解決済みの質問
「どうして、勉強なんてやらなきゃいけないの?数学なんて意味ないし、
歴史を覚えたってしょうがない。結局、勉強なんて社会に出てもなんの
役にも立たないんでしょ?」
あなたは子供の頃、そう考えた事はありませんか?
勉強がイヤになる時期はきっと誰にでもあり、そんな時期にこのような
疑問を口にするのはまあ、通過儀礼みたいなものかもしれません。
ちなみに私は社会人10年目ぐらいの中堅社員ですが、最近うちの会社に
中年男性が2名入社してきて、彼らの教育レベルの低さに愕然としました。
40過ぎたいい大人が漢字がほとんど書けない。簡単な足し算・引き算も出来ない。
世の中ってこういう人たちもいるんだなあと驚きました。
この人たちは奥さんも子供もいないんですが、もし子供がいたら教育とか
どうするんだろ?とか思ってしまいます。
子供に「教育の意義とは?」という話をする時に、「勉強しないと大人になってから
恥かくよ」と教えてやればいいかもしれませんが、高等数学や歴史の教育意義までは
どう説明していいか私は分かりません。
例えば、中学生に「高校受験のために必要なんだよ」、高校生に「大学受験のために
必要なんだよ」と、これでは答えになってないと思います。
現在私は3歳児の娘を持つ父親です。
この子がもう少し大きくなって、上記の質問をした時になんて答えたら良いのでしょうか?
投稿日時 - 2008-02-23 06:49:46
役に立つからやる
役に立たないから不要
という問いの発し方をまず見直すべき時期にきたかもしれません。
発展途上国では国家としての発展のために、教育を使います。我々も知らず知らずにこの枠の中でしか教育を考えられないということはないでしょうか。
日本では明治期、また戦後復興期には「役に立つから勉強をする」というのは多くの人々が同意できるアイデアであったと思います。
もちろん、いわゆる勉強というものが論理的な思考や、仮説演繹的な思考を育てるために役に立つのは疑いようがないと思います。
しかし、そのアイデアに同意してもらえない、また、本当に全く役に立たないように見えたとしても、勉強は本来役に立たなくてもその意義はあると感じます。
私は本を読みますが、そのほとんどは役に立たない勉強です。
しかし、知ることは非常にエキサイティングであり、楽しいことです。
まず質問者さんが、役に立つ/役に立たないというところを乗り越えて、ご自分自身がわくわくする体験そのものをお子さんに伝えられたら、どうでしょう?
曖昧な結論で申し訳ないのですが、勉強とは「何かを知ることによって、人生を豊かにするためである」と考えています。
そして勉強と学校教育・受験勉強を同一視させないことが重要だと感じます。
義務教育で得られる成果は、日本という社会の形を支えるために必要であり、間接的にその構成員の幸せにとっても必要でありますが、その社会の構成員と離れた自分の幸せを保証してくれるものではないと思います。
投稿日時 - 2008-02-23 18:08:39
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ベストアンサー以外の回答(9件中 1~5件目)
>結局、勉強なんて社会に出てもなんの
>役にも立たないんでしょ?
思春期周辺の子供の多くにとっては不快な答えかもしれませんが“社会に出てから”以前の問題としてより望ましい形で社会に出るために、いわゆる“勉強”は非常に大きな意味を持ちます。一流大卒という学歴は未だに多くの企業にとって有効なブランドとなりえます、また極端なところでは医師や弁護士のように勉強ができなければなることすらできない職種も世の中には存在します。例え社会に出てから才能を発揮しうる人間でも著しく不利な位置からスタートすればそれを挽回するのは困難な事です。このような勉学の側面は正しいことではありませんがその変革は仮に可能であっても時間がかかりますし、少なくとも今現在子供が勉強を放棄することの理由にはなりえないと思います。と言っても中学生くらいの年頃ですと妙に“筋”にこだわる子供も(勉強したくないと言う目的に合致すればなおさら)いますので子供の性格に合わせて表現を婉曲的にしたりする必要があるかもしれません。
>高等数学や歴史の教育意義
教育の目的とは個人の幸福追求の為と共に社会の維持、向上の為という側面も併せ持ちます。上記の学科はどちらかと言うと後者の傾向が強いのかもしれません。現代において国家が優秀な科学技術者を多く抱えるは繁栄の為の大きな要素ですし、また歴史教育抜きでは有権者として外交問題や政治制度の問題に関して優れた知見を持つのが難しいです。社会の向上というのはシステムが正しく機能していれば回りまわって多くの個人にも恩恵をもたらすものですから社会が、すなわち学校や親が子供にその学習を求めることはそう理不尽なことでもないでしょう。少し迂遠な理屈ですがそういう切り口から語ることも一つの考え方かもしれません。
投稿日時 - 2008-02-23 20:32:09
人間は一生勉強しないといけないんです。
社会人になってからも勉強し続けるんです。
学校に行って授業を受ける、という形ではないというだけで。
子供がもし役者をめざすなら、演劇の勉強をする必要があって、受験勉強など意味ないと思います。
バイオリニストになりたければ、音楽の勉強をしないといけない。
多くの子供は大学に進学して有利な就職口を探そうと思うわけですから、そのための受験勉強をする。
自分がいかに能力が高くていろんなことを学べる力があるかを証明するための勉強です。
簡単なことではないですか。
将来役に立たないからといって勉強を拒否する人は、自分の怠け癖を正当化している場合がほとんどでしょう。
僕は自分の子供が受験勉強しなくてもいいと思ってます。
でも、怠けさせはしない。
本人たちに何かを選ばせて、勉強させます。
いまのところ受験勉強をしているようですが、それは彼らの意志。
成績はかなりいいみたいです。
投稿日時 - 2008-02-23 17:08:54
「勉強なんて社会に出てもなんの役にも立たない」という思考自体がまず論理的です。
・将来に役にたつから今頑張る。
・将来に役にたたないからやらない。
つまり数学的論理思考方法を学んだ成果が出ています。
また例えば「お父さんは子供の頃の勉強が役にたったのか」というような質問になると、過去の経験から何かを今に応用できないかを学ぼうとしています。これは歴史学そのものです。
これは役にたつのかたたないのか、何の意義があるのかを判別するにも最低限の基礎知識が必要なわけです。その最低限の基礎知識というのが義務教育(今なら高校までも含まれていますが)だと。
もしその途中経過で、自分はそれを十分に身につけたということでしたら、大人がグウの値も出ないほど理詰めで大人を説得してみろと。理路整然と、証拠や資料も多数取り揃えて納得できる形のレポートを出してきたなら、それはもう卒業したといえるのではないでしょうか。
投稿日時 - 2008-02-23 12:28:47