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とっておきの裏話

歴史上で、教科書に載ってないような裏話を教えてください! 私が衝撃を受けたのは、天智天皇は実の妹(孝徳天皇の妻となった)とできていて子供までいた(後の京家)という話でした! 最近歴史が覚えられないので、まず興味を持つところから始めたいと考えています。 どんなことでもいいのでよろしくお願いします!

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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  • route1
  • ベストアンサー率23% (5/21)
回答No.1

どんなことでもいいということで… 坂本龍馬の、一番目にするだろう、台にヒジをついているような立ち姿の写真で履いているブーツですが、あれは高杉晋作からもらったものなのだそうですよ。 ブーツなんてハイカラですよね(^^) こんなページがありましたので、載せておきます↓ お暇でしたら見てみてください http://www.ok-coffee.com/boots.php

secretxxx
質問者

お礼

坂本竜馬がブーツを履いていたなんて! 写真の龍馬すてきです(笑) 早速のご回答ありがとうございました!

その他の回答 (7)

noname#125540
noname#125540
回答No.8

裏話というほどの話がほとんどですが、教科書に出ていないという観点から。 16世紀イングランド王のヘンリー8世は生涯にお妃を6人持ったのですが、愛人もいました。 というのは裏話ではないです。 2番目のお妃になったのはアン・ブリンという女性ですが、 この人との結婚前、その姉妹のメアリーという女性とも付き合っていました。 一説には彼女達の母親も愛人だった時期があったのではないか、と言われているようです。 ちなみにアン・ブリンはエリザベス一世の母です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3 全然裏話ではなくて有名な話ですが、チェーザレ・ボルジアはなぜかローマ教皇の息子。 カトリックの聖職者は結婚しないはずなのにねー? でもこんなのでは歴史が嫌になりそうな気もします(^^; 日本だと何でしょうね。 柿本人麻呂とか??私は読んでいないのですが本が出てます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82#.E4.BA.BA.E9.BA.BB.E5.91.82.E3.81.AB.E3.81.BE.E3.81.A4.E3.82.8F.E3.82.8B.E7.95.B0.E8.AA.AC.E3.83.BB.E4.BF.97.E8.AA.AC 裏話でなくて豆知識。 第二次大戦中、シンガポールは昭南島(しょうなんとう)で、グアムは大宮島(おおみやじま)でした。 こんなのは有名かもしれないけど、以前に「へー」と思ったのは、エジプトのクレオパトラ(は何人かいるんだが一番有名なクレオパトラ。7世ですか。)は、本の挿絵なんかだとなぜか白人。 エジプトなのになぜに白人?  と思ったらあの王朝、プトレマイオス朝時代は王族がギリシャ系で、エジプト人じゃなかったんですね。 どうりでエリザベス・テイラーが演じていたわけだ(それは違うか)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%A97%E4%B8%96  ↑ そう、古代エジプト人の髪型はカツラなのですよね・・・ カツラで思い出しましたが、18世紀あたりのヨーロッパ貴族の男性もカツラでしょう。 絵画で巻き毛を見るたびに「すごいカツラだなぁ」とつい注目してしまいます。 年号とか何年とかいうのを覚えるのはあまり得意ではありませんが、余分なことだけ覚えてしまいます。

secretxxx
質問者

お礼

カツラですと、いろんな髪型を楽しめていいですねw ありがとうございました!!

  • dereku
  • ベストアンサー率22% (66/294)
回答No.7

質問にそえるかどうか分かりませんが‥。 安土城天守の図面に描かれている舎利塔は比叡山焼討ちや一向宗で多くの民を殺したのを祀る為(某大教授・某国営放送談)ではなく、信長自身を末代(永代)崇める為のものである。徳川家に例えれば東照宮みたいなもの。これを城内に置いた。各大名小名は嫌がうえにも崇めざるを得なくなる。

secretxxx
質問者

お礼

そうなんですか~!機会があれば見てみようと思います☆ ありがとうございました!

noname#51281
noname#51281
回答No.6

紀元前の話。アレクサンドロス大王は、ギリシアで兵を起こして、インドまで攻め入った人なんですが、若くして病死してしまいます。 そこで、ディアドコイ(後継者たちの戦争)が起こり、エジプトは、プトレマイオスという人のものになります。(クレオパトラで有名な王朝)。 このプトレマイオス朝の二代目は、プトレマイオス二世という人で、お父さんに負けないくらい優秀な王さまでした。でも、お姉さんと結婚したため、フィラデルフォス(ピラデルポス)、『愛姉王』と呼ばれています。新しく手に入れた領土にお姉さんのなまえをつけたりしています。 余談:ぼくが歴史好きになったのは、この『ディアドコイ』ということばの響きが好きだったからです。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B92%E4%B8%96
secretxxx
質問者

お礼

『ディアドコイ』・・・私もなんとなく響きが好きです♪ どうもありがとうございました!!

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.5

いっぱいあって、とてもじゃないが書ききれませんので、とりあえず、質問者さんが衝撃を受けたお話の時代に近いお話を2・3個。 ★天智天皇の弟・天武天皇は、天智天皇より年上で、皇極天皇が舒明天皇の妻になる前の前夫・高向臣との間に生まれた子供・・・確証はありませんが可能性は高いと言われています。 ★山背大兄王一族を攻めたのは蘇我入鹿ではない。 ★天武天皇と額田王の娘で、天智天皇の息子・大友皇子の妻になっていた十市皇女は、壬申の乱の時、琵琶湖名産の鮎の腹の中に密書を詰めて、父に夫=近江側の動きを知らせた。 あと、教科書にはっきりと書かれているワリには、そうでは無かった事が確認されている出来事としては・・・ ★信長の比叡山焼き討ちは無かった・・・比叡山の地質を分析した結果、その時代に大きな火災が無かった事が証明されています。 ★ペリーの黒船には誰も驚いていない・・・その7年前に、同じ浦賀に同じ状況でピットルが来航しているので、今更驚かないです。 ピットルに対しては、幕府が開港を呑まなかったので、歴史教科書ではスルーされている事が多いようです。 などなど・・・もっともっと、たくさんあるので、調べていくとワクワクしますよ~

secretxxx
質問者

お礼

ピットルって初めて聞きました!意外にスルーされてるんですね(笑) ありがとうございました!!

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.4

●金儲けばかりしていた悪女というイメージの強い日野富子ですが、政治的には無能で酒と芸術にしか興味のなかった将軍足利義政に代わり、幕府の財政を実質的に支えていた功績があります。また、足利将軍家にはアル中が多いのですが義政も例外ではなく、せっかく生まれた男児も、やはりアル中で早死にしています。日野富子は関所に税金をかけたので商人の間では評判が悪かったのですが、京都にある幕府として公家への対応にも能力を発揮しており公家の間での評判は上々、後土御門天皇とは完全に親友と言ってもよい状態であり、男女関係だったとする説もあります。 ●フランス革命期に活躍した曲者の貴族にタレイランという人物がいます。フランス語としては異例の綴りなので、本当の発音は分かりません。タレラン、タレーランなどの表記も散見し、ナポレオンはタレユランと発音していたとされています。貴族のくせにフランス革命を強引に前進させる策としてアッシニアというものを発明、革命の進展で貴族から財産を没収するということを担保にしたアッシニアという債権(実質は紙幣)を考案、これにより、貴族からの財産没収を続けないとアッシニアの価値が暴落してしまうという自転車操業により、嫌がおうでも、革命を進めるしかないという構造を作ってしまった策士です。ナポレオン没落後のウィーン会議では、フランスは敗戦国でありながら戦勝国に自分たちの要求を飲ませるという豪腕外交官ぶりを発揮、その他メートル法の普及に貢献したことで知られるほか、画家のウジェーヌ・ドラクロアは彼の隠し子ではないかという噂があります。アッシニア流通に当たっても自分の財産はちゃっかり確保しており、美食家としても知られます。 ●足利尊氏ほど戦前と戦後で評価の変わった人物しかいませんが、教科書の書き方では、その深い意味については、なかなか気がつかないと思います。戦前の教科書では、「後醍醐天皇に最後まで仕えた英雄が楠正成で、天皇にたてついた反逆者が足利尊氏」と教えていました。この先入観を持っている人は、右派マスコミや地域史研究家には未だに多いのですが、実はまともな学者の間では、「建武の親政が失敗に終わる中で、源氏の名門に生まれた者として、否が応でも武士のリーダーとして周囲の期待に応えるしかなく、武家が公家を圧倒していくという時代において新しい時代を開いた重要人物ではなかったのではないか」という説も現在では強いのです。どちらかといえば慎重派で決断力に欠いた武将らしからぬ性格のようですが、やる時はやる、というタイプの人物だったようです。 ●ドイツにフォイエルバッハという苗字の人たちがいて、多才な家系なのか、法学者フォイエルバッハ、哲学者フォイエルバッハがいます。法学者フォイエルバッハは、従来のローマ法にかわってバイエルンの新しい刑法を作ったほか、日本でも刑法の原理の大原則となっている「罪刑法定主義」を確定させた人物として知られます。また、カスパー・ハウザーという外の世界を知らぬまま育った人物を庇護し、彼についての報告書のような本を書いています。他方、彼の息子である哲学者フォイエルバッハは、物象化論という理論を作り出し、ヘーゲル哲学をひっくり返したような主張を展開、後のマルクス主義者たちに影響を与えたことで知られます。 ●ローマ帝国には、時々、愚帝が現われますが、悪名高いネロをはるかに超えた強烈なキャラが、エラガバルスです。この人は、シリアの司祭であり、ローマ人から見たら女装としか見えない服装をして、ローマに乗り込んでいます。皇帝であると同時にシリアの宗教指導者であり、ローマの巫女(当然、一生処女)と結婚すれば最強の宗教指導者が生まれるなどという前代未聞のことをしたほか、異性愛も同性愛もこなしています。同性愛は当時はわりとよくある話だったのですが、彼の場合、皇帝のくせに受け側を好むという少々困った傾向があります(通常、当時の同性愛では皇帝のような権力者は攻め側でなければ性的逸脱と見なされます)。広い領土の中から巨根の男を探させたことでも知られており、異性愛の時は女性の反応を観察し、同性愛の時のために、その経験を生かして痴態を演ずるということまでしていたようです。 ●田沼意次は商人と結託した汚職政治家のイメージがありますが、馬鹿にならない政治家です。江戸時代の体制の基本である士農工商という身分制度や米を基本とする金融政策が通用したのは徳川吉宗の時代までであり、商業の発展という新たな状況ではかつての方法論は通用しないということを明確に認識した上で、商業の振興策をうつとともに商人からも税をとるという近代的な経済理論に到達していた人物であることが見逃せません。しかし、彼の思想は当時の武士の理解を超えたものであり、汚職政治家というレッテルを貼られて失脚してしまうわけです。 ●仏教はもともとは、仏像を作らない宗教でした。仏教に写実的仏像の文化が生まれたのは、ずばり、アレクサンダー大王がギリシャ文化を中央アジアやインドにまで伝えたことが原因です。仏教とギリシャ風写実的彫刻の文化が融合してはじめて、仏像が生まれたのです。 ●継体天皇。天皇の遠い親戚とされていますが、どう考えても単なるなりあがりもので、天皇の座を奪ってしまった人物です。万世一系というウソの実例として、もっとも有名です。 ●蒙古襲来の時の「てつはう」は、大砲ではなく、火薬の爆発音で馬に恐怖心を与え、まともに走れなくしてしまうという兵器です。 ●日本人として極めて重大な観点ですが、日本が第2次大戦の敗戦を受け入れたのは原爆を2つ落とされたからではありません。原爆投下後も本土決戦をやるつもりでいたのですが、ソ連が日ソ中立条約を破って満州国になだれ込んできたのが、敗戦受諾の直接のきっかけです。アメリカ人には、この事実を知らない人が多いので、要注意。 ●キリスト教がローマ帝国で成功した要因のひとつに、ユダヤ教が持っている割礼(ようは子供のうちの包茎手術)の習慣は不要であると宣言し、ギリシャ・ローマ文化になじんだ人たちに安心感を与えたことがあります。 ●トルコはオスマン王朝末期、ドイツ側にたって第1次世界大戦に参戦し破れています。清やインドと同様、西欧列強の植民地になることは確実と思われていた時、突如としてケマル・パシャという軍人が頭角を現し、攻め入るギリシャ軍をイズミールから追放、チャナッカレに攻め込んだイギリス軍とは徹底して戦い、東方ではロシア・アルメニア連合軍を撃破、現在のトルコ領をほぼ守り抜きます。同時に政治家としても辣腕ぶりを発揮、イスラム国家でありながら世襲君主を廃して共和制を導入、政教分離を国是とする体制を作り上げ、「トルコ人であることは幸いである」をキャッチフレーズに各地に乱立した地域系トルコ政権のリーダーとなり、トラブゾンにギリシャ系国家が誕生する等の混乱も、ギリシャとの住民交換によりトラブゾンをトルコ領として確定させて収拾し、新生トルコ共和国の初代の大統領になった人物です。さらには国民の識字率を上げる手段として、従来のアラビア文字を廃止して、ラテン文字(通常のアルファベットのこと)をベースにした文字を2晩連続の徹夜だけで考案・導入したことでも知られます。彼の近代化政策は基本は日本のマネであり、明治天皇の肖像を大切にしていたことでも知られます。また、女性の参政権を認めたのは、日本よりトルコが先です。彼の業績はあまりにも偉大すぎて彼を批判するのはタブーに近いものがあり、自衛のためとはいえ、オスマン帝国末期に発生したアルメニア人大虐殺の延長上、彼もまたアルメニア・ロシア連合軍と戦っていたことをどう評価するのか、冷静な議論が出来る状態になっていません。

secretxxx
質問者

お礼

たくさんの情報ありがとうございます!! harepandaさんは知識豊富な方なんだな~というのが窺えました☆

回答No.3

では比較的近い時代で・・・ 藤原仲麻呂(恵美押勝)は昔称徳天皇と出来ていた?!とか その称徳天皇は道鏡に惚れていてかなりハマっていた、とか ちなみに道鏡はかなりのイケメンだった、とか 道鏡つながりのネタで・・・ 宇佐八幡神託事件で結構有名なネタですが、神託の信憑性を確かめに行った和気清麻呂の報告により道鏡は即位を妨げられ、腹いせに清麻呂の名前を「わけべのきたなまろ」と改名させて左遷させた、とか←これは裏ネタじゃなかったかも 何か高校の歴史の先生が「超大作のドラマの登場人物だと思って、自分もこのシーンに登場してたら・・・と想像しながら学べば面白くなるよ」って毎回テスト後に言ってたので、そんなところから興味を持ってみるのもいーかもしれないですね 自分は実際小説のような感覚で歴史の教科書を楽しんでいたので自然と頭に入っていたみたいで暗記であまり苦労しなかったですね なので是非歴史を楽しんで下さい

secretxxx
質問者

お礼

道鏡興味深いです(笑) 人間関係って複雑ですね。 自分もその時代へ行ったつもりで歴史楽しもうと思います! ありがとうございました☆

  • 0102S
  • ベストアンサー率22% (9/40)
回答No.2

徳川家の暗殺集団の服部半蔵は、戦が終わってから松尾芭蕉と名乗り、俳人となったといわれています。

secretxxx
質問者

お礼

そうなんですか~! もし真実だとしたら、多才な方ですね~。うらやましいです(笑) どうもありがとうございました!

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