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動物の知性と人間の知性の違い
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こんにちは。 我々人間と他の動物の知性の違いといいますならば、やはり「言語」を持つか持たないかでしょうね。 人間の知性といいますのは他の動物と比べますならばたいへん「高く・複雑である」というのがその特徴です。そして、「知能の高さ」といいますのは本能行動に対する「学習行動の比率」によって評価されるものです。 我々哺乳類や鳥類などの高等動物の脳内でこの「学習行動」を司るのは主に「大脳皮質」や「大脳辺縁系」といった新皮質であります。ですから、動物の知能の高さといいますのは「脳の大きさ」と「生後学習の量」に比例します。 確かに我々人間の大脳皮質というのは他の動物に比べてたいへん発達しています。ですが、チンパンジーと比べでその大きさが二倍・三倍あるわけではありませんし、象の脳みその方が遥かに大きいです。では、知能の高さがそのまま脳の大きさに比例するものであるならば、人間の脳はもっと大きくなければならないはずです。にも拘わらず、我々人間の知性といいますのは他の動物の平均値の中には納まらず、ダントツに高く、複雑です。ならば、その決定的な違いは「言語」ということになります。そして、これを司る「言語中枢」といいますのは、他の動物にはない、明らかな人間の脳だけの解剖学的特長であります。 では、人間と他の動物との決定的な違いが「言語」であるとしますならば、この言語を持つことによって人間だけに現れる「知性の特徴」とはいったい何かということになります。 少々手抜きになりますが、人間以外の他の動物も言語を持っているかどうかという論議は、ここでは省かせて頂きます。飽くまでこれは言語と知性の関係に就いてですので、もし他の動物が言語を持つならば、そこには人間と同じ特徴が現れる可能性があると解釈して頂ければ結構だと思います。 「知性」とは、与えられた情報を基に判断を下す能力であります。そして、我々人間の知性の特徴とは、それがたいへん高度で複雑であるということです。 言語を用いますならば様々な対象を抽象化し、論理的に比較することができます。これだけでも思考は複雑であり、何よりも学習能力が飛躍的に高まります。ですが、過去の学習体験と現在の状況を比較し、より価値の高い未来の結果を予測するといったことは、この程度でしたら言語を持たない他の動物でも幾らでもできることです。では、言語を用いなければどうしてもできないのは、「愛」や「死」といった形のない概念を対象として思考を行うことです。言語を持たない動物にはこれができません。 従いまして、このような具体的な実体を持たない様々な概念を対象化して行なわれる高度な思考が、他の動物にはない、我々人間だけの「知性の特徴」ということになります。このため、その複雑さは脳の発達だけでは比較することができません。そして、その決定的な役割を果たすものが言語ということですね。
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お礼
とても丁寧に、そして詳しく教えていただき 本当にありがとうございます。 とても参考になりました。