#3の方の書き込みを読んで思ったのですが、創作映画を使って
問題提起をするというのはあまりピンときません。
受け取る側で、いろいろな疑問が生まれるのはわかりますが、
作者が意図的にある問題について提起するとするなら、
それはジャーナリズムやエッセイ、評論の分野になると思います。
『チョコレート』は非常に想像力を掻きたてられる映画でしたが、
作者はあの物語のすべてにおいて回答をもっているはずです。
もちろん、それは観客の自由な想像を妨げるものではありません。
あのクライマックスでは、レティシアの心理が鍵となると思いますが、
僕が感じたのは「達観」です。
ハンクが看守であることを知った彼女が、激情から落ち着きを取り戻した
とき、庭の隅の墓石のショットがありましたが、
そこから「過ぎてしまったこと」というイメージを受け取りました。
ハンクとのポーチでのツーショットで、「きっとうまくいく」という彼に対し、
レティシアの表情はなんとも言い表しようのない曖昧なものだったように
見えました。
ここに、二人の微妙なすれ違いが表れていて味わい深いと思いました。
単純にはハッピーエンドにはならないと僕は思いました。
ちょっと変わった見方をしますと、この時に流れる曲の曲調が、
穏やかで安らぎを感じさせるものなんですよね。
平穏、静けさ、それに加えて力強さも感じさせる。
通常、サウンドトラックは、映画ができてから作曲されるそうなのですが、
この映画の場合、脚本を元に音楽家がひと夏をかけて作曲したそうです。
つまり、出来上がった映像に影響されることなく、自由なイマジネーションで
音楽が作られたわけです。
この音楽家(アッシュ&スペンサー)のサウンドトラックを、
感じたままに解釈すると、
「今後、幾多の苦難が待ち構えているが、生きる強さを発揮して乗り越えていく」
というように思えました。
投稿日時 - 2002-11-10 20:34:31
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回答(4)
ご質問に対するダイレクトな回答ではないんですが、
あの映画の製作者は、「今後二人は幸せになれるでしょうか?」と問いたいのではなく、
「複雑な出会いをした複雑な立場の二人だが、
あたなが彼女(もしくは彼)だったら、この後も相手を愛し続けられますか?
肌の色が違ってても一視同仁できますか?」という問題提起だったのではないかと思います。
彼には養老院に入れてしまった差別主義者の父親の問題もありますし、
ふたりの想いが同じならそれで構わない、とはいかないと思うんです。
難しい問題ですよね。私も閉口頓着してしまいます。
投稿日時 - 2002-11-10 11:02:06
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