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能「葵上」と源氏物語の「葵」の共通点、相違点

能の「葵上」と源氏物語の「葵」の共通点と相違点、また特徴や効果(ドラマチックに見せている、所作が大きくしてある)などあったら教えてください。 例えば安宅と義経記では、登場人物や場所は同じですが細かい話の展開が違いますよね。 どなたかお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

質問がやや漠然としていて、何をお答えしたらいいのか、あまり良く分かりません。 もう少し具体的に、とくに源氏の葵の巻と能の「葵上」と、どちらに重点を置いてお知りになりたいのか、明記していただけると答えやすいのですが・・・ たとえば、源氏ではこう表記されているくだりは、能ではどのように扱われているのか? とか、 能でこのように表現されているくだりは、源氏ではどのように書いてあるのか? とか、 質問者様が、どちらについてある程度の知識的素地があり、どちらに関して少ないのか、それだけでも分かると、答えようもあるのですが。 お急ぎでなければ、補足説明をつけていただけると、もう少し参考になるお話もできるかと思います。 それでも、一応、一般的なことだけ申し上げますと・・・ 一番大きな差異は、原作の源氏物語では、六条御息所の霊は、結局浮かばれなかったと言うか、少なくとも葵の巻の車争いや葵上を取り殺す時点では、なんの解決にもなっていないのに対し、能の「葵上」では、シテの六条御息所の霊は、一応、横川小聖に祈り伏せられて「即身成仏」させられる、という結末になっている点だと思います。 「道成寺」や「鐵輪」のように、悪霊は一応退散するが、再来を期する(I’ll be back!の捨て台詞と共に去る)というパターンもあるのに、「葵上」はいやにあっさり成仏してます。 この点は、原作のほうが書き込みがしつこいですよね。 六条御息所の死後に至るまで、源氏の周辺に異変を起こし続けますから。 それに、この時点で、六条御息所が祈祷師に祈られて「死んだ」のなら、この続編となる(?)「野宮」は成り立たなくなってしまう。 「葵上」における六条の「即身成仏」は、どう解釈すべきか、悩ましいところだと思います。 でも、原作の、あくまで後続の章段を想定した長編小説の構想としての、この段の六条の取り扱いと、能の、一幕の芝居、1曲として独立性の高いシナリオとして書かれた六条の取り扱いとが、根本的に違うのは、当然のことかもしれません。 もちろん、祈り伏せられたのはあくまで六条の「執心」とか「煩悩」とかいった精神的なものだけで、六条の肉体そのものが滅んだ、死んだ、とは解釈しない、という考え方もあるかもしれませんが、やや幼稚だと思います。 むしろ、「葵上」の六条と、「野宮」の六条とは、同一人物にして同一人物ではない、それぞれに独立した人格・役柄である、と考えるほうが、能という芸能のありように即しているような気がします。 あと・・・ 原作では「車争い」の場面が、非常に劇的に、リアルタイムで叙述されていて、読者の興奮を誘いますが、能では、この段は、六条の述懐の形で、募る恨みの説明として切々とはいうもののある意味冷静に語られる点も、演出上の違いといえるでしょう。 能だって、ある意味、前場に車争いを持って来て、後場で葵上に害をなす場面を、やろうと思えばできたはずです。 それをあえてしなかった能の演出観というのは、興味深いですね。 また、「葵上」と題しながら、葵上は舞台には登場せず、舞台正面に出された小袖だけで、「ここに葵上が寝ている」ということにしてしまう、究極的な省略法の面白さは、すでに語り尽くされた感があります。 前場の見せ場となる、いわゆる「枕之段」は、かなり速いテンポでサラサラと舞われますが、熟練した役者は、六条の「位」を重んじて、決して装束の裾を割るような品格に欠けた運び(歩き)方をしません。 「鬼になってもお嬢様」。 これが、能「葵上」の真髄なのだと、私は信じています。 なぜなら、鬼になって開き直れる程度のアイデンティティーなら、六条が苦悩する理由がなくなるからです。 (能楽師の中にさえ、「六条はすでに人格を失い、鬼になっているのだから」という人がいて、驚いたことがあります。・・・アンタには一生「葵上」は舞えまいよ、と、内心では思いました・・・)。 面は真横にスッと切り、極めて上品です。 大きさを表現する為に上から下へ見下ろすように面を切る「安達原」、蛇体のいやらしさを表現す為に下から上へ舐め上げるように面を切る「道成寺」、と、「般若」の面を用いる3曲は、それぞれに面の扱い方が違うようですが、「葵上」のこの面の切り方の原則は、曲の本質に迫る、具体的な技術の一つだと思います。 「枕之段」の最後に、「♪枕に立てる破れ車」で、葵上の枕元に扇をバシッと叩き付けて、サーッと橋掛かりへすさり、「♪うち乗せ隠れ行かうよ」と、腰巻にしていた唐織を頭から引っかぶって下座する(生霊の姿が見えなくなった、という意味の演出)、このあたりの所作の緊迫した面白さは、なまじ葵上の苦悶を生々しく見せ、やれ「祈祷の声が苦しいからやめさせてくれ」のと、口寄せする不気味さを描いた原作のドロドロとしたいやらしさを、ある意味、芸術的に超越しているようにさえ思えます。

love723
質問者

お礼

大変詳しい回答、ありがとうございました。

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