• ベストアンサー

死刑を採用するか否かを分けている点とは?

 死刑を採用している国と、廃止している国を分けている点とは一体何でしょうか?。    単純に国民性でしょうか?。  信仰している宗教の影響でしょうか?。  私は特別に死刑を支持しているわけではありませんが、さすがにテレビの猟奇犯罪者特集などで、20何人を快楽目的で殺しても終身刑という報道を見ると、遺族・社会が極刑を求めないのが疑問にも感じます。     死刑廃止国でもやはり、死刑制度成立を求める活動はあるのでしょうか?。もし、そういう活動があったとしても結局は死刑廃止となってしまっているのは、何がその結論に大きく影響しているのでしょうか?。

noname#200372
noname#200372

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.1

死刑を廃止した国の理由は、第一に あらゆる権力は個人の尊厳を犯してはならないとする、近代法の究極の目的に違反するからです。 特にヨーロッパ諸国は、中世時代に宗教権力による魔女狩りや近代に入る前のフランス革命などで、一人の権力者のために人が大勢殺されるのを経験しています。(魔女狩りなどは、遠い権力者ではなく、隣に住む人が村長がになり、絶対権力者に変貌したりしたのです) ですから、近代法の趣旨である個人の生存権と国民主権を確立した後は、権力者である国民の総意が死刑を容認するのは自己矛盾をおこすのです。 ヨーロッパ諸国や、米国はこの辺の哲学が大きく影響してます。特に米国は死刑存知の州に、ユタ州などの宗教保守層が多い中南部地域に多く、どちらかというとヨーロッパ知識層に近い東部に死刑廃止の州が多いことから、宗教的な影響は少ないのではないかと考えています。 ヨーロッパ諸国は宗教勢力も権力であると考えているからです。 第二に手続きの問題点です。 例えば韓国では、大統領だった人が退任後逮捕され死刑を宣告を受けたり(全斗煥)、逆に死刑宣告を受けた人がその後大統領になったり(金大中)など、権力と権力執行の手続きいわゆる刑法とか刑事訴訟法と言うものが非常にあいまいです。つまり一人の権力者の意のままになる可能性が強いということでもあります。(段々改善しているようですが) それでも一応司法権は独立しているようで、韓国では10年間死刑が執行されず、今年事実上の死刑廃止国になりました。 第三に冤罪問題です。 最近米国で「無実プロジェクト(Innocence Project)というのが脚光を浴びています。このプロジェクトは1989年に始まり、DNA鑑定を利用して、200人の囚人の無罪、特にそのうち15人の死刑囚が無罪であったことが判明し、また別の機関でも35年分で124人の死刑囚の無罪が明らかになったという報告もあるそうです。 日本では、犯罪が起きると遺族感情という言葉が飛び交いますが、元々刑法は遺族感情を問題にしていません。 逆にいえば、遺族や被害者の感情を取り入れたら、成文の刑法など作れるはずがありません。同じ痛みでも受け取りかたは人それぞれで、悪口を言われただけで殺してやりたいぐらい憎む人もいますし、殴られても示談ですむ人もいるからです。 刑法はあくまでも罪を犯した人が、社会に復帰できることを考慮した刑罰になっています。そのため日本の刑法犯の場合、裁判への不起訴や執行猶予をつけて保護司に預け社会復帰をめざすなど、犯罪者を更生させる機能が整備されています。 それがうまく回っているのが、世界的に見て犯罪がすくない理由のひとつであると考えられているのです。 凶悪な犯罪は確かにあります。しかし犯罪者が犯罪を実行せざるを得ない社会環境というものも同時に考える必要があるのです。 犯罪はどの社会でも、下層に近い層で多く発生するため、一番最初に書いた「個人の尊厳」と深く関わってしまうからです。 死刑を廃止した国は、個人の尊厳と犯罪者の死を取引しない覚悟を決めたといえるのです。 ただ、死刑廃止国でも死刑の復活を望む声もあるようです。 フランスでは終身刑を受けて服役中の囚人が「火にじわじわと焼かれるより直ちに殺された方がまし」、という公開状を出したようです。 http://www.news.janjan.jp/world/0702/0702049395/1.php

noname#200372
質問者

お礼

なるほど。 んー、回答して頂いた内容も含めて改めて考えると、どうすればいいのか議論が尽きないのが、当然かもしれませんね。 しかし、韓国が事実上死刑廃止となったのは知りませんでしたし、とてもイメージを裏切って意外でした。たしか、韓国は犯罪者をさらし者にするかのごとく、顔出しでインタビュー中継をしてたような・・・。それに根強い半日精神が恨みを根に持つ姿勢や、国民性も血の気が多いイメージがあったので、報復精神が強いかと思ってました。 ヨーロッパで何故、死刑廃止が認められているかという理由はよくわかりました。よく言われることですが、日本では仇討ちの歴史が国民性としてあるから死刑存続になっているんでしょうかね。 フランスの例ですが、終身刑ってほんと辛いんですね。だれもが死刑より終身刑がまだマシと思うかと思っていました。 死刑よりも極刑として釈放のない終身刑が成り立つのならば、死刑を廃止しつつ、最大の刑罰で裁くことができるということで、話がまとまらないかな?とも思いましたが、「血税で犯罪者に死ぬまで飯を食わせるなんて」みたいな意見も出るでしょうし・・・。人類にとって、これからも大きな問題として続くでしょうね。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • もし、日本で死刑を廃止したら

    日本では国民の3/4~4/5が死刑を支持しています。 根強い死刑の支持の理由には 刑務所の経費、遺族感情、殺人事件など 凶悪な犯罪の抑止 などが主な理由だと思いますが、 今回は 刑務所の経費について考えようと思います。 もし、極刑を死刑から終身刑に変えた場合、どれくらい、経費が余分にかかりますか? きちんとした根拠があれば ありがたいです。

  • 【極刑】遺族が死刑・無期の選択出来る事の問題点は

    死刑論争でよく目に付くのは、「遺族のため」と言う言葉ですが、ある遺族は、死刑を望み、またある遺族は死刑を望みません。 はっきり言って当たり前です。人によります。 死刑を望む者、死刑を望まない者。死刑でも無期でも極刑ならどちらでも良い者。 人それぞれいます。 そこで、裁判で「極刑」が下された場合、遺族が死刑か無期懲役(終身刑でも良いが現在の制度ではない)を選択できると言う制度はどうなのでしょう? 他の国で取り入れている事は聞きませんが(私が知らないだけであるのかもしれません)、問題があるのでしょうか。それとも選択出来る事は、裁判を復讐の場と認めるような事でとかそう言う理屈でしょうか? この制度の問題点を、教えてください。 憶測や感想・意見で構いません。 よろしくお願い致します。 あ、もしもこう言う制度を取り入れている国がありましたら、それも教えてください。

  • 死刑廃止国での被害者遺族の感情は?

    ヨーロッパやアメリカの一部の州では死刑が廃止されており、世界的にも死刑廃止が主な流れになっているようです。しかし、日本では主に被害者遺族の感情などがマスコミで大きく取り上げられ、死刑廃止に否定的な声が多いように思います。死刑が廃止されている国では、被害者遺族の感情はどのようにケアされているのでしょうか? 終身刑という代替の刑罰を設けることで、被害者は納得しているのでしょうか? 外国の現状などをご存知の方、教えてください。

  • 死刑執行日の延期決定権を、遺族に与えるのは駄目?

    【極刑】遺族が死刑・無期の選択出来る事の問題点は http://okwave.jp/qa/q8596180.html これに、関連する質問です。 上の案は、「法の平等に反する」と言う法の原則の壁が越えれなくて諦めました。 それで考えたのが、日本の極刑は死刑です。それでOKです。 その、死刑執行日の日にちを遺族にも延期の決定権を与えると言うのはどう思いますか? 具体的な方法は、役所から指定された日付が来ます。それにOKか延期と答えます。どちらでも良い場・返答が無い場合は放棄とみなします。(遺族が複数いた場合は?とかの話しは今はおいといてください。今回の質問はそれ以前の問題ですので)放棄した場合は従来どおりの手続きになります。 延期の場合は一年後また来ます。それも延期と言えばまた一年後。 そうです。遺族が、終身刑を望む場合ずっと延期にすれば良いのです。 これで、結果的に遺族が、死刑か終身刑か、決めれます。 私が言いたい事は、死刑は私は良いと思いますが、遺族の中には心の整理もつかず、死刑囚に何の真相も聞けずに勝手に処刑され、どうしようもない思いになってしまう人もいます。死刑囚に死んで欲しくないと思う人がいるようです。 とは言え、国民の大多数の人が死刑に賛成なのを「廃止」するのはもってのほか(国民の多数が廃止に賛成なら別)それらを解決する案は無いかなと、実際には何も役に立たないんですけどふと思いました。 と言う案は、法の平等に反しますか。 他にも法の原則に問題がありましたら、ご指摘下さい。 よろしくお願い致します。

  • 死刑と応報刑について

     現在、死刑と応報刑について調べております。  応報刑は時代的背景や地域によって様々な刑罰とあります。  日本では殺人等の重大な犯罪においての極刑として死刑がありますが海外では懲役25年や終身刑など被疑者の生命を奪わない方法などがあるところもあります。  日本では、応報刑論における極刑が死刑になったのでしょうか。  参考資料やご教授してくださる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。

  • たけしが死刑制度に異論

    たけしが死刑制度に異論「死刑が極刑とは思えない」「被害者遺族が執行のボタンを押すのはどうか」 7日放送の「TVタックル」(テレビ朝日系)で、ビートたけしが犯罪者の更生や死刑について 意見を述べた。 同番組は「日本の死刑制度どう考えますか!?」をテーマに議論をする構成で、世界的には死刑制度が廃止に向かう中、日本ではいまだ85.6%が賛成している現状が紹介された。 番組冒頭で、たけしは「死刑というのはダメなんですよ。それは、死刑が極刑とは思えない。そんなんじゃすまない」と、日本の死刑賛成多数の現状に異論を唱えた。 罪を犯した人にはもっと生きてもらい、人間とはなにか?命とはどういうものなのか?を学ぶ意味では、死刑ではなく終身刑のほう適しているのではないかとした。 さらに「中には(自分が)死にたいから、人殺しして殺してくれってやつが出てくるとこれどうなんだっていうことになってね。人権とかそうじゃなくて、もっと更生のさせ方が、もっと罰せられる方法があるんじゃないかと」と話した。 スタジオでは賛成派と反対派に分かれ、議論が展開されたが、実際に拘置所内で刑を待つ死刑囚や、刑が実行される様子など、ショッキングな内容も紹介されていた。 その後、スタジオではさまざまな意見が出たが、たけしは「残酷なのか分かんないけども、被害者の方の意思表示を、絞死刑の時にボタンを押すのはどうかというのは…あなたは押しますか?という風にして」と発言。被害者遺族らの意思を確認したうえで刑を執行してはどうかと提案した。 これには元法務大臣の鳩山邦夫氏も「ひとつのアイデアですね」と共感した様子だった。 番組でも当該記事でも「世界的には死刑制度が廃止に向かう」と述べているが、実際にはそうではない。 死刑制度廃止の国に数は大昔と比較して少し増えたかもしれないが、近年は逆に「事実上の死刑廃止国」→「死刑存置国」に移った国の数が増えている。 ◾ http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5413.html?sp ◾ 死刑に反対でしょうか? 死刑に関する議論は、賛成派反対派双方とも結論ありきで、自己に都合のいい理由を主張しているに過ぎないようです

  • 終身刑につてについて教えて下さい

     現在、日本では死刑判決がでても執行されないという事実上の死刑廃止になっています。(条文を変えて形式的にも廃止しようという動きもあります)  無期懲役と終身刑を同じだと思っている人さえいます。  死刑廃止になって代わりに終身刑があるかというと日本には終身刑がありません。そこで法律に詳しい人にお聞きしたいのですが、日本に終身刑を作ろうという動きはあるのでしょうか?又、日本のように終身刑の無い国で死刑を廃止にしようとしている国(又は廃止した国)はありますか。  できれば、皆さんの死刑や終身刑に対する意見とともにお答え頂けたら嬉しく思います。宜しくお願い致します。

  • 私は死刑制度賛成です。

    それは、それに値する犯罪者がいるからです。一番腹が立つのは死刑廃止が先進国の考え方であるかのかのように言う人がいることです。では、人を殺すことが先進国に住む人間的な行為でしょうか?ということです。 また、死刑という行為は最高の刑、極刑ですがオウムの麻原のようなヤツを法の裁きだけで済ませられてしまってそれで済むのか?とも考えます。それだけで残された遺族の方たちの気持ちは晴れるのか、とも。あのようなヤツは10回死刑にしても許せない、遺族の気持ちも晴れることはないでしょう。 現在のところ、極刑は死刑しか、死刑しかない・・・ないのです。人を殺すという行為は原始的な行為である、と考えます。だから、原始的な方法で裁けばいいのです。公開処刑にすればいいのです。それでいいのです。それでこそ、抑止となるのです。 ムチャクチャだ、という方がいらっしゃるかもしれませんが、人命を絶つ、ということはそうなのだから当然です。極悪な行為を実行した者には極悪な方法で裁けばいいのです。それでこそ抑止の効力となるのです。 そこで質問です。この考え方は野蛮でしょうか?

  • どうしても理解できない「死刑廃止論者」の考え

    こんばんわ。 あの宮崎死刑囚に死刑が執行されました。 死刑判決から2年、事件から数えると20年ということですから、 「ようやくか。というか、まだ生きてたのか、こいつ」 というのが正直な感想です。 でも、世間では現鳩山大臣の下で死刑執行数が増えているということで (といってもまだ102人も死刑未執行の人間がいるんだぜ) またぞろ、死刑廃止論者達が騒いでいるようですね。 私は死刑制度存続論者です。理由は (1)人の命を(理不尽に)奪ったものは、(原則として)  自らの命で償うべきである。 (2)命を奪われた被害者、また被害者遺族の「仇討ち」を  国家は代行すべき義務がある。 大きくこの二つです。私は宮崎被告のような人間に人権は認めません。 とても残念なことではありますが、世の中には人権を与える価値の無い 人間がわずかながら存在します。そういう人間は社会の安全を維持し、 公正さを保つためにも、国家が粛々と抹殺しなければならないし、 またそういう権限を国家に堂々と与えるべきです。 死刑廃止論者は事あるごとに、「死刑廃止は世界の圧倒的トレンドだ」 などと言いますが、一国の法律論や刑罰論というのは、その国の歴史、 民族性、精神性、宗教観に深く関わることであり、「他国がどうだ」 などということは全く関係ありません。(日本人の価値観が変わらない限り)、日本が世界でただ一つの「死刑制度存続国家」になったとしても、なんら恥じ入ることはありません。 また廃止論者は「終身刑制度」を導入し、凶悪犯罪者の贖罪意識を なんとか起こさせることを言っています。 でも、例えば、この宮崎が、例えば終身刑で寿命まで生きて、 その間に悔い改めて、人間の心をとりもどす可能性が100%ありますか? もう一度聞きますが、100%ありますか? 100%の可能性がないのなら、上述(2)の被害者、被害者遺族の「仇討ち代行」が優先されるべきです。宮崎はこの期に及んで、「自分は無罪」とほざいていたようです。また「絞首刑」による死をとても恐れていたらしい。20年という長い時間をかけても悔い改められなかったこんな人間は、(残念ですが)、その恐れていた絞首刑によって、少しでも 被害者、被害者遺族の苦しみを知るべきです。 長くなりましたが、私はどうしても、どう屁理屈をこねられても、 「死刑廃止論者」の考えがわかりません。 私が間違っているのでしょうか? (補足)ただ、唯一、留保事項があるとすれば「冤罪」の可能性だけです。その意味では「冤罪は絶対に防ぐ」という前提が死刑判決には 求められるとは思います。しかし昨今の「死刑廃止論者」は明らかに 犯行が確定される容疑者(光市事件やこの宮崎事件)でも、死刑廃止 論をぶってきます。何故?意味が分かりません。

  • 死刑以上の重い刑

    1人の人間が、自らの手で何百人もの殺人を行ったとする。 結果逮捕。 判決は死刑。 これでいずれこの人間が死刑になったとしても、遺族にしてみたら逆に悔しいかもしれない。 むしろ自らの手で刑を下したいだろう。 というよりも、内容によっては数人で死刑の場合もあるが、数百人でも死刑というのは釈然としない。 かといって、死刑よりも重い刑など今の日本にはないし、海外に目を向けても聞いた事がない。 日本に終身刑はないし、終身刑が仮にあったとしても死刑より重いとは思えない。 やはり死刑よりも重い刑となると、もはやここには書けないような内容のオンパレードになってしまうだろうか?