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僧侶が仏前で読経することの意義
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古代インドでは、神や仏の教えを文字にすることは許されなかったので、その教えを初めは簡単な詩にして覚えやすいようにして、それを口伝えにしていたのです。その習慣が伝わったものではないかと私は思います。毎日、何度も唱えないと忘れてしまうでしょう。 今でも、密教系の宗教では重要な教えはすべて口伝です。ヨーガなども口伝が多いです。 今の僧侶の人が読経するのは、その宗教の作法によるものでしょうが、それ以上のことはわかりません。
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- agrippa
- ベストアンサー率9% (5/51)
瞑想において迷走しないためのループをつくること。
- kingyosou
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矛盾と言う二文字の言葉に、中国の矛の商人と盾の商人の物語が凝縮されている様に、お経の一行一句に壮大な物語や智慧が説かれていて、アブダカダブラ等の呪文ではなく、日々の生活が自己中心になりがちな私の生活に正しい道(智慧)を思い出さす為に、読経するのではないでしょうか。最近久々にテレビに登場した上岡竜太郎さんを見て、引退前に私の子供頃の親達は漢詩や哲学を嗜んでいた大人が多かったと語っていた事を思い出しました、物質的幸福感が蔓延る前の世代は精神的な幸福を探求し自身を見失わない様に宗教を含め哲学的なものに常に触れておく必然性を感じていた時代があったのでしょうね。お経の文字を直視すれば確かに難解ですが、説かれている内容を少しずつ身に染みて理解していけば、読経の意義がhinode11さんに見えてくるのではないでしょうか。
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- SC_Ehara
- ベストアンサー率0% (0/2)
お客さんの前で読経することはビジネスです とてもよいお金になります お客さんが居なくても毎日読経しているお坊さんが居るならば 習慣だからやっている事でしょう なんとなくです
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- 1katyan
- ベストアンサー率18% (147/800)
さあね。見るのとやるのはまた違いますからね。 朝早く起きて般若心経だけどもいい、やってごらん わずか10分だからね。頭で考えて理解するのとやってみないと 理解できないものがありますね ばたばたせず心を集中させること、そして坊さんは勉強してますので ある程度理解していると思います
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- petit-mimi
- ベストアンサー率20% (1/5)
宗教学者によると、「日本は先祖崇拝の習俗をいまなお温存するほとんど唯一の近代国家」だそうです。 正月と盆の時期に祖霊が帰ってきてお祭りをするという風習は仏教が 伝来するより前からあった民間信仰で、それを一部、仏教が取り入れて 現在のような形式の葬儀と追善供養が行われるようになったそうです。 つまり読経は、シャーマンの祈祷とお払いに似たようなのものではないでしょうか。 ご存知のように、僧が読む経典には釈迦の教えが漢語で書かれていますが、内容はあまりに形而上学的で、 キリスト教の聖書のように誰でも理解できるものではない故に、僧が教えを説くということを怠って、 ただ念仏を唱えれば救われる、(内容を理解せずとも)読経すれば死者が救われるといったように単純化され、 迷信はそのままに形式美のみ追い求め、 葬式仏教と揶揄されるようになったと私は理解しています。 法事に若い坊さんが来て読経すると、檀家では裏でこそこそと陰口をたたきます。 「今日は息子のほうが来たから、お布施は3万でいいね。お父さんのお経は流れるようで上手かったが、 若い坊さんのお経は下手でありがたみがない」 お経は演歌で僧侶は演歌歌手みたいなものじゃないでしょうか。 以前、大悟したと曰う禅宗の僧に伺ったことがありますが、雲水に読経の練習をさせて、 「うんよく鳴けるようになった」と褒めるそうです。 でもその僧(おじいちゃん)が、人間、生来の本能も在るがままが一番と私に言い寄ってくるので、 奥さんに相談するととたんにこそこそと逃げ出していきました。 それからは少し皮肉な見方をするようになり、読経の上手さでお布施の額が変わるなら、 練習して損はないよねと思うようになりました。
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- dulatour
- ベストアンサー率20% (327/1580)
自分の信じるものについて、口述することは精神を落ち着け、力を漲られます。 喩えは悪いですが、自分の恋人の名前を口ずさんでいるようなものかと・・ これは、万人に大切なことです。 信じない人にはあまり価値のない、意味すらもよくわからないような呪文を唱えるのは、部外者にとっては理解しがたいでしょう。でも、信じている人には非常に重要な異議があるのですね。
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
[仏教の僧侶が仏像に向って読経することの意義は何でしょうか。] 仏教の僧あるいは仏教徒は、三法に帰依した者をいいます。 三法に帰依とは、仏に帰依します。仏の教え(=経典)に帰依します。仏の僧団に帰依します(僧帰依は僧団の規律に帰依の意味)。ですから 僧団内の僧は、特に実践行として前の二つ、つまり仏に帰依します。仏の教え(経典)に帰依します。の姿勢を実践するわけですね。 この姿勢は、毎日、仏像に向って(仏帰依)読経(法帰依)することに一致するでしょう。 ということで形式的には理解できるでしょう。 更に、仏帰依は仏教開祖の釈迦如来(霊的には大日如来・阿弥陀如来と同じ)でないと仏教とはいえませんので、それ以外ならば仏教とはいえないですね。浄土真宗なんかでは「無量寿」という表現もありますがこれは阿弥陀如来のことですから仏帰依になるわけですね。 仏帰依でない仏教?もあるので注意は必要だね。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
宗派によって違うのでしょうが、我が家の浄土真宗であれば、信仰の主な対象は阿弥陀如来です。 この如来は、衆生を助けたいと自ら願をたてて実践している方・・・ らしいですし、我々は他力本願で、念仏以外よけいなことはしないのがいいらしいので、つまり読経の意味合いは、「ここにも助けられるべき人間がいる」と知らせている程度ではないでしょうか。
お礼
読経の意義を知るには、読経の対象である仏像(如来や菩薩)の本願とか働きとかを理解する必要がありますね。
- Samantabha
- ベストアンサー率61% (560/916)
身も蓋もない言い方をすれば、それが商売だからです。 何事も、形から入るのは大事なことではないかと思うのですが。 僧侶になるためには、それなりの資格を得るために修行をするわけですが、 もちろんそれは、自分のための修行でもあると同時に、 自分がお寺に入った時に、檀家さんたちとどう接するか、ということを学ぶことでもあります。 毎日お経をあげていれば、檀家さんが、「ああ、うちの和尚さんは、真面目な方だ、ありがたや」となるわけです。 そしてさらに、本当に真面目な和尚さんであれば、経典の内容を理解して、その概要を檀家さんにわかりやすく説明するのです。 そうすれば、さらに檀家さんは、「ありがたや」となるわけです。 と、意地悪な言い方をしましたが、お坊さんとて人間、放っておくといくらでも安易な道に行ってしまうわけです。 ですから、毎日、仏の教えを忘れないように、すべての平安を願って、仏像の前で読経するのだと思うのです。 まあ、すべてのお坊さんが、100%理解しているとは思いませんが、 それでも少なくとも僧侶の資格を持つ人ならば、自分が毎日読むお経の概要くらいは知っていると思います。 なので、毎日の読経がすべて全く意味のないものではないと思います。
お礼
>毎日、仏の教えを忘れないように、すべての平安を願って、仏像の前で読経するのだと思うのです。 すばらしい事です。僧侶を尊敬しなくては。
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