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マツタケとヒトの関係

人が山の手入れをしなくなってから、マツタケが生えなくなったという話をよく聞きます。 ということは、 1.人が手入れをする以前の山にはマツタケは(あまり)生えなかったのでしょうか? 2.マツタケが(あまり)生えないほうが自然本来の姿であるということでしょうか? 3.人類が農耕を始めたからマツタケが誕生した、なんてことはまさか無いですよね? 気になったので問題提起してみました。ご意見おねがいします。

みんなの回答

  • suiran2
  • ベストアンサー率55% (1516/2748)
回答No.4

昔々そのまた昔,森産業のきのこ研究所の研究員の方から聞いた話をご紹介しましょう。 マツタケは菌根菌です。樹木の根と共生し,菌根を形成する菌です。この菌糸(一次菌糸か二次菌糸か忘れました)は明るい二次林の土壌から分離培養できるようです。また,その二次菌糸が形成する菌根は,アカマツだけでなくかなり多種類の樹木,特に松類に菌根を形成するようです。つまりマツタケの菌糸はそれほど珍しいものではなく,広く自然界に存在しているようです。マツタケは子実体(キノコ)です。この子実体が多数発生するのはやはりアカマツが最適のようです。しかし,他の樹木でも数が極めて少ないですが出ることは出るようです。 以上から 1.その通りであまり生えなかったのだと思います。現在は元に戻ってあまり生えなくなったのではないでしょうか。 里山の入会権が確立し,その権利での過剰なまでの森からの搾取がマツタケを生み出したのだといったことを言う方もおられます。つまりマツタケは農民の貧しさの象徴なのだと… 2.明るい二次林は人の手の加わった林です。極相林ではありませんから自然本来の姿ではないでしょう。 3.まさかと思いますよ。

  • henmiguei
  • ベストアンサー率45% (1764/3869)
回答No.3

丹波の山奥育ちです、子供の頃年寄りから聞いた話によると、戦前も松茸は多少あったらしいです、戦中から戦後にかけて燃料として枯れ木や落ち葉を使い、笹などの下草を家畜の餌にして、松林の地肌が見えるようになって来た頃から松茸の収穫が増えてきたそうです、少し落ち葉が残っているような所はイクチなどの他の菌類が生えるようです、やはり松茸には土地が痩せて貧栄養状態がよいようです。

  • miya_0726
  • ベストアンサー率54% (94/173)
回答No.2

ANo.1です。 人類の歴史は数百年ではなく数百万年でした。

  • miya_0726
  • ベストアンサー率54% (94/173)
回答No.1

マツタケ(キノコ)は植物で言う花に近いもので、本来の姿は土中のカビのようなものです。それを踏まえたうえで、 1、マツタケ(キノコ)は貧栄養状態のアカマツ独占林でよく出てきます。ですから、人が手入れをする以前の山ではキノコは作らず、優先種にもなれず土中でひっそりと菌糸を延ばして生きていたのではないかと思います。 2、1で書いたとおり、自然林では優先種にはなっていないでしょうから、マツタケ(キノコ)が生えないほうが自然本来の姿なのでしょうね。 3、マツタケ菌自体の歴史はたかだか数百年の人の歴史と比べてはいけません。マツタケ菌の歴史のほうがはるかに長いです。数は少ないかもしれませんが、人類登場以前からマツタケ(キノコ)はあったはずです。 ただ、マツタケ(キノコ)は、もしかしたら人類が農耕(というより林業)を始めたことで「たくさん」出てくるようになったと言ってもいいかもしれませんね。

aoikoala
質問者

お礼

たいへんありがとうございます。

aoikoala
質問者

補足

すみません。私の自己レスです。 ↓ 里山アカマツ林では落枝落葉や毬果(松ぼっくり)も肥料や燃料として利用されたため、林内にはあまり有機物が堆積せず貧栄養に保たれ、先駆樹種であるアカマツに適した環境が維持されていた。 しかし1950年代の燃料革命や化学肥料の普及によって、肥料や燃料としてのマツ林の落枝落葉の需要が減少して林内に放置されたため、土壌が富栄養化してアカマツには不適当な環境になり始めた。マツタケの大幅減産もこの頃(1960年代前半)である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E6%9D%90%E7%B7%9A%E8%99%AB%E7%97%85

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