解決済みの質問
No.1の方の意見に補足します。
>漢の高祖は,人の和を重視して天下を平定できたので,
>対外的も対決姿勢 ではなく,平和路線でいったんですね.
実際は、匈奴討伐を1回実施しています。
しかし歩兵が主力の漢軍は、騎兵が主力の匈奴軍に翻弄
され、辺境の城で包囲されて危機一髪の状態に陥ります。
しかし、劉邦の部下の陳平(張良と並ぶ軍師として有名)
の奇策により、何とか脱出に成功します。
当時は、中国統一をしたばかりで漢の国力も乏しく、以後
匈奴討伐はあきらめて和親策を取るわけです。
私の記憶だと、養女を嫁に差し出していたと思います。
以後、漢の武帝の時代まで和親策が続きますが、武帝の頃
になると、数十年続いた平和の期間に本格的に匈奴との戦争
を遂行できるだけの国力が漢に漢に貯えられたため、以後
は匈奴との戦争状態に突入します。
それからこれは教科書には掲載されていない内容ですが、
司馬遼太郎氏の著作(書名は忘れました)によると、漢の
高祖の時代は矢が青銅製で、匈奴の騎兵が身につけていた
皮の鎧を貫くだけの威力がなかったが、武帝の時代になる
と鉄製の矢を大量に製造できるようになり、鉄の矢だと皮
の鎧を軽く貫通できるほどの破壊力を持っていたため、匈奴
との戦争に踏み切ることができたとのことです。
投稿日時 - 2002-10-30 15:26:40
お礼
実際は、匈奴討伐を1回実施しています。
>そうですね。将軍衛青・かく去病(すいません、’かく’が変換されませんでした)ら北方に派遣して、匈奴討伐を前漢のときにしていますし。。。
しかし歩兵が主力の漢軍は、騎兵が主力の匈奴軍に翻弄
され、辺境の城で包囲されて危機一髪の状態に陥ります。
しかし、劉邦の部下の陳平(張良と並ぶ軍師として有名)
の奇策により、何とか脱出に成功します。
当時は、中国統一をしたばかりで漢の国力も乏しく、以後
匈奴討伐はあきらめて和親策を取るわけです。
私の記憶だと、養女を嫁に差し出していたと思います。
以後、漢の武帝の時代まで和親策が続きますが、武帝の頃
になると、数十年続いた平和の期間に本格的に匈奴との戦争
を遂行できるだけの国力が漢に漢に貯えられたため、以後
は匈奴との戦争状態に突入します。
>なるほど・・・
詳しく説明してくださり有り難うございます(^^)
それからこれは教科書には掲載されていない内容ですが、
司馬遼太郎氏の著作(書名は忘れました)によると、漢の
高祖の時代は矢が青銅製で、匈奴の騎兵が身につけていた
皮の鎧を貫くだけの威力がなかったが、武帝の時代になる
と鉄製の矢を大量に製造できるようになり、鉄の矢だと皮
の鎧を軽く貫通できるほどの破壊力を持っていたため、匈奴
との戦争に踏み切ることができたとのことです。
>とても納得いきました!!
ここまで説明していただいて申し訳ありません★
ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-10-30 20:48:01
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