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戦争責任について

カテゴリー違いかもしれませんが、迷った末にここで質問させていただこうかと思います。 A国とB国が戦争したときに、A国が勝利したとします。 B国は戦争責任をとらされ、指導者以下責任をとり、 死刑などの形で責任を負うことが普通にあると思います。 しかし、よく子供同士の喧嘩では弱い者いじめをしたA君のほうが先生に怒られるという形で責任を負い、 A君がB君に謝って解決することがあります。 戦争には双方の言い分があり、子供の喧嘩のような単純なものではないかと思いますが、 勝利した国の論理としてはどのような言い分でB国に責任を求めるのでしょうか? 私にはこじつけのような言い分しかないのでは?と思っていますが・・・・・ 私は歴史について、まったくの素人ですが、戦争責任という言葉に違和感を覚え、 今回こういった質問をさせていただきました。 どうかよろしくお願いします。

  • t1t2
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  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.8

国内法と国際法の最大の違いは、前者には究極の執行権力である国家が存在するのに対して、後者には最終的な執行権力が存在しないことです。したがって「国際法とは法ではなく道徳に過ぎない」という意見の学者もいるのですが、普通は「国際法とは強制執行能力が不完全な法である」というのが、ヨーロッパ大陸や日本での主流の考え方です。 グロチウスというヨーロッパ大陸の法学者が「戦争と平和の法」という本を書き、戦争時においても外交官の身分は保証されなければならないという原理をうちたてたのは、400年ほど前のことです。このグロチウスの議論、ヨーロッパ大陸諸国と日本くらいしか、まともに受容している国は思いつきません。イギリス法(アメリカ、オーストラリアなどを含む)の国はこんなことを気にしませんし、イスラム法にいたっては「目には目を、歯には歯を」といった古い復讐理論を継承している例すらあります。(復讐の連鎖を止めない限り、犯罪や戦争はなくならないという発想は、ヨーロッパ大陸法、日本法、かわったところでは仏教に見られるもので、それ以外の文化圏では、必ずしも明確に提起されているわけではありません) ブッシュはイラクに侵攻した際、同盟国に対して「今のイラク政府は正当なものとは認められないから、イラク大使を国外追放しろ」という前代未聞の要求を行っています。グロチウスの理論を受け入れている国から見たら、驚きものの無茶であり、ヨーロッパ人が激しく反発したのも当然のことです。日本政府はしばしばアメリカの言いなりであるなどと批判されますが、ブッシュの発言を無視し、イラク大使を国内にとどめておきました。日本がヨーロッパ大陸法の系譜に入る国であることを示す、良い事例です。他方、本当にイラク大使を喜々として国外追放してしまったアフォは、オーストラリアのハワードで、昨今、ハワードが選挙で破れたのは非常に喜ばしいことです。ハワードのバカさ加減を語り始めるときりがないのですが、良識派のオーストラリア人を国の恥だと言って嘆かせる人物だったとだけ指摘しておきます。 戦争責任を裁くにあたっては、国際法廷はほとんど機能しておらず、ユーゴスラビア内戦の処理くらいしか、案件が思いつきません。したがって必然的に、戦勝国が戦敗国を裁くというパターンが増えてしまいます。 第1次世界大戦が終わった時、戦勝国フランスはドイツが2度と再興できないように莫大な賠償金を課しました。ドイツは一時期、アメリカ資本等によって経済が復活しかけたのですが、経済はその後、急展開して極度に悪化、結果としてドイツ人の間に被害者意識をうえつけ、ヒトラーのような危険な人物を支持する人が増え、ナチスは選挙を通して合法的に政権を握ってしまうのです。 第2次大戦が終わった時は、第1次大戦の戦後処理の反省から、戦勝国は戦敗国に対する賠償を放棄するという原則で講和が実現されました。したがって日本は中国や韓国に賠償金を払う義務はないのですが、隣国に迷惑をかけた事実には違いはなく、中国へはODAという形で実質的な賠償金を払っています。従軍慰安婦に対しては、国家からの賠償はできないという原則を守るため、特別な基金を作ってそちらから実質的な慰謝料を払うという方式をとりました。多くの国の元従軍慰安婦がこれを受け入れたのですが、韓国の従軍慰安婦は国家による直接補償を求めており、これには別の手段での対応が必要でしょう。 なお、敗戦国が戦勝国に、講和条件を飲ませた例外的事例が存在します。ナポレオンがヨーロッパ中を引っかきまわした後、フランスは戦争に敗れ、ウィーンで講和会議が開かれるのですが、フランスから参加した豪腕外交官のタレイランは、敗戦国代表でありながら、自国の要求を戦勝国に飲ませてしまうのです。だてに「外交の天才」と呼ばれているわけではありません。タレイランはフランス語としては異例の綴りであるため、本当の発音はよく分からず、タレランになっていたりタレーランになっていたりするほか、ナポレオンにはタレユランと呼ばれていたことも知られています。

t1t2
質問者

お礼

>>「国際法とは法ではなく道徳に過ぎない」という意見の学者もいるのですが、普通は「国際法とは強制執行能力が不完全な法である」というのが、ヨーロッパ大陸や日本での主流の考え方です。 国際法に強制執行能力を持たせるのにどうすればよいか考えてみましたが、30分ほどで挫折しました・・・・ 国という単位があり、それぞれの思惑がある以上難しそうですね・・・ さまざまな例を出しながら解答していただき、とても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (12)

  • to9311mu
  • ベストアンサー率31% (268/842)
回答No.13

勝った方が正義なのです。それが戦争なのです。 勝利者が善、敗者が悪。 今でこそ、第二次大戦で負けた日本が「悪」という立場ですが、アメリカが負ければアメリカが「悪」だったのです。 日本が勝っていれば、死刑になるのはアメリカの大統領、その下に居る人たちなのです。

t1t2
質問者

お礼

善と悪の定義が混乱してきますね・・・ ご回答ありがとうございました。 ここで質問を締め切らせていただきます。 多くのご回答いただき、ありがとうございました。

noname#58790
noname#58790
回答No.12

問題は、 ファシズム政府の消去。 ファシズム教育の消去。 ファシズムの資金源の根絶(財閥、華族制度) 騙された国民に対し、 農地解放。 民主主義教育。 本当の平等。 ファシズムにより国民を騙し、誤った針路を進ませ、嘘の報道で戦争を遂行し、「国家」と「国民」に多大な犠牲と損害を蒙らせた。 これの責任追求。 これが国内問題です。

t1t2
質問者

お礼

自国の国民と国家に対し、責任をとったということですね。 ご回答ありがとうございました。

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.11

悲しいかな、世界は論理的でも道徳的でもないし、法律遵守でもありませんからね(涙)昔は今よりもその傾向が強かったのではと思わせる歴史も多々あります。 強者がルールみたいなところがありますね。 敗者だけが裁かれますもんね。 武力と経済と多数決…。 今は、金とメディアで無知な人々を騙していかに搾取していくかが主戦になってる感じがします。 その戦いに勝ったからといって幸せになれるわけではないんですからね。 「まぁ、頭のいいこと」w そんな感じで観ています。

t1t2
質問者

お礼

>>強者がルールみたいなところがありますね。 >>敗者だけが裁かれますもんね。 おっしゃる通り、戦争に限らず、いろいろなところでまかり通ってますよね。 税金はもう上げないで!(涙) ご回答ありがとうございました。

  • gootttt
  • ベストアンサー率61% (191/309)
回答No.10

基本的に国際政治は勝てば官軍です。 個人同士の諍いはその上に裁定者が存在します。 大人たちの諍いは政府(警察や裁判所)が裁いたり、子どもたちの諍いは先生や親が裁きますよね? しかし、国内問題において個人の上には政府などの裁定者がいるのに対し、国際問題では国の上には裁定者に該当する存在がありません。 したがって当事者間のやり取りで結論を出すしかないのです。その時モノをいうのが軍事力です。 お互いの意見が衝突したのならば無理やり暴力で納得させる必要があるわけです。 ですから仰るとおり、子どもたちの喧嘩をよく話を聞いてみれば、どっちもどっちな話が多いように、国と国の喧嘩も大抵そんなもんです。 ですから、開戦理由については大抵どっちもどっちだと思います。 しかし、日本が負けて『自分が悪かった』と認めた以上、日本が悪いというのは動かしがたい事実です。 そもそも戦争は軍隊を使って国同士の問題に白黒つける手段というだけで、良い悪いなどの『道徳的判断』を問うモノではなかったんです。 それを、正義に燃えるアメリカが『正義』などの道徳的価値観を新しい国際基準にしちゃったわけです。 これもアメリカの力が他を圧倒するほど図抜けていたから出来たことです。 補論 信じられないかもしれませんが、アメリカは本当に『自分たちは正義のため戦ってる』と思っているみたいです。 アメリカの外交と戦争は基本的には(独善的な)正義感が基本理念らしいです。 相当天然というかkyですが、自国の利益より(アメリカ的な)正義を取っちゃうくらいには純粋みたいです。 私論 太平洋戦争の『開戦責任』で言えば、6:4で日本が悪いと思います。 外交ミスりまくった挙句、武力に物言わせて問題起こしまくってりゃ、そりゃハルノート突きつけられても仕方ないと思います。 ただ戦争中の戦争犯罪については完全にどっちもどっちだと思います。

t1t2
質問者

お礼

>>自国の利益より(アメリカ的な)正義を取っちゃうくらいには純粋みたいです。 相当天然ですねΣ(゜Д゜; アメリカ的な正義が世界の人々のためならば、本当に良いのですけどね。 ご回答ありがとうございます。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.9

 「戦争責任」とは、いったい何を指している言葉だと思っているのでしょう?  そもそも、この単語自体が意味の無いこじ付けなんですよ。  例えば、回答者の中にも歪んだ自虐史観の持ち主がいますが、こういう人間を作り出した責任は GHQ にあります。  なぜ責任があるか分かりますか?  教育や行政を決める権限が GHQ にはあって、その内容が自虐史観の持ち主を作ったからです。  他方、戦争責任とは、どういう権限に伴う責任かというと、これがもう、曖昧模糊です。つまり、なんとでも言いつくろえる、言い換えれば何も言っていない言葉だということです。

t1t2
質問者

お礼

「戦争責任」に対するご指摘ありがとうございます。 戦勝国側の都合のよい言葉なのでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.7

第二次大戦後、国際連合で侵略と見なされた行為も朝鮮戦争やスエズ動乱、イラクのクウェート侵攻など少なくありませんが、どれ一つとして指導者が「戦争責任」を取らされ処罰された事はありません。 質問者様が言われるような事態は、第二次大戦における枢軸側のみの極めて例外的な出来事です。 イラクのフセイン大統領も戦争責任ではなく「イラク国民虐殺」の罪で死刑に処されました。 言い換えればイラン・イラク戦争やクウェート侵攻における戦争責任は(少なくとも法的には)問われていないのです。 これは質問者様が疑問を抱いたように「一つの国が別の国に戦争責任を負わせる」行為自体に無理があるからでしょう。

t1t2
質問者

お礼

どうも戦争責任を取らされ指導者が処罰されるということは、極めて例外的な出来事なのですね。 >>「一つの国が別の国に戦争責任を負わせる」行為自体に無理があるからでしょう。 おっしゃる通りだと思います。 ご回答ありがとうございました。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.6

「戦争責任」というものが本来存在しません。A国とB国が紛争を生じ、話し合いで解決できない場合に武力で解決するのが戦争ですが、A国が勝ってB国が負ければ、A国の言い分を通した講和条約が結ばれて終了です。典型例が「日露戦争のポーツマス条約」です。 「B国は戦争責任をとらされ、指導者以下責任をとり、死刑などの形で責任を負うことが普通にあると思います」 と言ったことは、第二次大戦後にドイツや日本に対して行われた「極めて例外的なこと」であり、当時の戦時国際法とも合致しないことでした。これは「普通」ではなく、極めて異常なことです。 こうした問題についての基礎的な本として 軍事学入門 ちくま文庫 別宮暖朗/著 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31902127 を推薦します。質問者様のお持ちの疑問は、この本を読むとだいぶ解消されるでしょう。

t1t2
質問者

お礼

>>これは「普通」ではなく、極めて異常なことです。 実は例外的なことだったのですね・・・ 本をご紹介していただきありがとうございます。 読む本が溜まっており、buchi-dogさん推薦の本読めればよいのですが・・・ ご回答ありがとうございました。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.5

> よく子供同士の喧嘩では弱い者いじめをしたA君のほうが先生に怒られるという形で責任を負い、A君がB君に謝って解決することがあります。 謝らせるべき大人は、この世界のどこにいるでしょう? 国連? アメリカ? 実はそんなものはないのです。現実として、国家を抑えるものは存在しません。国家が従わなければならないものは、実は存在しないのです。 これが、国際紛争が解決するのに結局は武力に頼らざるを得ない一つの原因でもあります。例えば、国境争いを調停する国際裁判所がありますが、この裁判所の調停は強制力がありません。 子供社会の例でいえば、何人かの腕っ節の強いガキ大将が牛耳っている社会、とでもいうのでしょうか。ガキ大将は、弱いもの同士の喧嘩には仲裁にはいることがありますが、自分の都合の良いようにしか結局は動きません。 > 勝利した国の論理としてはどのような言い分でB国に責任を求めるのでしょうか? リクツとしては色々ありますが、結局は勝った側の復讐です。戦争を仕掛けた責任者というものがいるのは理解できますが、仕掛けられた側が裁かれる例も往々にしてあります。 例えばイラク戦争では、アメリカが宣戦布告して攻め込んだにもかかわらず、アメリカは戦争犯罪を裁く側にいます。しかも、その戦争犯罪を裁くべき条約を、自国の兵士が訴追されるかも知れないからという理由で批准していません(アメリカにはこういう面があります。例えば現在の国連の前身である国際連盟は、アメリカが提唱したにもかかわらずアメリカは参加していません)。 この辺は、大昔から戦争をして勝った方が負けた方の王・将軍その他を皆殺しにしたり奴隷階級に落としたりしているのと、大差はないようですね。

t1t2
質問者

お礼

>>子供社会の例でいえば、何人かの腕っ節の強いガキ大将が牛耳っている社会、とでもいうのでしょうか。 なるほど!良い例えですね、とても解りやすいです。 >>アメリカにはこういう面があります。例えば現在の国連の前身である国際連盟は、アメリカが提唱したにもかかわらずアメリカは参加していません アメリカの口八丁手八丁さを感じますね。 ご回答ありがとうございました。

noname#52192
noname#52192
回答No.4

戦争責任などというあいまいなものでなく普遍的に許されない行為というものがあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/731部隊 http://ja.wikipedia.org/wiki/百人斬り競争 身内が加害者、敵国が被害者の裁判は当然身内に甘くなります。東京裁判に不当逮捕やダブルスタンダードな部分もあったのは事実ですが、言葉どおりの戦争犯罪人も裁かれています。 日本が裁かないから周辺国が裁判を代行しただけのことです。

t1t2
質問者

お礼

国際法上違法な行為をしていた場合、国際法に則り、裁かなければなりませんね。 ご回答ありがとうございました。

  • nebura71
  • ベストアンサー率23% (177/743)
回答No.3

 戦争責任という概念自体、第一次大戦以後に出てきた、歴史的に見れば非常に新しいもので、「普通に問われる」と普遍化するのはいかがなものかと思います。  結局、戦勝国が、占領下に於いて独断で行うものであり、どんな理由であっても、理由が付きさえすればよいのです。  おっしゃるとおり、「こじつけ」だと考えます。  国際法上も、一方的な戦争責任という考え方は、違和感があるように思います。  逆に、戦勝国による残虐行為は正当化されるという点にも留意すべきと考えます。

t1t2
質問者

お礼

第一次大戦以後に出てきた新しいものだったんですね。 これ以後、普遍化されないよう願いたいものです。 ご回答ありがとうございました。

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    子供の頃、不思議でした。はだしのゲン等で「天皇陛下ばんざーい!」と言って沖縄の崖から飛び降りる家族のシーン等ありましたが、その時の天皇が今の天皇(当時の昭和天皇)と同じ、と言う事実に違和感を覚えてました。何故、日本は命を捧げた天皇陛下に対する戦争責任を追及しないんだろう?と。 大人になってからこの疑問を人に投げると、「お前としゃべっていると、気分が悪い」、「日本人の心を分かっていない」、と言う感情的な回答が戻ってきて、中には「天皇陛下は責任が無く、傀儡だった」、としながら、じゃ誰に責任があったんだ、と聞いても、回答を持ち合わせていないんですよね。 「失敗の本質」等に代表する戦争分析本を読んでも、日本人特有の思考回路、組織論、当時の時代背景等は見えても、戦争自体の評価がイマイチハッキリしていないんですよね。何だか全体的に戦争に対する合理的・客観的な整理がついていない感じがするのです。 誰もが負けた喧嘩について振り返りたく無いでしょう。野球・サッカーファンが自分のチームの負けたニュースを夜11時からまた見たく無いのと同じ感じですかね。少なくとも私はドーハの悲劇や、06年のW杯豪州戦をもう一回見たいとは思いません。 よって、戦争を勝ち、或いは負け、と言う観点で整理するよりも、当時の日本は何を目指していたのか、その為にとった戦略は何だったか、と言う事を明確にした上で、その戦略は日本の国益に資するものだったのかを、外交・資源・経済・安全保障・国民生活等の広範囲な観点から分析すべきでは無いでしょうか。その結果、国益に資するものは妥当、国益に害するものは失敗、とハッキリすべきでしょう。 例えば、資源確保に走ったのは妥当、しかしその課程で余計な他国民の犠牲を出したのは失敗。西側諸国の帝国主義が衰退すつつあった中では外交面では失敗、だが安全保障面では妥当。国民生活が窮する所まで戦争が至ったの事、軍政/運営は失敗、だが技術革新は妥当な進歩を見せた、等々色んな味方があるでしょう。 無論、日本の国益は隣国等とは一致していなかったので、分析課程で反発はあるでしょう。でも、当時の国益と今の国益は違うわけだし、日本も胸を張って上の分析をシェアしていけば、反発も無くなると思うのです。少なくとも余計な面倒臭い非建設的で感情的な非難は和らぐと思います(当たり前ですが、他国市民を殺したり、慰安婦連行等を良しとする分析結果がでるわけ無いのですから)。 さて、最初の話に戻り、天皇の戦争責任はどう考えるべきなのか、何だか余計分からなくなってきますが、結局天皇は何なの?と言う所に行き着く様に思います。改めて考えると、日本人に都合良く利用されて来た様に感じます。戦争中は神と崇められ、現代は日本の象徴と親しまれ、もっと遡ったら武将時代は重要キャラでは無かったが、明治と共に再度台頭してきた、等等、時と場合によって、日本人が今でも時々神様に祈る様に、天皇の存在意義もその時々で変わってきてますよね。そう考えると、ちょっと可哀想な天皇な感じもして、やっぱり戦争責任は無かった様にも感じてきます。ご本人がご自身の立場をどう考えていたのか、一番気になりますね。 皆さん、天皇の戦争責任についてどう思われますか?私は何かを見落としてますか?また、戦争の整理についても、暇つぶしにでもご意見お聞かせ頂けたら幸いです。 因みに、私は左側でも右側でも無いです。強いて言うなら、両方です。心は左だけど、頭は右、と言うのが正確かな。従って、両方の聞く耳を持ってます。ただ、両側の極論の展開や、非建設的で感情的な非難はご勘弁願います。

  • (続)天皇の戦争責任?

    先の「天皇の戦争責任?」の問いかけについて、色々なご意見を頂き、ありがとう御座いました。改めて自分が不勉強、研究不足である事がわかりましたが、非常に参考になるお話を沢山頂戴し、考える事がまた増えました。以下はあくまで感想文で、問いかけは無いですが、ご意見あれば、是非お願いします。 「戦争責任」と言う言葉は、実はかなり曖昧な言葉でしたね。例えば、始めた責任、指揮した責任、止めなかった責任、長引かせた責任、迎合した責任、負けた責任、勝った責任、等等、色々な責任があり、戦争に対する何の責任?がこの言葉では明確では無い。更に、誰に対する責任、と言う点も曖昧です。日本国民に対する責任、諸外国への責任、裁判所に対する責任、ご先祖様に対する責任、等々も曖昧ですね。政治家とかもこの言葉を使わない方が良さそうですね(逆か、政治家だから使うのか)。もうちょっと正確に私の質問を言い換えると、「天皇は戦争において、命を捧げる象徴でありながら、未だに天皇として残っている事について、日本人は何故自然に受け入れられるのだろう?」と言う疑問でした。 つまり日本国民に対して戦争に関する何の責任も問われない、と言うのは、ちょっと変じゃない?と言う所ですかね。天皇制度、立憲君主制度、王政云々の議論を別にして、心情的・感情的に何の怒りや憤りを感じない、と言うのが不思議だったんですよね。あの大地震以来日本人は真面目だが、実は結構あっけらかん、と言うか良い意味でも忘れやすい人達なんだろうな、と感じてますが、この話にも通じるのかもしれませんね。昔から台風、地震、津波、雪等の災害に晒されてきているわけだから、生きる術として覚えてきたのかもしれません。それが日本人の良い所かもしれませんが、海外の人から見ると、真面目で良い奴なんだけど、ちょっとKYな時がある、的に映る場面があるのかもしれませんね。 所で戦争に関する評価が進まない一つの理由は、その後の日本の発展にあったのかもしれませんね。つまり、その後日本が辿った軌跡を振り返れば、負けて良かった、と言う整理もあるかもしれない。太平洋戦争後に繁栄を見せたのは米国と日本で、被害国として訴えている中国は、共産宣言で列強からの独立を果たせたものの、大躍進・文革等で衰退、韓国(朝鮮)は朝鮮戦争を経て国を分断された悲劇はありますが、その後国内地方同士での喧嘩が横行し復興も遅れた。敗戦国なのに、戦勝国よりも良い状況にあるから、何を反省すべきか見えにくくなっている、と言うのも多少あるかもしれないですね。努力してきた自負も手伝っているかもしれません。 ただ、所謂「人道に対する罪」的な行為があったならば(特定の行為をこの定義に当てはめる際、議論を呼びますが)、恥ずべき事として反省すべきですよね。ま、今は正に斯様な行為があったのか否かアチコチで議論になっていますが。ここの議論は敢えて今入っていくつもり無いですが、南京事件や慰安婦連行と言うのは色々言われてますが、少なくとも一定規模であったのでしょうね。全く無かった事実では無いはずと思うんですよね。であれば、これについては謝り続けても良い感じはしますね、「あれは悪かった。日本も当時必死だったけど、あれは違うわな。末端の管理不行き届きでした。」、みたいに。 所で、誰も喧嘩に負けたくないし、「あの時~~すれば、戦争に勝てたかもしれない」と言う意見もありますが、果たして日本は戦争に勝っていたら、同じ様な繁栄を実現できていたのでしょうかね。ゴルフ回った後の懇親会でのタラレバ議論じゃないですが、あの戦争の先にユートピアが待っていたとは思えないんですよね。大東亜圏が成立したとしても、やはり資本主義・民主主義・自由主義がもっと発展していた西欧列強と再度争いがあったかもしれませんし、結局遠回りして今の状況に至るのでしょうかね。タラレバですが。日本は美しくて、愛おしくてたまりませんし、日本人としての誇りもありますが、やっぱり西欧の思想・哲学の方が進歩的と言うのは認めざるを得ない、と感じますね(人類は、現状維持・退化より進歩すべき動物と考えてます)。悔しいですけど。 因みに、良いか悪いか別にして、英国が世界中を植民地に仕立てた様な事、特に全く異質の文化で、しかも自国から遥か彼方にあるインドを安定的に統治(議論の余地はあろうと思いますが)してた事等、日本人には到底できませんよね(大東亜圏構想は植民地主義では無かった、と言う議論もあろうでしょうけど、ま、横に置きます)。異文化におけるマネジメント能力が、どちらかと言うと不得手と思うんですよね。これは、比較的日本人は西欧人に比べて、欲が無いからと思うんですよね。資源が限られ、災害に満ちた国に生きた我々は、外に向かって不足を補うのでは無く、中で倹約して生きる道を選んだから。勿体ない、控えめが良し、食べ過ぎは駄目、不作に備えて明日・来年の為に取っておく、慎ましい、と言う概念などが美徳になっているのは、まさにそこから来てると思うんですよね。大雑把に言うと、狩猟民族では無く、やっぱり農耕民族と思います。狩猟民族は今日を目一杯生きて、明日は別途考える、と言う感じですよね。 天皇の話に戻りますが、結局人間だったわけだから、相当ストレスを抱えて生きてたのでしょうね。仮に自分がその立場だったら、重すぎて耐えられないと思いますが、天皇は辞めたくても辞められなかったのでしょうね。以下抜粋。 「陛下の苦しみは、東京裁判の開廷と共に強烈なものになったと云う。他国民に与えた人物的損害や自国民に与えた苦痛を原因とする心の葛藤、退位に関するお気持ちをそのまま、御座所でそのまま訴えておられた。それは大変激しいもので、ご自身を責めにせめておられた。 また、侍従次長であった徳川義寛の日記に、以下のような記述がある。東条らの処刑の日。自分の死ぬべくところを代わってくれたというようなご心境であられたと思う、と村井は遠くから陛下のご様子を拝していたが、当夜、天皇が三谷侍従長と交わされた会話について、直接田島長官から聞く機会があった。村井が書き残したメモに従って再現してみよう。 陛下 三谷、私は辞めたいと思う。三谷はどう思うか。 三谷 お上が、ご苦痛だと思し召すほうをこの際はお選びになるべきであります。お上がおいやになるほうを、ご苦痛と思おわれるほうをお選びになるべきであります。(『徳川義寛終戟日記』)」 上の抜粋が本当であれば、興味深いですよね。 因みに私は西欧育ちですが、日本の教育は近代史を軽視している様に思いますが、明治維新以降の日本の歴史を教える事にもっと力を入れるべきでしょうね。日本の凄さ、そして弱さが分かり易いですし、日本人としての意識が強まると思うのです。それより昔の話は、日本の文化を覚えると言う意味では有意義でしょうが、明治以降の歴史を端折ってまで突っ込む事も無いと感じます。近代史をシッカリと理解する事から、誇り高い強い日本人が増えると思います。

  • 土壌汚染が判明。仲介業者の責任について。

    A土地を不動産業者の仲介でA'から購入し、続けて隣接地BをB'から仲介業者を入れずに直接購入しました。 その後、近所の方より「以前この土地にはクリーニング工場が建っていた。」と聞き、 土壌汚染調査をしたところ、A・B双方の土地に土壌汚染が判明しました。 A'、B'の売買契約では「売主は瑕疵担保を負わない」となっており、双方の売主は「自分に責任はない。」と主張しています。 A土地の売買で、重要事項説明書にクリーニング工場のことが記載してあれば、A土地を購入しませんでした。また、隣接地Bも購入していません。 A土地の売買について仲介業者が重要事項で説明しなかった責任は明らかですが、この仲介業者にB土地の購入についても責任は問えますか?