1858年、島津斉彬が

解決済みの質問

1858年、島津斉彬が

5000名もの藩兵を引き連れて上洛しようとしましたが、
斉彬はこの時、最終的にはどこまでやるつもりだったのでしょう?
徳川慶喜を将軍に据えるためだけの行動ではありませんよね。
「今の徳川幕府ではもうだめだ、自分が将軍になって島津幕府を打ち立て、国内を根底から改革するしかない」
と思っていたのでしょうか?
出発を目前に亡くなってしまいますが、もし実際に藩兵を連れて上洛していたらどうなっていたでしょうか?

投稿日時 - 2008-04-23 22:45:42

QNo.3971112

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たった5000の藩兵では、軍事的な行動は何もできません。幕府側は畿内でも二万程度の兵力は即時動員できるし、1週間もあれば十万程度の兵力は動員できるでしょう。彼の目的は、井伊直弼を引き摺り下ろすところにあると思います。

 将軍慶福など子供です。当時の政府の幕閣など、井伊を除いて主体的に国政をリードできる人材など皆無です。もっとも人材のあるなしではなく、幕府にリードする力自体がなくなっていたと考えるべきかもしれませんが。
 もし島津が開戦やむなしといった態度で抗議すれば、当然幕府内では井伊を引き摺り下ろす勢力が出てくるでしょう。むしろ、影でなんらかの感触をつかんでいたと見るべきかもしれません。もしそれで首尾よく井伊が失脚すれば、残るは弱腰な幕府と子供の将軍、そして世間(諸藩)に対して島津の示威外交に幕府が屈したという構図を見せることができます。幕府は幕府で残ったとしても日本全体の国政をリードする立場になれたかもしれません。

投稿日時 - 2008-04-25 12:54:09

ANo.1

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