解決済みの質問
私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。
そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。
哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。
このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。
現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。
勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。
それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。
自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。
投稿日時 - 2008-01-03 02:01:22
どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。
世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。
日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。
カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。
ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。
いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。
投稿日時 - 2008-01-11 14:43:42
お礼
>無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。
やはり、以前、回答を頂いた方に対する返信にも書いた通り、「自分の中に確固とした軸が無い」というのが一つのポイントのような気がします。だから、人の意見に流されてしまう。自分はもっと強くならないといけないのでしょう。
その他の箇所も現実的・具体的で参考になりました。
この辺で回答を締め切らさせていただこうと思います。
貴重なご意見、参考になるご意見の数々をどうもありがとうございました。
投稿日時 - 2008-01-12 11:48:39
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4年生であれば、そのまま学部は卒業しましょう。
この時点での転科、中退はあらゆる意味でマイナスです。
旧帝大の経済学部への編入試験に合格できた学力があれば、今からでもどこかの大学院に潜り込めるでしょう。2次募集の願書受付が1月中旬から下旬の大学院はたくさんあります。
もう2年なり5年なり、徹底的に考える時間を持つのも悪くありません。
学部教育の「専門性」が以外に低いことに悩まされているようですが、学部はそもそも自分の勉強の「下地」を作るところで、どのような分野であれ事情は似たり寄ったりです。何かしら「ひとかどの者」になりたいのであれば、勉強に専念できる環境(大学院)にもっとドップリ浸かっても良いのではないでしょうか。
境遇のいかんにかかわらず、学部卒業の頃は誰でも「将来に対する不安」を抱えているものですが、後になって考えてみれば、万事休すどころか、まだ何も始ってもいなかったことに気がつくでしょう。
平均寿命まで生きるとして、まだ60年ちかくあるのですから、2年や5年回り道してもどうというものでもありません。
投稿日時 - 2008-01-03 02:53:57
お礼
コメントありがとうございます。
「どんな人:経験者」とされていることは、sgmさんも哲学科の出身者の方なのでしょうか?
目先の出来事に一喜一憂せず、ゆとりを持って、長い目で人生を考えることは大事だと思います。ただ、現実の日本社会においては、新卒であるかどうかや、年齢によって、就職活動や職業選択の幅が著しく制約されるというのも厳然たる事実なので、変えられない過去に執着せず、現状はしっかり受け止めた上で、どうするかを考えていくのが正しいあり方だと思います。
しかし、それは理屈としてはわかるのですが、自分にはどうも神経症・強迫症的なところがあり、一つのことに執着して、いつまでも後悔をしたり、また、優柔不断で何か選択を迫られたときに悩みに悩んで「決められない」という厄介な性分を抱えていて、なかなか前向きな気持ちになれないところがあるのです。哲学科の同級生たちを見ても、自分ほど周囲から「哲学科の学生であることや、哲学科卒という経歴が、人からどう見られるか」ということを気にして、悩んでいる人というのは(少なくとも表面的には)見当たらないので、根本的な原因は自分に自信がなく、人からどう見られるかにとても過敏になっている自分自身に問題があるのだと思います。
投稿日時 - 2008-01-03 03:56:20