人が声をかけてきてくれました。学校にいる中国人の何人かは、そのステッカーを見てかなり怒っていたそうです。 その中国人生徒は、中国人はみな、チベットの自由を訴えるようなことを見たり聞いたりすると怒るとも言っていました。 私は、中国に対する敵意は全く持っていませんでしたし、批判をした覚えもありませんでした。でも、自分のしたことを反省してちゃんと謝罪をしました。 しかし、なぜチベットの自由に対して中国人がそんなに怒るのかを尋ねてもちゃんと教えてくれませんでした。 そこが問題なのですが、 日本人の私には、その理由がわかりません。 中国の人(少数民族でない方)がいたら教えてください。 そうでなくても詳しく知っている方は、教えてください。 なぜ中国人は、チベットの自由や独立といった言葉にそこまで反対するのですか? 教えてください。お願いします。

  • 家族が独立に反対する理由が納得できません。

    一人暮らしをするために独立をしようと思ってる30代男性です。 女性を始めとする人間嫌いな一面があるので、一生独身を希望しています。 最近仕事が安定してきたので独立を考えています。収入は副業や株取引などが禁止されている事もあり、イマイチなだけでなく結婚なんか論外ってレベルですが。 ところが私が独立する事に親兄弟が反対するのです。 理由として、 1 浪費癖がある。 2 生活力とそれを実行する行動力がない。 3 解雇を始めとする理由で離職が多い。また、収入が少ない。 これらは指摘されるまでもなく、自覚しているのでわかってはいるつもりなのですが、家族が最大の理由として挙げていて、私が納得いかないのが、 4 独立したら確実に人間関係が途絶える。 これが駄目なら海外に移住する人や独身のまま(特に男性は)独立する人はどうなるのでしょうか?だいたい私自身人間関係は限りなく0に近いですし、職場もあるので近場にするのは言うまでもないです、何より人間関係が無いのは今まで通りですし、孤独死するならそれでもいいと思ってすらいます。他人から好かれた事が無い私には相応しい死に方だとすら思っています。 そこで聞きたいのですが、人間関係が途絶える事は(しかも私の場合最初から家族以外いないですし、一人になるのはたかが休日ぐらいです)、家族の立場からして独立に反対する強い理由になるのでしょうか?また、一人しか知らない人間が一人で死んで何故悪いのでしょうか?

  • チベットの抗議デモ、聖火の妨害、事の発端はなに

    チベットの抗議デモや暴動、そして聖火ランナーへの妨害。 一連の事の発端は何だったのでしょうか。 長年中国政府に制圧されていたチベット民族の独立運動的抗議デモを起こす気持ちはわかります。でも北京オリンピック開催の年にこれを起こしては、事が重大になり過ぎていると思います。事を重大にしてチベット自治区の状況を世界中に知ってもらい、世論の力を利用する。これがねらいなのでしょう。 この問題は単純にどっちが良い悪いと表現するべきではないと私は思います。世界に知ってもらいたいと言う気持ちと、オリンピックを成功させたいと言う気持ち。双方の立場で考えたいものです。 この抗議デモはいったい誰が始めた(けしかけた)のでしょう。 自分的にはこの時期を避けるべきだったと思います。 お願いです。あまり過激的な回答は避けてください。以前にこの手の質問が何度も削除されていますので、よろしくお願いします。

  • (再び)古代朝鮮族が文化・姓名を捨てた理由???

    前回の質問 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1720947 に対して、興味深い回答を頂きました。 『朝鮮族だけが、民族独自の名前を捨てて、中国風の名前に自主的に改名したのです。 中国文明が卓越していたのは事実ですが、朝鮮族を除く中国に隣接した諸民族は、民族独自の名前を維持していました。 朝鮮の自主的な改名を考えるには、同じ地続きである満洲やベトナム、モンゴル、ウィグル、チベットと比較して、どうかと考えるべきです。 ベトナム人は、19世紀までは漢字を使い、世界史に出てくるグェン朝は阮朝ですし、レ朝は黎朝と書きました。中国風に見えますが、ベトナム語は中国語と同族であり、実はベトナムのオリジナルです。 満州族は、中国に入って、清朝を建国してから、だんだん中国に同化されていきましたが、名前は民族独自の名前を使っていました。ラスト・エンペラーの本名は愛新覚羅溥儀です。 モンゴルの南半分は、内モンゴルとして、ウィグルは新疆ウィグル自治区として、チベットはチベット自治区や青海省として中国に併合されましたが、モンゴル族も、ウィグル族も、チベット族も、民族独自の名前を維持しています。 結局、朝鮮族だけが、民族独自の名前を捨てて、中国風の名前に自主的に改名したのです。 小室直樹氏は、朝鮮族の民族性には、事大主義が組みこまれていると言っていますが、それが当たっているような気がします。』 中国に隣接した諸民族の中で、独自の文化を捨てたのは朝鮮族だけです。朝鮮族だけが、強制されたワケでもないのに、簡単に伝統の姓名を捨った。これはアジア民族の中でも、例外的な行為です。 なぜ朝鮮族だけが、こんなにアッサリと独自の文化を捨て去ることができたのでしょうか?

  • 尖閣諸島くれてやる、その代わりの条件として…?

    例えばですが、日本国が、中華人民共和国に対し、尖閣諸島を中国領土として認めてやろう、但し、その為の条件として、チベットとウイグルと内モンゴルを独立国として認めろ、と提示・交渉したとしたら、中華人民共和国は、この突拍子もない提案に、どう反応すると予想できるでしょうか。 非現実的な夢想仮定とは思いますが、どのような反応を示すか、興味があるとともに、日本が自らの犠牲の上に、チベット・ウイグル・内モンゴルの解放を、という…。

  • 中国を牽制するメニューは?

    中国を牽制するメニューは? 外交・防衛の素人ですが尖閣諸島を中国に取られないため防衛力の充実以外で中国を牽制する方法について考えました。 1.台湾と国交を結ぶ。 2.南砂諸島問題で中国以外の主張を支持する。 3.インドと協調し、チベットの独立を支援する。 4.イスラム諸国と協調し、新疆の独立を支援する。 5.ロシア、モンゴルと協調し、内蒙古自治区はモンゴル領だと主張する。   (現在モンゴルは主張していないようですが) 6.ロシア、韓国と協調し、満州独立を支援する。   (現在独立運動は無いようですが) いずれも戦争ぎりぎりの方法だと思いますが、有効な方法でしょうか。