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プロテスタンティズムの倫理

ウェーバーのプロ論について教えてください。 禁欲的プロテスタンティズムの倫理が、どのようにして資本主義の成立に 貢献したのか教えていただけませんか? よろしくお願いします。

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noname#118935
noname#118935
回答No.1

ウエーバーは、プロスタンティズムの教義のうち、カルヴァンの「予定説」を重視しました。 予定説によると、「神は救済の対象となる人々とそれ以外の人々をあらかじめ定めており、その決定は、 人間がどのように善行や祈祷などを行ったとしても変わることがない」。 となると当然、前近代に広く浸透していた呪術的な行為なんか無効だと人は考えるようになります。 呪術の呪縛から解き放たれ、社会と自然に関する認識(とそれに基づく行動)は合理的になります。 予定説はまた「禁欲」の倫理も生みだしました。予定説を受け入れた人々は、 自分が救済の対象として神に選ばれた人間であるかどうかに強い関心と不安をいだくようになり、 自分は神に選ばれた者であるという「救いの確信」を希求するようになりました。 その救いの確信を得るための手段となったのが、職業労働でした。 職業労働は神の栄光のための行為であり、職業労働に禁欲的に打ち込み、 そこで成功して富を得ることが「救いの確信」をもたらすものだと考えたのです。 カルヴァン派の禁欲は、職業労働で富を得ることを禁じるものではなく、 得られた富を奢侈的に消費する欲望が禁じられました。 消費することなく天職のために再投資することが倫理的な義務とされたのです。 こうして「資本主義の精神」が誕生しました。

battelmode
質問者

お礼

大変参考になりました。 レポート行き詰ってまして・・・。ありがとうございました。

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