解決済みの質問
手元の資料を参考に回答致します。。。
交渉当初(襲撃事件の前)日本が清に提示していた休戦の条件は
「日本軍は大沽、天津、山海関を占領し、そこに駐在する清国軍は一切の武器、軍需を日本軍に引渡し、天津、山海関の鉄道は日本軍が管理し、休戦中の日本軍の費用はすべて清国の負担とする。」
など、非常に厳しいものでした。連戦連勝であった日本は停戦に応じる必要は無く、戦闘継続のまま講和を結びたいのが本心であったので、清国がとうてい受け入れることの出来無い条件を示したのです。
李鴻章は暗然とした気持ちで宿に向いますが、この途中で暴漢に銃撃されてしまいます。
負傷した李鴻章は、この事件を有利に使おうと考えたかもしれませんが、特に何のリアクションも起こしませんでした。うろたえたのは陸奥宗光です。
陸奥は、李鴻章が事件を理由にこのまま帰国し欧米列強にこの事件を巧みに宣伝すれば、諸外国の干渉が始まり、日本は清国に対して大きく譲歩しなければならない、と考えたようです。
そこで伊藤(博文)と陸奥は、前述の条件を全て撤回、無条件で休戦を受け入れることにし、講和条約の交渉に移ったようです。
投稿日時 - 2002-10-22 21:25:25
お礼
詳細な情報ありがとうございました。
大変役立ちました。
投稿日時 - 2002-11-06 19:28:35
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