回答受付中の質問
近年、モンスターを冠する人々が問題視されているのは周知の事実です。
特に教育、医療現場、駅構内において理不尽なあるいは暴力的な利用者が問題になっており、そのような人々を指してモンスターという言葉を付与しているようです。
しかし、そもそも、「モンスター」といえる程の存在なのでしょうか?
教育、医療現場は過去から現在に至るまで、「先生」という敬称を以って尊敬の対象とされ、その職責を果たす事を求められてきました。
しかし現在、社会の構造的変化として、高学歴社会、専門職の社会的地位の確立、権利意識の顕在化、人間個人の有り様の変化としては、個の確立等が上げられるように、社会から個人に至るまで、時代の変遷と共に、当然ながら意識も変化しています。
意識変化の特に大きな過渡期の中で、過去の権威と新しい意識との衝突により顕在化したものの一部を指して「モンスター」という言葉を付与していますが、それらは通常の社会では普通に存在するものであり、医療、教育の世界もいわば「普通の社会」に組み込まれている現状を表しているのではないでしょうか?
教育現場において、父兄が教師と対等な立場で意見する事が出来るでしょうか?医療現場において、患者は自己の健康状態の詳細なデータと現状を把握するに足る説明を求める事が出来るでしょうか?
極端な事例はあるとはいえ、当然の事が当然に出来なかった世界において、「モンスター」は存在するようです。
様々な事件、事故が存在する大多数の世界では過去においても「モンスター」が存在しており、改めて「モンスター」を付与する事例を考えれば切りが無いように思います。
このような考えは現実と乖離しているのでしょうか?
投稿日時 - 2008-04-14 08:56:10
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回答(6件中 1~5件目)
はじめまして。
中学校の教員です。実際に「モンスター」に遭遇しました。
とにかく「何でも自分の話しに持っていかないと気がすまない」のです。
話をしても「それは学校の事情でしょう」「そういうことを言う先生がおかしい」「子育てに親が責任持ってやっているのに、他人の教師が子育てに口出しするからうちの子がおかしくなる」など。
どの教師もあなたのお子さんの親じゃないのですが・・・。
日本語としての論理がどうのこうのとか、じゃなく「とにかく文句を言いたい」だけなのでしょう。
深夜構わずの電話なんか序の口です。
クラスの生徒全員を巻き込んでの「担任シカト」運動。
車への落書き・傷つけ。
挙句の果てはネットで担任の中傷。あることないこと書かれる。
それをプリントアウトしたものが他クラスはおろか他学年まで回る。
学校はそういったことがあっても教員を守ってくれない。
管理職は「こういったことになるのもあなたが毅然とした態度で生徒を指導しないからだ」と言う。
こういったことが続き、精神科に通うようになり、不安障害・適応障害・鬱などと診断されて休職しました。
職場に戻りたいが、私立なので転勤もできないので状況は厳しいです。
投稿日時 - 2008-04-28 21:54:44
はじめまして。
養護学校の教員をしています。
まぁ、この手の言葉は、定義が難しいのですが…。
ご主張について、「モンスター」≒「理不尽に不満をぶつけてくる存在」くらいにとらえると理解しやすいので、そのようにとらえます。
>様々な事件、事故が存在する大多数の世
>界では過去においても「モンスター」が
>存在しており、改めて「モンスター」を
>付与する事例を考えれば切りが無いよう
>に思います。
他の業界では「クレーマー」なんて言葉もありますね。
同様ととらえて構わないですか?
私としては、質問者の方のご主張は「論じる」という点では面白いと思うのですが(賛同しているわけではありません。念のため)、現実に起こっている事態は少々ひどいものがあります。
大抵の学校では、建設的な主張であれば、ありがたく受け入れ、対応していく姿勢はもっているでしょう。
一部の親御さんは理不尽に、全体を無視したレベルまで、個人の権利や利益を主張してきます。当然ながら、受け入れることはできません。
それでも、強硬に主張してくる場合があります。場合によっては物理的な実力行使や、一方的に時間を奪うようなやり方で。そういう一つひとつが担任を肉体的精神的に追い詰め、心身に故障をきたしたとしても、要求が受け入れるまで止めることはないでしょう。
そういうアプローチは、決してうまくいきませんし、教員と保護者だけでなく、子供への悪影響も想定されます。
全ての状況を悪化させる存在となってしまう。
なので「モンスター」と呼んでいます。
子供の成長を促すための教育を行うのが、学校のつとめと考えています。その意図をくんだ上で前向きにご意見をいただける方、明らかに学校側に落ち度があった場合に指摘してくださる方には、ふつう「モンスター」呼ばわりしません。
教育活動を阻害する存在を「モンスター」と呼んだ。
それだけのことではないかと。
他の業界が、同様の存在に「モンスター」という言葉を使うかどうかは、それぞれが決めることで。
前述のように「クレーマー」なんて言葉もあれば、他の表現もあるかもしれません(私自身は言葉の適用について、それほど興味がありません)。
「モンスター」という言葉に象徴される存在を、どのように考え、そういった状況を、どう改善させていくか。この辺りをぜひ、ご一緒に考えていきたいものです。
言葉の定義や適用範囲など、本当はどうだっていいのです。
いち教員として私は、保護者とお互いを尊重しあえる、すばらしい関係が築きたいのです。そのために日々、それぞれの親御さんと前向きに話し合っています。
少々辛口になったかも知れませんが。
何かの参考になれば幸いです。
投稿日時 - 2008-04-15 05:46:14
お礼
回答ありがとうございます。
実際に従事する方の意見であり、目の覚める思いで読ませて頂きました。全く辛口であるとは思いません。
ただ、一つ思うのは、職業的使命感から生じる高邁な理想は無くてはならないのですが、それを義務とされ、親に要求される事態に現在陥っているのではないかと思いました。
医師は全ての病気を治癒する、教師は学力は基より子供の人格形成にまで寄与し、理想の学園を運営する。
医師や教師に信頼を寄せ、敬意を払う対価をそのような理想を基準に求めてきた不幸であるように思います。
理想と現実、実現の可能性を親は認識すべきなのだと感じました。
私は生半可な知識しかないので恐縮ではありますが、養護施設に教育実習に行った友人の話を聞き、とても大変な職業であると感じた事を思い出します。
理不尽な要求、不誠実な交渉姿勢は許されるものではなく、それらを処理出来ないシステムに問題があると思います。
公平に審査出来る第三者機関の設置が一つの解決法だと思いますが現実には難しいのでしょうね。
また、教育機関の責任の明確化も解決法だと思います。訴訟社会アメリカなどはどうなんでしょうね。
難しい現状が一日も早く解消される事を望むばかりです。
回答、ありがとうございました。
投稿日時 - 2008-04-16 00:55:48
仰るように、まず、この「モンスター」増殖の背景に、意識の変化があることは間違い無いと思います。
医療については詳しくないので、学校における「モンスターペアレント」の話に絞りますが、昨今の増加の最大の原因は「言葉の独り歩き」によるものが大きいと思います。
「モンスターペアレントの実態」に関する調査は多くありますが、。この手の調査の殆どは、「この学校の生徒の親による理不尽な要求はありましたか?」などと言うように尋ねているのです。この調査によって、「○%の学校にモンスターペアレンツがいる」などと言う衝撃的なデータが叩きだされます。しかし、この調査には致命的な欠陥があります。それは、判断するのが当事者である教師(学校)である、ということです。つまり、第三者が基準を持って判断したものではない、というわけです。
昨今、色々と騒がれた「いじめ」件数は、学校が「うちの学校でイジメがあった」と認識しないとカウントされない、という極めて精度の低い調査でした。この調査に関しても同様で、学校という一方の当事者の言い分がそのまま「正しいデータ」であるかのように出されている、という部分があります。
勿論、No.2さんが仰っているような、誰が見ても明らかに理不尽な言いがかり、というものはあります(ただし、これらの個別のケースをいくら並べても、モンスターペアレントが増えている、という根拠にはなりません)。また、対策を練る必要があるのは確かです。ただし、件数などのデータに関しては、上に書いたような調査上の問題から、差し引いて考えなければならないでしょう。
私個人の考えとしては、質問者さんが仰るように、学校や医師などに対し、説明や要求というものをすることが可能となったことが最大の理由だと思います。
その結果、学校などに対し、明らかに無茶苦茶な要求をする者も出てきた。一方で、学校側の対応の遅れ、意識の変化が進まない、ということによって正統な要求・意見までもが「理不尽な要求」として捉えられてしまい、各種データの数値を押し上げていることもまた、あると思われます(特に、昨今、「モンスター○○」という言葉が流行ることにより、教師などの側の不満を外に出しやすくなったことで件数が増加した、という構図はあるでしょう)。
双方の結果が、現在の状況ではないかと思います。
投稿日時 - 2008-04-14 19:35:58
お礼
回答ありがとうございます。頂いた回答は概ね私の意見に同意していただけたものと受け取りました。
私の場合、昨今の報道を受けての最初の感想は、「不当、過剰な要求」よりも、「意見を言える土壌が生まれ始めているのか」という事でした。
教育現場では教師は絶対的であり、教育現場に親や生徒の意見を差し込む隙は無かったように思います。
ですから「モンスターペアレント」の存在自体が驚きでした。
「説明責任、責任の明確化」が実現するのであれば、そのような世論が形成する過程での反作用として、「モンスターペアレント」も仕方ない、そしてそれはいずれ消えるもの・・・そういった考えがどうであるか問うために質問させて頂きました。
いろいろな意見を聞いて、柔軟な認識が持てるような気がします。
回答、ありがとうございました。
投稿日時 - 2008-04-16 00:35:17
>意識変化の特に大きな過渡期の中で、過去の権威と新しい意識との衝突により顕在化したものの一部を指して「モンスター」という言葉を付与していますが、それらは通常の社会では普通に存在するものであり、医療、教育の世界もいわば「普通の社会」に組み込まれている現状を表しているのではないでしょうか?
ここの部分を読むと、反抗期の子どもを思いうかべます。何か提案ができるわけではないけれども、不満や疑問はあり、それを振り回してしまう。
いまの社会は分業をよしとしていますから、保護者が学校教育へどのくらいの時間や労力を割くべきかという問題は残りますが、
主体(subject,sujet)は何らかの倫理やルールの下にのみ成立するわけですから、
この倫理やルールを形成するという作業を怠って、どれほどの価値があるかも分からない主張を無理にでも通そうとするのが、モンスターたる所以でしょう。
どれほどの価値があるかもわからない、という箇所に関してはモンスター的というよりも、エイリアン的という言葉が相応しいかもしれません。
何を大事にしているか分からないというだけならば、コミュニケーションを重ね解消できるように思いますが、
倫理やルールのレベルを無視して、事実のレベルにおいて実力行使に出るというモンスターは頂けません。
教師や医師は生徒・保護者や患者からの依頼を断ることが困難な職業であるように思います。
そこへつけこみ無理難題をおしつけたり、結果に文句をつけるのは、まったくの見当はずれで、いい結果に繋がるとは思えません。
そもそも、結果ではなくプロセスに対しての契約ですから、結果に対しては文句のつけようがありませんし、
他の方の回答にあったように主役が二人になってしまうような依頼は、
対等な立場からの発言とは思えません。
たとえ対等な立場がとれたとしても、教師や医者と生徒・保護者や患者の関係は非対称ですから、先生はいなくならないでしょう。
また、先生がいたほうが、分業をよしとする社会の考え方にも沿います。
医療と教育では事情が異なるように思いますが、こと教育に関しては、
学校教育に大きな期待を抱かないことが妥当な回答になりそうです。
主体の確立によって、自分たちに責任があることを自覚したとたんに、
いままで頼っていた人たちに全てを背負わせるというのは、どうなんでしょうね。
ともかく、何に価値を見出しての主張なのか、ということの見極めが、
コミュニケーションを通じて明らかにされていくことを望みます。
このことによって、単なるヤツアタリと、(学校教育においては)教育的配慮の欠如等々に対する指摘とを切り分ける必要がありそうです。
もちろん、教師がクレームの処理に追われ、自分で自分の首を絞める結果になりかねるという問題は残りますが。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/モンスターペアレント
投稿日時 - 2008-04-14 15:36:00
お礼
>教師や医師は生徒・保護者や患者からの依頼を断ることが困難な職業であるように思います。
教育では、義務教育に従事する教師は雇用者たる地方自治体と、教育基本要領に定める教育を生徒に施し、ある程度の習熟度を平均的に達成する職責があると思います。そして、義務教育の性質上生徒を拒む事は出来ず、そして業務上与えられた仕事(クラス、教科の指導)には従事せねばならないでしょう。
医療に関しては個人の意思の能力が許す所の医療を提供するしか無いですが、患者の要求が達成困難であれば拒否して構わないのではないでしょうか? 実際拒否しているのでは無いかと思います。
たとえ対等な立場がとれたとしても、教師や医者と生徒・保護者や患者の関係は非対称ですから、先生はいなくならないでしょう。
>また、先生がいたほうが、分業をよしとする社会の考え方にも沿います。
「先生」というのは敬称であり、「教員」「医局員」が職業名に相当しても良いと思います。
私の発言を顧みると、学校の責任ばかり追及しているようですが、お話を聞いて考えていくうちに、親の不当な要求を拒否できないのはなぜなんだろうという疑問も感じはじめています。
回答にはいろいろ考えさせられました。ありがとうございました。
投稿日時 - 2008-04-16 00:25:15
>過去の権威と新しい意識との衝突により顕在化したものの一部を指して「モンスター」という言葉を付与していますが、
これならいいのですが、モンスターはこの程度の話ではありません。
例えばクラス替えで「うちの子とあの子は仲が悪いから、同じクラスにしないでください」なんて要求、理不尽だと思いませんか?そういう子たちと仲良くなるためのクラス替えですし、他の親の要望まで100%聞いたらクラスが作れません。
例えば「うちの子はブランド物のカバンだから、カバンに名前を書かせないでください」なんて要求はどうでしょう?ただでさえ盗難確率の高いブランドのカバン。名前が書いてなかったら盗んでくれと言っているのと変わらず、もし盗まれたらまた親が先生を責め立てます。どちらにしろ先生は責められるハメに。
例えば「うちの子を主役にしろ」。こんな親が2名出た時点で劇なんてできません。(全員主役なんて詭弁だし、セリフの文字数でも抗議してきそうです)
例えば「親の私にも給食を出してくれ」。もう言葉も出ませんよね?
中には暴力をしたり、深夜に電話をかけまくる親もいます。
(それで睡眠障害になったり鬱になる先生もいます)
相手をそこまでするのは人間としてやりすぎ、つまり「モンスター」です。(いくら患者、親、客でも人を傷つける権利までない)
例え新しい意識であっても、そのようなことが許されるはずがありません。
それとも要求を通すためなら暴力もいいのですか?
今日のニュース記事でも患者の暴力が問題になっていました。
どんな理由であろうと暴力はいけないことです。
特に暴力的なことをする人をモンスターと呼ばずして、なんと呼ぶんですか?
衝突結構。ただ、要求の通し方がモンスターなのです。
投稿日時 - 2008-04-14 13:00:16
お礼
回答ありがとうございます。
教師には親や生徒の見えない所で教室運営に腐心している事を前提に考えています。
教師(学校)の判断で作成されたクラス編成に意義を申し立てる親の意見は参考材料として取り上げるに値すると思います。 クラス替えの結果、問題が生じればその解決の責任は教師(学校)にあると思います。
親が自分の意向を申し入れる事は容認されるべきですが、それを取り入れるか否かは教師(学校の)裁量に委ねるべきだと思います。
演劇に関することも同様と思います。
下にも書きましたが、不法行為および迷惑行為に及ぶ親には、機械的に法的に対処する事が一番だと思います。一般社会でもそうなのですから。
教師としては、「教師は聖職者である」「学校は聖域だ」そう呼ばれてきたことに対する職業的自負心。親としては敬意を払う対象である学校、教師に対する期待。それら漠然とした認識の中での双方の衝突だと思います。 義務教育あるいは教師の職責の明確化が問題解決の一つかもしれないと思うのですが…。如何でしょうか。
投稿日時 - 2008-04-15 23:54:02