自分を解放せよ! ピアノの曲の仕上げ方(1/2)

解決済みの質問

自分を解放せよ! ピアノの曲の仕上げ方

先生に「最初からもっと伸び伸びと弾ければ、一皮むけるよ」とアドバイスされました。

簡単に自分のクラシックピアノ歴を紹介させていただきますと、小学校1年から大学進学で家を出るまでピアノをやっていて、ブランクの後、社会人になって数年後、再び習い始めました。現在レベルは全音ピアノピースの難易度Dくらいです。

私の曲を仕上げるスタイルですが、自分の現状の実力でMAX閾値というのがありまして、新しい曲を頂くとそこを到達域に設定しています。そして結果的に日々の30分~1時間の練習で閾値ラインの底上げを図っています。(蝸牛の歩みのごとし)

それで先生に頂いたアドバイスにつながるのですが、私はこの閾値に達しないと、伸び伸びする(自分を解放する)のがみっともなく、恥ずかしいのです。それまでは閾値に到達する喜びの卵を慎重に抱えている感じで、ここに達するとぱぁッと開けて、仕上げはあっという間です。別の表現をすれば、作曲家(楽譜)との対話は仕上げ時にボルテージが上がり、間合を一気に詰める、それまでは距離を保って相手を探っている感じです。仕上げの結果だけみれば、これでも悪くはないのですが、最初から伸びやかであれば、仕上がりはもっと素晴らしくなるのではないかと思います。

「練習は楽しいのか?」という質問があるかと思いますが、音楽が楽しいというより、鍛錬が楽しいタイプ。しかし、まあ、三つ子の魂百までと申しましょうか。ピアノだけでなく、生きる姿勢全般においてですね。簡単に言えば、かっこつけなんでしょうね…。なかなかすぐに直すことではないのですが。ピアノをきっかけに解放のコツがつかめればラッキーです。

演奏している皆様、どうかアドバイスをお願いします。

投稿日時 - 2008-02-16 21:35:57

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QNo.3782166

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

精神的なものと技術的なものの線引きって難しいですよね。

少なくとも、もし技術的(演奏能力的?)に改善の余地が見当たるのであれば、まずは出来る限りの練習方法を試してみるのが先のような気がします。
技術的なものを高めることによる以外では見えてこない、精神的なものもあると思います。

精神的なアプローチをしようにも、技術的な問題があるうちにはどうにもならないものもあるわけです。


繰り返してしまいますが、案外精神的なものと技術的なものって大きく関係しているようにも思うんです。



だんだん自分でもわけがわからなくなってきましたが、
現実的に言えることは、

理想と自分を比べてみて、もし何か自分の問題点に気付くことがあれば、それを改善する努力をしてみる、という一つ一つを重ねていくうちに見えてくるものもあるのではないか、と思うのです。(精神的な問題も含め。)

「伸び伸び弾けない」という状況は、そんな簡単な一言で片付けてしまわずに、絶対にもっと具体的に状況を説明できると思います。
その中から原因となるものを探す。何かが間違っているもかもしれないし、何かが足りないだけかもしれない。少なくとも気の持ちようではない。(気の持ちようという言葉と何を意識して弾くかということは違う。)
そしてその原因をつぶす方法を良く考え、実践してみる。そしてまた目標と比較する。
楽器を弾くこと、演奏することというのはシンプルなものです。
自分のやりたいようにやるのか、目標に近づきたいからやるのかによって話は変わってきますよね。



※「技術的」という言葉もまた難しい表現だと思います。
技術というと「音楽」と対極のように捉えられてしまうこともあるように思うのですが、音楽という言葉も難しいですよね・・・・。
私が言っている「技術的な問題」というのは、「身体能力的に解決していかなければいけないこと」とでも解釈してください。

投稿日時 - 2008-02-17 11:25:12

お礼

ありがとうございます。

>「伸び伸び弾けない」という状況は、そんな簡単な一言で片付けてしまわずに、絶対にもっと具体的に状況を説明できると思います。
その中から原因となるものを探す。何かが間違っているもかもしれないし、何かが足りないだけかもしれない。少なくとも気の持ちようではない。(気の持ちようという言葉と何を意識して弾くかということは違う。)
>そしてその原因をつぶす方法を良く考え、実践してみる。そしてまた目標と比較する。

いや、ほんとその通りだと思いました。
実践するにはもっとブレークダウンして考える必要がありますよね。

私もこのトピを立てた後に考えてみたのですけれど、
譜読みの方法(技術)がマズイのだと。
指が動くまでつまんないからといってざっくり読みすぎで、
詳細に注意を払わないのです。お恥ずかしながら…。

ですからご指摘の、
>「身体能力的に解決していかなければいけないこと」
を練習の最初からやらないということなのです。
精神論以前の悪癖のせいなのだと。

そんな状態で、先生にレッスンしてもらわなければならない時、できない恥ずかしさがあって弾けないのではないか。全ての理由ではないですけれど、これは一つには必ずある。

>案外精神的なものと技術的なものって大きく関係しているようにも思うんです。
卑近な例ですが、挨拶をしていたらなんか仲良くなれたかしらと思うように、伸び伸びするのは技術的にはどうやるのかと突き詰めて、心が付いてくるということもあるのではないか。型の素晴らしさというか。そんなことを考えました。

暖かいご指摘ありがとうございました。

投稿日時 - 2008-02-17 12:24:06

ANo.4

3人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

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ベストアンサー以外の回答(7件中 1~5件目)

ANo.8

ピアノが専門ではないですけれど
初心者にピアノ、教えることもあります。
自分もよく言われた経験があります。
「伸び伸びと」「余計な力を抜いて」とか…。

立場が変わるととても良く分かるようになりましたが
頭でこうやって(ここでの質問も含めて)色々考えている間は
本当に「伸び伸びと」弾くのは難しいです。

専攻は声楽ですが、色々悩みがあってレッスンどころではないっていう
時期がありました。
それと言うのは頭で色々考えて勉強できないって言う意味で…。
そんなときのレッスン、感情の部分でしか歌えなかったときのレッスン
結構褒められたんですよ。
「いつもの硬さがない」って。

だから時にはなにも考えずに(勿論練習は必要です、
その段階で考えることも)弾いてい診るっていうことも大事なのではと
思います。
純粋に楽しんで弾く、表現したいように演奏するっていうことが出来ると
先生が仰るように「一皮むける」んじゃないでしょうか?

声楽の先生にも言われた事があります。
1+1がいつも2になるとは限らないのが音楽だって。
私の音楽表現は1+1が常に2になっているって。
正確であっても面白くないし感動しないって…。
演奏者によって1+1が3にも5にも10にもなるのが
音楽の面白さなんだって。

練習は苦しんでも戦っても良いのだと思います。
だけど、家族なり恋人なり友達なり…誰に対してでも
発表するときには頭で考えずに心で演奏して感想を求めるって言うのが
良いのではないでしょうか?
大切な人が心から賞賛してくれる音楽・・が演奏できるほど
すばらしいことはないと思いますよw

お悩みが解決すると良いですね。

投稿日時 - 2008-02-19 14:44:12

お礼

ありがとうございます。
声楽の先生のお言葉をはじめ、ご回答者様が実際に解決した瞬間など
含蓄のあるアドバイスがとても励みになりました。

>頭でこうやって(ここでの質問も含めて)色々考えている間は
>本当に「伸び伸びと」弾くのは難しいです。
その通りだ! なんだか気が抜けた感じです。(よい意味で)
頭で考えているうちは、理屈で理解できる解決策を求めるものなんですよね。
だからここに投稿したんだって思ったら、なんだか自分が可笑しくなりました。
アホだ、自分(笑)。でもみなさん、回答を下さってありがとうございます。

>時にはなにも考えずに(勿論練習は必要です、その段階で考えることも)
>弾いてい診るっていうことも大事なのではと思います。
私の場合は閾値に達しないとその状態になれない、最初から伸び伸びできない。
先生から私を見れば仕上がりの短い期間だけ解放、まるでセミのように見えているのでは。ですから、ただ単に「もっと伸び伸び」ではなく「最初から~」がアドバイスの頭についているのだと思います。

考えずに弾くと聞いてすぐに思い出すのは、延々と同じパッセージを反復練習している時の、あの運動神経で弾いている感じです。体の動きと音だけに集中して難しいことは何一つ考えてないです。ああいった状態をレッスン時に再現できないか?と考えたほうが、自分にとってはわかりやすいです。

先にも書きましたが、指が動かないからとつまらないと言って、譜読みを荒くすませてしまい、ニュアンスが再現できないのが恥ずかしくて、しばらく畏まる。
実は上記の忘我の反復練習は「つまらんけど、乗り越えんとあかんなあ」の次にやってきます。これがダメだと思いました。最初からやれと。満足に弾けるのはもっともっと先でも、常に「人事を尽くして天命を待つ」状態であれば、その時点の最高をもっと堂々と弾けるだろうと思います。

伸び伸び、楽しむといったキーワードとは違うのですが、練習の取り組み方を変え、積極的に困難を克服するようメンタルを鍛えようと思いました。

投稿日時 - 2008-02-19 18:01:12

ANo.7

初めまして。
私も、もうかれこれ14年のポピュラーピアノあがりですが、経験があり最近はジャズたるものをやっています。
文章から察するに、現在はどこか教室へ通われていらっしゃるのでしょうか?先生へ披露するだけでは、お教室でのびのびと弾くだけでは満足はいきませんか?
私は学生のころはリビングにピアノがあったものですからピアノを弾くと家族から「うるさい~テレビの音聞こえなくなるし!」とか言われましたが、無視してイザ弾いて間違えたりつっかえたりすると「あ、今間違えたね」とか「なんで毎回そこ間違えるの?」とか結構先生より厳しい声が飛んできて自分でも「あっ!」と思ったりすることがありました。私はひろびろとした誰もいないお部屋で天気のいい日にピアノを弾くと伸び伸びと弾けます。今は結婚し、マンションなので電子ピアノの消音タイプで主に弾いています。やはり電子ピアノに付属してついてくるドラムの音など入れてやるとやっぱり全然違います!今までスラスラ弾けていたのに間違えたり・・・。普段は聞かせない旦那に聞かせてみたり・・・。ちょっとしたことを変えるだけでふっきれたりするものです。

あとはよく言われてるとおり、弾いて弾いて暗譜する位、弾きまくって
その曲になれて感情移入をすると伸び伸びと弾けますよ。だから私は教室に行ってない今は自分の弾きたい曲しか弾いてません。

もしかしたら質問者さんは、自分の弾きたい曲・あまりすきではない曲だから、そう思ってなくても身体がそう思ってるからあまり伸び伸びとひけないのでは・・・?と2点ほど思ってしまいました。
どうぞご参考までに♪

投稿日時 - 2008-02-18 16:23:26

お礼

2点もヒントありがとうございました。
ご回答者様の楽しく伸びやかな感じが伝わってきまして、演奏もきっとそうなんだろうなと推察いたします。

>ひろびろとした誰もいないお部屋
北向きの寂しい狭い部屋で、消音ピアノでじーっと弾いています。う、暗い!それを伸び伸びできない言い訳にはできませんが、でも一理あるかもしれません。

>弾いて弾いて暗譜する位、弾きまくってその曲になれて感情移入をすると伸び伸びと弾けますよ。
ピアノのレッスンを受けている手前、現段階でOKというとこで打ち止めになりますので、「弾いて弾いて弾きまくって」の時間が与えられるのも発表会のときくらいです。これがすでに甘えかもしれません。恥ずかしがってないで「最初から全力スイッチ入れろ」ということですね。

>自分の弾きたい曲・あまりすきではない曲だから、
いろんな作曲家に出会いたいので、選り好みはしないようにしています。ですから初めて出会った作曲家などは、必要以上に身構えてしまうかもしれません。弾く前に、その作曲家の作品のCDを聞いたり、背景を調べるのも効果あるでしょうが、出会いをたくさん重ねると物怖じしなくなるかもしれませんね。自分に期待!
社会人になってからのレッスンでよかったのは、独学で進めていては弾かなかったであろうドビュッシーやフォーレなどフランスもののフィーリングが少なりともわかるようになったことです。出会った曲は、難産もあったけれど、みな好きです。まるでわが子のよう!? 

投稿日時 - 2008-02-18 22:59:34

ANo.6

>「楽しい」の秘密はなんでしょうね。
 これは比べる、「競争・勝負」だと思います。
 比べるものが無ければ、民謡や、浪曲でも娯楽の中心になっていた昔があるわけです。
 しかし、洋楽を聴いたら、比べられて「楽しくない」と思うのではないでしょうか?

>あくまでも自己満足なのですが。人前で弾いて賞賛されるのも気持ちいいですが。ハハハ。

 音楽は聞く人がいて完成する。というキャッチのFM番組がありましたが。
 少数のフアンは、多少つまらなくても熱狂して演奏者を助けてくれる。と、いったようなこともあるようです。
昔ヒット曲を出した男性歌手が、
  こんなにみんな乗っているじゃないか! なぜダメなんだ!! と、思った。トーク番組でいってました。その方はまだ、ヒット曲出していませんけど……ファンは熱狂的だそうです。

 どんな人が賞賛してくれるんですか?

投稿日時 - 2008-02-18 00:09:43

お礼

>これは比べる、「競争・勝負」だと思います。
音楽の生き残りという意味で、
時代に合った、より面白い良質な音楽を生み出す競争ということでしょうか。
生み出されたものが、偉大なものとして古典化してゆく、
その過程に立ち会っているのが楽しいということでしょうか。
新たな作品はもちろん、古典の再現(クラシック)の素晴しさも含みます。

私たちの日常はまさにそのストリームの中なんですよね。
偉大なものが記憶に残され、つまらないものは記憶から消えていく様子(競争)に、
日々、受動的(聴く)に立ち会うことに喜びも悲しみも含め、感動するわけですから。
これが能動的(弾く)となるとさらに生み出す感動もありますものね。

解釈間違っていましたら申し訳ございません。。。

音楽と個人の付き合い方は人それぞれと申します。
ここからはあくまでも私に留まると思って読んでいただければいいのですが、
自分にとっては、音楽は「捧げる」喜びみたいなものがあります。素人なりですが。
作曲家と私の対話、大仰ですが、神と私の対話、祈りというものでしょうか。
かつてピアノで体験した研ぎ澄まされたような感覚がやっぱり忘れられなくて、
寄り道もしたけれど、ピアノに戻ってきました。
前回書いた「楽譜から読み取ったことを自分の理想どおりに自分の体で再現できる」
とは、研ぎ澄まされたような感覚になったときにやってきます。
この辺りが修道僧っぽいと表現した所以です。

それで、誰に賞賛されるかですよね。
家族、恋人、友達、先生、会社の同僚。私の大切な人たちです。他には発表会に来た人たち。
本当に身近なところですいません…。たいしたことないのです。

>音楽は聞く人がいて完成する。
これも言い方変えれば、聞き手に「捧げる」のですよね。
届いたと実感できると嬉しいものです。
なんていってもその時だけでも一つになれた気がするのですから。
これすらも「そんな気」だけで、自己満足かもしれないのですが。
そうやって楽しい錯覚で私は人と繋がっている。
それだけで私は充足するのですから。…おめでたいのでしょう(笑)。

ピアノのみならず、音楽について考えるきっかけをくださいまして
ありがとうございました。これからもっと充実した音楽ライフが送れそうです。

投稿日時 - 2008-02-18 13:22:34

ANo.5

レッスンというものもありますが、
人と人のやりとりというものは難しいですよね。

先生は先生自身のことを全て把握しているとは限らない。よって、先生の言葉には先生の言いたかったこと全てが含まれているとは限らない。
「この人は何を言いたいのだろうか?」ということを常に思っていなければいけない。
その人が言いたいことは言葉にすべて表れているとは限らないし、おそらく表れていないことの方が多い。

そして、先生の言葉を自分の中に入れるためには、先生と共通する認識を持っている必要がある。当然、同じ深さの認識を持てるはずはない。必要なのは、「同じ方向の認識」。方向さえ同じならば、いずれは先生と同じものを見ることが出来、同じ場所に行ける。

そしてこの共通認識を持てるかどうかというのは自分次第。
自分の両親、祖父母の影響も大きいし、育った環境にも左右される。これらでほぼ決まると言ってもいいかもしれないが、自分次第ではいつでも変われる可能性はある。気持ちの強さの問題ではなく、どれだけ客観的に、純粋に、その対象や自分自身を見ることが出来るかどうか、そしてその判断が純粋なものによるものかどうか。

かなり乱暴にまとめると、レッスンを受けていても、自分のことを自分自身で見ることが出来なければ意味はないということです。
逆に、自分自身のことを見ることが出来、理想があれば、かなり良くなると思います。当然レッスンの意味も大きくなります。


一つ前のコメントから通して言いたかったことは、自分がどうなっているのかということを冷静に客観的に純粋に見つめることが必要だと思う、ということなんです。


ご参考まで。

投稿日時 - 2008-02-17 11:38:49

お礼

ニ度目のご投稿、ありがとうございました。

>レッスンを受けていても、自分のことを自分自身で見ることが出来なければ意味はないということです。
>逆に、自分自身のことを見ることが出来、理想があれば、かなり良くなると思います。当然レッスンの意味も大きくなります。

「伸び伸び」のコツ以前、「習う」のに必要な心構え、「謙虚さ」を教えていただけたような気持ちです。
先生の言われたことは素直に受入れて実践していたので、レッスンには満足していたのですが、前回、自己流とご指摘にあったように、その枠自体がすでに何物も受け入れない「囚われ」であろうと。常に
>自分がどうなっているのかということを冷静に客観的に純粋に見つめること
こうして、囚われを解体しなければ、レッスンの意味は半減してしまいます。もっと質の高いレッスンを受けられるかは自分次第ということですね。

「客観的に自分を見る」というのは実は一番難しい。外から自分を見つめるということですが、自分の外に自分はいないわけで、そうすると、誰が自分を見つめるのかって、外の自分を想像して、内の自分を見つめるわけです。それで、外の自分はどうやって作られるのかというと、対話相手に映り込んだ自分がベースです。対話相手にどれだけクリアに本来の自分を映し出すことができるか、つまり相手から真心の反応がもらえるか、やっぱり「謙虚さ」なんだと思いました。

ピアノ以外でも精進します…。ありがとうございました。

投稿日時 - 2008-02-17 12:50:14

ANo.3

>>ジャムセッション
>みなさん、楽しそうに演奏されていますものね。

 そうでもないですよ。全部の演奏が、そんなに楽しいわけでもありません。自分の演奏であっても、つまらない演奏では、参加しなくなります。

つまり、楽しくなければ、演奏や、練習が否定されるわけです。
音楽演奏を、しなくなる。ということです。ですから、結構厳しいのが、ジャムセッションです。

投稿日時 - 2008-02-17 02:18:11

お礼

ありがとうございました。

>楽しくなければ、演奏や、練習が否定されるわけです
はああ、奥深いですね。

「楽しい」の秘密はなんでしょうね。この辺りに音楽と長く付き合っていく秘密があるような気がしました。セッションの場合、相手という自分でコントロールできない要素が入ってきますものね。ピアノの練習でも、私の場合は閾値に達しないとその状態になれない、最初から伸び伸びできないのはそこに一因があると思います。となると譜読みに慣れて早く閾値に達するという力技もありますね。

ちょっと話は横に逸れるのですが、私はピアノブランクの時期に、レコード回していたのですけれど(DJ)、フロアのみんなのノリと一体になる感じ、他にも学生時代6年間のブラスバンドで、他の演奏者と気持ちがピタッと揃う感じが「楽しい」の瞬間でした。ピアノを弾いていて楽しい瞬間…。楽譜から読み取ったことを自分の理想どおりに自分の体で再現できたときでしょうか。あくまでも自己満足なのですが。人前で弾いて賞賛されるのも気持ちいいですが。ハハハ。

投稿日時 - 2008-02-17 11:39:14

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