• 締切済み

「メーデー万歳」って何か違和感あるんですけど

メーデーに参加してきましたが、宣言文などに「メーデー万歳」ってあるのにとても違和感があって… 「平和を守ろう」なんて言ってるのに、戦時中の「天皇陛下万歳」を思わせる「万歳」って言葉が一緒にあるのがよくわかりません。どこのメーデーでも使われている言葉のようですが、何か歴史的な意味でもあるのでしょうか。

みんなの回答

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6 メーデーの歴史を振り返りましょう。 血のメーデー事件が有名ですが、権力側と戦う時代を経て今日があります。 海外も政府と労働者の戦いの歴史があります。 今は平和すぎるので「バンザイ」はピンときませんが、 労働者が権利を勝ち取った歴史があるのです。      

choma1623
質問者

お礼

あまりよく知らなかったのですが、奥が深いものなんですね。ありがとうございました。

  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.2

私も以前、勤めていた会社の組合活動でメーデーに参加した際 配られたチラシに「メーデー万歳」と書いてあったのを思い出しました。 「なんか変?」と違和感があったのでよく憶えてます。 だって、「万歳」って天皇に対して賛辞の意味で叫ぶのが元々の意味 じゃなかったか?と思ったので、左翼的な労働運動で「万歳」もないだろうと。 でも、「万歳」のその元々の意味を知ってる日本人は何人いるの でしょう? 戦争中、日本中が「天皇の元に一致団結」を強いられた結果 「万歳」が大量使用され、乱発され、ちょっとでもいい事やおめでたい 事があると「万歳」と言うようになってしまいました。 今では、「万歳」=天皇というイメージは今の日本人にほとんど ありません。 それどころか「万歳」というセリフもあまり聞かなくなりました。 個人的には「万歳」にはうすら苦い記憶があります。 小学生の時、田舎の小学校にいましたが運動会が終わって 校長が「それでは、閉会にあたってみんなで万歳三唱しましょう」 と言ったときには、「ええーっ!」と脱力しました。 80年代でもまだあんなの残っていたんだなぁ。 別に当時も今も左翼的じゃないけど、単に「だっせー」と思って しまったんですね。 あまり、歴史的な意味なんて無いと思います。 事務的に惰性で活動している現在の労働組合の活動員が、 少ない自分のボキャブラリーから無意識につけたんでしょう。 形骸化している現在の労働組合にありがちな事です。

choma1623
質問者

お礼

確かに万歳という言葉自体を聞かなくなったことからの違和感だったのかもしれません。丁寧にお答えいただいてありがとうございました。

  • Vwiyoonn
  • ベストアンサー率35% (162/455)
回答No.1

 とりあえず、めでたいという意味で語感がよく無難な語が日本語(漢字文化圏というべきか)には万歳しかないため、万歳が使われているのでしょう。  ちなみに、現在の万歳の読みは、明治憲法発布の際、国民が天皇の前で唱和する言葉を政府が捜していて、いつまでも栄えるように、との意味の万歳が択ばれたんですが、これが漢音の「バンゼイ」と呉音の「マンザイ」のどちらをとってもなんだか響きがしっくりこないんで、読みを半分ずつつなげて「バンザイ」にしたんです(他にも奉賀って案があったらしいんですがこれまた響きがぱっとしないという理由でボツったそうな)。  そんな訳で、めでたい、という大和言葉よりも響きに勢いのある万歳という語が択ばれているのでしょう。  ──メーデーメーデーめーでーたーいーなー、だとめでたすぎてしまりがないでしょ(でも、こっちもちょっといーかな)。

choma1623
質問者

お礼

万歳以外の喜びの表現を日本人は持っていないことが寂しい気がしますね。お答えありがとうございました。

関連するQ&A

  • 万歳!! について

    今北朝鮮の人が「将軍様、万歳!!」と言うのと、 戦時下の日本人が「天皇陛下、万歳!!」と言っ たのは、全く意味合いが異なると聞かされました。 「将軍様、万歳!!」は、洗脳や強要によるもの なので、哀れみ・滑稽さを感じるが、 「天皇陛下、万歳!!」は、自然な敬意の表れで 自発的なものでなので、清らかさ・高貴さを感じ る、とのことでした。 やはり「天皇陛下、万歳!!」という表現には、 洗脳や強要めいたものは全くなかったというこ とでしょうか。

  • 天皇陛下バンザイとは何ですか?

    天皇陛下バンザイとは何ですか? 即位の礼で安倍総理がバンザイしていましたが、天皇陛下バンザイということですよね。 天皇陛下バンザイ\(^o^)/とはどういう意味ですか? 我々も天皇陛下にバンザイしなければ不敬罪で打ち首なのですか? 天皇陛下バンザイ\(^o^)/ 天皇陛下バンザイ\(^o^)/ 天皇陛下バンザイ\(^o^)/ こうすれば何か救われるのですか?

  • 「ばんざい」って?

    「『ばんざい』ってなに?」って聞かれたら、 正確に答えられません。 言葉としての意味を教えて下さい。 あと、外国人がよく、知っている日本語として、 「ばんざい」をあげたりします。 特に、「日本兵が『天皇陛下万歳!』って叫んでいた」 なんていうように知っていたりします。 この場合の「万歳」を外国人にどう説明すれば良いですか?

  • 「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。

    「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。 明治期に制定された皇室典範により、天皇・皇后に対しては「陛下」という呼び方をすることが 規定されているそうです。 しかし、そもそも「陛下」という語は、天皇に対して上奏をする際に文書中で天皇を指し示す語で あったということです。 すなわち、天皇ご本人に上奏するなど畏れ多くて無理なので、「陛下」、つまり玉座へ続く階段の下、 にいる取次ぎの従者に対して申し上げるという形式をとっていたとのことだと思います。 同様に、文書中で天皇の事を指し示す場合は文書の種類に応じて 「天皇」「天子」「皇帝」「陛下」などを使い分けていたのですが、 (これは大宝律令?に定められているらしいですが) 発音する場合は全て「すめらみこと」と発音したといいます。 そもそも、日本の統治者の日本語での呼び名は「すめらみこと」であったのが、 自国に文字が無かった為に漢語で「天皇」「天子」など相応しい文字を当て字にして 表記したのでしょう。 また、天皇を呼ぶ際には他にも「御門」や「禁裏様」などが用いられ、 いずれも婉曲表現として天皇がおわします場所を呼ぶことで 天皇ご本人を表しているものです。 これらの様な事を考えますと、明治の皇室典範にあるように 天皇に「陛下」という称号を付けてお呼びすることは、どうにも不自然な気がします。 まず、「陛下」とは上奏という特定の状況において、天皇を指し示す語であり、 言葉本来の意味は「取次ぎの従者がいる場所」です。 上奏文の中で「陛下に申し上げる」というのは至極妥当ですが、 現代のように天皇ご本人に対して「天皇陛下」と呼びかけるのはどうなのでしょう。 いわば、天皇ご本人に対して「天皇の階段の下の従者」と呼びかけているようなもので、 むしろ失礼ではないでしょうか。 また「天皇」を「テンノー」と音読みする様になったのも同様に明治期からであるとのことです。 本来やまと言葉では「すめらみこと」が正しいはずです。 他にも天皇が軍服を着たり、人前に姿を表したりと、 明治期には天皇に関する事に対して多くの伝統破壊があったのではないかと思っています。 もちろん西欧列強に対抗する為の政策として必要であったのかもしれません。 ただ、明治維新の立役者の多くが下級武士で有った事を考えると、 「陛下」という意味や用法も良く知らずに決めたのではないかとも思えてしまいます。 言葉は変わっていくものだ、と言われればそれまでですが、 国の最高位の方に対する呼び方ぐらい、自国の伝統的な言葉でお呼びしたいものです。 また、右翼や国粋主義の人達が主張する「伝統的な」日本とは、 多くの場合この様な明治期に作られ、昭和初期にかけて強化された作られた日本像 であると思います。 そのくせ、「2000年以上の皇室の伝統」とか「万世一系の天皇陛下」などと さも古来からの伝統であるような言い方をします。 「てんのうへいかばんざい」などというやまと言葉が一切ないフレーズを 「日本人の心意気だ」などと言います。 本当の日本の伝統とは、そのようなものではなく、明治維新が起きる前の 日本の姿なのだと思います。(良いか悪いかは別にして) その中で天皇は「すめらみこと」であり「禁裏様」と呼ばれ、お歯黒をし、 京都の宮中でひっそりと雅の世界を守っていたのではないでしょうか。 もちろん権力などは無かったでしょうが、少なくとも、現在の今上天皇のように、 自由を全て奪われ、国家の為に決められた仕事をひたすらこなし、 内閣の命令に従い、さらに崩御なさるまで引退も許されないといったような、 (ご無礼を承知で言えば)まるで奴隷のような状態ではなかったと思います。 昨日の文化の日、役人が決めた文化勲章受章者に対し、モーニング姿で勲章を親授される 「天皇陛下」の姿をテレビで拝見し、その様に感じました。 質問が分かりにくくなってしまいましたが、「てんのうへいか」という呼び方に対して、 詳しい方のご意見をお聞きしたいです。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 天皇陛下万歳と叫ぶのがなんとなく気が引けるのは何故

    でしょうか。 67歳にもなっておきながらこんな質問をせざるを得ないのが恥ずかしくてなりません。 自民党が没落し、民主党が台頭してきた頃から、 私はそれまでの浮動票の代表のような存在から急速に右傾化し、 今では民主党政権打倒のデモに参加するほどの保守派人間になってしまいました。 ついつい「右傾化」「保守派」という言葉を使ってしまいましたが、 日本を愛し日本の安全を守るという、日本人なら誰しも持つごくごく自然な意識を持つようになった、 ただそれだけのことなのです。 ただそれだけなのに、冒頭に掲げた疑問に悩まされるようになりました。 つまり・・・、デモや集会でよく「天皇陛下万歳」を叫びます。 これも日本人ならごくごく自然なことと思っています。 以前一ヶ月ルールを破って中国の要人が陛下に謁見したときなど、 なんとも言いようのない怒りの感情がふつふつと湧いてきたものです。 あぁやはり自分は日本人なんだ、やはり天皇陛下に対する崇敬の念は、 ごく自然に普通に持っているんだなと改めて思ったものです。 それなのに・・・集会で「天皇陛下万歳」と叫ぶことに、 なんとなく気が引けてしまうのは何故なのでしょう。 自分でも分からないのです。 そして分からないということが自分で許せなく、必死で考えるのですが、 どうしても分からず悩んでいます。 どなたかこのことを理解下さり、解説して下さる方はいらっしゃらないでしょうか。 どうかよろしくお願い致します。

  • 天皇の仕事

    天皇の仕事 無職みたいなもんですよね どこどこ訪問とか・・観光みたいな 中学の時に歴史の先生が天皇陛下は歴史上で大切な役割をしてきた 昔は天皇陛下は神なたいなもんで何とか宣言をしたとか言ってて最後に でも今の日本は平和でほとんど天皇陛下の役割はなくなってる 会ってもなんとも思わない人が多いでしょと・・ 確かにTVの映像見てても老人しか握手求めないですもんね・・ 今、天皇は必要ですか?

  • 「大丈夫です」に違和感を感じますか?

    お断りします。結構です。要りません。のような意味で 「大丈夫です」という言葉に違和感を感じますか?

  • 主権回復式典「陛下万歳」は「不祥事」?

    主権回復式典「陛下万歳」は「不祥事」なのか 公明・新聞・テレビが批判、韓国からも 「天皇陛下万歳!」――2013年4月28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、安倍晋三首相始め出席者が「万歳三唱」を行った問題が、波紋を広げている。 翌日以降の新聞・テレビが相次いで批判的な立場でこの件を取り上げたほか、与党・公明党からも苦言が。もちろん韓国からは強い反発が巻き起こる。菅義偉官房長官が30日の会見で「自然発生的に発せられた」と釈明を余儀なくされるなど、ほとんど「不祥事」並みの扱いだ。 「ハイル・ヒトラー」と同じ? 「天皇陛下万歳」は「ハイル・ヒトラー」と同じ、と論評した韓国日報の記事 「想定外の万歳三唱 戸惑う出席者も」(朝ズバッ!(TBS系)) 「記念式典であるハプニングが」(ワイドスクランブル(テレビ朝日系)) 29日の一部ワイドショーは、こうしたテロップで万歳三唱の場面を映し出す。カメラは続いて沖縄県関係者の声、あるいはコメンテーターによる天皇の政治利用などを危惧する発言を紹介し、「万歳」を問題視する姿勢を打ち出した。 新聞では、会場から万歳が発生したことを淡々と紹介した朝日、問題には触れず万歳写真のみ大きく一面に配した産経、一切触れなかった読売と扱いが分かれた。そんな中で毎日は、 「突然の『万歳』に苦慮」 の見出しで、政府関係者も予期していなかった「ハプニング」として、やや批判的な切り口で大きく報じた。このほか式典自体に反対する沖縄2紙も、「思慮を欠いた振る舞い」(琉球新報)「県民に強い違和感を残した」(沖縄タイムス)と、そろって強硬に反発した。 http://www.j-cast.com/2013/05/01174351.html?p=all 他に、TBSのニュースでは、’こんな一幕も’として「天皇陛下万歳」三唱の場面を報道していました。 主権回復式典「陛下万歳」は「不祥事」なのですか? ご教示を

  • 主権回復式典での天皇陛下万歳は何か問題なのか?

    段階を経て主権を回復し、国民の願いとその主権の行使で取り残された小笠原・奄美・沖縄も粘り強い交渉の末に国際環境の変化の中で、敗戦後のGHQの統制下からの復興~回復が為され、今日の平和国家日本が形成された第1歩の日(サンフランシスコ平和条約)なのでは・・・ その慶事・再スタートの日であり、過去の過ちへの猛省、平和への願いと不戦の誓いを期して行われた主権回復式典だと思うが、天皇皇后両陛下の参列や天皇陛下万歳の唱和を巡って批判的な記事・コメントが散見されるのは何故でしょうか? 皆様の感慨やご意見は・・・ (1)当時、取り残されたり、今も占領・施政権を奪われていた時代の負の遺産(重い米軍基地負担他)があり、屈辱の日としての視野視点とその反発は当然。 (2)ご高齢の天皇皇后両陛下のご長寿とご健康を祈念する思いからの自然発生した万歳三唱であり、年賀でのお出ましや御公務での沿線沿道での万歳と同じ素直な気持ち行動であり、国民統合の象徴と言うお立場と政治利用だとの指摘には、式典と万歳を混同し問題視する人の偏執や為にする批判を感じる。 (3)主権回復式典の主旨や開催そのものに反対の立場の人が反発・批判のターゲットに材料にしているにすぎない。 日米安保体制や天皇制やサンフランシスコ平和条約、憲法改正への警戒心etc真の批判や標的を隠しての批判批評だと思う。 (4)皇室&天皇皇后両陛下への尊崇・敬慕の念を示し表すのに、誰からも強制されたり束縛されるのではなく、万歳する自由も万歳しない自由もあり式次第に予定された式目や演出ではないのだから、批判する人の心情・意向が全く理解出来ない。 (5)その他 ※質問の背景に成った記事 主権回復式典「陛下万歳」は「不祥事」なのか 公明・新聞・テレビが批判、韓国からも- J-CAST(2013年5月1日19時46分) 「天皇陛下万歳!」――2013年4月28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、安倍晋三首相始め出席者が「万歳三唱」を行った問題が、波紋を広げている。 翌日以降の新聞・テレビが相次いで批判的な立場でこの件を取り上げたほか、与党・公明党からも苦言が。もちろん韓国からは強い反発が巻き起こる。菅義偉官房長官が30日の会見で「自然発生的に発せられた」と釈明を余儀なくされるなど、ほとんど「不祥事」並みの扱いだ。 「ハイル・ヒトラー」と同じ? 「想定外の万歳三唱 戸惑う出席者も」(朝ズバッ!(TBS系)) 「記念式典であるハプニングが」(ワイドスクランブル(テレビ朝日系)) 29日の一部ワイドショーは、こうしたテロップで万歳三唱の場面を映し出す。カメラは続いて沖縄県関係者の声、あるいはコメンテーターによる天皇の政治利用などを危惧する発言を紹介し、「万歳」を問題視する姿勢を打ち出した。 新聞では、会場から万歳が発生したことを淡々と紹介した朝日、問題には触れず万歳写真のみ大きく一面に配した産経、一切触れなかった読売と扱いが分かれた。そんな中で毎日は、 「突然の『万歳』に苦慮」 の見出しで、政府関係者も予期していなかった「ハプニング」として、やや批判的な切り口で大きく報じた。このほか式典自体に反対する沖縄2紙も、「思慮を欠いた振る舞い」(琉球新報)「県民に強い違和感を残した」(沖縄タイムズ)と、そろって強硬に反発した。 やはりというべきか、韓国紙からの攻撃も相次ぐ。大手紙・朝鮮日報が「『天皇陛下万歳』安倍首相に批判続出」との見出しで報じたのを始め、ソウル新聞は「秩序を重視する日本人が、天皇・首相臨席の場で勝手に万歳を言い出すだろうか」と疑問を呈し、安倍首相らによる「自作自演」説を打ち出す。韓国日報に至っては、「『天皇陛下万歳』は『ハイル・ヒトラー』と同じ意味」と主張する論説を掲載した。 政府内部からも、与党・公明党の山口那津男代表が式典後に「(主権回復の日の)意義を十分に踏まえた行動だったか問われる」と苦言を述べるなど、風当たりが強まる。 政府動画からなぜか「天皇陛下…」音声消える こうした中で一部から注目されたのは、政府が配信した式典の公式動画で、万歳の音声が一部無音となっていることだ。 内閣府が公開する「政府インターネットテレビ」では、式典の模様が全編ノーカットで公開されている。ところが、問題の「万歳三唱」の部分では、会場からの「天皇陛下、万歳!」の発声、そして続く1回目の「万歳」の音声が途絶え、2回目以降の万歳しか聞こえない。 内閣府はJ-CASTニュースの取材に、「参加者が立ち上がったため会場がざわついたので、一時壇上のマイクを切っていただけ。意図して音声を消したものではなく、誤解を与えるような内容になったことは残念」と編集を明確に否定したものの、前述の沖縄タイムズはこの件から、政府も万歳問題を「なかったこと」にしたいのではないか、と勘ぐる。 なかったことにしたいのか「既成事実」化したいのかはとにかく、これまでのところ菅官房長官の会見を別にすれば政府関係者や議員からこの問題への言及、あるいは反論はほとんど聞こえない。ちなみに式典のあとすぐにモスクワに出発、さらに中東歴訪中の安倍首相は、フェイスブックなどでも今のところこの問題に触れていない。

  • 「誰かの為に」って言うのがないと、やってられなかっ

    日本の戦時中の人は 天皇陛下万歳とか天皇の為にとか言って死んでいきましたが 「誰かの為に」って言うのがないと、 やってられなかったのでしょうか? 目標と言うか生きがいと言うか そういう何かがないと頑張れなかったのでしょうか? そのための天皇でもあったのでしょうか? であればそれを発案した人は 上手いこと国民をコントロール出来たという事でしょうか?