解決済みの質問
あえてこのカテゴリで質問させてもらいます。長文になりますがよろしくお願いします。
僕は勉強に臨む時の「先生」の存在意義がわかりません。小学校や中学校では大人として模範になったり子供を管理したりと大切な役
割があるのは分かります。小学生には先生がついてうまく勉強を教えることも必要でしょう。しかし、ある程度でも自主的に勉強する人間
にとって先生の講義を生で聴くことは必要ないのでは、と思います。
僕は高校生の時学校の授業をほとんど聞いていませんでしたが、成績は良かったです。といっても僕が教科書を読んだだけで全てを理解で
きるような賢い人間だったわけではなく、家に帰って一生懸命わかりやすく書かれた参考書や問題集に取り組んでいたからです。例えば物
理なんてまったく分かりませんでしたが、予備校の有名教師の書いた参考書で一気に分かるようになりました。しかし予備校に通いその人
の授業をとってみたら同じことばかり言うし体系的に話してもらえず、結局体系的でかつ活字で保存されたその参考書の方がはるかに安く有
用でした。
学校で板書されることの大半は参考書に太字で綺麗に印刷されたものばかりでノートにとる理由もわかりません。
大学に入り、名物の先生の授業をとっても全く楽しくありませんでした。その人の書いた本は大変面白かったのですが・・・。大学に入
っても真剣に講義を聞くより教科書とにらめっこしている方がよほどためになる気がします。自分は理工系なので実験みたいなものでは人
に教えてもらいながら器具の扱いなどを知るのが一番効率がいいとは思いますが、それ以外に「生」で教えを請う理由が見当たりません。
そこで「勉強」する時の「先生」の存在意義について伺いたいです。大変生意気な質問ですが御回答願います。
投稿日時 - 2008-02-10 10:37:55
理学系の大学教員です。
まず、質問者様には大きな間違いが1つあります。
それは、これまでの義務教育的な学校(高校を含む)と大学は全く違うということです。
これまでの学校は教養をつけるところだったのです。
問題を出されてそれに対して解答すれば点数をもらえるといった教養をつけるところだったのです。大学での「授業だけ」、これも教養をつけるためのものです。
ここで逆に質問したいのですが、質問者様は単に教養をつけたいのでしょうか?
もし、単に教養をつけたいという「勉強」をしたいのであれば、
「先生」はいてもなくてもいいです。
「先生」がいて教えてくれる方が良いという人もいれば、
質問者様のように、「先生」がいなくてもいいと思う人もいると思います。
では、大学では何をするかというと、「研究するところ」なのです。
そして、研究するには「今、何がわかっているのか、わかっていないのか」ということがわからなければ、研究はできません。
なぜなら、研究とは既にわかっていることをやっても意味がないからです。
さて、質問者様のように教科書などを中心に勉強してたとして、その教科書に記されている情報はかなり昔のことです。2~30年前のことも珍しくありません。
では、今年の論文を読めば良いかというと、今年の論文でさえ1~2年前くらいの結果です。
そんな1~2年も昔のことを質問者様は勉強してどうするおつもりですか?教養はつきますが、教養をつけただけでは理工系では卒業できませんよ?
理工系では時間の流れが速いです(文系ではわかりません)。そんな時間の流れにおいて、質問者様のように「文章になったもの」で勉強しても、
いつまでたってもスタート地点には立てませんよ?
で、大学教員というのはその道の最先端を走る人々なのです。その人たちに「生」で聞かない限り、今の最先端のことはわからないのです。
そこからやっとスタート地点にたつことができて、卒業研究が始まり、研究が始まるのです。
そして最先端のことをやっていて突き当たる問題の解決も、教科書には当たり前のことながら載っていません。教科書は古いですから。
そんな時に教官に教えを乞うのが最良で唯一の解決策であると思いますが、いかかでしょうか?
投稿日時 - 2008-02-10 20:57:52
お礼
御回答ありがとうございます。正直、自分の中で教養とは何なのか、何のためにあるのかすら未だに分かっていないので、質問に答えられ
ないです・・・。
教科書に記されている情報が昔のことであるのは納得しています。しかし、あなたのような意識の高い人間が多数いればよいのですが、現
実にはうちの大学ではコンピュータ導入以前の経理学を延々話すような教授が大半です。また、マルクス経済について語り続けている教授
もいらっしゃいますが、現在マルクス経済がどのようにとらえられているのか、またどう考えるべきなのかといったようなことをロクに話
さずにただ内容のみ話している方ばかりです。僕はマルクス経済について学ぶことは意義があると思いますが、背景や現実とのギャップに
ついて知らなければ意義は一気に薄れると思います。
しかし最先端のものに触れるというのは重要なんですね。まだ1年生なのでいまいち実感がわかないですが、心に留めておきます。貴重な
意見をありがとうございました。教員の方の生の声が聞けて大変参考になりました。
投稿日時 - 2008-02-12 09:02:05
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ベストアンサー以外の回答(12件中 11~12件目)
研究者として優れている人物が必ずしも教えることに長けているわけではありません。
どっちかと言うと研究者として優れている人間はえてして教えることには熱心ではありません。
しかし、実はその知識は参考書に書かれているような「簡単な」ことではありません。
あなたに教えていないだけです。いかにその知識を引き出すかが求められているわけです。
あなたが、先生から知識を引き出そうと行動を起こして初めて教えてもらえるのです。
投稿日時 - 2008-02-10 11:01:52
お礼
御回答ありがとうございます。難しいですね・・・知識を引き出すまでに相当骨が折れそうですが、考えてみます。
投稿日時 - 2008-02-12 09:13:20
大学の講義で、一方的に先生の話を聞くのは確かにあまり意味がないこと
かも知れませんね。ただ、その先生が書いた本だけで十分ということも
言えないと思います。本来の大学の授業のあり方としては、先生の発言に
対して、質問をし、議論が始まり、生徒がそれに参加していくということ
でしょう。そこから、新しい考え方が生まれてくるのが、本来の姿では
ないかと思います。残念ながら、少なくとも私の経験した大学の授業では
そういうことはありませんでした。
投稿日時 - 2008-02-10 10:47:31
お礼
御回答ありがとうございます。生徒側の熱意が欠けているのも大きな要因であることも僕は実感しますし、自分自身が授業中に積極的に発言
できないことをややうしろめたく思うこともあります・・・。
投稿日時 - 2008-02-12 08:47:14