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ナチスの虐殺

ナチスドイツのユダヤ人虐殺はいつごろから始まったんでしょう。

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回答No.7

 日本がドイツのユダヤ人虐殺について知っていながら国益のために軍事同盟を結んだのか、という点ですが、もともとナチスの反ユダヤ主義は政権獲得前からも有名でしたし、さらに政権獲得後もその反ユダヤ主義政策は表立って行われていましたから、ドイツ本国でユダヤ人の迫害が行われていたことは容易に想像がついたでしょう。ただ問題は「迫害」は知っていても「虐殺」まで知っていたか、ということなのですが、これはかなり微妙だと思います。というのも最初の日本とドイツの条約「日独防共協定」が締結されたのが1936年の11月です。この時点では大規模な強制収容所での大量虐殺は行われていませんでした。というのもナチス最初の絶滅収容所がポーランドに建設されたのは1941年のヘルムノ収容所なのです。ここで一般に強制収容所と言われているものにも2つの種類があったことを知っておかなければなりません。通常の収容所と絶滅収容所です。通常の収容所はユダヤ人のほか、ドイツ人の政治犯、反体制派、犯罪者、宗教的保守主義者なども収容され、産業界に安価な労働力を提供することを目的とし、虐殺が目的ではありませんでした。ただ劣悪な労働条件により多数の犠牲者が出たことは事実です。これは1933年、ナチスが政権獲得直後に設置されました。それと一般に「強制収容所」と言われているのが、「絶滅収容所」でこれはユダヤ人やソ連軍捕虜が送られ、その名の通り、彼らの絶滅、つまり虐殺が目的でありました。これらの収容所は終戦まで並存していました。日独防共協定が結ばれた当時、ドイツ国内に確かに強制収容所は存在していましたが、絶滅収容所は存在していませんでした。よって大規模なユダヤ人虐殺は行われていなかったため、日本はユダヤ人虐殺については知らなかった可能性もあります。とはいえ、この時期、つまり1930年代は確かにユダヤ人が一番の迫害対象でありましたが、ナチスはそれ以外にもドイツ人で「国家に貢献しない者」つまり精神病患者や遺伝的疾患を持つ者、犯罪者、ジプシーなどを一般の人々に知られないよう、極秘に抹殺していました。しかしさすがに「ナチスが精神異常者を殺害している」という噂はすぐに広まり、すぐにこの措置は取り消されることになりますが。ユダヤ人虐殺の陰に隠れてあまりズームアップされませんがユダヤ人と同様、ひどい迫害を受けた人々にジプシーがいます。一般の人々も精神病患者とはいえ同じドイツ人を抹殺するのには抵抗があったのかもしれませんが、彼らジプシーにはほとんど関心を持ちませんでした。その為ナチスによるジプシー狩りは徹底して行なわれ、彼らは収容所に次々に送り込まれました。このようなドイツ国内の「敵=国家に貢献しない者」に対する虐殺行為を日本が知っていたか、という点に関してはこれはある程度、日本が知っていた可能性はあると思います。先の精神病患者に対する虐殺は市民の間でもささやかれる程、公然の秘密になっていましたから、情報収集のプロである外交官が知らない、ということはあまりないでしょう。さらに当時のドイツ大使はナチスの中枢まで食い込んだ大島です。ある程度の情報を知っていた可能性はあるとあると思います。ただ、evidenceさんも述べているように、当時の人権感覚というのは、現在のそれとは全く違います。かのキリスト教会ですらユダヤ人の迫害を黙認していました。仮に日本がそれらの虐殺の事実をしっかり把握していたとしても対応は変わらなかったでしょう。  それと最後までヒトラーは人々に支持されたか、という点についてですが、人々の心情は不勉強でちょっと分かりません。ただ、大戦末期においても「独裁者」であり、「選出される」という存在ではありませんでした。軍もヒトラー個人に忠誠を誓っていましたし、ヒトラーの総統としての地位は自分からやめない限り永遠に保障されるものでした。選挙も最後の自由選挙が行なわれたのはヒトラーが政権を握ることとなった1932年11月の選挙です。それ以後はナチスが選挙活動を妨害したり、ナチス以外のすべての政党を禁止したため、名目だけの選挙に終わっています。よって選挙結果を見る限りは「支持されていた」と言えるのです。  最後に虐殺の事実は敗戦前に知られていたか、という点ですが、これは噂の範囲である程度知られていたことが分かっています。というのもユダヤ人本人たちの、あるいは彼らを助けるためのドイツ人、外国人らによるネットワークが存在し、それによって国外にも知られていました。特にユダヤ人らが押し込められたゲットーにもその情報はもたらされ、彼らは強制収容所行きの列車に乗せられた時点でその先に待ち受ける運命を悟ったといいます・・・

su-te
質問者

お礼

一般収容所と絶滅収容所ですか、はじめて知りました。 なるほど、そういえば少し前にローマ法王が第二次大戦時のことを謝罪してましたね。価値観は昔と今ではちがう、説得力がありますね。 自由選挙はなかったんですね。妨害というのはどのようなものだったのでしょう。

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  • 17940727
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回答No.8

ナチスドイツにおける選挙妨害とはどのようなものか、ということだったのでお答えします。ナチスの取った選挙妨害で一番ポピュラーなものが党の武装機関である「突撃隊(SA)」による他政党の集会の妨害です。彼らは党設立初期から存在し、褐色の制服に身を包んで、特に共産主義者らと激しく闘いました。ただし注意しなくてはならないことはこの時代、ナチスだけでなくごく普通の政党もこのような武装闘争組織を持っていました。現在のドイツ連邦議会で第一党の社会民主党ですらこのような組織を保持していました。しかしやはり過激さではSA並びに赤色戦線(ドイツ共産党の武装組織)に並ぶものはなく、当時も第一党であった社会民主党の集会は彼らの前にひとたまりもありませんでした。そしてナチスが政権獲得後に取った妨害手段がまず反ナチス的政治集会、出版物の禁圧を合法化する法令の布告です。これによってナチスは国家の警察権力を使って自分たちに反対する者たちを合法的に処分する権利を得ました。そして極めつけが国会議事堂放火事件後に大統領からナチス政府に与えられた「国民国家防衛緊急布告」です。これによりナチスはワイマール憲法に定められた「国家非常事態に際しては国民の基本的人権を一時的に停止することができる」という条項を盾に、反対者をその者の人権を考慮することなく、つまり法に則ることなく身柄を拘束したり牢獄にぶち込んだりすることができるようになりました。さらに前出のSAが「補助警官」として国家警察の一部に組み込まれ、1933年1月30日にナチスが政権を獲得してから直後に国会が解散され、その次の選挙が行なわれた3月までの約2ヶ月あまりの間に数千人にも及ぶ人々が収容所送りにされました。収容所に送られた人々は政党の幹部の人も多く、彼らの選挙に大きな打撃を与えました。そして3月の選挙以降はナチス以外の政党がすべて禁止されたのでここにナチスの一等完全独裁が確立されました。ただし、ナチスは一党独裁確立後も選挙を続けました。というのも彼らはドイツ国民が投票所に行ってナチスを支持するという投票を行なう行為自体をナチスへの忠誠とみなしたからです。つまり彼らにとっては投票そのものが重要であり、投票率が重視されました。また彼らにとって選挙は国外へのアピールという目的もありました。つまりナチスの政策が国民にこれほどまでに支持されている、ということを諸外国にアピールするのです。その為、ヒトラーの総統就任、オーストリア併合など重要な政策が行なわれた後には、選挙や国民投票が必ず行なわれました。

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noname#4242
noname#4242
回答No.6

ユダヤ人を日本が国家として少しでも保護しようという動きはないと思いますよ。杉原大使も完全に本人の独断でやったことらしいですし。また、当時の日本、ドイツなどが国家として(個人は別です)、今のような人道主義の感覚を持っていたということに関しても微妙です。英米に勝つためにやむなく同盟を結んでいるという面もあることはありますが、民族を掲げているところに関しては同盟関係を結びやすいというところが大きいでしょう。しかし、この民族ということを強く掲げている以上、最終的にお互いの存在を認めるということは非常に難しいことになってきますので結果として「化かし合い」のようなことになってしまうでしょうね。何せ、当時は国益を最優先している時代ですから。 ユダヤ人が徹底的に虐殺されたということを知るようになるのは終戦後のはずです。ここが不思議なところなのですが、敗戦ムードが色濃くなるとドイツは強制収容所で行われた虐殺を隠すべく努力はしていたのです。が、アウシュヴィッツに関しては規模のせいもあったのでしょうが、とにかく隠蔽工作が間に合わなかったため、ほとんどその悲惨な状況のまま、連合国側に知られることになってしまったのです。そして、この時、始めて世界はナチスによるユダヤ人の大々的な虐殺の事実を知ることになります。 ただ、最初の回答でも書いたように、迫害ということに関しては35年頃から本格的に始まっているのは事実です。ドイツ国内に住む多くのユダヤ人がアメリカに移り住んでいたり、アメリカまでたどり着けなかった人はフランスやオランダと言った近隣諸国に逃げ込んでいます。どの程度の迫害を受けているのかということは正確にその実体がわかっていたかはわかりませんが、1940年にすでにチャップリンが映画『独裁者』でユダヤ人の迫害とドイツの独裁政治をネタにしているくらいなので、非人道的な行いがあるということに関してはある程度の情報は伝わっていたと考えても間違いはないでしょうね。 独裁体制をとっていないはずの英米ですら国家としては、現在のように人道主義を大々的に唱えてナチスを非難しているわけではなかったくらいですから、軍国主義、独裁体制の日本が仮にドイツが非人道的な行いをしていたことを明確に知っていたところでやはり同盟は組んでいたのではないかと思いますよ。 当時の人道主義の感覚と現在の人道主義の感覚を一緒にして考えないほうが安全だと思います。

su-te
質問者

お礼

なるほど、当時は虐殺の事実はナチスはかくしていたんですね。当時の人道主義の感覚と現在の人道主義の感覚を一緒にして考えないほうがいい、なるほどそうかもしれません。

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  • 17940727
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回答No.5

 先にいろいろな人が答えてくれていますが、ちょっとだけ補足させていただきます。確かにナチスドイツが約600万人とも言われるユダヤ人を組織的に虐殺したのはまぎれもない事実です。しかしナチスが当初から一貫してユダヤ人を最終的に虐殺、絶滅させようと考えていたかについては研究者の間でも見方が分かれています。つまり研究者の間でも「ナチスは当初からユダヤ人を大量虐殺を通じて絶滅させようとしていた」という見方と「ナチスは最初はそこまで考えておらず、戦争の進行に伴ってそうせざる得ない状況が生じたため絶滅政策が実行された」という見方で意見が割れているのです。先に回答された人の言うように、今でもそうですが第二次世界大戦前は特に、ヨーロッパでは反ユダヤ感情が普通の市民の間でも強かったことは事実であり、ユダヤ人はヨーロッパでは常に弾圧の対象でした。これを示す一番良い例が1894年、フランスで起こったドレフュス事件というものです。これはフランスの軍人ドレフュス大尉がドイツのスパイをやっていたというので軍法会議で終身刑を宣告された事件です。この事件は後に真犯人が判明し、結局彼は1906年、無罪を勝ち取ることになるのですが、このドレフュス大尉というのはユダヤ系であり、この冤罪事件には世論の反ユダヤ主義が少なからず影響を与えていました。さて1929年の大恐慌によるドイツ経済の破綻それによる社会不安の増大、それにもともと強かった反ユダヤ主義をたくみに利用して政権を獲得したのがナチスということになるのですが、さすがのナチスといえども政権獲得当初は極端な反ユダヤ主義政策は採りませんでした。というのもナチスの過激な反ユダヤ主義的行動に眉を顰めるドイツ人も多数いたからです。多くの人は心の底ではユダヤ人をあまり快くは思っていませんでしたが、さすがに目の前でユダヤ人が突撃隊員(SA)らによって暴行されたり、ユダヤ人商店が破壊されるのを肯定する人は多くありませんでした。ナチスは政権獲得の為にはこれらの人々の支持をも必要としたため、彼らの警戒を解き、支持を得るためにもそうせざる得なかったのです。しかし1933年1月、ナチスが政権を握り、1934年8月に保守派の最後の重鎮であり、最後の希望であったヒンデンブルク大統領が死去するにあたって遂にヒトラーとナチスは完全な独裁権を手に入れます。ユダヤ人弾圧が本格的になってくるのはこのあたりからです。ユダヤ人弾圧のための法令などはこの間にもいろいろ出ていますがますます長くなってしまいますのでここでは述べません。ただ僕の個人的な見方としてはナチスドイツのユダヤ人迫害の歴史において1935年のニュルンベルク諸法の施行が一つの転換点であると思います。  だいぶ話がそれてしまいましたので本題に戻りましょう。ナチスドイツのユダヤ人虐殺についてですが、個人的な見解を述べさせていただくなら、恐らくナチスは最初からはあれほどの大虐殺を行うつもりはなかったと思います。というのも次のような事実があるからです。まず、ナチスの対ユダヤ人政策は決して一貫性のあるものではなかった、という事実です。ナチスは一方でユダヤ人を公共の場から追い出し、収容所に送りましたが、一方でユダヤ人を保護していました。(もちろんこの保護というのは積極的な殺害行為はしないという意味で) というのもユダヤ人は社会的エリート(医者や弁護士)が多く、また他の産業分野においても代替不可能な技能を有している場合が多かったため、産業界の要請に基づき、彼らの能力が戦争遂行に必要不可欠であると認められたからです。そして驚くべきことにこの強制収容所での虐殺とユダヤ人労働者の保護は同じ支局=親衛隊経済・管理本部の下にありました。論拠の二番目に挙げられるのが、マダガスカル計画の存在です。マダガスカル計画とはユダヤ人をマダガスカル島に移住させるというもので、この計画は政権中枢部でもかなり現実性の高いものとして検討されたのです。この計画の存在は、ナチス政権がユダヤ人の生命の有無よりもドイツ人生存圏(ラーベンスラウム)から追い出すことに関心があったことを裏付ける重要な証拠となりうると思います。結局戦況の悪化によりマダガスカル計画は断念を余儀なくされ、収容所に増え続けるユダヤ人の最終解決策として大虐殺が行われるようになったとも考えられます。  以上のような理由からナチスは「まず虐殺ありき」ではなく、戦況の進展によって対応策を変え、結果として大虐殺が行われた、という見方が適当であると考えるのであります。ところで肝心のユダヤ人の虐殺は実は誰の命令か本当はわかっていません。というのもヒトラーのユダヤ人虐殺に関する命令書が残っていないのです。とりあえず、ユダヤ人の大量虐殺がナチスの政策として正式に決定したのは1942年のヴァンゼー会議であるといわれています。この会議で正式にユダヤ人問題の「最終的解決」が決まりました。まあ表現が抽象的なので、まだまだ議論の余地はあるのですが・・・  最後にまとめですが、ずばり「虐殺がいつから始まったか」という問いに対して、「○年○月○日」と正確に答えることはきわめて難しいと思います。ユダヤ人が街角で突撃隊員らのリンチによって死亡したのも虐殺とするならばその時期は極めて早く1920年代にも遡ることができるでしょう。国家権力によって虐殺が行われるようになった時期というなら1933年頃からと言えるでしょう。アウシュビッツを初めとする強制収容所がフル稼働し始めた頃というなら1942年のヴァンゼー会議をその始まりとするのが一番適当であるかと思います。

su-te
質問者

お礼

わかりやすくくわしくありがとうございます。 もともとこの質問をのせたのは、日本はドイツの国家によるユダヤ人虐殺を知っていて軍事的とはいえ同盟をむすんだのかということです。 またドイツ国民のその当時の心情というのがぜひ知りたいです。末期は完全に恐怖政治でヒトラーは選出されていたのか、それともそうではないのか。 虐殺の事実は敗戦前から国内外知ることとなっていたのか。 ぜひ知りたいです。

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  • netcatme
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回答No.4

追放や逮捕ではなく、実際に大量虐殺が行われたのは、敗戦が濃厚になってかららしいです。

su-te
質問者

お礼

それは国内外知るところとなっていたのでしょうか。 知っていても日本は強く非難することができず、保護にとどめたんでしょうか。またドイツ国内はどうだったんでしょうか。

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  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.3

>それでも大半は支持していた、、、ドイツ人はユダヤ人 >に対していい感情をもっていないというのは聞いたこと >ありますが虐殺すら暗黙していたということなんですか >ね・・・・。それと、日本はその政策を知って同盟むす >んだんですかね。。。 ドイツ人だけでなく、第二次世界大戦前のヨーロッパでは 反ユダヤ人感情は非常に強かったんですよ。 一番極端なのはドイツでしたが、ナチスが反ユダヤ人政策 を始めても、ヨーロッパの他の国は黙認していたようです。 従って、ナチスから逃れたドイツ人はヨーロッパでは受け 入れられなかったので、主にアメリカに逃げざるをえませ んでした。(アインシュタインが良い例です) 杉原千畝さんもそうですね。リトアニアから追われたユダヤ人 をソ連が受け入れないので、千畝さんが日本経由で他の国 に逃げることができるように何千枚もの通過ビザにサイン をしたのです。 ちなみに日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結びますが、 だからといってドイツと歩調を合わせてユダヤ人排斥政策 を取ったわけではありません。 立前ではドイツと歩調を合わせますが、実際は満州や上海 などでかなりの数のユダヤ人を受け入れていました。

su-te
質問者

お礼

日本政府がナチスにからの、ユダヤ人迫害を要求されたとき政府は拒否したという話を聞いたことあります。 ただひっかかるのは、軍事同盟をむすんでいるという事実なんですよね。。。 日独同盟はタヌキとキツネのダマシあいと揶揄されるくらい相手をけん制しあってたいた同盟だったと聞きます。ということは私の解釈では、日本は英米に勝つにはドイツと組むしかない。しかしドイツは民族差別どころじゃないことをしている。強く非難はできないけれど、人道的に少しでも保護しよう、というかんじではないかと。どうなんでしょう。

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noname#4242
noname#4242
回答No.2

再度です。 >そのような政策を知っていて国民はヒトラーを選んだんでしょうか。 ヒトラーが政権についた理由に関しては、第一次世界大戦のドイツの敗北までさかのぼる必要があります。が、ヒトラーは、ドイツの経済的な大混乱を納めたという功績もあり、さらには自信を喪失していたドイツ国民に誇りを取り戻させることに成功しているので、国民の人気は非常に高かったのです。それに乗じて、独裁体制を確立することになります。 独裁体制なわけですから、反対する者に対しては容赦ない取り締まりが行われ、簡単には反対出来ない環境になってしまいます。 初期の段階ではヒトラーは選ばれているのですが、その後は選ぶ、選ばないという自由は国民は持たなくなってしまいます。もっとも、当時のドイツ国民の大半はそれでもヒトラーを支持していましたが。 かなり、はっしょった説明ですので、より詳しく知りたいということであれば、講談社現代新書から出ている世界史の本がありますのでその辺から読まれるといいと思いますよ。 または、ネットで「ヴェルサイユ体制」「ワイマール共和国」「ナチス」などのキーワードで検索をしてみるとかなりの数をヒットするはずです。 ここですべてを書き出すには少々、足りません。ご了承ください。

参考URL:
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/Scripts/bookclub/intro/intro.idc?id=5542
su-te
質問者

お礼

またしても詳しくありがとうございます。 それでも大半は支持していた、、、ドイツ人はユダヤ人に対していい感情をもっていないというのは聞いたことありますが虐殺すら暗黙していたということなんですかね・・・・。それと、日本はその政策を知って同盟むすんだんですかね。。。 参考サイトも見てみますね。

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noname#4242
noname#4242
回答No.1

こんばんは。 ナチスによる本格的なユダヤ人の迫害というのは、恐らく、1933年頃のゲシュタポ(秘密警察)の設立と、ユダヤ人商店に対するボイコット、ユダヤ人の公職追放あたりからだと思います。 そして、1935年になると今度は民族の純血を定めた法案を通し、ユダヤ人の市民権を剥奪し、ユダヤ人との結婚も禁止します。その後、ユダヤ人商店の打ち壊しや、虐殺が始まり、1940年には強制収容所としては最大規模を誇ったアウシュヴィッツが完成します。ということで、1930年代中盤からすでにユダヤ人の虐殺は始まってきていると思います。さらに、1942年になるとユダヤ人絶滅政策が決定してしまい、徹底的なユダヤ人狩りが行われました。

su-te
質問者

お礼

くわしくありがとうございます。 そのような政策を知っていて国民はヒトラーを選んだんでしょうか。

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